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東京オリンピックに空手が追加された。
→ 東京五輪 追加種目に5競技18種目が正式決定 | NHKニュース
→ 東京五輪、野球・ソフト復活 5競技追加、空手は初:一面:中日新聞
→ IOC総会で野球・ソフトボールなど5競技18種目の追加が決定
だが、この競技の採点方法を見ると、噴飯ものだ。
《 東京オリンピック追加種目入り目指す「空手」 競技ルールは? 》
東京オリンピックの追加種目候補として空手を薦めている全日本空手道連盟のルールは、フルコンタクトではなく、「寸止め空手」だ。
寸止め空手は攻撃部位に対し、寸止めで技を決め、勝敗を争うものだ。
( → ZAKZAK )
組手競技
(略)
形競技
競技において演武する形は、世界空手連盟(WKF)が定めた形(約90種類)の中から選択し、演武します。トーナメントにおいては1回戦から決勝戦まで全て異なる形を演武しなければなりません。
( → 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 )
組手競技と呼ばれる方は、戦う空手だが、これは「寸止め」だ。
形競技と呼ばれる方は、戦わずに、演舞するだけだ。比喩的には、日本舞踊か、佐渡おけさみたいなものですね。
どうしてこうなった? それは、防具を使わないからだ。
本来ならば、戦闘に由来するスポーツは、防具を使う。
たとえば、古来ギリシャの戦闘術に由来するボクシングやレスリングがある。レスリングはともかく、ボクシングは防具としてのグローブを使う。
同様に、フェンシングも防具を使う。
日本でも、剣道は防具を使う。
これらは、防具を使うことで、スポーツとしての道を取ることが可能となった。
一方、空手は、スポーツとしての道を取ることを拒んだ。あくまで「武道だ」と言い張って、防具を使うまいとした。
そのせいで、残ったのは、「寸止め」と「演舞」だ。
呆れる。何やっているんだか。「防具なんてちゃんちゃらおかしい」と言って、「武道は防具なんか使わないんだ」と威張っていた。そのあげくが、「寸止め」と「演舞」だ。いっていることと、やっていることが、正反対だ。
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どうせなら、空手は、防具を使うべきだ。そうすれば、空手もまた、スポーツになれる。オリンピックに正式採用されることも可能だろう。
ところが現実には、「寸止め」と「演舞」を取っている。こんなことでは、スポーツの祭典に正式採用されるはずがない。
空手がスポーツとしてオリンピックに採用されたいと望むのであれば、まずは、防具を採用するべきだ。そのことで、空手をスポーツにするべきだ。
それもできないで、「寸止め」と「演舞」のままにして、「オリンピックに入りたい」なんて駄々をこねるのは、頭がイカレているとしか思えない。
空手の人は、たぶん、頭を空手で打たれすぎたのだろう。だから、「寸止め」と「演舞」のままにして、「オリンピックに入りたい」なんて言い張る。世界に通用しないのに。
また、「防具は軟弱だからイヤだ」と言い張って、もっと軟弱な「寸止め」と「演舞」を取る。これもまた、頭を空手で打たれすぎたからだろう。
どうしようもないね。
[ 付記1 ]
もうちょっとまともなのが、韓国のテコンドーだ。これは、空手のパクリと言っていいのだが、防具を許容するという点が大きく異なる。そのせいで、空手と同じ関心層に訴えて、「ちゃんとしたスポーツですよ」と宣伝して、ユーザーをガッポリと頂戴する。
今では世界的に、空手よりもテコンドーの方が圧倒的に競技人口が多い。オリンピックでも、テコンドーはとっくに採用されている。
で、そのテコンドーというのは、もともとは空手のパクリにすぎなかった。
そして、韓国人は今では、「テコンドーは韓国の伝統競技だ。空手はテコンドーのパクリだ」と言い出している始末だ。
( ※ 例によって歴史捏造。)
しかも、世界の人々は、たいていがそれを信じてしまう。
