( ※ 真相は、炎上商法だ。)
──
「鳥は恐竜だ」という説がある。「鳥は祖先は恐竜から分岐した」という事実から、「それなら鳥を恐竜に分類してしまえ」という立場。
→ 「鳥は恐竜の子孫」ではなく「鳥が恐竜そのもの」?恐竜の学説は20年くらいで大きく変わった
これは、系統樹において、「側系統を分類から排除して、単系統だけを認める」という立場から来る。詳細は、下記を参照。
→ 側系統群 - Wikipedia
この発想は、おかしくない。「分類においては、進化の系統を重視しよう」という発想に基づくからだ。
実際、この方針に従って、次のように分類が変わった。(上記ページによる。)
(1) 偶蹄類と鯨
偶蹄類(牛やカバなど)と、鯨とは、別々の分類群に属していたが、進化的に同一系統だと判明したので、同一の分類群に属することになった。
(2) シロアリとゴキブリ
シロアリとゴキブリは、別々の分類群に属していたが、進化的に同一系統だと判明したので、同一の分類群に属することになった。
──
しかし、である。分類をそういうふうに変えるのは構わないが、それを言葉のレベルでも変えるとすると、混乱が生じる。次のように。
・ 鯨を見て、「カバ」や「牛」と呼ぶ。
・ シロアリを見て「ゴキブリ」と呼ぶ。
これと同様なのが、次のことだ。
・ 鳥を見て、「恐竜」と呼ぶ。
上の三つの例は、いずれもおかしい。そんな呼び方をするのは狂気的だ。
では、どこに問題があるのか?
──
正解を言おう。こうだ。
「鯨」「カバ」「牛」「シロアリ」「鳥」「恐竜」という言葉は、もともとすでにある日常用語だ。これらは生物学の用語(学名)でもないし、分類学の用語でもない。日常的に使われる用語だ。
一方、先の分類(単系統主義による分類)における「恐竜」という語は、分類学における用語であって、その意味は、日常語における「恐竜」と「鳥」の双方を含む。
恐竜(分類学用語)= 「恐竜」と「鳥」(日常語)
要するに、これは、言葉の定義の問題だ。
分類学用語における「恐竜」という語(新語)は、日常語における「恐竜」と「鳥」を意味する。
こういうふうに、分類学用語における「恐竜」という語が、新語として定義される。それだけのことだ。(新たな言葉が定義されるわけだ。)
一方、これを見て、「日常語における鳥という用語が、日常語における恐竜という語に置き換えられる」と思うとしたら、とんだ勘違いだ。
たとえば、詩において、
「私は鳥の自由な翼を望む」
という表現が出たとき、
「私は恐竜の自由な翼を望む」
というふうに書き換える必要は、さらさらない。分類学における用語の変更は、日常語の世界に何ら影響を及ぼさない。
要するに、「鳥は恐竜だ」というのは、分類学の世界におけるタコツボ的な内輪の話にすぎない。そこでは、「鯨と偶蹄目を合わせて、鯨偶蹄目という新分類を作る」という方式が普通に行なわれている。だから、「恐竜と鳥類を合わせて、鳥恐竜目という新分類を作る」というような方式が出るのは時間の問題だろう。
ただ、そこを理解できずに、勘違いした人が、「鳥恐竜目」というような新分類を、「恐竜目」というふうに勝手に置き換える。そのあげく、「鳥は恐竜だ」というふうに言う。こうやって、人々を脅かして、威張る。
まあ、分類学者というのは、普段は世間から無視された、日の当たらない存在なので、そうやって注目を浴びたがるのである。
で、本当は「鳥恐竜目」のような呼び方をするべきだとわかっているのだが、あえて「鳥は恐竜だ」というふうに言って、人々を錯乱させて、注目を浴びたがるのだ。
分類学者というのは、かわいそうな存在なのだ。炎上でしか注目を浴びられないブロガーみたいなものだ。
[ 付記 ]
実は、理屈から言うと、「側系統を分類から排除して、単系統だけを認める」というのを全面的に適用するのは、不適切だ。
上の方針は、通常の分類には適用していいが、最上位の分類(綱)にだけは、適用するべきではない。
仮に適用するとしたら、魚類が側系統となってしまう。これでは、魚類という分類(綱)が成立しなくなってしまう。それでは不便すぎる。
だから、最上位の分類(綱)についてだけは、上の方針を適用しないでいい。「魚類」「鳥類」などの分類(綱)を認めた上で、そこに進化的な注釈を加えておけばいい。……これが合理的な方針だ。
