※ 前項の「地図なし」版です。(スマホ用)
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男児が不明になった件については、前にも述べた。
→ 北海道の不明男児はどこに? (5月31日)
その後、6月3日の朝になって、男児は発見された。
この直前に、捜索について(なかば)ギブアップの宣言が出た。
《 7歳児行方不明:1週間 捜索あす打ち切り 》
北海道警などは2日、北海道七飯(ななえ)町の山林で行方不明になった北斗市の小学2年、田野岡大和さん(7)の捜索態勢を3日に半減させ、合同捜索本部も解散すると発表した。「可能な限り捜索した」として、4日までに見つからなければ捜索を打ち切る方針。
( → 毎日新聞 2016-06-03 )
こう決めた直後に、男児は発見された。まったく皮肉なことだ。……と思えるが、そうではない。詳しく分析するとわかるが、「合同捜索本部も解散する」にもかかわらず発見されたのではない。「合同捜索本部を解散したからこそ発見された」のだ。
要するに、発見しようとしたから発見できなかったのであり、それゆえ、発見しようとするのをやめたからこそ発見できたのだ。
なぜか? 「発見しようとした」ところが、まったく見当違いのところだったからだ。「発見しようとした」ところは、少年がいるところとはまったく別のところだった。そんなところを捜せば捜すほど、無駄なあがきとなるだけだ。
そのあと、発見するのをやめることにして、自衛隊員は自分の持ち場に戻った。そうすると、そこに少年がいた。
ここでは、「少年を発見した」のではない。「発見しようとして発見した」のではない。自分の持ち場に戻ったら、たまたま少年と「遭遇した」のだ。
したがって、「少年を発見した」という報道は、すべて誤報である。(本項もそう書いたが、これは誤報をそのままなぞっただけだ。)どちらかと言えば、「少年が自衛隊員を発見した」と言ってもいいかもしれない。ただ、正しくは、「自衛隊員が少年と遭遇した」である。捜してもいないのに、たまたま偶然出会っただけだ。(見つけたときは、「ようやく見つけた」と思ったのではなく、「まさか」という気持ちだっただろう。「びっくりぽん」だ。)
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では、少年は、どこで見つかったか? 報道された場所は、ここだ。
→ 陸上自衛隊駒ケ岳演習場の宿泊施設(画像あり)
これを Google マップで捜すと、すぐにわかる。ここだ。
【 Google マップ(省略) 】
ここに至るには、どういう経路を通ったか? 考えるまでもない。少年を見失った地点から、この演習場に至る経路は、ほぼ一本道だからだ。まぎれる余地がない。
具体的に示そう。
【 Google マップ(省略) 】
ここが、少年を見失った場所だ。
報道によると、父親はこの東側(「留めの湯」の方)から自動車で来て、上記ポイントで少年を下ろして、また東側に戻った。その後、自動車を降りて、徒歩で上記ポイントに戻った。その途中、少年と出会わなかった。そのあと、あちこちを捜してから、自動車に戻って、探し直した。たぶん、角地を通って、南下したのだろう。それでも見つからないので、警察に届け出たようだ。
→ 記事と図(北海道新聞)
このことと、地図を照合すると、少年の通った道筋は一通りしかないとわかる。函館本線に沿って進む道筋だ。
【 Google マップ(省略) 】
論理的に言って、この道筋しかありえない。(東方向なら、父親と出会ったはずだ。角を曲がって南方向なら、自動車で捜した親が見つけているはずだ。残るは、線路際の道だけだ。)
線路際の道を進むと、その先でループ状になるので、行き止まりだと見える。しかし、そうではない。図の点線の方向に、山道が延びている。そのことは、航空写真でわかる。
【 Google マップ(省略) 】
bing の地図だと、はっきりする。
