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メンデルの業績は、「遺伝子概念の提唱」である。つまり、「遺伝子」という概念を史上初めて提唱したことだ。
Wikipedia には、次のように説明がある。
当時、遺伝現象は知られていたが、遺伝形質は交雑とともに液体のように混じりあっていく(混合遺伝)と考えられていた。メンデルの業績はこれを否定し、遺伝形質は遺伝粒子(後の遺伝子)によって受け継がれるという粒子遺伝を提唱したことである。( → グレゴール・ヨハン・メンデル - Wikipedia )
これは概説だ。
一方、これとは別に、私は前に解説したことがある。
→ 泉の波立ち (2004年7月31日)
そこから転載する形で、以下に同文を掲載しよう。(順序は少し変えた。)
● 2004年7月31日
【 追記 】
メンデルの提出した「遺伝子」という概念の意義についても、たいていの人は正しく理解できていないようだ。そこで、簡単に示しておく。
「遺伝には物質的な基礎がある」ということを明らかにしたのが、遺伝子発見の意義である。── そう思っている人がけっこう多いようだ。しかし、とんでもない。それは勘違いだ。
「遺伝には物質的な基礎がある」ということなら、特別な発想なしに、誰にでも推定が付く。実際、近代科学が登場したときから、ずっと推定されていた。むしろ、それとは逆に、「遺伝の原因には、物質的な基礎がない」なんて発想する人がいるとしたら、それは、「すべては神の手が決めるのだ」と信じるような、宗教家ぐらいだろう。(古典派経済学者も、そう思いそうだが。)
「遺伝には物質的な基礎がある」ということは、ずっと昔から推定されていた。ただし、その説には、難点があった。今、遺伝の物質的な基礎を「遺伝要素」と呼ぶことにしよう。すると、父親の遺伝要素と、母親の遺伝要素とを、足して2で割る形で、子供の遺伝要素が決まるはずだ。
「足して2で割る」ということは、遺伝要素の均質化を意味する。(白と黒を足して2で割ると均質化するのと同様だ。)すると、何百世代も経過するうちに、遺伝要素がどんどん均質化するので、あらゆる個体の遺伝子はまったく同じになってしまう。誰もが同じ遺伝要素をもつことになる。これは事実に反する。── かくて、「遺伝要素」という概念は、否定された。
ところが、メンデルは、ここに補正を加えた。それは、「遺伝要素は、連続的なものではなくて、最小単位をもつ。最小単位は分割されない」という発想だ。その最小単位が「遺伝子」である。父親の遺伝子Aと、母親の遺伝子Bに対して、子供の遺伝子はどうなるか? これまでの発想ならば、「(A+B)/2」となるはずだったが、メンデルの発想によれば、「A または B」となる。
こうしてメンデルは、遺伝要素に「連続性」のかわりに「最小単位」という概念を導入した。ここにメンデルの画期的な意義がある。そして、遺伝子という概念が重要なのは、この「最小単位」という発想が重要であるからだ。「遺伝には物質的な基礎がある」ということが重要なのではなくて、「遺伝の物質的な基礎には最小単位がある」ということが重要なのだ。ここを、正しく理解しよう。
( ※ ついでに言えば、進化にも、最小単位がある。「遺伝は連続的だ」という発想が誤りであるように、「進化は連続的だ」という発想にも誤りがある。どちらにも、最小単位があるのだ。物質の最小単位は、電子などの量子である。遺伝の最小単位は、遺伝子である。進化の最小単位は、種の進化である。……ところが現代の進化論は、「連続的な進化」という発想を取っている。そのせいで、化石的事実とは完全に食い違っている。結局、遺伝子発見や量子力学などの歴史から、何も学んでいない、と言える。現代の進化論は、事実を無視するような、エセ科学なのだ。人類はかくも真実から遠ざかっているのだ。)
