記事を一部抜粋しよう。
《 認知症男性の徘徊事故、家族の賠償責任認めず 最高裁判決 》
愛知県で2007年、徘徊(はいかい)中に電車にはねられ死亡した認知症の男性(当時91)の家族にJR東海が損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は1日、妻に約360万円の支払いを命じた二審判決を破棄し、家族の賠償責任を認めない判決を言い渡した。JR側の逆転敗訴が確定した。
一審・名古屋地裁は長男の監督責任と妻の過失責任を認め、2人に約720万円の賠償を命令。二審・名古屋高裁は長男の監督責任は認めなかったが、妻は監督責任があったとして約360万円の支払いを命じた。
上告審で家族側は「家族の誰かに監督責任があるとすると認知症患者に関わりを持たない以外に方法がない」として監督責任を否定。妻は必要な注意を払っており賠償責任もないと訴えた。JR東海は家族が監督義務に違反していたとして、振り替え輸送費など約720万円を支払うよう求めて提訴した。
( → 日本経済新聞 )
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《 以下は間違いです。》
最高裁の判決は、妻子について、認知症患者の監督責任を否定している。では、誰に責任があるかというと、もちろん、徘徊老人自身だ。ただし徘徊老人は死んでしまったから、徘徊老人に賠償責任を負わせることはできない。JRが請求したとしても、遺族は相続放棄ができる。とはいえ、徘徊老人自身に財産があれば、その財産の分だけは、JRは賠償責任を請求できそうだ。
この意味で、JRは徘徊老人本人に賠償責任を求めるべきだった。死者への請求だ。
しかしながら、法的には、死者への請求はできない。相続人に対してのみ、請求ができる。
この意味では、法的には、相続人に対して賠償を求めることができたはずだ。ただし、その名分は、「徘徊老人への監督責任」ではなくて、「徘徊老人の賠償責任の相続」である。
今回、JRは、遺族に対して、「徘徊老人への監督責任」を理由とした。これでは、賠償を求めることは無理だろう。(公序良俗にも反する感じだし。)……それが最高裁判決だ。
ただ、JRが「賠償責任の相続」を理由にした場合には、相続財産の範囲内でのみ、賠償を請求できたはずだ。(相続財産を越える分は、相続放棄となる。)
【 訂正 】
コメント欄で指摘を受けたが、以上の話は正しくなかった。全文削除の扱いにしておいてください。
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以上は、法律の話。あまりおもしろくないですね。
以下では、安全の話をしよう。こちらが本題だ。
そもそも、この事故はどうして起こったか? 徘徊老人がいたからか? いや、徘徊老人が毎度毎度、あちこちで事故を起こしているわけではない。この駅には、特別な事情があった。
上の記事には現場の画像があるので、それをちょっと拝借しよう。(著作権を言うほどの画像じゃない。似た画像はマスコミ各社にある。)

※ 認知症の男性が電車にはねられ死亡したJR共和駅構内の事故現場付近。
ホーム端の階段から線路内に立ち入ったとみられている → 日本経済新聞
この階段を下りて、徘徊老人が勝手に線路に入って、電車に轢かれてしまったわけだ。
とすれば、ここに扉と錠を設置しておかなかった JR に、根源的な管理責任があると言えるだろう。
だいたい、人命の危険が生じる場所には、きちんとした扉や錠を設置するのが常識だ。さもなくば、子供が線路に入って死んでしまう危険もある。また、犬や猫が入る危険もある。当然、扉と錠は必要だ。なのに、JR は「扉と錠」という防護策をとらなかったのだ。(扉はあったが、錠がなかった。)
妻が片付けのために玄関先に出て、そばにいた母もまどろんだ一瞬の間に、父は自宅を出た。
小銭も持たず、自宅近くのJR大府駅の改札を抜け、一駅先の共和駅まで列車に乗って移動。駅のプラットホーム端にある階段から線路に下りたとみられ、列車にはねられた。階段前には柵があったが、鍵のかかっていない扉から線路内に下りることができた。
( → 朝日新聞デジタル )
ここには「鍵のかかっていない扉から線路内に下りることができた」とある。これが最大の過失だった。非常に重大な過失だ。ここに最大の責任があったと言える。
( ※ 家族の監督責任など、ごく小さな責任であるにすぎない。家から出ることはちっとも危険ではないからだ。一方、線路のそばの扉に鍵をかけないことは、ものすごく危険な行為だ。責任の大きさは、大差がある。)
さらに言えば、記事では「小銭も持たず」とあるのだから、徘徊老人が駅には入れるはずがないのだ。なのに、入ってしまった。ということは、無賃乗車を認めるのも同然であり、駅員の監視ができていなかったことになる。ここでは、駅員の監視責任が果たされていなかったことも、重大な過失と言える。
