センター試験に記述式を導入する、という話は、前に話題になった。
→ 記述式問題「イメージ例」が4例
→ 記述式導入へ センター試験はこう変わる
それからしばらく立って、読売の社説が論じている。
→ 大学入試改革 読売新聞 社説 2016-02-07
一部抜粋しよう。
新テストの最大の特徴は、従来のマークシート方式に加え、記述式の問題を導入することだ。グローバル化が進む社会では、正解のない問いに向き合う力が求められているのだという。暗記力など知識の量だけを問うのではなく、知識を活用する思考力や表現力も測るようにしたい。こうした理念はうなずける。
当面は、国語と数学の2教科で実施する。解答の字数は最大で300字程度になる。国語では、交通事故に関する統計資料を基に分析結果を記述したり、新聞記事を読んで自分の考えをまとめたりする問題が想定されている。
気がかりなのは、約50万人が受けるマンモス試験で、採点を公平かつ円滑に行えるかどうかだ。
文科省は、教育産業など民間事業者も含めて、1日あたり約800人の採点者を確保する方向だが、様々な答案を適切に評価するのは可能だろうか。採点の仕方にばらつきがあれば、テストに対する信頼が揺らぎかねない。
文科省の試算によると、採点には最大60日かかるとされる。これまで通り、1月中旬にテストを実施した場合、2月以降に始まる大学の個別試験に、記述式の採点が間に合わない恐れがある。
このため、記述式のテストをマークシート方式と分離し、前年の11〜12月に前倒しで実施する案が急浮上している。
ただ、この案だと、受験シーズンが長期化し、高校の行事日程や部活動などに影響を与えるのは避けられない。
引用としてはちょっと長すぎて、著作権法上の問題が生じそうだが、別に、独自の視点もないし、ありふれた意見だから、「よくある意見の例」として長めに引用しておこう。
さて。この社説では、実施上の難点が指摘されている。だが、問題は、それだけではない。根源的な難点がある。
まず、問題の事例を示そう。冒頭のリンクから引用すると、こうだ。
【国語の問題例文】
「自動車の台数と安全性に関係があると思います。つまり、自動車の台数は年々増加し続けているので、事故件数と負傷者数はなかなか減らなかったけれど、『(空欄)』ということです」
【解答例】
「自動車の安全性が向上してきたので、死者数は減ってきた」など
いかにも平凡な問題と解答である。これに対する得点分布は、次のようになるだろう。
・ 上位の大学の受験生 …… 受験生全員が 正解
・ 下位の大学の受験生 …… 受験生全員が不正解
たとえば、東大の受験生ならば、受験生が全員正解になると思える。となると、これはもはや、試験としては無意味だ、ということになる。
たぶん、どうでもいいようなケアレスミスで差が付くだけだろう。(例。欄外に書き出したとか、字数計算を間違えたとか、文字が消しゴムでよく消えていなかったとか、汚れた付いていたとか。)
こんなものは、もはや入試ではない。
入試とは何か? 受験生に差を付けて、優秀な受験生と、優秀でない受験生とを、きちんと区別できるようなものだ。
ところが、今回のテストは、「全員正解」とか「全員不正解」とかいうふうに、区別できないようなものとなる。とすれば、これはもはや入試としての機能を果たしていないことになる。
そして、こうなったのは、「入試とは何か」という本質を見失ったからだ。「入試は選抜のためにある」という本来の目的を忘れて、小手先の対処ばかりをしているからだ。ここには、教育よりも、ただの官僚主義だけがある。
( ※ 皮肉で言えば、この入試そのものが、入試として不合格なのだ、と言える。入試自体が不合格。)
──
では、どうすればいいか? 簡単だ。こうだ。
・ 元のように、「共通一次試験」という名称に変える。
・ センター試験は、一次試験だけに留める。
・ 記述式試験は、各大学で二次試験として行う。
・ 記述式の二次試験は、大学ごとにレベルを変える。
要するに、昔(共通一次試験の時代)と同じようにすればいい。それだけだ。
簡単に言えば、センター試験は、改悪されるばかりだから、昔のように戻してしまえばいいのだ。それだけの話。
[ 付記 ]
そもそも、センター試験や共通一次試験というものに根源的な問題がある、という点は、別項で示した。
まず、東大のような上位の大学の入試では、レベルが合わない、という話。
→ 東大推薦入試は有効か?
また、悪問が多い、という話。
→ センター試験を廃止・縮小せよ
具体的な悪問の例を、本サイトでも指摘・解説した。
→ サイト内 検索
ずいぶんひどい問題だらけだ。センター試験は、まずは現状の愚問・悪問を何とかするべきだろう。
巧すぎる表現!!(笑)
お茶吹き出しそうになりました。