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だから、彼にノーベル賞が与えられるように、日本(民間および政府)が運動するべきだ。そう提唱したい。

まずは、彼の偉大な業績を示そう。
花粉症などアレルギーの原因物質「IgE(免疫グロブリンE)」発見の発表から、今月20日で50年を迎える。ノーベル賞級といわれる功績の発見者、石坂公成(きみしげ)さん(90)=山形市=は、共同研究者の妻照子さん(89)と苦楽を共にしてきた。
62年に渡米し、米コロラド州の小児ぜんそく研究所、ジョンズ・ホプキンズ大など米国で長く研究に取り組んだ。
当時、IgEは正体不明で、多くの研究グループが血液中から取り出すことを試みていたが成功しなかった。血液中にごく微量にしか存在しないIgEを検出する方法を開発するため、石坂さんはウサギの血液の成分などを自分と妻の背中に注射して、アレルギー反応が起きるかどうかを確認する実験も重ねた。
石坂さんは「他に方法がなかった。自分の背中は使い切っていたので、妻の背中も借りた」と振り返る。照子さんは「さしつ、さされつね」と笑っていたという。
66年2月20日、石坂さん夫妻が米アレルギー学会で、新しいアレルギー反応を起こす物資(IgE)の発見を報告すると「大騒ぎになった」(石坂さん)。その後、花粉症患者の血液から取り出すことにも成功した。
照子さんを中心にアレルギーが起こる仕組みも解明。2人はノーベル賞の登竜門といわれる「ガードナー国際賞」など国際的な賞をいくつも共同受賞し、「現代版キュリー夫妻」とも呼ばれた。石坂さんは米免疫学会会長を務めるなど、免疫学の世界的権威としての地位を築いた。
( → アレルギー物質:夫婦で研究、苦楽共に…発見発表50年 - 毎日新聞 )
別の記事もある。
《 アレルギー、進む解明 50年前、日本人が抗体発見 》
花粉やハウスダスト、食べ物などを体内に取り入れ、くしゃみや喘息(ぜんそく)、ショック症状など様々な病気を引き起こすアレルギー。その反応の中心的な役割を果たす抗体「IgE」は、今から50年前の1966年に日本人研究者が発見した。
抗体はIgG、IgM、IgA、IgD、IgEの大きく五つに分類されることが今では知られている。全体の8割近くを占めるIgGに対し、IgEはわずか10万分の1で、最後の発見だった。
IgEの発見でアレルギーの仕組みが次々と解明されていった。
近年は、炎症を抑える吸入ステロイドなど有効な治療薬が出ている。
( → (科学の扉):朝日新聞 2016-09-11 )
日本人の医学研究者では最も偉大な業績を上げたうちの一人だろう。iPS細胞の山中教授に匹敵する。この人がノーベル賞をもらっていない理由がわからない。人種的偏見かもしれない。あるいは、単に「アジアの辺境」ということで、関心や情報が欠落しているのかもしれない。
そこで、関心や情報を与えるために、欧米で大々的に宣伝することを提唱したい。特に、スウェーデンで集中的に宣伝するべきだ。シンポジウムを開催するのもいい。
なお、日本ではすでにシンポジウムが開催された。(2016年6月17日〜)
→ IgE発見50周年記念シンポジウム|第65回日本アレルギー学会学術大会
しかし、これについては、知らない人が大多数だろう。
また、今年が 50周年であるということすら、欧米ではまったく知られていないようだ。英語でも、スウェーデン語でも、その情報は見つからない。
→ IgE found 50 kiminari - Google 検索(英語)
→ IgE finns 50 kiminari - Google検索(スウェーデン語)
というわけで、何とかして、大々的に宣伝して、氏がノーベル賞を受賞できるようにしたい。
なお、これは「日本にとって国威発揚になるから」というような趣旨ではない。「科学における正義を求める」ということだ。
このような重大な成果が、正しく評価されることもなく、発見者の名が埋もれてしまう(それでいて IgE という名称ばかりは超有名である)というのは、科学的に不当である。それはいわば、iPS細胞という名前だけが知られて、山中伸弥という名前が忘れられてしまうようなものだ。科学史的にも科学的にもまったく不当である。だからこそ、そういう不当な状態を是正するべきだ、というのが私の見解だ。
※ 不条理の是正、と言ってもいい。
[ 付記 ]
具体的な方法は? 宣伝やキャンペーンやシンポジウムなどがある。
また、特にスウェーデンに限れば、シンポジウムのついでに天皇が訪問して、スウェーデン国王との会見もあるといいだろう。いっしょに宣伝となる。
