2016年03月23日

◆ 保育バウチャーは勘違い

 保育バウチャーを推奨する人がいるが、これはただの勘違いの産物だ。たいていの人は錯覚している。 ──

 保育バウチャーというものがある。親に現金のかわりにクーポン券を与えて、そのクーポン券を施設に渡すことで、現金と同様の効果をもたらす、というものだ。
  → 保育バウチャーって何?(池田信夫)
  → 「保育バウチャー制度」とは何か教えてください! - 知恵袋

 まあ、その狙いはわかる。「保育に市場原理を導入する」ということだ。
 しかし、どうせ市場原理を導入するならば、単純に現金を給付すればいいはずだ。では、なぜ現金を給付しないのか? 

 これに対して、論者は次の懸念を示す。
 「クーポン券のかわりに現金を給付すると、親はその現金を勝手に自分の目的に使ってしまう可能性がある。たとえば、映画代や外食費に使ってしまう可能性がある」


 しかしながら、これはまったくの勘違いなのだ。
 なぜか? 実は、親はその現金を勝手に自分の目的に使ってしまっていいのだ。映画代に使おうが、外食費に使おうが、何のために使っても構わないのだ。親は、自宅保育のために給付された金を、保育以外のどのような用途に使っても構わないのだ。

 そう聞くと、
 「そんな馬鹿な!」
 と思う人が多いだろう。しかし、そういう認識には大いなる錯覚がある。その錯覚を説明しよう。

 ──

 そもそも、自宅保育した親は、自分が保育しているのだから、自分が保育士と同じ仕事をしていることになる。ならば、保育の仕事をした対価として、保育士の給与と同等の金額をもらっていいはずだ。実際には時給換算で、保育士の半額ぐらいしかもらえないが、それでもとにかく、保育士の給与と同様の金をもらっていいはずだ。
 そしてそれは、仕事の対価なのだから、その金をどういう用途に使おうが、本人の勝手なのだ。国から給付された金の全額を酒飲み代に使ったとしても、それはまったく問題がない。
 そのことは、保育士が自分の給与をすべて酒飲み代に使ったもいいのと、同様だ。(自分の給与を何に使おうが、本人の勝手だ。)

 「国が給付した金を保育以外に使うのはけしからん!」 
 と思うかもしれない。しかし、同じ金を保育士に払ったとしても、保育士はその金を園児のために使うことはない。保育士は自分の給与をすべて自分のために使うのであって、自分の給与を園児のためには使わない。ただの1円ですら、自分の給与からは支出しない。(他人の子供のために金を払うわけがない。)
 一方、親は、給付された金の全額を酒飲み代に使ってもいいのだが、実際にはそうしないだろう。たぶん、2〜3割(またはそれ以上)を、育児の費用に使うだろう。本当は自分の趣味代にでも使ってしまっていい金(の一部)を、自分の子供の育児費用に使うだろう。とすれば、こちらの方が、保育士に給与を払うよりも、ずっと有益なのだ。

 ──

 保育バウチャーを推奨する人々は、大切な点を見失っている。それは、「親は育児をしている」ということだ。つまり、労働と同じことをしている。
 そして、親が労働をしているのならば、労働の対価をもらって当然なのだ。むしろ、育児をする親に金を払わないことの方がおかしいのだ。実際、こういう状況を放置するから、少子化がどんどん進む。
 親に金を払わないというのは、親に無償労働をさせるのと同様だ。これは親に「餓死しろ」と言っているのも同様だ。「いっぱい働け。ただしビタ一文与えないからな。食い扶持は自分で稼げ」というわけだ。これじゃ、奴隷以下だろう。奴隷なら、少なくとも衣食住は保証されるからだ。
 要するに、保育バウチャーを推奨する人々は、「親にはビタ一文与えずに労働させようとする」という意味で、とんでもなく極悪非道なことをしていることになる。本来は親がもらえて当然である月 15万円ぐらいの金を取り上げて、「無償で働け」と強いるからだ。しかも、無償労働を当然のことだと思い込んでいる。呆れるしかない。(ワタミもこれほどひどくはない。)

