梶田隆章がノーベル物理学賞を受賞した。「梶田さん、おめでとう」という声があちこちにあふれている。しかしこれに私は違和感を覚えた。戸塚洋二の名があまり出てこないからだ。
梶田隆章本人は、次のように見解を述べている。
会見で名前を挙げたのはニュートリノ観測施設「スーパーカミオカンデ」の実験を指揮し、平成20年に死去した元東大宇宙線研究所所長の戸塚洋二さんと、東大大学院で師事した東大特別栄誉教授の小柴昌俊さん(89)。「人の出会い、素晴らしい実験との出会いがあった」と2人の恩師への感謝の言葉を重ねた。
( → (産経新聞) - Yahoo!ニュース )
これは、二人の先輩のおかげ自分は優れた業績を上げた、という趣旨だ。
6日夜の記者会見で、戸塚さんが生きていれば「共同受賞」の可能性があったかを質問された梶田さんは「はい。そう思います」と明言した。「(戸塚さんは)いつも先を見ていた人ですから、きっと『賞をもらった後の仕事が大事だね』と言っていたと思います」と裕子さん。戸塚さんの仏前に、吉報を報告するという。
( → (毎日新聞) - Yahoo!ニュース )
これは、戸塚洋二の業績は自分と同じか、自分に次ぐぐらいの価値があった、という趣旨だ。
しかし、である。今回のノーベル賞の発表までは、この業績は戸塚洋二の業績だ、というのが、常識的であったはずだ。たとえば、こうだ。
物質を構成する素粒子の一つ「ニュートリノ」に質量があることを示す「ニュートリノ振動」は、故戸塚洋二・東京大特別栄誉教授が率いる国際共同プロジェクトで発見され、梶田隆章さんは実験のまとめ役として活躍した。戸塚さんもノーベル賞の有力候補だったが、2008年7月に66歳でがんのため他界した。
「鬼軍曹」と呼ばれたほど、妥協を許さない研究姿勢で知られた戸塚さん。日米約100人の研究者をけん引し、1998年にニュートリノ振動の観測成功を世界で初めて報告した。
( → (毎日新聞) - Yahoo!ニュース )
東大物理学科を出た有名人も、以前(2008年)、次のような評価をしていた。
戸塚さんこそ、ノーベル賞をもらわないわけにはゆかない人でした。彼のボス、小柴昌俊氏に2002年にノーベル賞が出たのは、1998年に小柴研の後継者である戸塚さんたちが「ニュートリノ振動の観測」に成功した、20世紀最後最大の業績に対するノーベル賞授与の準備、布石と誰もが理解していました。
戸塚さんたちのグループは1998年、「ニュートリノに質量がある」ことを、世界で初めて示しました。これこそが物理学賞史上に永遠に残り、あらゆる教科書に記される本当の大業績にほかなりません。
こうしたプロジェクトの言いだしっぺは小柴さんですが、本当に粉骨砕身で努力されたのは戸塚さんたち小柴研のスタッフでした。ところが、そもそも計画をし、装置を作るまでの責任者だった小柴さんにはノーベル賞が出ましたが、本当に賞を授与すべき大業績、この装置を使って得られた「ニュートリノ振動の観測」を、ノーベル財団は永遠に顕彰する機会を失ってしまったのです。
( → 伊東 乾の「常識の源流探訪」 )
最後に、《 「ニュートリノ振動の観測」を、ノーベル財団は永遠に顕彰する機会を失ってしまったのです。》 という一文がある。つまり、この著者は、「戸塚の死にともなって、ニュートリノ振動の観測についてノーベル賞を出すことは不可能になった」という認識をした。
実際には、その認識は覆された。戸塚は死んでも、かわりに梶田が受賞したからだ。
だが、この認識が正しければ、次のように結論できる。
「本来受賞するべきは、戸塚一人であって、梶田は受賞するはずがなかった」
「しかし、戸塚が死んだので、梶田がかわりに受賞することになった」
──
梶田本人は、「戸塚も共同受賞するはずだった」と考えているようだ。
しかしノーベル賞の常識では、一つのプロジェクト・チームから二人の人間が同時に受賞することはないはずだ。つまり、通常はリーダー単独で受賞するのであって、サブリーダーが共同受賞することはない。それがノーベル賞のこれまでの歴史だった。
たとえば、iPS 細胞の研究では、山中伸弥が単独で受賞したのであって、同じチーム内で多大な貢献をしたサブリーダーは受賞しなかった。世間にもその名はほとんど知られていない。
ニュートリノ振動の観測もそうだ。これまでは傑出したリーダーであった戸塚洋二の名前だけが広く人口に膾炙した。梶田隆章という名前を知る人は、世間ではごく少なかったはずだ。
ただ、梶田隆章がまったく影に隠れていた、というわけではない。彼は単独で仁科記念賞を受賞している(1999年)。ただしその理由は、ニュートリノ振動の観測ではなく、「大気ニュートリノ異常の発見」である。
→ 仁科記念賞 - Wikipedia
──
以上をまとめて言おう。
「ニュートリノ振動の観測」は、物理学の歴史においてきわめて重要な大発見だった。それは、物理学者が信じている統一理論は実は間違っていた(不正確なところがあった)ということを指摘し、統一理論の理論的な限界を指摘するものとなった。
これほどにも重要な観測であったが、それを導いたのは、戸塚洋二の率いるチームだった。このチームの代表(リーダー)は戸塚であり、梶田隆章はそれに次ぐ立場(サブリーダー)だった。
当然、戸塚がノーベル賞を受賞すると、誰もが思っていた。ところが、戸塚は急死した。そのせいで、「ニュートリノ振動の観測」にはノーベル賞が授与されない、というふうに予想する人も出た。