( ※ オマケで言えば、経済学も同様である。古典派経済学者は、「経済現象は連続的だ」と信じている。そのせいで、「均衡と不均衡の間の不連続」という事実に気づかない。……今のあらゆる学問分野を覆っていいるのは、「自然は連続である」という誤った基本認識だ。例外は、量子力学だ。だから、量子力学だけは、20世紀初頭に近代化した。また、コンピュータ科学も、20世紀途中で、「アナログ」から「デジタル」に転じた。それ以外のほとんどの学問は、いまだに「連続」という概念に縛られているせいで、事実を誤認識している。アナログにとらわれたアナクロ科学。)
( → クラス進化論 Q&A2 )
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「DNAと遺伝子」について。
DNAの二重らせんモデルを考案した二人のうちの一人である、フランシス・クリックが死去。(朝刊・各紙。30日)
「(生物学では)二十世紀最大の発見」なんて新聞は報道している。そうかもしれないが、そうではないとも言える。
二重らせん構造の意義は、「遺伝子の構造がたった四つの塩基からなる」ということを示したことだ。つまり、「さまざまな生物はすべてたった四つの塩基の組み合わせからなる」ということを示したことだ。
これはこれで衝撃的だ。しかし、四つではなくて百個であるとしても、別に、それはそれで構わない。数の大小はたいして意味はない。また、数が有限であるということなら、そもそも元素の数は有限なのだから、塩基が有限であるとしても不思議ではない。
二重らせん構造が美しい構造だとしても、それは生物学的には何の意味もない。醜い構造だって、別に問題ではない。
では、一番肝心なことは、何か? DNA構造の発見は、「遺伝子というものが実体のあるものとして、初めて明らかになった」ということだ。それまでの遺伝子というものについての推察が確定した、ということだ。…… とすれば、一番大切なのは、「遺伝子」という概念なのである。DNAの発見は、それを補強しただけだ。
では、「遺伝子」という概念は、どこから生じたか? 元をたどれば、メンデルに行きつく。ただし、メンデルの「遺伝子」という概念は、学会に提出されたとき、全面否定されたのだ。ここにこそ着目しよう。「遺伝子という概念を見出したのは、人類の偉大な成果である」のではない。「遺伝子という概念を見出したのは、メンデルの偉大な成果であるが、それを否定して 35年間も無視してきたのは、人類の壮大な恥である」のだ。( → クラス進化論 Q&A )
このことを反省するべきだ。そして、そう反省すれば、もっと重要なことに気づく。── われわれはいまだに、「遺伝子とは何か」ということを、ろくにわかっていないのだ。それどころか、事実とは全然違うふうに理解しているのだ。
勘違いの典型的なのは、「利己的な遺伝子」という学説だ。次いで、「自然淘汰と突然変異による進化」という進化論だ。これらは矛盾だらけである。( → クラス進化論の概要 )
また、「個々の遺伝子は特定の機能をになう」という説もある。これもまた、とんでもない勘違いだ。ただし、この点だけは、最近の遺伝子学ではようやく、「これは勘違いだ」というふうに気づきはじめたようだ。では、正しくは? 次のページ。
( → クラス進化論のサイト の「第2部 概要」)
[ 余談 ] ( 2016-08-18 )
「メンデルのやったことは捏造だ」
というふうに話題になったことがある。
→ メンデル批判論争について
しかし、これは馬鹿げている。現在の厳密な科学倫理の基準で、大昔の業績を裁くなんて、あまりにもナンセンスだ。
なるほど、現在はあらゆる科学技術が精密化しているので、ずさんな研究などは認められない。しかし昔はそんなに科学技術は発達していなかったのだから、公的な研究者でもないメンデルが趣味の研究でやったことが、現在から見て「ずさんだ」と見なされるのは仕方ない。しかし、「ずさんだ」ということを持って「捏造だ」と見なすのは、馬鹿げている。
ずさんだというのは、あくまで注意が不足しているということであって、意図的に捏造をすることとは違う。
ところが、その違いを理解できない人々が、悪意の有無を考慮せずに、結果のずさんさだけを見咎めて、「ずさんだから捏造だ」と決めつけるわけだ。
