シン・ゴジラを退治するためには、米軍が原爆を落とすべきだった。原爆なら、圧倒的な破壊力があるからだ。
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シン・ゴジラはあまりにも強大で、自衛隊の通常戦力はまったく歯が立たなかった。
そこで、映画では、(あっと驚くような)奇妙な方法で退治することにしたが、これではリアリティがまったくない。どうしても退治しなくてはならないから、荒唐無稽な方法を使ったらうまく退治できました……というふうにしたかったようだ。しかしこれでは興醒めである。もっとリアリティがあった方がいい。
昔の SF ならば、ここで「反陽子爆弾」なんてものが出てくるところだが、そこまで SF チックでなくてもいいから、せめて、原爆や水爆を出すべきだった。
ゴジラというと、原爆やら水爆やらの影響で発生した……というのが、初代以降のストーリーだが、それほど反核意識を強くする必要はあるまい。初代はそれでもいいが、現代では別のストーリーがあってもいい。
最もリアリティがあるのが、原爆や水爆を落とすことだ。だから、この方針で、ストーリーを立ててもらいたかった。それが最もリアリティがあるからだ。
そこで、以下では、私がストーリーを考える。
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《 ストーリー 》
自衛隊の通常戦力は、ゴジラの前にまったく無力だった。そのままゴジラは前進して、米軍基地にぶつかりそうになった。
司令官が言う。「このままでは米軍基地が壊滅です。大統領、何とかしてください」
大統領は疑問を呈する。「どうしろというんだ?」
「核兵器の発動の許可を願います」
「核兵器だと? しかし、そいつは問題だ」
「問題ありません。米軍基地に対する自衛権の行使です。こちらが攻撃しないのに、向こうが攻撃するのなら、攻撃に対する自衛権の行使は当然です」
「しかしそんな理屈は日本が許すまい」
「大丈夫。日本の首相は、自衛権の行使のためには、いくらでも憲法を歪めて解釈します。憲法無視なんて、毎度のことです。いくらでも口先だけで歪めて解釈するのだから、日本が文句を言うはずがありません。というか、文句は言わせません」
「そうか。ならば、原爆を使ってもいいかな。……だが、待てよ。原爆を使うと、大被害が出るぞ。市街地で原爆を落とせば、数十万人の被害が出るぞ」
「全然、問題ありません」
「なぜ?」
「数十万人の被害者は、すべて日本人であって、米国人ではありませんから。いいですか。広島と長崎の件を思い出しましょう。あのときは、原爆のおかげで、米兵は数十万人もの命が救われたんです。米兵がそれだけ死なずに済んだということが大切です。日本人が死んだ分は、計算に入れる必要がありません。大切なのは、米国人の死者が減ることだけです」
「で、米国人はどれほど助かるんだ?」
「ゴジラが米軍基地を攻撃すれば、1万人ぐらいの死者が出るはずです。それだけの死者を救えます」
「なるほど。……だが、ちょっと待てよ。ゴジラが来ても、戦わずに、さっさと逃げれば、米軍基地の死者は出ないだろ?」
「それを言っちゃあおしまいだよ。広島と長崎だって、日本に無条件降伏を求めなければ、いつだって戦争はやめられたんです。いつだって戦争終結して、米軍の死者は以後ゼロにできたんです。だけど、原爆は米軍の死者を止めたというのが、公式見解なんです。だから今回も、米軍の死者は1万人も減らせる、というのが、公式見解です」
「で、原爆を東京近辺に落とせと?」
「そうです」
「しかし、そんなことをしたら、日本が怒るぞ」
「別に日本の心情なんか、気にすることはないでしょう。それより、もっと重大な問題があります」
「何だ?」
「このまま放置すると、ゴジラは日本を破壊しただけでなく、海を渡って、米国に来るかもしれません」
「うむ。その危険はあるな」
「そうなったら、どうします? ゴジラが米国に来てから、原爆を落としますか? そうなったら、数十万人の死者は、日本人でなく、米国人になります。それでいいんですか?」
「むむ。そいつはまずいな。どうせ死ぬなら、米国人よりは、日本人だ。よろしい。原爆を使う許可を与えよう」
「ありがとうございます。それでこそ立派な大統領だ。あなたもトルーマンと同じく、米国人の命を多大に救った偉大なる大統領として、歴史に残るでしょう。今後数十年にわたって、その偉大な行為が称賛されるでしょう。ノーベル平和賞ももらえるかもしれません。ゴジラを倒して、米国を救った、偉大なる大統領として」