ところが今回、梶田隆章がノーベル賞を受賞した。これは、戸塚チームの(現在における)代表としての立場による受賞だ。仮に戸塚が生きていたなら、たぶん、戸塚一人が受賞しただろう。
梶田隆章は、影に隠れる形ではあったが、決して無能ではない。彼には単独で十分な業績がある。それは「大気ニュートリノ異常の発見」だ。これはのちの「ニュートリノ振動の観測」に結びつく重要な発見だ。
とはいえ、「ニュートリノ振動の観測」という世紀の大発見は、戸塚洋二の率いるチームの業績だったのだ。その代表者は戸塚洋二である。
今回のノーベル賞受賞では、戸塚洋二の名を筆頭に掲げるのが妥当だ。「梶田隆章さん、おめでとう」と言うのは構わないし、それを貶めるつもりもないが、それはそれとして、何よりも戸塚洋二の名を掲げるのが、ここでは科学的に公正な立場であろう。
死者に栄誉を。
科学史に真実を。
( ※ 現状では、科学史が歪められてしまう。)
[ 余談 ]
ニュートリノ振動は、ニュートリノに質量があることを示した。
ここで余談を示すと、質量はヒッグス粒子によってもたらされる。
→ ヒッグス粒子と質量
ここで、ヒッグス粒子を発表した人は、論文を CERN に拒絶された。
● 当初、ヒッグス理論を否定したCERN
確かにヒッグス粒子の実証ではCERNは大きな貢献をした。しかし、ヒッグス博士のそもそもの論文を否定したのもCERNなのだ。この研究所の専門学術誌に投稿されたものなのだが、投稿は、あろうことか、ばかげた論文として「Reject」(掲載お断り)となり、ヒッグス博士は門前払いを受けた。
これにはCERNのほうにもいくらかの言い分があろう。が、ヒッグス博士のショックは計り知れないほど大きかったことは間違いない。
それでも気を取り直し、ヒッグス博士は、投稿先を変更し、先の米物理学会誌、PRL誌に再投稿した。それが論文審査の査読者だった南部陽一郎博士の目に留まる。審査した南部博士の決定的ともいうべき重要なアドバイス、つまり、投稿論文の結論は何を意味するかコメントしてほしいというヒッグス博士へのアドバイスで、新粒子の存在を明確に示唆する一文を投稿論文に追加した。このことが、今回、注記にも挙げておいたヒッグス博士の受賞論文の評価につながった。
( → なぜCERNはノーベル賞から外されたか )
このことゆえに、ヒッグス博士は南部陽一郎を深く尊敬している。
ヒッグス氏の共同受賞者のベルギー・ブリュッセル自由大のフランソワ・アングレール名誉教授(81)も「南部氏がわれわれを発見に導いた」とたたえた。
アングレール氏は「南部氏は最も偉大な物理学者の一人。通常、物理学者の友人たちはファーストネームで呼び合うが、彼は南部教授と呼ばざるを得ない」。ヒッグス氏は「全く同意する。南部氏の仕事を常に称賛している」と感慨深げに述べた。
( → 産経新聞のコピペ )
こんなところにも南部陽一郎は出てくる。まったくの巨人だ。
この巨人は、 2015年7月5日に逝去した。巨星墜つという表現がふさわしい。
→ 南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授死去 (朝日新聞 2015年7月17日)

この件に関してですが、昨年の青色LEDの赤崎、天野両教授の物理学賞受賞例があります。リーダー赤崎教授、サブリーダー天野教授で同じグループ?(後半はほとんど共同研究者?)ではないのでしょうか?
中村教授は1匹狼的なので別グループ扱いだった?
今回、戸塚先生受賞のはずが、残念ながら亡くなられていたので、その業績を顕彰したいという意味で梶田教授がかわって(身代り)受賞したということでしょうか。
そうすると天野先生と梶田先生の違いはどこにあるのか、門外漢にはわからないのですが?
上記の件は、下記。
→ http://openblog.meblog.biz/article/23876651.html
天野さんは、サブリーダーの時期もありましたが、それでノーベル賞をもらったのではありません。独自の業績が別途あります。そういう話。
なお、三人の賞金は、三等分です。
戸塚洋二氏が生きておられたら彼が受賞されたであろうことは十分予想されますが、その場合梶田氏の扱いはどうなるのか、いろいろなケースがあり得ると思います。
ちょっと話がずれますが、戸塚氏は若い人向けにネットで現代物理学の解説を書いておられます。
戸塚洋二の科学入門(http://www.kenbunden.net/totsuka/index.html)
その中で、
「・・・プランクは頭を絞って式の意味するところを考え、ついに革命的なアイデア「光はツブツブだ」という考えにたどり着いたのです。ツブツブのことを難しい言葉で「量子、quantum」といいます。・・・」
としているのですが、どうもアインシュタインの「光量子仮説」と混同しているように思えてなりません。
梶田さんの業績の様になって、歴史が塗り替えられてしまいます。
ノーベル賞は、亡くなっていても、ちゃんと正しい人に与えるべきてます。
ノーベル賞は、戸塚洋二さんのものです。
今のままだと、歴史の捏造ですね。
しかしまあ、日本そのものが捏造国家なんだし。本日(7日)の記事を参照。
→ http://openblog.meblog.biz/article/26675265.html
梶田さんの卑怯さを感じます。
戸塚さんが気の毒過ぎます。
マスコミも真実を報道するべきだと思います。