空手の関係者の、頭の固さには、呆れるばかりだ。空手のやりすぎで、頭が固くなりすぎた。いや、頭が空っぽになりすぎたか。だから、空手なのか。
[ 付記2 ]
実は他に、「フルコンタクトの空手」というのもある。
しかしこれは、「防具なしの撃ち合い」なので、「グローブなしのボクシング」というふうな扱いとなるだろう。現実には、そうではないのだが、そんな本質的なことなど、紳士である理事たちには理解できない。彼らは単に「グローブなしのボクシング」というふうに見て、「野蛮人」と軽蔑するだけだ。
そもそも、IOC の委員とは、スポーツに熱心な紳士ではなく、接待が大好きなだけのエセ上流紳士ばかりだ、という点に留意しよう。彼らの目的は、理事としてのぜいたくをすることだけであって、スポーツ性などはどうでもいいのだ。
そういう理事にとっては、「血を流して骨を折るような野蛮なスポーツ」など、認められるはずがない。(寄付金が減るからだ。)
というわけで、「フルコンタクトの空手」というのをもちだしたら、その時点で、空手の団体は「負け」である。
スポーツじゃないと言う論は意味不明でしょう。
ルールがあればスポーツです。
寸止めやフルコンより早く組織化されたはずですが、いつの間にやら寸止めがのさばってしまいました。
悪貨が良貨を駆逐するというやつでしょうか。
ボクシングやフェンシングや剣道が、防具なしで寸止めにしたら、今のようにスポーツと見なされるか? 五輪で競技として採用されるだろうか?
そういう問題です。
陸上競技や水泳でも、記録を求めるかわりに、「畳の上の水練」みたいなシミュレーションだけにしたら、それはスポーツだろうか?
スポーツと、道と術は違う。
勝つことを目的とするスポーツ、負けない事を目指す術、実践を想定し、鍛錬に重きがある道、の様に。
寸止めに対して、批判的に感じますが、あの寸止めの拳を突き切ったときのエネルギーは、フルコンタクトの拳より大きく、破壊力が違います。
空手に関しては、寸止めであることが重要に思います。
スポーツ化した空手は、別の物でしょう。
私は空手を批判しているわけじゃなくて、空手については尊重しています。
スポーツとしての道を選ばないのならば、別に問題はないのですが、スポーツになりたいと言い出しておいて、防具なしにするというのを、批判しています。
「いったい、どっちだよ」と小一時間 問い詰めたい感じ。
今回のテーマは、空手そのものではなくて、オリンピック競技に採用する件です。
30年以上前からある強化プラスチックの面、拳を傷めない軽い小さいグローブ、脇腹用の胴、足の甲用のレガース着用で、後頭部と腹部数か所に加速度センサーを付け、一定の値以上を技あり、一本等で括れば非常にわかりやすいスポーツになり空手の魅力を十分に引き出せる。
しかしこれでは、寸止めよりはボクシングスタイル重視にはなるがK1等よりは迫力ある試合になるはず。
それはないでしょう。たぶん。
というのは、フルコンタクトは、寸止めへのアンチテーゼとして生じただけだからです。しょせんは一般人向けではない。特殊なものであるにすぎない。
問題は、寸止めの方。一般人向けにフルコンタクトでないものがあるのは当然だが、なぜ寸止めだけであって、防具つきがないのか? ここには、空手業界の闇がありそうだ。
……と思ったが、ググってみると、そうではないらしいですね。昔はお金も道具もなかったので、防具を使うという発想がなかったらしい。「防具を使えばいい」という発想が出たのは、日本が経済成長したころ。それはちょうどテコンドーができたころ。テコンドーに先を取られたので、真似できなくなったのかも。
で、防具を使う発想がなかった空手では、次のいずれか。
・ 寸止めで、防具のかわりにする。
・ フルコンタクトでは、顔面を除外する。
いずれも、顔面への回し蹴りはできません。したがって、空手とテコンドーの選手が(ルールなしの喧嘩で)対決したら、顔面への回し蹴りの有無により、テコンドーの選手が圧勝します。実践派ですね。
今の空手は、武道というよりは、「顔面への直接打撃は禁止」という制限のある「武道もどき」であって、現実の武道ではないと思った方がよさそうです。テコンドー選手と戦えば一発で負けてしまうし。(回し蹴りで。)