明らかに、北方向に山道が延びている。その道幅は、普通の道幅であって、自動車が通れる幅だ。そのことは、朝日に記事がある。
地図上では山道から自衛隊の敷地まで道があるといい、「一生懸命歩けば3、4時間で歩ける距離だ。行方不明になってから早くたどり着いたのかもしれない」と話す。
山道は近くの温泉から大沼湖畔への抜け道として使われることが多い古い道というが、車の通りは少なく、
( → 朝日新聞 2016-06-03 )
「車の通りは少なく」ということだから、少なくとも車がちゃんと通れるわけだ。
( ※ だいたいどんな道かというと、そばの道の画像がある。これらと同様だろう。 → 周辺の道の写真集 )
ともあれ、ちゃんと自動車の通れる道だ。この道をたどって、北に進んだわけだ。
【 Google マップ(省略) 】
このまま道をどんどん進むと、途中で道が二股に分かれる。右(東)の方に進めば、自衛隊の演習場の宿舎にたどりつく。左(西)の方に進めば、自衛隊の演習場にぶつかるが、そこからは東に行くしかないので、結果的にはやはり、自衛隊の演習場の宿舎にたどりつく。(遠回りになるだけだ。)
つまり、北に向かって進む限り、東の道を通っても、西の道を通っても、どっちみち、最終的には自衛隊の演習場の宿舎にたどりつく。
というわけで、不明になった地点から、自衛隊の演習場の宿舎までは、事実上、ほぼ一本道であったわけだ。
つまり、この一本道を捜索していれば、必ず、少年を発見できたはずなのだ。
そのことが、Google マップからわかる。
※ なお、以上の推測は、のちに確認された。下記記事の右の図。
→ 記事と図(北海道新聞)
※ 上では「西の道」というのを示したが、よく見ると、ここに入るには、
まっすぐな道を左に曲がる必要がある。わざわざ左に曲がる動機はないので、
普通に歩いていけば、自動的に、東の道を選ぶはずだ。
※ 一本道であるかどうかについては、細かく検証した話がある。
コメント欄の、下記コメントを参照。
by 管理人 at 2016年06月04日 20:28
(要するに、一本道というほどではなくて、途中で選択肢はある。
ただし、最も自然なコースが、最短路のコースだったようだ。)
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以上で、経路は見つかった。
この経路について、私の予想は当たったか? 当たったとも当たらなかったとも言える。
まず、次の(私の)コメントは妥当だった。
林の中をシラミつぶしに探しているようだが、そんなところにいるはずがない。道路があるのに、道路から逸れて林の中に入る理由がない。
やはり、(飲み水のある)川のそばとか何とか、ちゃんと理由のあるところを捜さないとダメだよね。
( → 北海道の不明男児はどこに?: コメント欄 06月02日 19:27 )
ここで、「道路があるのに、道路から逸れて林の中に入る理由がない」と述べたのは、どんぴしゃりだった。
とはいえ、「川のそば」というふうに予想したのは、外れた。ではなぜ、私の予想は外れたのか? なぜ、道路上や、自衛隊の宿舎にいると、予想しなかったのか?
そのわけを言おう。
道路上や、自衛隊の宿舎にいることは、予想できなかったのではない。真っ先に予想した。当り前でしょう。道路にいるか、建物にいるか、そのどちらかの候補が最も可能性が高い。だからこそ、これらの場所は、すでに捜したのだとばかり思っていた。
実際、テレビ報道では、自動車が山道を何台も走っていた。馬(4頭)による捜索隊も報道された。
→ 田野岡大和君を乗馬で捜索する関係者
自動車や馬が道を走り回っているのだから、道の上はちゃんと捜索しているとばかり思っていた。まさか、道の上を捜索もしていないとは思いも寄らなかった。
自衛隊の宿舎もそうだ。最初に「線路際を通っただろう」と予測したとき、「陸上自衛隊の演習場や、そばの駅があるが、ここまで達したとは思えない。たぶん、途中で力尽きたはずだ」と予想した。
→ 北海道の不明男児はどこに?
