自動運転車の研究が進んでいる。朝日の記事から引用しよう。
《 自動運転、異業種とタッグ 車大手グーグル参入に危機感 》
この分野にはIT業界の巨人、グーグルが虎視眈々(こしたんたん)と参入をねらう。運転手がいらない完全自動運転の試作車は、地球60周分にあたる約240万キロを超える試験走行を重ねた。
運転をクルマ任せにできる時代はいつ来るのか――。グーグルは2020年までに完全自動運転車の市販をめざす構えだ。
日産自動車のカルロス・ゴーン社長は7日、提携する仏ルノーとともに自動運転車を20年までに10車種以上投入すると発表したが、これは信号機がある幹線道路などの限定だ。
今の自動運転技術では、デジタル地図がない場所や災害があった道などは、安全に走れない。
こうしたハードルを乗り越えるには、AIの飛躍的な進歩が必要とされる。トヨタが米国に新設したAI研究会社のトップ、ギル・プラット氏は、こう予想した。「20年までには誰も完成させられないだろう」
( → 朝日新聞 2016-01-09 )
記事では「AIの飛躍的な進歩が必要とされる」とされる。だが、AIそのものの技術は、それほど難しくはない。
実際、(天才的な)個人レベルでも、かなり実用レベルに近づいている。
→ 伝説級の脱獄ハッカーGeohot氏、自宅のガレージで「自動運転車」を作り上げる!これが天才か
つまり、機械が自動学習するAIの技術を使えば、自動運転はそれほど難しくない。実際、上記の記事のように、すでに自動運転で走らせることにも成功している。
また、Google の自動運転は、(朝日の記事にもあるように)地球60周分にあたる約240万キロを超える試験走行をした。
つまり、自動運転で走らせること自体は、別に難しくはないのだ。
──
では、何が難しいか? それは、「例外的な場合」への対処だ。ここが難しい。だから、朝日の記事にあるように、
今の自動運転技術では、デジタル地図がない場所や災害があった道などは、安全に走れない。
というふうになる。ここが問題なのだ。
だから、自動運転を実用化するための課題は、「例外的な場合への対処」だ。一方、「基本的な(通常の)場合の対処」をいくら発達させたところで、それでは解決にはならないわけだ。
( ※ 比喩で言うと、晴天時の対処をいくら発達させても、雨天時の対処は完成しない。)
──
では、どうすればいいか? ここは、AIの基本に立ち返ればいい。こうだ。
「AIは、人々の信じているような『自分で考える機械』なんかではない。ただのエキスパートシステムである。つまり、人間のエキスパートの方式を真似るだけだ。ただ、真似るところで、いちいち人間が教え込む従来技術と違って、自動的に真似ることができる」
「ここで、真似る方式の適否については、人間があらかじめ学習させる必要がある」
具体的に言えば、こうだ。
(1) 将棋ソフト
将棋ソフトは「考える機械」であるように見えるが、それができるためには、開発途上で、「評価関数の適切な設置」を、人間が整備する必要がある。
(2) 画像認識
画像認識では、うまく対象を認識するAI技術が発達しているが、それでも、誤認識があるので、そのたびに人間が指摘して修正する必要がある。
例もある。
→ 『Google フォト』が黒人2人の写真を “ゴリラ” と自動認識して物議
──
以上のことに基づいて、私としては、次のように考える。
- 自動運転車を、あらかじめ完成したものとして用意することは、できない。できないというより、無駄・非効率である。
- 自動運転車は、もともと未完成なものとして、最初は試行的なものとして提供するべきだ。
- まずは、幹線路で、多大な試行をして、安全性を確認した末に、商品として提供する。
- 幹線路以外では、(自動運転でなく)人間の運転で、自動運転車を走らせる。このことで、自動運転車のデータを採集する。(ここが重要!)
- こうして「人間が運転した自動運転車のデータ」を大量に取得したあとで、その路線を自動運転に委ねることにする。
たとえば、普通の細い道の住宅地では、自動運転車が走った例はまだない。そこで、人間の運転の下で、自動運転車が何度も道を走る。そうして人間の運転のデータをたくさん取得したあとで、自動運転車が自分で運転する。(学習するようなものだ。)
一方、これまで自動運転車がいっぺんも通ったことのないような道では、自動運転車による自動運転を認めない。(たとえ可能らしいとしても、実行しない。「データ不足なので自動運転はできません」という表示が出るだけだ。)
──
結論。
「技術の発展によって自動運転を実現させよう」という現状の方針は、誤っている。なぜなら、いくら技術が発展しても、未知の道路ではAIがうまく対処できるという保証はないからだ。
自動運転技術において大切なのは、未知の場合に対処するような新技術ではない。既知の場合に対処できるようにした上で、既知の範囲を広げるということ、つまり、データの取得である。
大切なのは、技術よりも、データの取得なのだ。
このようなことは、「(単体の)技術単体を進歩させればいい」という問題ではなくて、「(全体の)システムそのものを進歩させる必要がある」ということだ。
つまり、個々の自動車に搭載する技術を改善すればいいのではない。自動車全体が共有する自動運転のデータを拡大することが必要なのだ。
ここでは、単体技術よりも、全体システムが問題となる。この点を理解することが必要だ。
[ 付記1 ]
朝日の上記記事には、次の話もある。
独アウディ(は)……自動運転に欠かせない精密なデジタル地図情報を手に入れるため、BMW、ダイムラーと共同で地図会社を昨年買収した。
この方針は、私の述べた方針に、いくらか合致する。
しかし、既存の地図を用意しておけばいいのではない。これから走る自動運転車の、実際の多大なデータが大切なのだ。