 保育バウチャーを推奨する人々は、大切な点を見失っているがゆえに、とんでもない勘違いをして、残虐非道なことを推進する。こんなことをすれば、社会は崩壊するばかりだ。
 ゆえに、親には正当な対価を支払うこと(現金給付をすること)が必要なのだ。保育士が月収 30万円をもらって当然ならば、親はその半額の 15万円ぐらいをもらうのは当然なのだ。この金を取り上げるために、保育バウチャーを推奨する人々は、「親は死ね」と言っているのも同然だ。「日本死ね」のかわりに「親は死ね」と言っているわけだ。
 大いなる勘違いほど、社会を崩壊させるものはない。

 《 注記 》

 「映画代や外食費に使ってしまう可能性がある」
 と論者は心配するが、そもそも、現在話題になっているのは、「保育所に入れないと、失職して収入を失ってしまうので、生活費に困る」ということだ。最低限の生活費がないことが問題となっている。
 こういう状況で、「映画代や外食費に使ってしまう可能性がある」と心配する人は、頭のネジが狂っているとしか言いようがない。
 「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」
 と言った王女がいたが、それに似ている。
 「庶民にお金を上げても、どうせお菓子代に消えてしまうわよ。だから、庶民にお金を上げる必要はないわ」
 というわけだ。こうして、パン代に相当する最低限度の金を奪い取る。
 「庶民はパンなんか食べなくていいのよ。かわりに教育費に限定したクーポン券を上げればいいのよ」
 こういう理屈で、無収入の庶民を餓死させようとする。ひどいものだ。……そのすべては、善意による勘違いから生じる。



 [ 付記1 ]
 解説しておこう。
 バウチャーというのは、必ずしも悪いものではない。特に、最初の発想である「教育バウチャー」ならば、問題ない。というのは、教育バウチャーの場合、親は教育しないからだ。つまり、親は労働しないからだ。この場合、親は金をもらう権利はない。ゆえに、現金給付をすると、目的外使用の問題が生じる。だから、教育に関しては、「教育バウチャー」というのは意義がある。
 一方、保育の場合には、親は保育をする。したがって、自宅保育をする親は現金をもらう権利があるのだ。ここが、教育バウチャーと保育バウチャーの決定的な違いだ。
 教育バウチャーの場合、親がその金を酒飲み代に使うと、子供は教育を受けられなくなる。一方、保育バウチャーの場合、親がその金を酒飲み代に使っても、少なくとも子育てはしているわけだ。(自宅育児をするのだから。たぶん貯金を取り崩しているか、親の援助などで、金をまかなっている。)……だから、何も問題はないわけだ。[子供を虐待死させるような特別な例外は除く。これはただの犯罪だ。]

 [ 付記2 ]
 ただし、保育の場合にも、「保育園における教育」というのがある。この場合には、その教育の分についてだけは、「保育バウチャー」の意義はあるだろう。つまり、金の目的外使用を禁止する意義はある。では、その程度はどのくらいか? 
 まず、親は保育をするので、親が保育をする分までは、親は金を受け取る権利がある。それを超える額については、親は金を受け取る権利がない。これで線引きできる。

 具体的には? 試算してみよう。
 0歳児の親は、時給 1000円で 24時間保育。夜間加算を足して、1日 3.3万円。月間 30日だから、月間 100万円。つまり、月間 100万円までは、現金給付を受ける権利がある。これを超える額については、目的外使用を禁止するのもいいだろう。
 別の試算。親が育てるのでなく保育園に預けるとどうなるか? 保育士は0歳児を1人で3人を見るので、コストは3分の1になる。一方、時給は 1500円で、かつ、社会保障料の企業加算と、保育園の施設費がかかるので、時給のコストは3倍。3分の1と3倍との掛け算で、1倍となる。だから、保育士に任せた場合も、月間 100万円となり、同じ結果だ。
 どっちにしても、0歳児の親は、月間 100万円までは現金給付を受ける権利がある。それを超える額を給付するなら、保育バウチャーにするべきだろう。

