2016年07月28日

◆ 殺人愛好者による殺人

 相模原の大量殺人は、普通の精神病(統合失調症など)によると見なすより、殺人愛好者によると見なす方がいい。

 ──

 相模原の大量殺人については、前々項と前項で記した。
 前々項では、ある程度の精神異常(統合失調症など)によると見なした。
  → 精神異常者による大量殺人

 前項では、「自己嫌悪」やは「自己投影」によると見なした。
  → 大量殺人と自己嫌悪

 本項では、別の観点からとらえる。こうだ。
 「これは殺人愛好者による殺人である」

 ここで、「殺人愛好者」というのは、通常の趣味的なマニアとは違う。精神がイカレているせいで、殺人をしたくなってしまう(というか抑制が効かない)というタイプの精神異常である。
 ただし、この精神異常は、精神医学における「統合失調症」などの病的分類には当てはまらない。精神が全般的に崩壊してしまったというより、前頭前野における抑制が壊れてしまって暴走してしまうタイプだ。
 したがって、左脳や右脳における「知能」の点では、特に異常はない。むしろ、通常の人よりも知能が高いことも多い。にもかかわらず、知能とは別のところ(自己抑制)のところで異常が発生してしまう。

 以上のように認識したい。

 ──

 上記は結論だ。結論の前には、論拠がある。順序は逆になるが、このあと論拠を示そう。

 まず、前々項で示したように、次の見解がある。
 河合幹雄・桐蔭横浜大教授(法社会学)も「類似の事案が思い浮かばない事件」と語る。
 「他に類似の事案がすぐに思い浮かばない、珍しい事件です。被害者の人数からしても、戦後最大級の大量殺人事件といえます」
( → BuzzFeed Japan - Yahoo!ニュース

 このように、「例のない異常な事件だ」と見なす見解がある。
 しかしながら、実際には、これと似た事例はいくつもある。それは「殺人愛好者による殺人」という分類でくくられる。
  ・ 豊川市主婦殺人事件(人を殺してみたかった、と供述)
  ・ 名古屋の斧・殺人事件(タリウム殺害未遂も)
  (人を殺してみたかった、と供述。アスペルガー症候群と診断される。)
  ・ 佐世保高1女子殺害事件
  (中学生の頃から、人を殺してみたいという欲求があった → 出典
  ・ 北海道・美容師殺害事件 (誰でも良い、殺してみたかった、と供述)
  ・ 酒鬼薔薇事件 (猫を殺して興奮して射精した)

 以上のすべては、「人を殺してみたかった」という殺人愛好の性質が見て取れる。
 これは、普通の精神異常者に見られるような、脳の細胞レベルの病気(脳の全域の病気)ではない。脳の特定領域における病気だ。その領域は、前頭前野だと見なしていいだろう。

( ※ このタイプの粗暴な性質を抑止するために、以前、前頭前野を部分削除するロボトミーという手術があって、一定の効果を収めたことがある。……弊害も大きかったが。)

 ──

 今回、相模原の事件の犯人も、同等のものと見なしてよさそうだ。というのは、彼はたぶん、殺人をしているとき、楽しみながらやっていたと思えるからだ。普通ならばとてつもない不快感があって、とうてい実行できない殺人という行為をやり遂げる。ここでは、殺人をやってはいけないという理性が欠けているだけでなく、殺人をすることの不快感が欠けているという点が重要だ。
 そして、殺人をすることの不快感が欠けているとしたら、殺人をしたがっているという殺人愛好の性質があったはずなのだ。ちょうど、上記の多くの殺人者のように。

 ──

 結論。

 今回の犯人は、頭がイカレており、精神異常と見なしていいだろう。ただし、その精神異常は、統合失調症などのような、普通の精神異常とは違う。脳の全域で細胞レベルの問題があるのではない。脳の前頭前野だけに異常が起こっている。そのせいで、抑止が効かなくなっており、かつ、殺人を愛好する性質が加わっている。
 上記の多くの殺人者と同様で、「殺人愛好」という性質を帯びている。「殺人愛好症」と呼んでもいいくらいだ。
 このような特殊な精神異常だと見なしていいだろう。



 [ 付記 ]
 たぶん、脳では器質レベルで異常が見られるはずだ。
  ・ 前頭前野には何らかの機能低下が見られるはずだ。(損傷など)
  ・ 大脳辺縁系の一部には異常な機能拡大が見られるはずだ。
   (帯状回の器官肥大などが疑わしい。)