私が思うに、このような自動運転のデータは、自動車会社が個別に取得するのではなく、自動車会社全体でデータを共有する必要がある。そして、そのために、データの標準化をする必要もあるだろう。
自動運転については、現在、各社がしのぎを削っているが、むしろ、業界全体でデータを共有するシステムを構築することが、何よりも大事だ、と私は思う。
「単体技術の開発よりも、(データ共有の)システム開発を」
というのが、私の提言だ。
[ 付記2 ]
そもそも、AIというのは、「学習によって発達していく」という性質がある。この方針を取ることが大切なのだ。
朝日の上記記事には、ヒントとなる情報がある。
透明の壁に仕切られた3メートル四方のスペース。最初はぶつかり合って走っていた6台の小さなプリウスの模型が、1時間後には整然と走り始める――。
賢くなっていくのは、内蔵の人工知能(AI)がぶつかった失敗を学び、互いに通信して共有していくからだ。
ここでは、6台の模型自動車が、たがいにデータを共有することで、学習していく。
これと同様のこと(似たこと)を、社会の自動車全体でやればいいのだ。
なお、
「数台の自動車が相互に通信して、意思を通じあう」
という方式は、ずいぶん前から知られてきた。(一種の群れ行動だ。鳥の群れ行動に似ている。)
しかし、群れのレベルではなくて、社会の自動車全体で、走行データを共有すればいいのだ。
このようなことは、一つの会社内の技術開発では済まない。社会全体がデータを共有する方針を取るべきだ。(これは一種のビッグデータとなる。)
[ 余談 ]
自動運転車は、AI技術を使うものだが、旧世代の技術として、次の方式もある。
「交差点で、自動車同士が相互通信して、衝突を避ける」
この方式は、それぞれの交差点に高額な通信システムを設置する必要があるので、ものすごくコストがかかる。それゆえ、利権を生むので、官庁には都合がいい。政府はこの方針を推進している。
《 高い事故防止効果持つ信号無視時の自動ブレーキは国交省認めず 》
なぜ絶大なる事故防止効果を持つ赤信号や一時停止標識での制御を認めないのか? 理由は簡単。国交省が『ITS』(高度道路交通システム)という巨額の投資を必要とするインフラとセットになったシステムを立ち上げたいからに他ならない。
具体的に説明すると、信号などに情報を発信する装置を取り付け、その電波をクルマが受け取り制御するというシステムだ。信号1カ所で2千万円規模の装置を付けるため、巨額の予算必要。天下りポストになる管理団体も作らなければならない。
( → 自動車評論家 国沢光宏 )
世界は自動運転という新技術に進みつつあるのに、日本の政府だけは旧式の技術(超高額が必要で、効果はごくわずか)に邁進しつつあるのだ。
新年、福笑いみたいなものか。
2台とも自動運転車で、その道のデータ(前後の車のデータも含めて)を全て共有していたら、諦める判断は簡単にできると思います。どちらがバックしたら結果的に速く通過できるのかすぐ判断できて、その判断が共有されるわけですから。少なくとも、自車が諦めずに相手車も諦めなければ、自車が諦めるよりも時間がかかることはすぐわかるからです。また、バックがへたくそな手動運転者よりも上手にバックできるでしょう。
後の車も自動運転車なら、後の車等に通信してバックしてもらえます。
諦めるのが無理なくらい同等の条件であれば、車同士でじゃんけんみたいなことをして決めることもできると思います。
ほぼ全ての車が自動運転になれば、難題はわりと簡単に解決すると思います。
自動運転車と手動運転車が混在していると、混乱が生じます。
自動運転車は速度規制や安全に止まる車間距離を守るでしょう。
手動運転者による割り込みや追突によって、自動運転車が手動運転車と当たる事故が起こることが問題になると思います。グーグルの実験でも起こっているらしいですし。
AIにとって、例外的な場合の大半を占めるのは、手動運転車の動きだと思います。
AIにとって、自動運転車の動きは予想しやすいですが、手動運転車の動きは予想しにくいと思います。
他のコンピュータ将棋と対戦して勝つ確率が高くなるように設定された将棋のAIは、同じ設定では、人間の棋士と対戦した場合に勝つ確率が高くならないようです。
自動運転車と手動運転車では、車線変更や割り込みの時の、右折や左折の時の対処の仕方が異なるのは当然と思います。
自動運転状態の自動車は、手動運転車とは別の乗り物と思うべきでしょう。人間と人間に似たロボットのような関係です。
その車が手動運転車なのか自動運転車でかつ自動運転をしている状態なのかが一目でわかるように(目で見なくても無線通信で分かればよい)しておく必要があると思います。
この管理人さんの提言には、全面的に賛成です。
もちろん、このシステムのセキュリティが最重要になります。
手動と自動の混在期間はたしかに危ないと感じます。
話題それますが、全部自動になったら、自動車責任賠償保険は撤廃されるのでしょうかね。また、事故発生時の責任は製造者のみが問われる?
事故は大変少なくなるでしょうが、皆無にはならないでしょうから、残ると思います。保険会社に支払う額は大変少なくなるでしょう。
また、事故発生時の責任は製造者のみが問われる?
使用者には、車を点検・整備に出したりする義務、車が正常かどうか機器の表示などを見る義務が、残ると思います。
ほとんどの事故は、製造者や整備した者、道路管理者に責任を問うことになるでしょうが、使用者の責任が問われる場合もあると思います。違法改造など、使用者が法律に違反した場合です。
例えば、法律で決められた時期に整備に出していない車の場合、製造時に整備時期が過ぎてしまったら動かなくなるように設定されているとします。それを無理に動くように変えたら違反です。そして、整備不良で事故った場合は使用者の責任になるでしょう。