ただしそれは、現天皇には負担が重くなりすぎるので、好ましくない。かといって、摂政では、外交に重みが付かない。相手が会ってくれるかどうかもわからない。
その意味で、「退位のかわりに摂政でいい」なんていうのは、馬鹿げた空論であるにすぎない。(現在の天皇陛下はそのことをよくわかっているが、自民党の保守派はわかっていない。愚かだね。)
できれば、今年中に天皇が退位して、新天皇がスウェーデンに行くといいのだが。……今の自民党のグズグズさを見るにつけ、無理か。そのせいで、ノーベル賞を取り損ねてしまうかも。
参考: カール16世グスタフ (スウェーデン王) - Wikipedia
[ 余談 ]
参考だが、北里柴三郎がノーベル賞をもらいそこねた話もある。
《 3.何故、ノーベル賞がもらえなかったか 》
第1回ノーベル医学・生理学賞は、ドイツのフォン・ベーリングの頭上に輝きました。受賞理由は「ジフテリアの血清療法の研究」です。このベーリングの業績は、北里と共同で行われた研究であり、受賞の決定的理由となった論文の大半は、実は北里のやった研究成果です。
しかし、ノーベル医学・生理学賞の選考委員会は、ベーリングのオリジナリティーに軍配を上げたために、北里は惜しくも第1回ノーベル医学・生理学賞の栄冠を逸してしまいます。
( → ノーベル賞の不思議 )
ああ、もったいない。
日本では、医学分野の発見で、これまで何度かノーベル賞をもらったが、IgE の発見はずっと上のレベルだ。(たとえば 緑色蛍光タンパク質 GFP の発見と比べても、IgE の発見が上位だ。 GFP は化学賞だったが。)
これほど偉大な発見の歴史が[社会的に]埋もれているも同然だというのは、まったく、科学的・文化的な損失と言える。
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ついでだが、南部陽一郎が晩年(2008)年までノーベル賞をもらえなかったのも不当だ。彼は 2015年に 94歳で没したが、長生きしなければノーベル賞をもらい損ねてしまったところだ。
これもまた明らかに不当に低い評価だったと言えるだろう。ノーベル賞というのは、こういうふうにおかしなところがある。学術的な業績よりも、政治力や交際関係など、別の要素が大きく働くようだ。
>・・・IgE を発見したのは、日本人の石坂公成である。彼にノーベル賞が与えられないのは不当だ。
「石坂公成」は「石坂公成・照子夫妻」とした方が、多分「正当」に思われます。
多くの論文は共著ですから。
それはともかく、早いもので、もうそろそろノーベル賞の季節なんですね。
さて今年の生理学・医学賞は、去年の予想?が外れた「ゲノム編集技術、CRISPR/CAS9法」を開発したドードゥナ女史とシャルパンティエ女史の二人に行くのでしょうか。(お二人とも美人?で魅力的?)
ノーベル賞はスエーデンの一民間財団?が行っているもので、財団がいわば「勝手に」決めているものです。人のやることですから「誤り」もあるでしょう。
中には、ノーベル賞に値しない?のに与えてしまったことも、与えるべき!なのに与えなかったこともあったはずです。所詮、人間のやることですから・・・と見れば、誰が選ばれても、どうでもいいのではないでしょうか。
>・・・北里柴三郎がノーベル賞をもらいそこねた話
ある調査報告によれば、第一回の候補者は67名で、そこにはエールリッヒ、ゴルジ、北里、コッホ、メチニコフ、カジャールが含まれており、審議を経て15名に絞られ北里は残りました。しかし、その後に、はじめにはなかったベーリングの名前が登場し、最終的に「ベーリング単独」に決定した、ということです。
これが正しいとすると、当時の選考過程で「新興蛮国の日本人を、ノーベル賞の栄誉ある第1回の受賞者にしてなるものか!」という民族差別意識が強力に働いたのかもしれません。因みに、上記6者の内、北里以外の5者、コッホは1905年に、カジャールとゴルジは1906年に、メチニコフとエールリッヒは1908年に生理学・医学賞を受賞しています。
ノーベル財団HPのノーベル賞受賞者ベーリングの紹介には、選考過程が「不正」であったことを認め・お詫びをするかのように、他にはない (異例?の)Article が、添えられており、そこでは、北里の寄与があったことが、北里の写真を示して述べられています。
ノーベル賞で私が違和感を覚えるのは、日本人がノーベル賞受賞者になると、即、文化勲章が決まることです。何処か「欧米コンプレックス」の名残りのように思われるのは私だけでしょうか。
毒を摂ってはいけない (柿澤宏仁): 2015|書誌詳細|国立国会図書館サーチ http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026833509-00