2017年05月15日

◆ やりたいことをやるべきか?(職業)

 職業選択のとき、「やりたいことをやる」という方針がある。これは妥当か?

 ──

 職業選択のとき、「やりたいことをやる」という方針がある。
 これと対比されるのは、「得意なことをやる」という方針だ。
 他には、「給料が高い仕事をやる」という方針もある。

 これらをすべて兼ねるのが、「好きこそものの上手なれ」という方針だ。好きで、努力して、上手になれば、「やりたいことをやって、得意で、給料もたっぷり」というふうになる。いいことずくめに思える。


kodomo_syourai_yume.png


 また、私は昔から思ってきたのだが、次のことがある。
 「経営とは、人事である。経営の要諦は、適材適所である」

 このことからすると、人それぞれを見て、適材適所で配置すれば、「好きこそものの上手なれ」というのが自動的に実現しそうだ。
 これで組織経営はうまく行く……と思っていた。

 ──

 しかし、よく考えると、そうではないとわかった。というのは、適材適所で配置したくても、組織の分布と、人材の分布は、一致しないからだ。
 典型的なのが、理系と文系だ。組織としては「理系7割・文系3割」が適切だと判断しても、実際の人間は「理系よりも文系の方が多い」というふうになりがちだ。
 人材の分布は、組織の都合に合わせてはくれないのだ。

 こういうときには、どうするか? 次のようにする。
 「非常に重要な地位については、《 余人をもって替えがたい 》 という重要な人物をあてがう」

 つまり、重要性や稀少性に応じて、大切なところから決めていく。

 一方、たとえ重要な地位であっても、《 替わりになる人は他にも何人かいる 》 というような例では、決定は後回しにする。

 ──

 上のことは、経営者の視点から述べた。一方、被雇用者の視点から言うと、こうなる。
 「やりたいことをやるのではなく、必要とされることをやる」


 つまり、《 替わりになる人は他にも何人かいる 》 というような仕事をやるよりも、《 余人をもって替えがたい 》 というような仕事をやるべきなのだ。その方が、重要性が高いし、給与も高くなる。

 このことは、「比較優位」や「比較生産費」の概念の説明に似ている。
 社長のビルは、秘書のメリンダに比べて、経営能力が3倍で、タイピング能力が2倍だ。こういうときには、
  ・ ビルが社長をして、メリンダがをタイピングやる
  ・ ビルがタイピングをして、メリンダが社長をやる

 という二通りのうち、後者よりも前者の方が全体効率が高まる。

 同様に、こう言える。社長をうまくやれる人はビルしかいないが、タイピングをうまくやれる人はメリンダの他にも何人かいる。だったら、最重要な仕事である社長はビルがやるしかない。秘書を誰がやるかは、そのあとで決めればいい。(経営者としては。)
 この場合、ビルとしてはどうか? 自分が社長をやりたいかどうかは、二の次だ。自分自身は、社長も得意だし、タイピングも得意だし、プログラミングも得意だし、イラストも得意だ。このうち、一番楽しくやれるのは、イラストだ。だからイラストをやりたいと思う。だが、いかんせん、イラストレータ−としてなら、時給 1000円ぐらいしかもらえそうにない。このとき、「やりたいことをやる」という方針で、イラストレーターになるべきか?
 いや、こういう場合には、「必要とされることをやる」べきだ。ビルがイラストを描こうが描くまいが、組織としてはほとんど何も変わらない。一方、社長は、ビルがやるか他人がやるかでは、大差がつく。ビルが社長をやれば会社を世界一の大会社にすることができるが、メリンダが社長をやれば会社はたちまち倒産だ。となれば、ビルが社長をやるしかない。

 ──

 以上からわかるように、結論はこうだ。
 「人は、やりたいことをやるよりも、必要とされることをやるべし」


 この場合、「やって楽しい」ということにはならないだろうが、「つらくとも充実感がある」というふうにはなるだろう。
 これが職業選択の原理になると思う。

( ※ なお、「必要性の高さはどうやるとわかるか?」というと、スカウトされるときの口説き文句によるのではなく、スカウトされた先の給与によるだろう。したがって、「必要性の高い職に就く」というのは、「給与が高い職に就く」というのに、ほぼ等しい。ただし、例外あり。要、判断。



 [ 付記 ]
 上の結論からすると、職業訓練については、次のように言えそうだ。
 「どんな職業であれ、真面目にやって、一流になることが好ましい。ただし、一流以上をめざすのであれば、二つの分野で一流になることが大切だ」


 一つの分野で一流になる人ならば、いくらでもいるから、必要性が低い。一方、二つ以上の分野で一流になる人は、ごく限られている。こういう人は、必要性が非常に高い。

 もっとも、「(ことさら)一芸に秀でる」「超一流になる」というタイプでもいい。ただし、こういうタイプの人は、変人だったり、頑固者であったりする。普通の人とは違うので、あまり参考にならない。真似しようとして、真似できるものでもない。
 それよりは、複数の分野で一流になることをめざす方が、世の中で必要性の高い役割を果たすことができそうだ。
( ※ ただし、能力のない人が、こうしようとすると、「あぶはち取らず」になるので注意のこと。凡才はもともと一流より上をめざすべきではないね。)
 
 
posted by 管理人 at 23:02| Comment(3) | 一般(雑学)4 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> 二つの分野で一流になること

なかなか難しいですね。

言い換えれば、『元々の専門分野以外のことにも積極的にチャレンジしよう!』っていう感じでしょうか?
Posted by 反財務省 at 2017年05月16日 21:04
 「やりたいことをやる」という仕事と、「得意なことをやる」という仕事の両方で一流になれるのであれば、どちらかを選ぶことができるでしょうね。

 両方の仕事の分野が近いと、両方の勉強をしたり学校にいくのに、余分にかかる時間は少なくてすみます。
 しかし、分野が離れていると、両方身につけるのに余計に時間がかかってしまいますね。(例 医師と弁護士)

 わたしは、
 「一流以上をめざすのであれば、二つの分野で一流になることが大切だ」よりも、
 「人は、やりたいことをやるよりも、必要とされることをやるべし」の方が、
その通りだなと思えました。

 やりたいことと必要とされることが一致していたらベストです。
 やりたいことが仕事としてできない場合(時期)は必要とされることを仕事としてやればいいわけです。

 中学生や高校生に対するキャリア教育で、「必要とされる仕事をするべし」ということが、もっと強調されたらよいと思います。


 
Posted by ishi at 2017年05月17日 08:35
余人をもって替え難い、いいですね。

よく言われるのが3つの円を描いてそれぞれ「できること」「やりたいこと」「求められていること」としたとき、それぞれが重なり合うことが最も「やりたいことをやって、得意で、給料もたっぷり」なのでしょうが、希少性の概念も忘れてはならないと思いました。

中高生に対する言葉であれば、ニュースを「この先何が求められるか」「自分は何をやりたいのか」を意識して観ること、そして努力を通して「できること」の円を大きくしていけば結果的に「やりたいことをやって給料たっぷり」を目指してほしいですね。
Posted by ジョン・ヘンリー at 2017年05月18日 22:45
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

過去ログ