実は、これは、STAP 細胞の場合と同様である。悪意はなく、単にずさんであっただけで、コンタミが起こって、実験ミスが生じた。そのあと、「実験のまずさ(下手さ)を補正しよう」と思っていくらか手を加えたら、「補正したことが捏造だ」というふうに咎められた。
これは、メンデルと STAP細胞に共通する難点だ。だから、
「 STAP細胞が捏造ならば、メンデルも捏造だ」
という主張は、完全に正しい。ただし、それが意味することは、
「 STAP細胞もメンデルも捏造だ」
ということではなくて、逆に、
「 STAP細胞もメンデルも捏造ではない(ただのずさんさだ)」
ということだ。それが論理というものだ。
この件は、前に詳しく述べた。
→ 過去の捏造・歪曲
→ 捏造と歪曲(STAP)
>「メンデルの法則」で有名なメンデルの業績について解説する。簡単に言えば、「遺伝子概念の提唱」である。
メンデルは、周到に準備されたエンドウの株(7組の対立遺伝形質の純系ホモ接合体)を用い、交雑種における各形質の出現頻度を計測し、得られた数値の統計解析に基づいて、遺伝形質(親から次世代に引き継がれる生物学的特徴)の「遺伝のされ方の規則性」を導き出しました。手順はあたかも物理実験のようです。
メンデルは実験報告論文の中で、遺伝形質をもたらす/支配する「実体」を仮想的に「エレメント(要素)」と呼びました。しかし、メンデルはそれ以上に「エレメント」の実体や機能を追及しませんでした。というより、18世紀半ばの科学の発展段階は「遺伝子の本体」を追求できるレベルではありませんでした。メンデルの「エレメント」は、今日で言う遺伝子とほぼ同じ概念であることから、メンデルを「遺伝子概念の提唱者」と見なしてもいいでしょう。
しかし、メンデルの学説は当時の科学界には十分受け入れられませんでした。彼の学説はあまりにも革新的で、よく理解されなかったからだと思われます。そのため「忘れ去られ」ていきましたが、「否定」されたわけではないように思います。
>・・・メンデルは、遺伝要素に「連続性」のかわりに「最小単位」という概念を導入した。ここにメンデルの画期的な意義がある。
「最小単位」という表現は、ちょっとしっくりしません。
上述したように、メンデルは「エレメント」の実体には言及しませんでしたが、彼が法則を導いた議論から「エレメント」の要件が浮かび上がります:(a) 各世代の「エレメント」は両親から1体ずつ受け継いだ2体からなり、2体のうち1方ずつが次世代に伝わること、(b) 各「エレメント」は減ったり増えたり、分断したり混合・融合したりしない(独立・不変である)こと、(c)「エレメント」が不変で、伝達されることは、それと全く同じもの(コピー)が複製されることを含意すること。
本ブログ主さんは、(b)の意味で「最小単位」と言われたように思われます。
「遺伝子」を量的に、物質的に言い表すことは困難です。遺伝子の本質はその物質性にあるのではなく「遺伝情報」を持つ/担うことだからです。「情報」は、従来の物質科学にはなかった新しい科学概念です。システム科学全体(生物学を含む)に通底する、新しい物理概念です。
(誤)18世紀 → (正)19世紀
量子エネルギーは連続的な値を取るのではなく、ある一定単位 A を基準に、1A、2A、3A、……というふうに整数倍の値を取ります。(たとえばバルマー系列。)
これを「エネルギーは離散的だ(飛び飛びの値を取る)」というふうにも表現します。「エネルギーは連続的に変化する」という古典論的な考え方を否定します。(古典論では水素分子のエネルギーは連続的なので、電子はだんだんエネルギーを失って、中心の核にくっつきます。これは矛盾。)
遺伝子説も同様で、連続的な値が許されるなら、子は両親の中間の性質となります。白と黒の親から、最終的にはあらゆる子孫が灰色になります。つまり、あらゆる子孫は同一形質となり、形質の差がなくなります。(これは矛盾。)
量子であれ、遺伝子であれ、「最小の量」以下にはならないと考えることで、矛盾はなくなります。メンデルの発想は、量子論の発想を生物学界に持ち込むことでした。量子論ができるよりも前に。(量子論より 35年も先んじている。天才すぎ。)