この時点で、陸上自衛隊の演習場の宿舎や、そばの駅があることは、わかっていた。しかし、そこには到達していないと判定した。
なぜ、そう判定したか? 陸上自衛隊の演習場の宿舎や、そばの駅に達したのなら、とっくに発見されているはずだと思ったからだ。「そこはすでに調査済みであるはずだ。なのに、見つかっていない。ならば、そこにはいない。そこには来ていない」と判定したわけだ。
まさか、陸上自衛隊の演習場の宿舎を捜してもいないとは、思ってもいなかった。最もいそうな場所の一つであるからだ。なのに、捜しもしていないなんて。
実は、一度だけ調べたという報道ある。
《 30日の点検時には「誰の姿も見えなかった」 》
駒ケ岳演習所を管理する自衛隊第11旅団の担当者によると、小屋にはカギのついた扉が3つあった。そのうち1か所が、自衛隊による5月30日の点検時から6月3日の大和君発見時まで施錠されていなかったという。「大和君は恐らく、その施錠されていない扉から入ったものと思われます」――担当者はそう推測する。
一方、マスコミ報道によると、大和君は5月28日に歩いて小屋までたどり着いた、と警察に話しているという。
30日といえば、大和君が行方不明になった2日後で、警察や消防が必死の捜索活動を展開していた。しかし、自衛隊の担当者は「30日の点検時に、(小屋には)誰の姿も見えなかった」とJ-CASTの取材に話している。
仮に大和君が28日に小屋にたどり着いていたとすれば、30日の点検時に発見されてもおかしくないはずだ。田野岡君が小屋の外に隠れていたか、点検者が小屋にいた大和君を見落とした可能性もなくはない。同時に「すべての扉を5月30日まで施錠していた」という自衛隊側の説明にも疑問符が付く。
( → 不明男児は「いつ」演習場小屋に入ったのか 自衛隊と本人で食い違う「2日間」 )
ここには食い違いがあるが、どちらが正しいにしても、大差はない。
第1に、28日の夜と29日には、ここを捜索しなかった、ということだ。この点が最大の失態だ。
第2に、飲み水はここにしかないのだから、少年は(ここでなくとも)この周辺にいた。そして、その周辺にいる少年を探し出せなかったのだ。のみならず、他の処置も執らなかった。たとえば、スピーカーで大声を出すこともしなかったし、食料や書き置きを残しておくこともしなかった。要するに、捜索する意思は、ほとんどなかった。念のためにちょっと通りがかりに見ておいた、という程度だろう。
( ※ というか、この隊員は、捜索隊員ではない。月に1度の点検という目的で、宿舎に用のある隊員が来ただけだ。ここはもともと捜索対象地域の外だという点が根源だ。)
ついでだが、少年がこの宿舎の場所から大きく動かなかったことについては、傍証がある。それは、次のことだ。
「この宿舎から 500メートルほど歩くだけで、人家に達する」
【 Google マップ(省略) 】
宿舎から 500メートルほど東に行くだけで、レストランや大型ホテルがある。ほんの7分間ぐらい歩くだけで、人と出会うことができたのだ。
→ ダイニング 木もれ日
→ 鹿部ロイヤルホテル
目と鼻の先に、賑やかな場所があるのに、そこまで足を延ばさなかった。ということは、自衛隊宿舎からほとんど動かずにいた、ということだ。
ならば、そんな少年を、捜そうとして捜し出せないはずがない。たぶん最初から、捜すつもりはなかったのだろう。
そのことは、次の言葉からもわかる。
隊員は「これだけ捜しているのに、どこにいるんだろうと昨日も消防の人と頭を抱えていた。まさかここまで来ないだろうと思っていた」と漏らした。
( → 陸自演習場は捜索対象外 - ZAKZAK )
捜索は演習場の敷地と外部の境界近くまで行われていた。発見の一報に地元消防の幹部は「まさかここまで来るとは思わなかった」と驚きの表情を浮かべていたという。
( → 産経ニュース )
「まさか」と驚くばかり。それというのも、「ここには いるはずがない」と思い込んで捜索対象外とした地域から、少年が見つかったからだ。
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結局、今回の件から、何を教訓とするか?
少年は、本来いるべきはずのところにいた。不明になった直後ならば、まだ道路上を歩いていたはずなので、道路を捜せば簡単に見つかったはずだ。翌日ならば、水のある建物と言えば、限られた範囲しかない。しかも、そこに人間がいない建物といえば、該当の自衛隊宿舎しかない。
いずれにしても「ここ以外にはありえない」という絶対的に決定的な場所にいた。なのに、その絶対的に決定的な場所を、あえて捜索対象から除外した。
なぜ? 思考の盲点か?