 今回の犯人の脳を fMRI などで調べると、顕著な異常が見つかるかもしれない。また、上記のさまざまな殺人犯についても、同様に調べるとよさそうだ。
( ※ 池田小事件の犯人は死刑執行済み。)



 [ 参考 ]
 似た例だが、次の殺人事件は、殺人愛好には該当しない。
  ・ 附属池田小事件 (宅間守の生い立ち
  ・ 秋葉原通り魔事件

 前者の附属池田小事件は、いくらか違うようだ。「自殺しても死に切れない。いっその事大量殺人をして死刑になりたい」と思った、とのことだからだ。(ま、殺人をしたいと思った、という点では、共通するが。)

 後者の秋葉原通り魔事件は、もともと自殺願望があって、そのついでに殺人をしたということらしい。「どうせ自殺するなら」というつもりだったようだ。特に殺人をしたがる性質は見出されない。これは自殺事件の変形と見なせるようだ。
 これは、見かけの上では、大量殺人事件のように見えるが、精神的に見ると、かなり毛色が違う。精神的には、この人の精神はほとんど正常だと思える。殺し方も、いかにも行き当たりばったりであり、本気を入れて殺人をするつもりだったとは思えない。遊び半分でやったというような感じだ。方法も、ずさんと言えるほどだ。……最終的には、途中でつかまってしまった。精神異常というよりは、人生に絶望しての自殺のうちの、一形態と見える。

posted by 管理人 at 22:29 | Comment(6) | 一般(雑学)3 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>殺人愛好者による殺人
そうでしょうか 
人を殺してみたかった・・・つまり息絶えるまでの過程を楽しんでいたと思います
が、今回のは 害虫駆除(とても不謹慎な言い方ですみません)のノリだと思います
Posted by 田舎の人 at 2016年07月29日 07:52
マスコミは犯人の両親、特に父親との関係を取材してほしいです。それが出てきたら殺人愛好者説の深みも増すのではと考えます。
Posted by ひで at 2016年07月30日 21:26
 家族はあまり関係ないと思いますよ。
 あと、精神異常と遺伝子との関係は、あまり強くありません。先天的と言えるほどではない。一卵性双生児でさえ、別々になることがあります。
Posted by 管理人 at 2016年07月30日 22:43
犠牲者を事前に定めた基準どおりに選り分け、
健常者には拘束までしながら手をかけていない
〜という犯行内容から見るに、「殺人愛好があり抑止が効かない」という説明には違和感を持ちます
Posted by   at 2016年08月08日 11:25
> 違和感を持ちます

 ちょっと誤解を招いたかな。
 「抑止が効かない」というのは、凶暴な殺人魔(テキサスチェーンソーの殺人魔=シン・ゴジラみたいな怪物)のことを想定しているのではなくて、
 見かけはまともに見えるのに、どこかタガがはずれている、という人物を想定しています。「羊たちの沈黙」の レクター博士みたいな。
 
 川の氾濫のイメージでいうと、洪水で莫大に水があふれるというイメージではなく、どこかで部分的に水があふれてしまっている、という感じです。(完全阻止が利かない。)

 普通の人は、「こいつをぶんなぐってやりたい」と思うことはあっても、滅茶苦茶に死ぬまでぶんなぐることはありません。抑止が効いています。しかし、その抑止が効かなくなる人もいる。しかしそれは、ゴジラみたいに大量に見境なく殺人をするという意味ではありません。あくまで「タガがはずれてしまった」という意味です。(ぶち切れたという意味ではありません。)

 ──

 本項は、前々項と前項の承前です。
 精神異常性があることについては、前々項で詳しく述べているので、そちらを参照して下さい。話を途中から読むと、理解できない点があるのも、仕方ありません。本項冒頭で掲げた記事を、あらかじめ読んでください。
Posted by 管理人 at 2016年08月08日 12:05
殺人をやってはいけないという理性が十分強いか、殺人をすることの不快感が十分強いか、どちらか片方でもあれば、殺人を犯さないですむのでしょう。

まず、管理人さんの推察のように、この犯人は、殺人をすることの不快感が弱いと考えられます。

重度の障害者は人ではない、死んだ方がよいと本当に思いこんでいたら、殺人をやってはいけないという理性が強くても、重度の障害者を殺すことが出来てしまうでしょう。
この場合は、殺人愛好者とは言えないと思います。

この犯人が、殺人をいけないという理性が実は弱くて、「障害者は生きていても無駄」「安楽死したほうがいい」と言う考えが単なる理屈づけの場合には、殺人愛好者である可能性が高くなると思います。
Posted by ishi at 2016年08月08日 20:44
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