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結局、重大な過失は、駅の側にあった。
・ 扉に鍵をかけなかったこと。
・ 小銭を持たない老人を駅に入れてしまったこと
重大な過失が二つもある。
とすれば、ここから得られる結論は、こうだ。
「家族の側には、賠償責任はない。一方、JR の側には、徘徊老人を死なせたことの、賠償責任がある。家族の側は1円も払う必要がないが、JR の側は家族に数千万円の賠償金を払う必要がある」
これが妥当な判決であろう。
[ 付記 ]
ただし現実には、家族は JR に賠償を求めていない。求めるべきだったが。もし求めていれば、馬鹿げた裁判が最高裁まで続くこともなかっただろう。今から請求するとしても、たぶん時効だから、もう無理だね。
というわけで、お金の点については、どっちにしても馬鹿げたことをしている。呆れるしかない。
一方で、安全性の点では、「扉に鍵をかける」という教訓ができているかどうかが、気になる。写真を見ると、今でも安っぽい柵があるだけのようだが、もうちょっとしっかりとした柵で、安全性対策をしてもらいたいものだ。
【 関連項目 】
抜本対策は、次項で述べている。安全対策の財源をひねり出す形。
→ JR を分割せよ(大都市圏で) (次項)

また鉄道事業法があるので逆にJRが払う責任があるというのは法的根拠なく無理筋なのでは?
民事責任は、財産がある限り、免れないでしょう。
「無能力者ならば、他人の富をいくらでも盗み放題で、返済しないでいい」
なんてことがあるはずがない。
免れるのはあくまで、刑事罰だけです。
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鉄道事業法には、「安全管理をおろそかにして、危険性を放置していい」なんていう規定はありません。
ま、勝手に侵入したことには、本人の責任があるので、その分だけは、事業者は免責されるでしょうが、それだけ。鍵をかけなかったことには、危険性放置の過失があります。
鍵をかけるといっても、泥棒対策ではなくて、単にロック装置を付ける程度で十分。(自動車のドアのロック装置と同様。一手間余分にかかるだけ。)
これで、認知症や子供の侵入を防げる。この程度のロック装置も付けなかったのだから、事業者の安全対策は手抜きされていたというしかない。
>>無能力者ならば、他人の富をいくらでも盗み放題で、返済しないでいい」
なんてことがあるはずがない。
その場合は不法利得での返還請求が認められます。損害賠償責任はありません。
>鉄道事業法について
JRに責任を問うには「この点について法律的な責任がある」という要件をまず満たさないといけないので、(「安全管理をおろそかにして、危険性を放置していい」なんていう規定はありません。)というのは法的に何の意味もないかと。子の規程や法に反してる、というのでないと意味がないかと。
> その場合は不法利得での返還請求が認められます。
矛盾しているでしょ
不法行為責任が認められないなら、返還請求も認められない。
返還請求が認められるなら、不法行為責任・不法利得も認められる。
白なら白、黒なら黒です。「白であり、かつ、黒である」なんてのは矛盾です。
損害賠償でも話は同様です。「認知症患者ならば、どれほど破壊行為をしても、賠償責任はない。いくらでも破壊のやり放題である」ということはないでしょう。
<!--
財産がある限りは、民事で賠償責任があるはずです。
仮にあなたの主張が正しければ、認知症患者は「地上のものをすべて破壊していい」という治外法権的な特権を持つことになる。おかしいでしょ。-->
>
民法における責任能力とは、すなわち不法行為に関する責任を負う能力であり、その行為の責任を弁識するに足るべき知能を備えていることが要求される(民法712条)。責任能力を持たないものに対しては不法行為責任が認められず、損害賠償を請求することができない。
その場合には、これら責任無能力者の監督義務者等が原則として責任を負うことになっている(民法714条1項本文・2項)。
>損害賠償でも話は同様です。「認知症患者ならば、どれほど破壊行為をしても、賠償責任はない。いくらでも破壊のやり放題である」ということはないでしょう。
この場合、認知症患者には賠償責任はありません。監督責任者に責任が発生します。
→ http://www.koutuujikobengo.jp/kantokugimushasekinin/
ご指摘に従い、本文を書き直しました。(赤字部分・灰色部分)
これは不手際だな。私の近くの駅では、南京錠がかかっています。