2017年06月08日

◆ 9条改憲の目的は?

 自民党が9条改憲をめざしている。その目的は何か? 法的整合性か? 

 ──

 自民党が9条改憲をめざしている。
  → 改憲、9条・教育無償化など4項目 自民方針:日経
  → 自民改憲案、年内に策定=9条など4項目議論−推進本部:時事

 これについては「法的整合性」の立場から、支持する人が多い。つまり、
 「現状の自衛隊は明らかに違憲だが、自衛隊をなくすことは不適当だ。だから自衛隊が違憲であるという不整合さをなくすために、法律(憲法)の方を変えるべきだ」
 という発想だ。
 たとえば下記に、そういう意見が見られる。
  → はてなブックマーク - 首相の改憲発言に憲法学者らが反対の見解発表

 ──

 それはそれでもっともらしいが、私としては別の立場を取る。こうだ。
 「自衛隊は違憲ではない。なぜか? 自衛権は、憲法以前に、自然権として保有しているからだ。人は、呼吸する権利や、生存する権利を、法律で付与される以前に、自然権として保有している。それと同様に、国家も、法律で規定される以前に、自衛権を自然権として保有している。これについては、憲法で規定することの枠外にある」

 
 具体的には、こうだ。
  ・ (9条の)交戦権は保有しないが、自衛権は保有する。
  ・ (9条の)軍隊は保有できないが、自衛隊は保有できる。


 比喩的に言えば、こうだ。
  ・ ジャイアンに殴られたら、のび太は殴り返せる。
  ・ のび太は護身用の警棒などを保有できる。

 こういうことは、法律で規定されるまでもなく、自然権として保有できる、ということだ。
 
 というわけで、「自然権」という概念を取ることで、「自衛隊は9条に違反しない」という法的解釈を取れる。

 ──

 ただし、この解釈を取ると、自衛隊は「自然権としての自衛権」のためだけに存在できる。
 一方、「集団的自衛権」は、「自然権としての自衛権」ではない。(自分を守るためではないから正当防衛にはあたらない。)
 したがって、上の解釈からは、「自衛のための戦力は保有可能だが、集団的自衛権のための戦力は保有できない」という結論になる。この点は、重要だ。
 実は、この件は前にも述べたことでもあるので、その箇所を再掲しよう。
 (1) 集団的自衛権の根拠
 集団的自衛権の根拠は何か? 実は、そんなものは何もない。明らかに憲法違反である。(導入したければ改憲の必要がある。)
 なぜか? そもそも、自衛権の導入の理由を考えればわかる。自衛権が導入されたのは、それが法的な権利である前に、自然発生的にある権利だ、ということだ。たとえば、次のような。
  ・ 生きる権利
  ・ 呼吸する権利
  ・ 地上を歩く権利

 これらは、法律で「権利」として明記されていないが、その権利はもともとある。それは法的に付与された権利ではなくて、人間が生まれながらにして持つ権利である。だからいちいち法律で明記しないのだ。
 自衛権もまた同様のものだと見なせる。それを法律で明記したものの一つが「正当防衛」という概念だ。
 これを国家レベルに引き上げたのが「自衛権」である。国家は他人から攻撃されたとき、自らを守る権利がある。それは法的な規定に影響されない。……そういう形で、「自衛権」というものが導入された。かくて、自衛隊は合憲とされた。
 
 では、集団的自衛権は? そんなものは「自然権」としては与えられていない。たとえば、ドラえもんの隣にいるのび太がジャイアンに殴られたとき、のび太を守るためにドラえもんがジャイアンを殴る、という権利はない。そうすることは可能だとしても、そのような権利などはない。これがつまり「集団的自衛権などは自然権としては存在しない」ということだ。
( → 集団的自衛権と戦術的自衛権 : nando ブログ

 ──

 ともあれ、上の解釈からは、「集団的自衛権のための戦力」は保有できない。つまり、現状の「自衛隊合憲論」では、自衛隊に集団的自衛権を適用して、海外派兵をすることは、違憲である。
 一方、安倍首相は、「集団的自衛権は合憲だ」という立場である。
 そこで、「集団的自衛権を合憲にするには、自衛隊そのものを(何が何でも)合憲であるというふうに、憲法改正をすればいい」という発想になる。
 つまり、「集団的自衛権を行使する自衛隊は違憲である」という現状を変えて、「集団的自衛権を行使する自衛隊は合憲である」というふうにするためには、現状の憲法解釈では不可能なので、改憲をめざすわけだ。