 5歳児ではどうか? 自宅保育なら、時給 1000円で、1日8時間保育で、30日。これで 24万円。24万円までは受け取る権利がある。
 別の試算。親が育てるのでなく保育園に預けるとどうなるか?
 保育士は0歳児を1人で6人を見るので、コストは6分の1になる。一方、時給は 1500円で、かつ、社会保障料の企業加算と、保育園の施設費がかかるので、時給のコストは3倍。6分の1と3倍との掛け算で、2分の1。自宅保育なら 24万円だから、その2分の1で 12万円。
 したがって、自宅保育をする親は、24万円(労働の対価)か、12万円(サービスの対価)か、いずれかを受け取る権利がある。これ以内なら現金をもらっていい。これを超える額については、保育バウチャーにするべきだろう。

   ̄ ̄ ̄ ̄
 現実にはどうか? 0歳児の親は月額 100万円をもらっているか? 5歳児の親は月額 12 or 24万円をもらっているか? どちらも、もらっていない。とすれば、月額 15万円(0歳児)か、月額5万円(5歳児)ぐらいの給付金については、保育バウチャーの出番はないのだ。その程度の金額ならば、親は全面的に現金給付を受ける権利があるからだ。
 実際、同様のことを保育士がやれば、月額 30万円はもらえる。同じ仕事(保育)をしているのに、親だからという理由で、保育士に比べて大幅に虐待される(奴隷扱いされる)理由はないのだ。
 
( ※ 「保育士は月額 30万円」というのは、現在の給与の額ではなくて、将来の是正後の額です。年収 360万円という概算。)

 [ 付記3 ]
 わかりやすい形で説明するために、モデルを示そう。

 (1) 保育園に入園できた

 この場合、運良く入園できたので、保育バウチャーを使って、保育園に入る。現金をもらって、現金を払うのと、何も違いはない。つまり、違いなし。

 (2) 保育園に入園できない

 この場合、運悪く入園できなかったので、保育バウチャーをもらっても、保育園に入れない。現金ならば価値があるのに、保育バウチャーをもらっても使い道がない。ただの丸損だ。自宅保育をしても、1円ももらえない。保育バウチャーのクーポン券という、何の価値もないぺらぺらの紙をもらえるだけだ。最悪。
 たとえば、「日本死ね」と言った人は、現金をもらうかわりに、ただの紙切れをもらうだけで、失職する。年収をまるまる失うだけ、という結果になる。最悪。

 というわけで、保育クーポンを使った場合、保育園を利用する人の場合には、同等だ。一方、保育園に入れなかった人の場合は、大損だ。最悪。
 保育バウチャーという案は、こういうふうに最悪の結果をもたらされる人が多数生じるのだ。現状の問題を、何一つ解決しない。(せいぜい、不正を少し減らすかもしれない、という程度の効果しかない。)

 ただし、保育バウチャーを導入してもいい場合がある。それは、こうだ。
 「保育バウチャーをもらったら、その保育バウチャーを使えること」
 つまり、希望者は必ず保育園に入れることだ。希望者の全入が可能であることだ。この場合には、保育バウチャーは、ただのぺらぺらの紙にすぎないということはなく、ちゃんと機能する。
 しかるに、希望者の全入ができていない状態で、保育バウチャーを使えば、それは、「使えない偽札」を配るようなものだ。一種の詐欺であるにすぎない。
 教育バウチャーと保育バウチャーはまったく別物だ、と理解しよう。
 教育バウチャーが有効なのは、希望者の全入が可能だからだ。それと同様のことができない状態で、保育バウチャーを導入すれば、制度は破綻する。

