2016年04月16日

◆ 熊本地震の教訓

 熊本地震のあとで、何を教訓とするか? 

 ──

 熊本地震の教訓を考えよう。まずは、新聞記事を読む。

 (1) 朝日の社説

 朝日の社説は、こう書く。
 《 大地の警告に耳すまそう 》
 大震災から5年がたち、東北など被災地を除いて、地震への警戒が少しずつゆるみ始めたように思える昨今だ。
 被災地に救援と復旧の手を差し伸べるとともに、大地の警告に耳を傾け、地震への備えを周到に進めよう。
( → 朝日新聞・社説 2016-04-16

 「大地の警告に耳を傾けよう」と言うが、具体的には何かと言うと、何も書いていない。どうも、文学的修辞を語って、自己陶酔しているようだ。まったく、この災害時に、ポエムを書いて自己陶酔しているとは、ひどいものだ。
 朝日の社説は、いい加減、ゴミ論説を書くのをやめた方がいいね。読者はヘボ詩人のポエムを読むために金を払っているんじゃない。「アメブロで書け」と言いたいところだ。

 (2) 朝日の解説

 「大地の警告に耳を傾けよう」というポエムを読んでも仕方ないが、かわりに「専門家の警告に耳を傾けよう」という意味だと(勝手に)解釈して、その方向で考えよう。
 専門家は事前にどう予測していたか? これについて示した記事がある。
 2012年に作った町民向けの「地震ハザードマップ」では、布田川・日奈久断層帯北東部による地震について、「今後30年以内の地震発生確率は極めて低い」とし、起きたとしても町内の震度は震度5弱〜6強と想定していた。今回の震度は7だった。都市計画課の担当者は「国や県のデータを引用したが、今回の地震は想定を超えていた」と話す。
( → 朝日新聞 2016-04-16

 専門家と行っても、地震学者ではなく自治体の見解だが、とも書くこれがこう的に見解となっていた。地震学者も文句を言ったりはしなかった。とにかく、「地震発生確率は極めて低い」というのが、専門家の見解だったのだ。
 にもかかわらず、地震が起こった。つまり、専門家の警告に耳を傾けても、何の効果もない。それどころか、慢心を招くという意味で、逆効果さえ生じる。今回も、慢心ゆえに、何の対策も取られていなかった、と言えるだろう。瓦の屋根も放置された。
 専門家の警告は、「警告がない」という形で、逆効果であったと言える。どちらかと言えば、「専門家の警告に耳を傾けるな」と言う方が良かったかもしれない。

 (3) 大木聖子

 では、専門家の警告で駄目なら、誰の声を聞けばいいか? 朝日の特集では、大木聖子の見解が示されていた。彼女は、学会ではほとんど異端と言えるほどに非主流の立場だが、私とは見解がよく似ている。今回も、「我が意を得たり」と膝を打ちたくなるような見解が掲載されていた。
 大地震があると、「まさかここで」という声が聞かれますが、震度7の揺れは、全国どこに住んでいても遭遇する恐れがあります。
 最近、大地震のリスクは、南海トラフの巨大地震や首都直下地震ばかり注目されますが、地震学として考えると、マグニチュード(M)7ぐらいまでは、どこでも起こりえる地震で、その規模の地震があれば周辺では強い揺れに見舞われるのです。
 政府は、今回の地震を起こしたと考えられる日奈久(ひなぐ)断層帯を含む九州南部の区域で、M6・8以上の地震が30年以内に起きる確率は7〜18%と推定していました。30年以内に70%と推計される南海トラフや南関東の大地震よりもずっと低い確率でした。地震予測研究の限界です。
 専門家が自分たちの研究の限界を積極的に伝えることを怠ってきたことにも問題があります。日本のどこに住んでいても、次に大地震が起きるのは自分が住む地域かも知れないと思って、備えていただきたいです。
 どこででも強い地震が起こる恐れがあることは、現在、社会に十分に伝わっているとは言えず、多少伝わっていても人の実際の防災対策にはあまりつながっていません。
 防災意識について調べた私たちの研究では、地震予測地図を示すことは個人の具体的な防災対策には直結していませんでした。自分の住む地域が地震のリスクが高いことを意味する「真っ赤」になっている地図を見た人たちは恐怖心を抱きますが、家具の転倒防止や家の耐震補強、もっと簡単な備蓄といった防災行動について、しようと考えることすらしていませんでした。
 リスクを伝えれば人々の防災対策につながる、という考え方は限界にきています。
 東日本大震災後、防潮堤造りや建物を強くするハード対策か、住民の避難を促すようなソフト対策か、という分け方がされます。ですが本質はそこではなく、命を守るために何が必要なのかを住民自ら考えることにあります。地震や防災の専門家が会議室で高い目線で作り、住民に伝えるのではなく、住民と専門家と行政が現場で何が問題かを考え、ハードでもソフトでも必要な対策を進めることが重要です。
 自分たちの町で何が危ないのかを一番知っているのは住民です。専門家と行政と住民が現場で作り上げていく防災対策が大切なのです。
( → (耕論)大木聖子さん:朝日新聞 2016-04-16

 非常に重要な見解なので、ほぼ全文を転載した。(最後のパラグラフは省略したが。)
 全文転載は、問題があるが、地震による人命救済という大義があるので、朝日新聞も問題にはするまい。そもそも、上記の記事は、制限がかかっておらず、誰でも自由に見ることができる。読者としても、記事の全文を読むといいだろう。(リンクを踏むだけで読める。)

