2017年08月05日

◆ 集中豪雨にはフェイル・セーフで

 集中豪雨への対策は、フェイル・セーフの発想でやるといい。つまり、被害の完全阻止でなく、被害の最小化だ。

 ──

 地球温暖化のせいらしいが、近年は豪雨被害が多くなっている。最近でも、九州北部で集中豪雨の被害があった。それについてまとめた記事がある。
  → 猛烈な雨、地形も変えた 九州北部豪雨:朝日新聞 2017-08-05

 記事では「半日の雨で地形が変わり」と記しているが、具体的には、次のことだ。
  ・ 山面の土砂崩れ
  ・ 土砂が河川の流域に堆積する(流路も変わる)

 この程度は、豪雨被害ではよくあることなので、大騒ぎするほどのことではない。
( ※ 被害規模は大きいが、新現象が生じたわけではない。)

 ──

 問題は、対策だ。どうするべきか? 記事には、専門家の意見がある。
 中小河川の多くは防災力が弱く、全国のどこがやられてもおかしくない。護岸などのハード面だけで完全に防御することはもはや困難だ。今回を大きな転換点ととらえ、ソフト面を重視した対策に変えなければならない。
 住民は、自分がどういう所に住んでいるのか認識し、「共助」を充実させ、いざというときに声を掛け合って逃げる仕組みをつくる。行政は、大量の流木が川をせき止めた時の影響なども想定し、避難指示などの情報伝達が適切かどうかを見直す必要がある。
( → 朝日新聞 2017-08-05

 「ハードの対策ではダメだから、ソフトの対策で」
 と主張する。そして、住民や行政の情報伝達で解決しようとする。
 いかにもIT時代の発想だが、頭がITに染まりすぎている。防砂は「ハード対ソフト」というような対立概念で解決する物ではない。そもそも、上記の方針は、人が眠っている深夜には適応できない。(眠っていては情報伝達もできない。)

 ──

 では、どうするべきか? 私はこう考える。
 「防災にはフェイル・セーフの発想を取るべきだ」


 具体的には、こうだ。
 「河川の氾濫を防ぐための互換工事などが、従来の対策だった。しかしこれは巨額の費用がかかるので、なかなか対策が進まない。また、コスパもすごく悪い。数百億円をかけて、数億円の被害を防ぐ。こんなことをするくらいなら、被害のあとで補償をする方が、よほどマシだ。
 そこで、《 氾濫を防ぐ 》という発想のかわりに、《 氾濫を防がないで、氾濫が起こったあとの被害を最小化する 》という発想を取る」

 別に、自然を制圧する必要はないのだ。山崩れや氾濫などを起こす自然の力はあまりにも巨大である。この巨大な力を真っ向から制圧する必要はない。つまり、山崩れや氾濫が起こることを制圧する必要はない。
 かわりに、これらを許容して、その上で、人間の被害を最小化すればいい。

 ──

 では、被害を最小化するとは? その基本方針は、こうだ。
 「巨大な自然の破壊力に対しては、そこから逃げる」


 要するに、逃げればいいのだ。人が逃げれば、自然は追いかけてこない。熊ならば人間を追いかけるが、自然は人間を追いかけてこないのだ。だから、さっさと逃げればいい。
 具体的には、こうだ。

 「山崩れや氾濫が起こる場所は、限定されている。そこは危険な場所だ。だから、そういう危険な場所には住まなければいい」


 より具体的には、こうだ。
 「山崩れや氾濫の起こりやすい危険な領域を指定して、そこを居住禁止する」

 こういう行政措置があればいい。その上で、移住に補助金を出して、移住を促せばいい。
 具体的には、山裾や川のそばから、50メートル以上、離れればいい。そのあたりには田畑がいっぱいあるから、そこに家を建てて済めばいい。あるいは、近くには空き家がいっぱいあるだろうから、それらの空き家に転居すればいい。

 基本的には、山裾や川のそばという危険な場所に住む方が悪い。北九州の豪雨でも、川のそばに住む人が流されただけだ。川から 50メートルぐらい離れれば、せいぜい床上浸水ぐらいで済むことがほとんどだ。
 だから、「川のそばから離れる」というような方針を取るだけで、すべては解決する。これが正解だ。

 これは、「フェイル・セーフ」という発想でもある。(自然災害そのものは止めないが、自然災害による被害を最小化する。)
 なのに、「ハード対策のかわりにソフト対策を」なんていうふうに主張していては、対策の方針が根本的に狂っている、というしかない。



 【 関連項目 】

 上の方針は、(特に明言しなかったが)、従来の個別の被害のときにも示している。

 岩手県の集中豪雨では
  → 2016年 台風 10号の被害
 こんな「川のそば」という危険地域に、介護施設を設置するのを許すべきではないのだ。
 むしろ、こんな危険地域には「居住禁止」「建築禁止」に準じた規制をかぶせるべきだ。


 鬼怒川の集中豪雨では
  → 鬼怒川の氾濫はなぜ?
 今回、問題が大きくなったのは、洪水が起こったからではなくて、洪水が起こった場所に多数の人家があったからだ。ここに本質がある。この本質を理解するべきだ。


 北九州の集中豪雨では
  → 豪雨の被害を減らすには
  「川のすぐそばでは居住制限するべきだ」
 そもそも、川のすぐそばなんていうのは、ダイナマイトの隣のようなもので、住むには不適だ。危険極まりない。こういうところに住むことは禁止するべきだ。

 ──

 以上のいずれも、居住制限を主張している。
 そのことを再三再四、明示したい。(本項で。)

  ※ 本項では特に、発想の原理を示した。
    「フェイル・セーフ」という概念で。

 ──

 基本的には、次の差だ。
  ・ 洪水が起こった後に逃げるか (情報で対策)
  ・ 洪水が起こる前に逃げるか  (居住禁止)


 前者では当然、死者多数。(逃げ遅れ)
 後者では、死者ゼロ。(もともと人が住んでいない)

 どちらにするべきかは、自明だろう。なのに、正しい方策を、取ることができずにいる。なぜ? Openブログの言うことを聞かないからだよ。
( ※ 原発対策もそうだった。Openブログの言うことを聞かないから、福島原発事故が起こった。)



 【 関連サイト 】

 動画がある。





 冒頭付近に、流されかけた建物の画像がいろいろとある。これらはいずれも危険地帯にある建物だ。
 また、これらの建物の隣のあたり(川になっているあたり)は、もともと建物があったのに、すべて流されてしまったのだろう。だから、画像では建物が残っていない。
 これらはすべて居住禁止にするべきだった。そうすれば、流されることもなかったはずだ。

posted by 管理人 at 11:09| Comment(0) |  地震・自然災害 | 更新情報をチェックする
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