 [ 付記4 ]
 保育バウチャーのかわりにベビーシッター券を使う、という案もある。つまり、保育園に入園できなかったひとは、保育バウチャーの券のかわりに、ベビーシッター券をもらって、ベビーシッターを使う、というわけだ。
 これはこれで、よさそうだ。しかし、難点がある。
 (1) ベビーシッターはやたらと高額である。保育所ならば、1人で3人か6人を見るのに、ベビーシッターは1人で1人を見る。生産性は大幅に低下する。その分、コストは大幅に上昇する。
 (2) ベビーシッターの人材はひどい。低価格なら、低品質。高品質ならば、高価格。うっかり目を離したせいで赤ん坊が死んでしまう、ということはありそうだ。
 (3) 本来は何ももらえないはずだった人々に、新たにベビーシッター券を交付することになるので、追加の予算が莫大に増える。ざっと見て、現金給付するのと同様の追加予算が必要となる。だったら現金給付する方がマシだ。使途を指定されないだけ、親は喜ぶ。

 最後の (3) が重要だ。どうせ金を出すなら、ベビーシッター券でなく、現金を出せばいい。わざわざ使途を制限する意義がない。この件は、本文に書いた話と同様だ。保育する親は、労働の対価を得る権利があるのだ。使途を制限されず、給与に相当する現金をもらう権利がある。なのに、ベビーシッター券によって使途を制限するというのは、同じ金を使って、効用 を最低にするということだ。
 たとえば、金をもらったら、食費や住居に当てたいのに、それが許されない。かくて、何も食べられず、家を追い出されてホームレスになり、その上で、「ベビーシッターを使えます」と言われる。何やっているんだか。狂気の沙汰だ。

 ただし、ベビーシッター券を導入してもいい場合がある。それは、こうだ。
 「ベビーシッター券をもらったら、そのベビーシッター券をちゃんと使えること」
 つまり、ベビーシッター券は、「週に1日分」なんていう中途半端な量でなく、「週に5日分(40時間分)」をまるまる給付することだ。これなら、ベビーシッターに子供を預けて、親は働きに行ける。(ベビーシッターは保育園のかわりになる。)
 一方、「週に1日分」なんていう中途半端な量では、親は働きに行けない。こんな中途半端な量では、制度はあってもなきがごとしだ。無意味。
 ちなみに、ベビーシッターの料金は 2000〜3000円(毎時)だから、週40時間で、8万〜12万円だ。約 10万円。「お、これなら 15万円より安い」と思うかもしれないが、この額は月額でなく週額だ。月額なら、45万円となる。しかもこれは、0歳児以外でも必要な額だ。5歳児の親に5万円を給付するのに比べると、9倍のコストとなる。滅茶苦茶にコストがかかる。
 要するに、ベビーシッター券を導入してもいい場合があるとしたら、「そのための財源として、現金給付の5〜9倍の財源を用意できる」という場合に限られる。それができないのなら、ベビーシッター券は絵に描いた餅にすぎない。

 [ 付記5 ]
 わかりやすく、たとえ話で言うと、バウチャー論者の理屈は、こうだ。
 「労働者の給料を現金で払うと、労働者は無駄遣いしてしまいそうだ。酒やパチンコやエロのために使ってしまいそうだ。それでは無駄になる。だから労働者に払う給料は、現金でなく、図書券にすればいい。これなら無駄遣いはできなくなる」

 こういう発想を取ると、生活費の金がなくなる。食費・住居費・光熱費・通信費といった用途のための金がなくなる。図書券で払いたくても、払うことはできない。かくて、ホームレスになって餓死するしかない。
 こうして労働者を殺そうというのが、バウチャー論者の見解。

 国がこんなことをやったら、親の虐待と、子供の虐待を、同時にやっていることになる。貧しさのあまり、子供は死ぬかも。(右図)
posted by 管理人 at 21:39 | Comment(3) | 一般(雑学)3 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お疲れ様でした。
私は管理人案を支持します。
Posted by 京都の人 at 2016年03月24日 18:20
最後に [ 付記5 ] を加筆しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2016年03月27日 00:06
みずから労働しているかどうか、という視点がお見事です。
Posted by 北海道の人 at 2016年03月27日 12:52
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