 大木聖子の見解は、学会の主流派の意見を全面否定している。専門家は、(2) のように「地震ハザードマップ」(地震予測地図)などを作って、警告しようとする。しかし、そんなことは無意味なのだ。地震は全国のどこでも起こる可能性(危険)があるからだ。つまり、「リスクを伝えれば人々の防災対策につながる」という考え方そのものが不適切だ。地震において大切なのは、事前予測なんかではないのだ。(このことは彼女が前から何度も言っている。主流派のやっていることへの全面否定だが。)
 では、何をすればいいか? 彼女はこう言っている。
 家具の転倒防止や家の耐震補強、もっと簡単な備蓄といった防災行動について、しようと考えることすらしていませんでした。

 つまり、「家具の転倒防止や家の耐震補強、もっと簡単な備蓄」という具体的な防災行動を、個人レベルでやることが大切なのだ。「どこでいつ起こるか」を予測するよりも、「どこであってもいつかは起こる」とわきまえた上で、「起こっても大丈夫」というふうに対策をするべきなのだ。
 つまり、学術的な研究なんかよりも、実務的な対策こそが大切なのだ。学問よりは、行政政策こそが大事なのだ。はっきり言えば、日本でなすべきことは、地震学の研究組織ではなくて、地震対策庁(災害庁)のような行政組織なのだ。
 これはまあ、主流派の研究者への全面否定(存在意義の否定)みたいなものだ。
 ま、こういうことを語ること自体は、地震学という学問の範囲になっている。しかしこの学問は、地震を科学的に解明しようとする自然科学ではなくて、行政組織を考える行政学みたいなものだ。従来の地震学の枠組みを完全に逸脱している。ここまで言ったら、学会では干されるかもね。

 とはいえ、彼女の見解は、私の見解によく似ている。というより、私の見解をさらに深化して、過激に言っている、とすら言える。私よりも一枚上手だ。
 というわけで、彼女の見解を支持するという形で、私の立場とすることにしよう。(私ももともと同じようなことを書いていたが、彼女の方がはっきりと表現している。)



 [ 付記1 ]
 私の見解と彼女の見解がよく似ている、ということは、前にも何度か書いた。(サイト内検索すればわかる。)
 当時の彼女の見解は、本項で紹介した記事ほど明確化されてはいない。あれから4年ほどたって、どうやら彼女の見解も深化したようだ。研究が順調に進んでいるようで、何よりです。

 ※ その間に、彼女は結婚してしまいました。どうして大木のままで、改正しないのかは、不明。たぶん、大木は戸籍名ではなくて、通称(旧姓)なのだろう。大学では、よくある。

 なお、彼女のブログは、下記。
  → Welcome to OKI's Website | 地震研 大木聖子のブログ
 
 [ 付記2 ]
 政府はどうか? 個人の判断を重視する大木聖子とは逆だ。つまり、個人の判断を軽視して、一律に政府の方針を押しつけようとする。具体的には、屋内退避を強固に推進した。
 「天気予報では雨だから、雨に濡れる危険がないように、さっさと屋外から屋内に避難しろ。急げ」
 と地元に押しつけた。
 しかしこの押しつけは、地元の反発を食った。地元は「余震が怖いから屋内に入れないんだ」と反発した。
  → 熊本地震:知事「現場分かってない」…「屋内避難」に反発
 どちらが妥当か? 
 政府は、「雨に濡れると危険だ」と心配したのだろうが、雨にちょっと濡れたぐらいで死ぬ心配はない。一方、屋内に入れば、相次ぐ余震で死ぬ危険もある。とすれば、「濡れること」と「倒壊で死ぬこと」を秤にかけてから、屋外に一時的に退避することは、十分の合理的だ。一時的に屋外に出ておいて、雨が降ったあとで屋内に入るだけでも、十分に足りるだろう。雨はいきなり豪雨になるわけじゃないんだから。
 このくらいのことは、個人の判断に任せていいはずだ。やたらと押しつけようとする政府は、事なかれ主義。自分が非難されないようにと思って、責任回避ばかりを考えている。
 
 では、その結果は? こうだ。
 《 阿蘇、熊本で震度6強相次ぐ 新たに7人死亡 》
 16日未明、熊本県の阿蘇、熊本などで震度6強の地震が短時間に連続して発生した。
 大分県や熊本県で多くの家屋やビルが倒壊し、新たに7人が死亡、14日以降の死者は計16人となった。広範囲で多数のけが人がいるもよう。
( → 日刊スポーツ 2016-04-16

 政府の勧告に従った形で、屋内退避したら、余震で7人も死んでしまった。屋内退避しなければ、死なずに済んだのに。
 なお、余震による被害は、普通の地震被害とは種類が違う。「あるとき突然起こったもので、予測不可能だった」という種類のものではなく、「必ず来ると予測されていた余震を無視して、あえて危険な屋内に入ったことによる被害」だ。地震による被害ではなくて、愚かさによる被害だ。そして、その愚かさを推進したのが、政府だった。災害というより、一種の殺人だね。
 
 ※ その後、死者数は 41人に上った。( 2016-04-16 現在 )
   地震第一波の死者数は9人にすぎないのに、事後の死者数は 32人だ。
   避難所または屋外に退避していれば、死なずに済んだはずなのだが。
   地震による被害よりも怖いのが、政府の楽観による判断ミスだ。
 
posted by 管理人 at 09:57| Comment(2) |  震災(東北・熊本) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 最後に「新たに7人死亡」という報道を紹介しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2016年04月16日 11:02
今までの経験則から、大きな地震の後に間髪を入れずにさらに大きな地震が来るとは予想できない。
専門家でさえ規模の小さな余震(但し震度6クラスとは言ってた)と言う予測でした。
政府がそれに左右された事を非難する事は少し厳しいと思います。
ただ、震度7のあとに余震の震度6が来ればトドメの様になる事は予想できたかもしれない。それは専門家が言うべきことでした。
Posted by 京都の人 at 2016年04月18日 17:42
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