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記事を引用しよう。
《 象徴天皇、初の退位へ 18年12月か19年3月を軸に 》
天皇陛下の退位を実現する「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が9日、参院本会議で全会一致で可決、成立した。明治以降で初めての退位が今後3年のうちに実現する。これを受け、政府は退位日について、2018年12月下旬のほか19年3月末も選択肢として本格検討に入った。
政府は国民生活への影響を最小限に抑えるため、18年12月下旬に陛下の退位と皇太子さまの即位を実現し、年が改まる19年元日に改元する日程を軸に想定している。
ただ、11月23日の新嘗祭(にいなめさい)や元日の新年祝賀の儀など秋から冬にかけて重要な皇室行事が立て込むことから、宮内庁内には天皇の代替わりは春ごろが望ましいとの意見がある。このため19年3月末に退位し、4月1日の年度替わりに合わせて即位、改元する案も検討する。
( → 朝日新聞 2017-06-10 )
12月末か、3月末か? どちらも一長一短である。あちらが立てば、こちらが立たず。国民の都合を優先すれば、皇室の都合がつかない。
では、どうする? こういうときには、「困ったときの Openブログ」と唱える。するとたちまち名案が出てくる。
「どちらも両立させればいい。両立できないと思っているのは、思い込みにすぎない。既存の思い込み(前提)をはずせば、両立できる」
両立とは、次のことだ。
・ 国民の都合ゆえ、改元と退位は 12月末。(〜1月)
・ 皇室の都合ゆえ、式典は3月末。(〜4月)
これは別個のことであるから、どちらも両立させてしまえばいいのだ。
ただし、現実には、「両立は不可能」と思われている。それは、次の思い込みがあるからだ。
「退位・即位を決めたならば、同時に式典も開催する必要がある」
しかし、これは成立しない。
このことを理解するには、次のことを理解すればいい。
「結婚と結婚式(披露宴)は、同時に実施する必要はない。結婚(入籍・同居)のあと、数カ月遅れて、披露宴を実施することもできる」
こんなことは、世の中でしばしばある。
だから、それと同様にすればいいのだ。すなわち、次のようにする。
「退位・即位を 12月末に行うが、式典は3月末に行う」
もっとわかりやすく言えば、次のようにする。。
「退位・即位は、皇室の内部行事として、12月末に小規模・非公開で行う。国民向けの式典は、3月末に大々的に行う」
つまり、次の二本立てだ。
・ 小規模・非公開で、皇室の内部行事 (12月)
・ 大規模・公開で、 国民向けの式典 (3月)
これに対して、
「両者を分けるなんて、前例がないぞ」
という反発も出そうだが、そもそも、退位そのものに前例がないのだから、今回の事例を前例としてしまえばいいのだ。
かくて、問題はすべて解決される。
物事を論理的に突き詰めれば、たいていの問題は自動的に解決される。それを妨げているのは、人々の「思い込み」(しがらみ)だ。
【 関連項目 】
→ 経験主義
→ しがらみ (1)
→ しがらみ (2)
→ しがらみ (3)
※ 上の4項目は、4つ並んだシリーズです。
番号は 0,1,2,3 という順。

実現されていますね。
「葬儀は親族・身内で済ませる」
「後日、一般向けに『お別れ会』を開催する」
といった具合で。
分けて行えば問題が解決するというのが思い込みだ。
退位即位に合わせて国民向けの式典を行うことに意義を感じる人々が大勢いるから悩んでいるのでは?
分けて行う案はそれらの人々に「意義を感じるな!それは理論的ではないぞ!」と言っているに等しく単に大勢の人々を理論的でない。と切り捨てているだけですね。
別に、そんなことは言っていないですよ。むしろ、次の趣旨。
「意義は感じだけのものであって、心理的なものだ。一方、他の二点は、現実的なもの(現実レベルのさまざまな不便さ)だ。現実的なものは回避不可能だが、心理的なものは気持しだいで我慢できる。だったら、心理的なものは我慢するしかない。それがイヤなら、現実レベルの不便さを受け入れるしかない」
> 大勢の人々を理論的でない。と切り捨てている
心理的なものは現実レベルのものに優先しない、と言っているだけです。
大勢の人というが、賛否はいずれも大勢ですから、どっちみち、大勢の人が切り捨てられるのは仕方ない。
例。安倍政権が成立すると、安倍批判である大勢の人は切り捨てられる。
ま、民主主義とか多数決とかいうものは、どっちみちそういうものです。これは私のせいじゃない。私を批判するのはお門違い。
……と思ったが、朝日の報道を政府が否定した。
http://www.sankei.com/politics/news/171020/plt1710200037-n1.html
だけど、朝日は宮内庁に詳しいから、単純に誤報だとは言い切れない。