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記事を引用しよう。
《 JR西の歴代3社長、無罪確定へ=強制起訴、上告を棄却 》 兵庫県尼崎市で2005年4月、乗客106人が死亡したJR福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の歴代3社長について、最高裁第2小法廷(山本庸幸裁判長)は13日までに指定弁護士側の上告を棄却する決定をした。決定は12日付。3人を無罪とした一、二審判決が確定する。
発生から12年で、事故に関する公判は全て終結する。運転士は死亡しており、国鉄民営化後最悪の事故は、誰も刑事責任を負わない結果となった。
検察官役の指定弁護士は公判で、現場カーブに制限速度を超過した列車が進入すれば脱線する危険を予測できたのに、自動列車停止装置(ATS)の設置を指示しなかったと主張。3人は一貫して無罪を訴えていた。
第2小法廷は「事故当時、ATS設置は法的に義務付けられておらず、大半の鉄道事業者も整備していなかった」と指摘。同社管内に2000カ所以上ある同種カーブよりも現場の危険性が高いと認識できたとはいえないとして、3人にATS設置を指示する注意義務はなかったと結論付けた。( → 福知山線脱線・最高裁:時事ドットコム )
経営陣の経営ミスで大事故が起こって多大な死者が出たのに、まったくお咎めなしで無罪判決という結果。
いかにも理不尽だが、最高裁判決ももっともだと思える。
では、これをどう評価するか?

実は、この件は、前に「泉の波立ち」で論じた。この当時(2005年)は、本ブログ( Openブログ)はまだ開設されていなかったので、「泉の波立ち」で論じたのだ。そこから、当時の文章を転載しよう。
● ニュースと感想 (12月22日b)
「JR宝塚線の裁判」について。
JR宝塚線(福知山線)脱線事故で、検察側が起訴理由を述べた。「ATS整備をすれば事故を防げたのに、そうしなかったから事故が起こった」という趣旨。
これは全然理屈になっていない。これが起訴理由であるならば、被告は無罪となるしかない。
だいたい、そんな理屈が成立するなら、自動車だって日産やスバルの衝突防止装置の設置が全車に対して義務づけとなる。しかしコスト的に高額だから、それは無理だ。そもそも、事故の発生に対して、「事故防止装置を付けなかったから」というのは、事故を起こした本質から目をそらせることになる。てんで見当違いだ。
今回の事故の原因は、ATS を付けなかったことではない。列車がものすごい高速で突っ走ったことだ。その理由は、「ダイヤに遅れを出したら運転手を厳罰で処罰する」という経営方針だ。この経営方針こそが事故の理由であった。運転手は、自分のミスで、停車をミスったので、ダイヤに遅れを出した。その遅れがあると、あとでものすごく処罰される。それが怖いので、遅れを回復するために、ものすごい高速で突っ走った。かくてカーブを曲がりきれずに脱線した。
ここでは、ATS があれば事故を防げたとしても、ATS は事故の直接原因ではない。社員の小さなミスに対して厳罰で処罰するという非人情的な経営方針に理由がある。
だいたい、ATS がないから経営者が起訴されるということであれば、田舎の小さな鉄道はみんな経営者が起訴されてしまうし、バス会社だって日産やスバルの衝突防止装置を付けていないという理由で起訴されてしまう。
検察は本質を間違えている。事故の理由は、社長の経営方針だ。責任は社長にある。ただしその理由は、ATS を設置しなかったことではなく、「ダイヤの遅れに対して厳罰で処罰する」という経営方針だ。一種の「成果主義」ですね。
この事故が起こったころは、世の中に「成果主義」があふれており、「成果主義を導入すれば業績が向上する」という風潮があった。社員には何の権限も与えず、結果だけを社員のせいにする、というふうに、経営責任を放り出す。経営者であれば、ATS を設置するというふうな経営責任を果たすべきだったのに、逆に「能力主義にして厳しく処罰すればダイヤが守られる」というデタラメさ。
こういうデタラメな経営が理由であったのだ。何か良いものがなかったことが事故の理由ではなくて、何か悪いものがあったことが事故の理由なのだ。……そして、この本質を見失ったまま起訴するのでは、被告は無罪となるしかないだろう。
