2015年10月18日

◆ 人類はなぜアフリカで誕生したか?

 人類はアフリカで誕生した。ではなぜ、アフリカなのか? ──

 人類はアフリカで誕生したあと、世界各地に拡散した。ではなぜ、最初はアフリカだったのか? アジアでなかった理由は何か? 

 仮にアジアで誕生したとしたら、その祖先となる類人猿がいるはずだ。そのようなものは、いるか? いる。オランウータンだ。(インドネシアやマレーシアに棲息する。)
 ではなぜ、オランウータンから人類へと進化しなかったのか?

 ──

 この問いに答えるには、進化の分岐図を見るといい。


ruijinen.png
出典:Wikipedia



 ヒト属 Homo に近いのは、チンパンジー属 Pan である。
 次に近いのは、ゴリラ属 Gorilla である。
 次に近いのは、オランウータン属 Pongo である。

 つまり、根っこのあたりにオランウータン属があり、そこからゴリラ属が分岐し、そこからチンパンジー属が分岐し、そこからヒト属が分岐した。

 ──

 以上のことから、
 「オランウータンから人類へと進化しなかったのか?」
 という問いに答えることはできる。
 「オランウータンは、人類からあまりに懸け隔たっているから」
 である。換言すれば、こうだ。
 「アジアでは、オランウータン属のまま、ほとんど進化が生じなかった。一方、アフリカでは、オランウータン属から進化によってゴリラ属が誕生し、ゴリラ属から進化によってチンパンジー属が誕生し、チンパンジー属から進化によってヒト属が誕生した」
 これを要約すれば、こうだ。
 「アフリカでは大型類人猿に次々と進化が起こったが、アジアではオランウータンのあと進化がほとんど起こらなかった」
 ここまではわかった。では、なぜか? 

 ──

 ここで、哺乳類の進化の歴史を記すと、次のようになる。
 北方真獣類は、互いに姉妹群であると考えられる2つの大クレード、すなわち、モグラ・クジラ・ウシ・ウマ・コウモリ・ネコなどの仲間を含むローラシア獣類と、ネズミ・ウサギ・サルなどの仲間を含む真主齧類(=超霊長類)とをまとめたクレードである。
( → 北方真獣類 - Wikipedia

 では、真主齧類(=超霊長類)はどこからやって来たのか?
 アフリカはゴンドワナ由来の大陸で,中新世前期(2300万年〜1800万年前)頃にユーラシアと最終的に結合した.
 ユーラシアとの結合後,北方真獣類が渡ってきて現在の動物相になったというのが大まかな構図になる.しかし本書を読むと,北方からの侵入は一時に生じたのではなく大変複雑な経緯をたどってきたことがわかる.少なくとも霊長目は漸新世の3300万年前から侵入しているようだ
( → [書評] 「図説アフリカの哺乳類」


Laurasia.png
出典:Wikipedia

 ローラシア大陸は、北アメリカ大陸とユーラシア大陸の合体したもの(というか、両者に分離する前のもの)である。この巨大大陸からアフリカ大陸へ、初期の哺乳類である真主齧類(=超霊長類)が移入した。
 その後、アフリカで十分に発達して、オランウータン属が誕生し、そこからアジアへ進出したことになる。

 とすると、オランウータンはアジアとアフリカで別個に独立的に誕生したのではなく、単にアフリカからアジアに移住しただけであるから、特にこれと言ってみるべきことはないことになる。この話は、特に有益な論点は見つからない。

 ──

 そこで話を戻す。
 大型類人猿の進化は、アフリカでだけあった。他の大陸ではなかった。では、それはなぜか?
 ただちに推測できるのは、次の理由だ。
 「大型類人猿の食性は、果物食だ。果物が一年中あるのは、熱帯のアフリカだけだ。温帯地域では、春から秋まではいいとしても、冬になると果物がない。せいぜいドングリがあるぐらいだが、ドングリを食べるのは熊などであって、霊長類ではない。要するに、霊長類(特に類人猿)が十分に生存できるのは、アフリカだけだ。だから、大型類人猿は、アフリカでのみ発達した」