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 ここまで見れば、事情は明らかだろう。
 安倍首相が憲法改正をめざすのは、「法的整合性」のためではない。「現状では自衛隊が違憲だから、自衛隊を合憲にするため」ではない。
 正しくは、こうだ。
 「現状では(自衛隊の)集団的自衛権が違憲だから、(自衛隊の)集団的自衛権を合憲にするため」だ。
 簡単に言えば、自衛隊を合憲にするためではなく、集団的自衛権を合憲にするためだ。
 そして、日本の領土の内部でなら、集団的自衛権を行使するまでもなく、自衛権だけで足りる。とすれば、憲法を越えて集団的自衛権を行使することの目的は、「日本の領土外で自衛隊の集団的自衛権を行使すること」、つまり、「海外派兵において米軍に協力すること」だ。

 こうして、隠された真の目的が明らかになった。
 安倍首相が会見をめざすのは、自衛隊を合憲にするためではない。自衛隊を海外派兵して、米軍の戦争活動に奉仕することだ。
 
 この真の目的を正しく理解しよう。はてブに多く見られるように、「法的整合性のためだ」「自衛隊を法的に合憲にするためだ」という見解が多いが、それでは安倍首相の真の狙いを見抜いていないことになる。(だまさされていることになる。)



 [ 付記1 ]
 実は、安倍政権は、ペテンを意図的にやろうとしている。つまり、「真実を隠して、国民をだまそう」としている。そのことは、下記記事からもわかる。
  → 安倍総理の9条改憲案に木村草太氏「個別的自衛権、集団的自衛権どちらを明記しても政権的にはまずい」

 真の狙いである集団的自衛権のために、真の狙いを隠してしまえ、というわけだ。

 [ 付記2 ]
 集団的自衛権は、現状ではどうなっているか? 法的には特に規定されないまま、閣議決定された、という扱いだ。
 2014年7月,安倍晋三内閣は,一定の条件のもとで集団的自衛権の行使は認められるという憲法解釈の変更を閣議決定した。
( → コトバンク

 参考資料。
  → 集団的自衛権の行使を容認する閣議決定(全文)

posted by 管理人 at 21:24| Comment(20) |  戦争・軍備 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は憲法を改正し、素直に軍隊を保持すべきと明記すべきとの立場です。

そこで少しお聞きしたいのですが、
自然権を「人であることそのものから由来する基本的権利」と解釈した上で、
そもそも人ではない「国家」が自然権を保有しているとする根拠はどこにあると考えているのでしょうか?

例えばですが、
仮に戦争ともなれば、まず間違いなくその国家に所属する個人の自然権は侵害されることになるでしょう。
(反対する個人を巻き込んで被害をもたらすわけですから)

とすると個人の自然権よりも、国家の自然権がより優先されているといった結論になるかと思います。

なぜこのような権利が国家に認められていると言えるのか、
この国家の保有する「自然権」とはどのようなものか、どう考えておられますか?
Posted by 解析する者 at 2017年06月08日 22:32
> 個人の自然権よりも、国家の自然権がより優先されている

 まさか。敵国の殺人権(?)を「自然権」と見なすのは、メチャクチャです。そんな自然権はありません。
 あなた、敵と味方の区別が付いてないですよ。

 ※ あ、もしかしたら、徴兵制のことを言っているのかな? もしそうなら、国家の方は(戦争する)「自然権」ですが、個人の方は(戦争しない)「徴兵忌避権」ですから、話のレベルが逆方向です。話はまったく噛み合わない。スポーツの議論をしているときに、料理の話をするようなもの。話が成立しない。

> そもそも人ではない「国家」が自然権を保有しているとする根拠

 もちろん、これは法律以前の原始的な権利と見なすのですから、あらゆる前提に先立つもの(ア・プリオリなもの)です。当然、根拠などはありません。
 原理に対して、「その原理は何?」と問うのは無意味。数学の公理系に対して、「その公理の前提となる公理は?」と問うのと同じ。公理という言葉の意味を理解できていないだけ。