顔面への突き(顔面パンチ)は禁止ですが。
また防具付きの空手がないというのも違います。防具付きの団体もいくつもあり規模が大きいところもあります。
防具付きの空手は主流ではないというくらいが適当かと。
ご指摘ありがとうございました。おっしゃる通りですね。
二つ前の私のコメントは、調査不足で、間違っていたようです。本文では、顔面については言及していないので、二つ前のコメントについてのみ、取り消して、おっしゃる通りの内容だと訂正します。
剣道とよく似た防具なら日本拳法、ボクシンググローブならムエタイ系、投げ技可なら・・・、顔面ナシなら極真系・・・ならば新たな防具とセンサーで新たな防具空手スポーツを目指すべき。
空手はさっさと衰退して、テコンドーが栄えれば、それでOK。もともと空手の一派なんだし。
※ 次項で述べたとおり。(皮肉だけど。)
スポーツ空手にするためには、手による顔面攻撃の防具と足による下半身攻撃をこなす必要があります。これがスポーツテコンドーとスポーツ空手の大きな違いです。手にゴルフクラブほどの重りをつけて振り回すボクシングとの違いでもあります。空手ではフックがそれほど有効ではない。
35年前に金的、目潰し以外は素手で何でもありかつ関節、絞め技もありで試合をしていた古武道空手の野蛮ルールは廃れきって跡形もないし、一般的には認められない。プロのUWFに継がれた
手や足による胴体攻撃の防具も必要でしょう。現在の空手で、胴体攻撃が防御できているのは、肉体を強固に鍛えているからです。一般人が胴体攻撃を受けたら、あっという間に骨折します。下手をすると、死にます。とうてい、スポーツにはなり得ない。
剣道なら、竹刀で防具を打っても死なないが、木刀で肉体を打ったら死ぬこともあります。そのくらい、危険度の差があります。
> 卓球とテニスぐらい
まあ、卓球はテーブルテニスといわれるくらいで、かなり似ているし。
ただ、空手系は、トップレベルではかなり違うが、素人レベルでは、相互に乗り換えが容易でしょう。野球とサッカーでは乗り換え不能なのとは、全然違う。
ここの部分の防具が工夫できれば、多彩な技で勝負が決まる空手と足技だけのテコンドー、重りを振り回すグローブ空手との差が出るはずです。上段、中段、下段へのあらゆる攻撃を防具とセンサーで評価できれば、立ち技系の素晴らしいスポーツ武道になるはずなのですが。
1970年代の極真系を中心とした接近間合いの下半身の蹴り合の流行が、空手の多彩で見栄えのあるスポーツ性への接近を拒み、かつ、立ち技系武道の総合力を弱めたような気がします。日本拳法系が一番スポーツに向いてたような気がする。
バカ一代でやめておけば良かったのにね。
( 座布団くれる人がいるなら、もらいます。 (^^); )
ムエタイ王者を3人倒した猪狩、ボクシングの世界チャンピオン渡辺次郎を輩出した日本拳法。なんで脚光浴びないのか不思議です
私は金的、目潰し以外が許される野蛮古武道空手を35年前に死ぬほどやっていた人間ですが、野蛮状態を安全化したい(友人みな前歯無し)と当時も思っていました。
見たことないのでは?
寸止めと言えば、剣の世界では宮本武蔵の二天一流の稽古でやっていました。
最もあちらは槍の叩き合いのような剣道とは違って、真剣の引き斬りが前提ですからね(木刀ですしw)。
わたしは高校の頃に日空協で空手をやっていましたが、全空連の大会があったのか防具空手もやりました。
形は採点が難しそうですが、そこらへんのノウハウは世界連盟に蓄積されているでしょうから、心配しなくてもよさそうですね。
35年前現役さんのコメントは、とてもリアルで面白いですね。
わたしも日本拳法の経験があり、自衛隊でも採用されていますが、寸止め空手や極真空手に比べて、実戦的だなと思いました。
後遺症が残るような深刻な怪我が多いことが要因だそうです。
武道が本来追求すべき精神性やスポーツとしての健全性からはかけ離れたものになっていると。
テコンドーや寸止め空手が採用されるのは、そこのところが大きな理由なのかもしれません。
開催国の沖縄県民にとっては誉なことだと思いますので、取り立てて批判する気は起きません。