「で、日本人はどう思うんだ」
「日本人? ゴジラとともに滅びれば、それで満足でしょう」
2016年08月03日
過去ログ
ただ、あれでああはならないよなぁってのは誰もが思うところではあります。
それに、原爆でゴジラを倒さなかったことで続編ができる。きっと次はメカゴジラを日本が作り上げて戦うのですよ
実際、原爆が落ちたら、私も死んじゃいます。
なんてこった。
自分には不愉快に過ぎる。
理由はどこまでが皮肉でその意味する所も分からないから。
説明お願いします。
だいたい、「広島に原爆を落としたので戦争が早く終わってよかった」なんていう自分勝手な自己弁護を聞いたら、不愉快千万になるのが当然。
同様に、シン・ゴジラのなかの米軍は、「日本に原爆を落とせ」と言っているようだが、これを不愉快がらずに平然と聞いていて、「映画は面白かった」なんて言う感覚の方がおかしい。
不愉快なら、狙い通りに、正しく読んでいます。というか、これまで米国人の自己正当化を読んで、不愉快にならなかったの? 不愉快処女? その方が問題だ。本来なら、数十年前から不愉快であり続けるべき。
明日は原爆の日。 冥福。
他人の感想を借りてばかりなのに違和感がありました
見もせず書いていたんですね
見もせずこれほどの分量を書く執着心に驚きます
なにが管理人さんの心を捕らえたのですか?
スタッフ陣に対する妬み?
配給会社に恨みでもあるのかな?
その異常な執着の原因がなにか興味がわきます
ご自身で冷静に自己分析でき原因に思い至ったら教えてください
> これほどの分量を書く
矛盾しているでしょ。他人の感想なら、自分で書かないで済みます。
正解は? ここのところ疲れていたので、自分で書くのが面倒だから、他人の文章でお茶を濁していた。引用するだけなら、楽ちんだしね。手間をかけずに、文字数を稼げる。
> これほどの分量
ゴジラの記事を書いているときは、分量が減っています。他の話題のときの方がずっと分量は多い。
最近は疲れたので、書く分量を減らすため、ゴジラを扱った。
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CG は、ゴジラに限らず、昔から私の興味の対象です。ずっと昔の CG 勃興期のころから関心があった。初期はホログラムなんかも使っていたんですよ。今では信じられないだろうけど。
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CG についての関連項目。
→ http://openblog.seesaa.net/article/435847346.html
→ http://openblog.seesaa.net/article/435850317.html
→ http://openblog.seesaa.net/article/435851272.html (去年の記事)
借り物の感想に肯定否定などされています
ご自身の感想を提示せずあれほどの分量になる理由です
単純です
ブログやコメントを見ているとお疲れには見えない
一時期に集中してかなりの分量です
強い執着です
http://bit.ly/2aNuKAJ
それは他人の書いた文章の量。
私の書いた量は少しだけです。
洪水とか自動ブレーキなら、その数十倍を書いている。
> 強い執着です
どうでもいいことにこだわるのを「執着」という。たとえば、誰かさんみたいに。
一週間近く持続できる方を見習いたいです
今後の糧にしたい
お気持ちが落ち着いたらコツを教えてください
どうやったら強い執着を持続できるかコツを
それを見た人が、「何てすごい執着心だ」と勝手に誤解する。
> 一時間余り
一時間余りで、私の書いた項目の総数を超えているんじゃない? すごい執着心だね。新記録かな。
本サイトでは、読者の便益のため、同じテーマの項目はなるべくひとまとめに書くようにしています。つまり、なるべく同時期に。
あちこちにバラバラに散在すると、あとで読み直すとき、見つけにくいからです。
というわけで、この1週間は、なるべくゴジラ特集にするようにしました。他のテーマもありますが、それは後日書くことにして、延期しました。
というわけで、ゴジラシリーズがまとまっているので、一見、「執着している」というふうに見えるわけです。
実は、その間も、書くための項目の下書きは書いているのだが、そっちは後日あらためて公開します。
以上、種明かし。
これで、ご満足かな?
http://bit.ly/2b9NLPO