ただし、である。よく調べてみると、上記の合理的な方針は否定されている。その結果、現在では、「魚類」(綱)というものは廃止されてしまった。
→ 魚類 - Wikipedia
ではどうなったかというと、こうなっている。
・ 単独の「魚類」は、側系統群なので、廃止。
・ 今までの魚類は、「顎口上綱」という上綱に属する。
・ 「顎口上綱」には、次の三つがある。
軟骨魚綱
条鰭綱
肉鰭綱
・ 肉鰭綱には、四肢動物と、魚類の一部が含まれる。
・ 四肢動物の各群(両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類)は、肉鰭綱の下位に属することになる。
まったく、面倒臭い。「両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類」を、独立した大分類としないで、肉鰭綱の一部なんかにしたら、これらはすべて「魚の仲間」として分類されることになる。これでは、分類としては、まったく役に立たない。
しかも、これまでの歴史からして、進化論の進展にともなって、分岐系統が明らかになるたびに、既存の分類項目が下位に落とされている。このままでは、最終的には、あらゆる生物は「微生物類」の下位部門に分類されることになる。
こんなことでは、分類として役立たずだ。無意味。本末転倒。
学者というものは、やたらと原則を立てて、それに従うことを「科学的だ」と思い込む。そのせいで、物事の本質を見失いがちなのだ。
本質とは? 「分類とは、真実を明かすものではなく、ただの人為的な手続きにすぎない」ということだ。
このことを忘れて、科学的な真実を明かそうというような発想に凝り固まるから、分類学者は、自分が何をしているのかわからなくなる。そのせいで、分類学というものを、進化論の下位部門にしてしまい、分類学というものを有名無実化する。呆れるしかない。
分類学という学問は、リンネ に比べると、どんどん退化しているのだろう。本末転倒状態だ。
──
ついでだが、次の記述もある。
現在では、魚綱は単系統群ではなく側系統群であるとされる。……このような分類は人為的であるため、現在では魚綱は生物の分類としては用いられない。
( → 魚類 - Wikipedia )
何を勘違いしているんだか。分類というのは、もともと人為的なものだ。進化の系統は客観的な事実だが、分類というのは人間が自分の都合で決めるものだ。そこを理解できていないようだ。
分類学者は、科学であることをめざそうとするあまり、科学でないものを科学にしようというふうに、虚偽に陥ってしまったのだ。
【 追記 】
専門家の観点から見て疑問を感じる向きもあるかもしれないので、補足しておく。
本項の発想では、古鳥類と新鳥類は分離される。
・ 古鳥類 …… 恒温性がない。恐竜絶滅とともに絶滅した。
・ 新鳥類 …… 恒温性がある。恐竜絶滅のあとも存続した。
前者(古鳥類)は、明らかに恐竜の一種である。これは「鳥」には分類されない。
後者(新鳥類)は、恐竜の一種ではない。恐竜とは別の「鳥」に分類される。
この両者をきちんと区別してほしい。
古鳥類と新鳥類をゴッチャにして、双方をともに「鳥」と呼ぶことにすると、本項で述べたこととは矛盾してしまう。そのせいで「本項は間違っている」と判断することになりそうだ。
実際にはそうではない。本項が間違っているのではなく、古鳥類と新鳥類をゴッチャにするのが間違っている。
さらに詳しい話は:
→ 鳥と恐竜(進化)
( ※ 古鳥類は、鳥類の一部ではなく、恐竜の一部だ、と示している。この意味で、「鳥は恐竜だ」という説は、古鳥類に関しては完全に成立する。……つまり、古鳥類は、本項の話の対象外だ。)
タイムスタンプは 下記 ↓
鳥綱は恐竜上目に含まれる。 正
鳥は非鳥類型恐竜に含まれる。否
> ( ※ 真相は、炎上商法だ。)
あれ!?と思わせるタイトルで注目を集めるのは、管理人さんも使っている手法ですね。続きを読んだり聞いたりすればわかるので、良い方法だと思います。
分類学と言う分類の1つの中では直感的なものより遺伝子的なものが重要というだけな気がします。