 なお、敵国が集団で攻撃してくるときに、自国が国家対応をしないで、個人レベルで対抗するだけなら、兵器を使うこともできないまま、あっさり滅亡します。
 集団攻撃に対しては集団防御するしかない。さもなくば滅亡しかない。……このことは、スズメバチとミツバチの攻防を見てもわかるでしょう。詳しくは下記。
  → http://openblog.seesaa.net/article/435847015.html

Posted by 管理人 at 2017年06月08日 23:01
> 個人の自然権よりも、国家の自然権がより優先されている

国家が戦争に突き進むことによってなされるであろう、自国民に対するあらゆる自然権の制約のことです。
戦争ともなれば徴兵制に関わらずさまざまな制約が起こります。
意に反する苦役からの解放、居住・移転の自由等の自由権が制約されるであろうことは明らかでしょう。

> もちろん、これは法律以前の原始的な権利と見なすのですから、あらゆる前提に先立つもの(ア・プリオリなもの)です。当然、根拠などはありません。

つまり自然発生的に国家も自然権を享有するとみなすいうことですか。そこに理由はないと。
なるほど。しかし理由は必要なのでは?

どういうことかというと、
そもそも自然権思想そのものも、キリスト教的価値観をベースにした根拠の乏しい話だったと理解しています。
けれど根拠と呼べるようなモノはあった。
あれは「本来人々は自然状態において自由であった」という架空のストーリーではあるけれども、
当時の横暴で専制的な君主に対抗するにはそのストーリーが都合がよかった。いわば必要であったわけです。
だからこそ人々に受け入れられ、革命が起こった。

とすると、国家も自然権享有主体であるとみなすというのも、こういった根拠が必要になるのではという話です。


蛇足ですが、敵国の「殺人権?」についての言及について。
人は自然状態において他人を殺すことができたのでは?
しかしそれでは誰もが身の安全を確保できない。
だから人々が互いに制約することを契約して政府を組織したと、いうのが憲法の根本思想、すなわち社会契約論だったはず。

ですから敵国に自然権あるとすると、つまり敵国は他国を侵略してよいし自由に侵略してよい=殺人できるのでは、と思えますが。
Posted by 解析する者 at 2017年06月09日 00:52
> 国家が戦争に突き進むことによってなされるであろう、自国民に対するあらゆる自然権の制約のことです。

 それは前のコメントの ※ で説明したとおり。話のレベルが全然異なる。
 本項で言う自然権としての自衛権は、他国に対して行使できる権利。
 あなたの言う「個人の自然権の制約」は、まったく別のレベル。「国家が自然権を行使するときに生じる副作用」であって、個人の自然権と対立するものではない。
 たとえば、北朝鮮などが日本に攻撃を仕掛けてくるとき、日本が北朝鮮のミサイル基地を攻撃することは(自然権によって)権利を有するが、そのことは、日本人の個人の自然権を損なうこととは何の関係もない。単に現実レベルで弊害があるかもしれない、というだけのことだ。法的な権利関係には何も影響しない。

 比喩で言うと、国家が個人に課税すると、課税された人は所得が減るので、生存権をいくらか脅かされるが、そういう弊害がいくらかあるからといって、国家の課税制度が法的に損なわれるわけではない。現実レベルで発生する弊害と、法的な権利・制度とは、別レベルの話だ。

> 理由は必要なのでは?