違う。「少年はそんなに歩けるはずがない」という思い込みのせいだ。道路上なら、たったの2km ぐらい。宿舎なら、7km ぐらい。それだけの道筋だ。少年だって、そのくらいなら、歩くことは容易だ。なのに、勝手に「歩けない」と思い込んで、捜索対象からはずした。
思考の盲点だったのではない。その場所は、すぐに思い浮かんだはずだ。思い浮かんだのに、除外した。「少年はそんなに歩けるはずがない」という思い込みのせいで。つまり、安易な先入観のせいで。
こういう思い込みや先入観が、本来ならば「ここしかありえない」という場所を、捜索対象からはずした。
その一方で、山の中という、およそありえそうにない場所を捜そうとした。まるで遺棄された死体を捜そうとするように。……最初から生存者を捜すつもりはなかったのかもしれない。
私は、「少年は生存している」という前提で、範囲を求めようとした。生存していることを前提としない限り、話は進まないからだ。だから、「水のそば」を条件としたし、捜索方法としては「赤外線カメラ」という方法も提案した。
→ 北海道の不明男児はどこに?
しかるに、捜索隊は、まるで死体でも捜すような探し方ばかりをしていた。「生きているのならば道路を歩いていたはずだ」という大前提をすら採用しなかった。
いろいろと考えてみると、今回、警察や自衛隊は、まったく大失態をしたと言える。
特に、警察は、「演習場を捜索対象からはずす」という大失態をした。これはまるで、「警察にとって自衛隊は聖域だから入れない」と遠慮しているようなものだ。
また、自衛隊は、「最初に自分たちの場所を捜す」という初歩の初歩を取らなかった。「バカな警察隊の捜せなかったところを捜してやろう」とでも思ったのだろう。肝心の自分たちの場所を捜す気すらなかった。灯台もと暗しどころじゃない。呆れられても仕方あるまい。(こんなことだと、外国のスパイを捜索することなど、とても無理だろう。子供一人すら捜し出せないのに。)
今回、少年の命が助かったのは、あくまで偶然による。冒頭にも述べたように、自衛隊員が少年を発見したのではない。たまたま遭遇しただけだ。それも、「捜索をやめたから」こそ、遭遇できただけだ。「捜索による発見」は、完全に失敗したのである。
仮に、このまま捜索し続けていたとしたら、少年は(見つからないまま)死んでいたかもしれない。その危険はある。
「今回は発見されたから良かった。終わりよければすべて良し」
なんてふうには評価できないのだ。警察と自衛隊の大失態は、とうてい看過できるレベルではない。大いに反省するべきだ。
( ※ なのに、報道を見る限り、警察と自衛隊の失態を指摘する声は、ほとんど皆無である。マスコミもまた、警察と自衛隊の同類で、無能の極みであろう。問題点の指摘すらできないのだから。)
( ※ 特に、本項の冒頭を読んでほしい。3日には、捜索態勢は半減され、捜索本部は解散すると決まっていたのだ。つまり、見殺しである。状況はこれほどにもひどかったのだ。この方針を告げられて、受け入れたとき、父親はおそらく「死」を覚悟したはずだ。それがどれほどむごいことか、想像してみるがいい。)
【 関連サイト 】
この件は、海外でも報道された。情報量は日本のマスコミ以上かもしれない。
→ Japanese boy, 7, found in a disused military base (Dailymail)
【 追記 】
重要な情報があった。
道や演習場を捜さなかったのは、そこが七飯町ではなくて、鹿部町だったから……という理由だ。読売新聞・朝刊 2016-06-04 にそう書いてある。七飯町の警察や消防署員だから、鹿部町で活動するわけには行かない、というわけ。
たしかに、例の道は、七飯町でなく、鹿部町に属する。下記の地図を参照。
→ Google マップ
要するに、捜索本部は、最初から捜索する気はなかったのである。「そこはわれわれの管轄領域ではありません」という理由で。
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