 実際、チンパンジーやゴリラやオランウータンは、果実を主体とした食性である。他のものも少しは食べるので、正確には雑食だが、主体は果実であることには間違いない。この意味で、果実の豊かな熱帯地方こそ、霊長類の進化の揺りかごなのである。
 特に、アフリカは、広大な土地があるので、移動が容易であり、あちこちで果実を取ることができる。それゆえ、生存が容易であり、進化もまた可能だ。(多様な弱者が存在できる。)
 一方、アジアのオランウータンは、東南アジアの陸地にもいたが、今でもいるのはインドネシアとマレーシアという島嶼部だけだ。これらの地域は、広大な平地がないので、移動が容易だというわけでもなく、テリトリーが決まっているだろうから、新たな類人猿が誕生する余地はあるまい。その分、進化は起こりにくい。

 ──

 結局、「豊かな果物が一年中ある」というアフリカの土地と気候が、多様な霊長類の存在を許容したので、進化が可能となった。
 かくて、アフリカでのみ、霊長類はどんどん進化することができた。オランウータンからゴリラへ、さらにチンパンジーへ、さらに猿人へ。
 そして、いったん猿人となって、直立したあとでは、自由になった手を利用して、森林の外へ出ることができた。こうなると、もはや果物に限られることなく、魚介類などの多様な高エネルギーの食品を、一年中たくさん取ることができた。こうしてますます進化の可能性が高まった。その後は比較的短い期間のうちに、脳容量が大幅に拡大して、原人を経て、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスが誕生した。
 要するに、いったん猿人となったあとでは、特に気候や風土には関係なく、自由に食物を取ることが可能となったが、それまでの段階では、冬にも果実を十分に取れる地域は限られていた。それはアフリカだけだった。だからこそ、アフリカでのみ、類人猿が発達したのだ。

 人類がアフリカで誕生した理由は、チンパンジーから人類へと進化する理由がアフリカにあったからではなく、オランウータンから(ゴリラを経て)チンパンジーになる理由がアフリカにあったからなのだ。
 これが理由となる。

( ※ 私の見解です。)



 [ 付記 ]
 「チンパンジーから進化した」
 と述べたが、これは、
 「現在のチンパンジーから進化した」
 という意味ではなく、
 「昔のチンパンジー(共通祖先:チンパンジー属)から進化した」
 という意味だ。
 ま、いちいち注記しなくても、わかっている読者が大半だろうが。



 【 関連項目 】

 猿人がアフリカで誕生したあとの経路は、下記で。
  → 人類の進化(総集編) 1

 ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したあとの経路は、下記で。
  → 人類の進化(総集編) 2
  → 人類の移動 2
posted by 管理人 at 19:48 | Comment(2) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
サルから、猿人・原人への進化は説明できたどして、原人がいたであろうアジアなどアフリカ以外の土地で、原人から、人類に進化がなかった説明になるだろうか?
アフリカにだけあった猿人・原人がそのままでは生きていけない様なストレスがあったんじゃなかろうか。
Posted by 次元大好 at 2015年10月19日 23:30
原人の骨はアジアではほとんど見つかっていないので、原人にとってアジアは生存環境が厳しかったと思えます。やはり、冬の寒さがこたえる。特に、衣服がない裸の状態では、風邪を引いて感染死する確率が高い。

 アフリカでさえ、夜間に寝るときは、火をたかないと寒い。
  → https://youtu.be/8Ywl3QNyAFM?t=18m30s

 火をまともに使えない原人が、温帯の冬で生き残ることは、きわめて困難でしょう。数が圧倒的に少ないので、進化もまた起こらない。

 なお、ホモ・エレクトスの化石は、アフリカでも少ないが、ホモ・ハイデルベルゲンシスになると、温帯を含めてかなり多くの化石が見つかっている。
  → http://anthro.zool.kyoto-u.ac.jp/evo_anth/evo_anth/symp0011/narasaki.html
 とすれば、ホモ・エレクトスのあと、ホモ・ハイデルベルゲンシスになった時点で、火を自由に使う能力を獲得したとも推定できる。
Posted by 管理人 at 2015年10月20日 00:06
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