理由は必要かもしれませんが、議論する価値は、ほとんどありません。
そもそも、自国の自衛権を認めないというような国家があれば、さっさと侵略されて滅亡するだけのことです。

たとえば、クリミアみたいな感じ。クリミアは、自衛したけれど、結局はロシアに呑み込まれてしまいました。自衛しなければ、もっと早く呑み込まれていたでしょう。

日本が自衛隊を持たないことは(安保があれば)十分に可能ですが、日本が自衛権そのものを放棄すれば、それは「侵略してください」と言っているのと同じなので、あっというまに侵略されます。たぶん、中国あたりが、最初は尖閣初頭あたりを武力で奪うはず。次に、沖縄諸島。次に、本土。そのあと、日本人はすべて虐殺されるか、奴隷となる。

こんな馬鹿げたことを議論するのは、議論の無駄。無駄な話題で議論したがっているのは、あなただけでしょう。
Posted by 管理人 at 2017年06月09日 07:05
自然権は国がない状態において、人が本来に保有していたものです。
そしてその自然権を持つもの同士は必然的に互いに衝突を繰り返すから、政府をつくる必要があったというのが自然権思想です。
トマス・ホッブズが言った「万人の万人に対する闘争」といった思想に基づきます。
つまり国と人が別個に自然権を有するなら、そこに衝突関係が生まれるのでは?と言ってるのです。
これは法律以前の話ですので、法的な権利関係とは無縁のものです。

自然権とは本来人が持っていた権利ですから、略奪だって殺人だってできるわけです。
仮に国家に自然権があるとするならば、自然権に基づいて侵略行為をすることだって認められるわけです。
管理人は自然権に基づいて自衛はできるが集団的自衛権の行使はできないと主張しているわけですから
自然権を有するなら集団的自衛権も行使できるのでは?と考えられるわけです。
ですから管理人の言う国家の保有する「自然権」とは何かと思ったわけです。

私は議論をしたいのではなく、単に理由を知りたいだけです。
これは正しい答えがあるような話ではないですし。

個人的な見解を述べるとすれば
@国とは国民の生命と財産を守る義務があるから、国そのものに由来する個人とは別個の国としての『自然権』
A国家は国民がその自然権の一部を国家に信託して成立しているわけだから、その国民の自然権に由来する『自然権』
B国家が侵略されるとき国民の自然権が侵害される。だからその個人の自然権としての防衛を国が代理行使する『自然権』
などが考えられると思いますが。
Posted by 解析する者 at 2017年06月09日 12:36
> 自然権を有するなら集団的自衛権も行使できるのでは?と考えられるわけです。

 これについては下記を参照。
  → http://nando.seesaa.net/article/395777565.html

 趣旨は下記の通り。(一部抜粋)
   ─(引用)─
 集団的自衛権は? そんなものは「自然権」としては与えられていない。
 軍事的には、集団的自衛権は必要である。少なくとも、限定容認論の範囲では、必要である。だから、そのような権利を認めればいい。
 とはいえ、法的には、集団的自衛権はありえない。
 とすれば、以上から得られる結論は、ただ一つ。こうだ。
 「集団的自衛権と同じ権利を、集団的自衛権とは別の原理によって、容認する」

 ここで、新たなアイデアを出そう。それは、「戦術的自衛権」というものだ。
 ……(中略)……
 このような権利は、自然権として認められる。だから、法解釈を必要とせず、解釈だけで容認できる。
 ─(ここまで)─

 詳しくは上記項目をご覧ください。
Posted by 管理人 at 2017年06月15日 00:04
> そもそも、自国の自衛権を認めないと、、、こんな馬鹿げたことを議論するのは、議論の無駄。無駄な話題で議論したがっているのは、あなただけでしょう。

一部野党の狙いが正にその様に見えるのは、、、私がミギに偏っているのでしょうかね?
Posted by dawn at 2017年06月15日 04:48
> 一部野党の狙いが正にその様に見えるのは、、、私がミギに偏っているのでしょうかね?

 「自然権」という概念を知らないからでしょう。
 その概念なしに、憲法を読むと、違憲に見える。すると、
 「世の中のことはすべて憲法で認められるべきだ。空気を吸うことさえ、憲法に書いてなければ認められない」
 という発想になってしまう。

 法律馬鹿(愚直すぎの単細胞)ということかも。あるいは、文章読解力の問題かもね。

 ──

 例。
 https://somanyminds.net/constitution-vs-sdf/

 国の交戦権は認められない、という趣旨。自衛権を行使すれば戦争をすることになる、という趣旨。
 それだと、正当防衛をしても、「喧嘩をした」ということで、喧嘩両成敗で処罰されて、刑務所に入れられてしまう。正当防衛という概念がないわけ。
 喧嘩と正当防衛の区別が付かない発想だと、こういうふうに矛盾に陥る。
Posted by 管理人 at 2017年06月15日 07:00
なぜ「自然権」には「家族といる権利」=「家族を守る権利」=「集団的自衛権」は含まれないのか納得できません。正当防衛には他人の防衛も認められていますよね。
Posted by dawn at 2017年06月15日 09:11
> 納得できません。

