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朝日新聞と AFPBBから、一部抜粋しよう。
《 伊被災者をパスタに風刺 シャルリー・エブドに非難集中 》
連続テロの標的になった仏週刊新聞「シャルリー・エブド」が最新号で、イタリア中部を襲った大地震で建物の下敷きになった犠牲者らをイタリア料理にみたてた漫画を掲載し、伊国民のひんしゅくを買っている。
漫画は「イタリア風の地震」と題し、負傷し血を流したり、やけどしたりした男女の絵をパスタ料理の「トマトソースのペンネ」「ペンネのグラタン」と形容。がれきの層に挟まれ血を流す犠牲者を「ラザニア」と揶揄(やゆ)した。
あまりに被災者の心情に配慮しない風刺に、被災地からも抗議の声が上がっている。
( → 朝日新聞 2016-09-03 )
《 仏紙シャルリーが地震風刺画、被災者を「ラザニア」扱い 》
8月24日に起きた地震では、パスタ料理「アマトリチャーナ」の発祥地であるアマトリーチェ(Amatrice)が甚大な被害を受けた。
イスラム教の預言者ムハンマド(Prophet Mohammed)の風刺画で世界のイスラム教徒らの怒りを買っていたシャルリー・エブド紙は昨年1月、パリ(Paris)の本社がイスラム過激派に襲撃される被害に遭い、従業員8人を含む12人が殺害された。
( → AFPBB News )
シャルリー・エブドは、イスラム圏を風刺画で侮辱したあとで、テロ被害を受けた。このとき、多くの人々は「私はシャルリー」というプラカードで支援した。
しかし、考えてみよう。シャルリー・エブドがやっていることは、風刺なんかではない。特に、強者である政府を批判するかわりに、(欧州における)弱者であるイスラムや、(地震被害を受けた)弱者であるイタリア被災者を批判した。これは、風刺なんかではない。ただの悪意だ。特に、傷ついた弱い人を笑いものにしてやろう、という悪意だ。
とすれば、こういう悪意の持主に対して「私はシャルリー」というプラカードで支援するのは、方向が逆だろう。むしろ、シャルリー・エブドにならって、テロの被害者を侮辱してやればいい。「シャルリー・エブドの編集者はテロで殺されたのか。他人を傷つけたのだから、自業自得だ。ざまあみろ」と侮辱してやればいい。
なぜか? なぜそんな非人道的なことをやるべきなのか? 簡単だ。それがシャルリー・エブドのやり方だからだ。彼ら自身の方針に従って、被害者を軽蔑して笑いものにしてやることこそ、シャルリー・エブドを尊重するということなのだ。
だから、先にテロに遭ったときに、「私はシャルリー」というプラカードで支援するのは、間違った対応だ。むしろ、テロを賛美してやる方がいいのだ。逆説的だが、それが真実だろう。
なぜか? テロリストがシャルリー・エブドをどんどん攻撃すれば、今回のような場合に、イタリアの被災者が傷つけられることもなかったはずだからだ。
Un dibujo de "Charlie Hebdo" desata indignacion en Italia https://t.co/qaZ2NihQrb pic.twitter.com/I3SmheIFdp
— Diana Soumbille (@cookesarah1988) 2016年9月3日
Charlie Hebdo causa indignacion en Italia por satirizar el terremoto. https://t.co/BRdC4Xfvn8 pic.twitter.com/ta35rZXjW3
— Reporte 24 Espana (@Reporte24ES) 2016年9月3日
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なるほど。言論の自由というものは大切だ。しかしそれは、他人を傷つける侮辱の自由とは違う。そこを履き違えてはいけない。そんなこともわからずに、言論の自由というものを唱えて、「私はシャルリー」というプラカードで支援するような人は、次のページ(関連サイト)でも見るといい。
【 関連サイト 】
米国の軍人が命を賭けて国を守るのは、何のためか? 国歌演奏のために起立することを、国民に強制するためか? 逆だ。そういう強制から逃れるという「自由」を守るためだ。……米国の軍人たちがそう語っている。
→ 国歌演奏で起立拒否したNFL選手が物議 「虐げられる人々のため」彼が訴えたかったことは...
→ 国歌斉唱を拒否した選手「人々を虐げる国は誇りに思えない」 反発と擁護と
日本の首相には、耳の痛い話かもね。
[ 付記 ]
蛇足だが、「テロを容認せよ」というタイトルは、「あらゆるテロを容認せよ」という趣旨ではない。「弱者を攻撃するような馬鹿者に対するテロは、否定するより肯定する方が、むしろ本人の意図に合致する」という趣旨だ。その意図が妥当であるかどうかは、別の話。
単純に言えば、「ブーメラン」という一言で済む。