かくて悪は世にのさばる。
上ですべては言い尽くされている。
要するに、JR経営陣の経営ミスが事故の根本原因なのだが、訴えた理由が見当違いのものだった。
・ 訴因 …… ATS を未整備にした、安全意識の欠如。
・ 真相 …… 金儲け主義で、利益ばかりを狙ったこと。
これでは、訴えた理由が見当違いなのだから、無罪になるしかない。
比喩的に言えば、過失殺人をした人を、安全管理責任の不足で訴えるようなものだ。
あるいは、過大な残業で過労死した東大卒女子のいた電通を、ブラック経営で訴えるかわりに、休養設備の不足で訴えるようなものだ。
いずれにせよ、死をもたらした新の原因とは別のことを原因として、訴えているのだから、「見当違い」という結論になる。当然、無罪判決を下すしかない。
「JR経営陣を訴えて処罰してやろう」という「憎しみ」の心があるばかりで、「人この新の原因は何かを探ろう」という科学的探究心がなかった。そのせいで、見当違いの訴因で訴えた。
事故の裁判の目的は、「事故の真相を見極めて、将来の再発を防止すること」だ。なのに、そのことを忘れて、「事故の真相を見極める」ということをないがしろにした。そのせいで、新の原因は見失われ、悪とのが無罪放免されることになった。
経営者は、人を殺そうとか、安全を手抜きしようとか、そういう悪意があったのではない。単に「金儲けをしよう」という意識が過剰にあったのだ。そのせいで安全性がついつい、おろそかになったのだ。
そういう真実を見極めようとする心がない限り、同じような事故はいつかまた再発するかもしれない。
( ※ 考えて見れば、原発事故も、同様の「金儲け主義」から発生したのだった。同根ですね。……そのことに気づかないで、「反核」みたいなことばかりを言っている人々[放射脳]もまた、本質を見失っている。)
[ 付記 ]
では、どうすればよかったか? 正解は、こうだ。
「運転手に対し、苛酷な勤務を強いる(わずかな電車の遅れさえも処罰対象となる)ような、ブラック経営を放置したことで処罰する」
つまり、
「労基法違反で処罰する」
ことだ。
実際には、「安全対策の不足」を理由に、刑法の「業務上過失致死傷罪」で経営者個人を起訴しただけだった。
このあと、「個人だけを対象として、組織を対象としないという、刑法の限界がある」というふうに批判された。(遺族らの批判)
→ 「組織罰」勉強会 遺族らが
とはいえ、刑法の「業務上過失致死傷罪」で裁こうとする限り、今回の判決のように、「重大な落ち度はない」という結論になる。
問題はあくまで、労働管理の問題だ。ブラック経営の問題だ。そして、それは、労基法違反で処罰されるべきだ。
ところが、日本では、労基法違反で処罰されることは、ほとんどない。
「経営者や取締役といった個人」だけではなく、「事業主である法人そのもの」も罰せられるということです。
但し、いきなり罰則が適用されるようなことはありません。
例えば、労働基準監督署からの是正勧告や指導を無視し続けたり、その対応が余りにも悪質である場合にのみ適用されるとお考えください。
( → 労働基準法に違反した場合の罰則は「懲役?」「罰金?」 - 残業代バンク )
労基法では、個人だけでなく組織も処罰されるのだが、その処罰があまりにも甘い。「警告無視が続く」というふうに、よほど悪質でない限りは、処罰されないのだ。
ここに問題がある、とわかる。
つまり、JR西の事故の真の原因は、「日本では労基法違反が処罰されないこと」だ。労基法違反に関する限り、法律違反がまかり通っていることだ。
そのせいで、あちこちでひどい労働状況が放置される。事故も多発する。(スキーバス事故などの例もある。)
このような「労基法違反のせいで起こる事故」のひとつが、JR西の事故だ。
そして、これを解決する真の方策は、「刑法の改正で組織罰をもたらすこと」なんかではなくて、「ブラック労働を放置する現状」「労基法違反がまかり通る現状」を、正しく是正することなのだ。
一言でいえば、「違法行為がまかり通る」という現状を是正して、「違法行為をきちんと取り締まること」だ。そうすれば、この手の事故は激減するだろう。鉄道事故にしても、高速バス事故にしても、残業過労死にしても。……それらのすべては同根だからだ。

茶番の政治ゴッコに なぜ黙ってる
管理人さんが 何もできないのも
まったく同じ罪なんだぜ
何もできなかった 悔恨