 あなたもそうだけど、「上記項目をご覧ください」と記してある箇所を見ても、リンク先を読まないまま、「納得できません」と言う。そういう人が多すぎる。
 人の話を読まなければ、納得できないのは当り前でしょう。

 リンク先を読んでから、それでもわからなければ、リンク先で質問してください。

> 「自然権」には「家族といる権利」=「家族を守る権利」=「集団的自衛権」は含まれないのか納得できません。

 私の話を正反対に受け取っているからですよ。人の話を読みもしないまま、勝手に曲解して、正反対に受け取っている限り、納得できないのは当然。
Posted by 管理人 at 2017年06月15日 12:52
 上でリンクした
   http://nando.seesaa.net/article/395777565.html#psx
 というページの最後のあたりに、

「  [ 補足 ]
 集団的自衛権と戦術的自衛権の違いについて、例を挙げて説明しよう」

 という話を、加筆しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2017年06月15日 18:04
リンク先で質問しろと言われましたがあちらでは投稿できない(海外からです)のですみません、もう一度だけここで。

リンク先も読んで質問したし、今一度読み返しましたが、やっぱり

「自然権」には「家族といる権利」=「家族を守る権利」=「集団的自衛権」は含まれないのか納得できません。正当防衛には他人の防衛も認められていますよね。

のままです。何が逆なのかもわかりません。

自衛権=自然発生的にある権利だ。人間が生まれながらにして持つ権利である。それを法律で明記したものの一つが「正当防衛」という概念だ。

集団的自衛権=のび太を守るためにドラえもんがジャイアンを殴る、という権利はない。

戦術的自衛権=自分の家を守るのはOK(でも自分の家族を守るのは駄目)。

ますますわかりません。頭悪くてすみません。
Posted by dawn at 2017年06月16日 01:07
> でも自分の家族を守るのは駄目

そこが逆。「駄目」じゃなくて「OK」です。
自衛隊が守るのは、自衛隊員自身(自分一人だけ)ではなく、日本人全体です。それと同じ。
Posted by 管理人 at 2017年06月16日 03:55
dawnさんは、のび太はドラえもんの家族と考えています。

管理人さんは、のび太はドラえもんの家族ではない他人(赤の他人ではない)とかんがえているのでしょう。

のび太とドラえもんは家族と考える人は多いでしょうから、集団的自衛権のたとえとしてはあまり適当ではないですね。

また、ロボットに人権がないとすると、ドラえもんは自然権としての自衛権を持たないことになります。


Posted by ishi at 2017年06月16日 13:14
>そこが逆。「駄目」じゃなくて「OK」です。

えっと、、、個人の例えから国の話に戻した時、のび太(家族)は日本でなくて友好国ですよね?

自衛権=ドラえもんが自分を守るためジャイアンを殴る→日本(自衛隊)が日本を守る。←OK

集団的自衛権=のび太(家族)を守るためにドラえもんがジャイアンを殴る→日本(自衛隊)が米軍を攻撃している敵国を攻撃。←そんな権利はない(?)

やはり「自然権」から「集団的自衛権」が出てくるとしか理解できません。「戦術的自衛権」と言わなくても。
Posted by dawn at 2017年06月17日 00:47
> のび太(家族)

 ドラえもんと、のび太は、血のつながりのある家族ではない。友達でしょ。友情関係だけがある、友達。ただし、家族っぽい親しさはある。
 あなたは「同居しているから家族だ」と勘違いしている。どちらかというと、家族より居候なんだが。
 血のつながりのある家族は、自分と同様ですが、居候は、家族ではない。父が娘を守るために自分の命を捨てることはあるが、居候のためにそんなことをするはずがない。
 日本の自衛隊員だって、日本国民を守るためなら命を賭ける気持はあるだろうが、他国民を虐殺する米軍部隊を守るために、自分の命を賭ける気はないはず。いくら米国との間に友情関係があるとしてもね。

 ──

 p.s.
 居候であるドラえもんが手を出すとしたら、それは、(家族として)自衛権という権利を行使するからではなく、友情からでしょう。
 ただし実際には、ドラえもんは手を出したことはないないはず。何らかの秘密道具を提供するだけで、自分で手を出してジャイアンを攻撃したことはないはず。

 そもそもそんなことをしたら、漫画の全体が暴力的になるので、藤子F不二雄の世界よりも、本宮ひろし(初期)の世界になる。
 「あの子の友達だから、敵をぶんなぐってもいい」なんていうのは、あまりにも暴力的。安倍首相にはぴったりだが、ドラえもんには合わない。
 また、「ロボットは人を傷つけてはいけない」というロボット三原則にも反する。
Posted by 管理人 at 2017年06月17日 06:33
> やはり「自然権」から「集団的自衛権」が出てくる

 あなたは誤解しているようだから、注釈しておくけど、私の立場は次の通り。

 自衛権は、自然権として、憲法以前に生まれながらにして保有する。さもなくば攻撃を受けたときに身を守れずに滅びるしかないからだ。

 集団的自衛権(他者の生命を守る権利)は、自然権としては保有していない。
 集団的自衛権を行使するのであれば、あらかじめ法的に整備する必要がある。特に憲法9条との整合性をきちんとする必要がある。憲法9条が現行のままでは集団的自衛権は違憲であるから、「集団的自衛権を持つ」というふうに改憲する必要がある。
 改憲すること自体については、私は是非を述べず、国民に委ねる。しかし、改憲せずに、自衛権だけを認める現行憲法のまま、集団的自衛権を行使する( ※ )のは、違憲・違法である。
  ※ これが現政権の方針だが。

Posted by 管理人 at 2017年06月17日 10:05
つまり、管理人の「自然権」の解釈とは国家においても自然発生的である権利ということのようですね。
個人だけでなく、国家も防衛するという目的を持って生まれているのだから、そこには「防衛権」が自然発生している。
国家が生まれながらに保有している権利であるから、それは国家の「自然権」である。
ただし、国家の保有する「防衛権」はあくまで自己の生存に必要最低限のモノとして認められるものであるから、
そこに「集団的自衛権」が含まれることは無い。

ということでしょうか。

確かに国家とはそもそも国民の生命と財産を守るために存在した(夜警国家論)わけですから、
国家であることそのものに自衛権が成立するという理屈は筋が通っているように思えます。
こう解釈すると、なるほど、確かに他国への攻撃は禁止されるといった結論になりそうですね。

私は「生まれながらにして人が保有している権利」のみを自然権と解釈するので立場が異なりますが、
憲法を改正しなければ「集団的自衛権」を行使できないという結論は同様ですね。
Posted by 解析する者 at 2017年06月19日 17:09
正当防衛では他人の防衛も認められていますが、正当防衛でもそこの部分は自然権ではない(なので刑法で拡張して規定している)との主張だと理解しました。

私は管理人さんの主張立場は誤解せず理解しているつもりです。多分。

Posted by dawn at 2017年06月20日 05:43
> 「自然権」から「集団的自衛権」が出てくる

 というのが成立しません。
 「集団的自衛権」と呼ばれるもののうち、「戦術的自衛権」にあたる「自衛権」ならば認められる。だが、「戦略的自衛権」にあたるものは「自然権」からは認められません。
 「自然権」から認められるものは、「自衛権」の拡張である「戦術的自衛権」だけであって、「集団的自衛権」の全般(戦略的自衛権を含む)ではない。

  個別自衛権 ⊂ 戦術的自衛権 ⊂ 戦略的自衛権(= 自然権たる自衛権ではない)

 二番目までは「自然権」ですが、三番目は「自然権」ではない。ゆえに、

> 「自然権」から「集団的自衛権」が出てくる

 ということはありません。
 「自然権」から「自己の自衛権」が出てくる、というだけです。「他者の自衛権」なんてものは出てきません。
Posted by 管理人 at 2017年06月20日 06:51
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