銀行の休眠預金の金を、民間 NPO の活動資金に充てる、という法案が成立しそうだ。読売の社説から全文転載しよう。
お金の出し入れが10年以上ない休眠預金を、社会福祉などに活用するための法案を、超党派の議員連盟がまとめた。今国会に法案を提出して、成立を目指すという。
休眠預金は毎年、約500億円発生し、金融機関の利益に計上される。英国や韓国では、この休眠預金を福祉活動などの支援に使う制度がある。議連は、こうした例も参考に法案を作成した。
活用の対象として、生活困窮者や子供・若者に対する支援などが明記されている。預金者から請求があった場合は、休眠預金の払い戻しに応じる。
預金者保護に配慮しつつ、「眠れる資金」を福祉向上に役立てる趣旨は妥当だろう。
国などの公的支援が及ばない活動を助成する狙いから、資金配分を民間団体に委ねる。その司令塔が、一般財団法人として新設される「指定活用団体」だ。
活用団体は、全国の財団法人などから公募で複数の「資金分配団体」を選ぶ。この分配団体を通じて、実際に福祉事業に取り組むNPOやボランティア組織に助成金の給付や貸し付けを行う。
民間の知恵を生かし、現場の実情に合った支援が行き渡ることを期待したい。
気がかりなのは、法案の内容に関し、公正で透明な資金配分が行われるのか心もとない、とする声が少なくないことだ。
活用団体と分配団体のガバナンス(組織統治)やコンプライアンス(法令順守)に関する問題提起が目立つ。特に、支援先からの利益供与などの不正を防ぐ手立てがあいまいだとの指摘が多い。
多額の資金仲介を担う両団体には、厳格な運営が求められる。
制度の詳細は、内閣府令などで定める方向という。だが、監査の在り方など、資金配分の適正さを確保するための規定については、法律でもっと明確に定める必要があるのではないか。
配分に関与する人物が所属、関係する団体への支援など「お手盛り」を防ぐ措置も欠かせまい。
そもそも休眠預金は預金者のお金である。できるだけ減らすことが望ましい。英国や韓国は、休眠口座があるかどうか、一般の人が気軽に調べられるオンラインシステムを設けている。日本でも減らす工夫を検討してはどうか。
休眠預金の活用策を巡る様々な疑念を解消し、国民の理解を得ることが重要だ。より良い制度とするため、国会は法案審議を十分に尽くすべきだ。
( → 読売新聞社説 2015-08-30 )
全文転載というのは、本当はやってはいけないことなのだが、ここにある情報は周知のことであり、独自情報や独自見解は何もないので、ただの代表的な文章として引用しておく。(同様の話は他にも山ほどある。)
さて。ここには重大な誤解がある。
英国や韓国では、この休眠預金を福祉活動などの支援に使う制度がある。
というふうに記しているが、これは、(法案の推進者も含めて)間違った認識に基づいている。正しくは、こうだ。
法案の中身が判明し、超党派議員が議員立法に向けて動き出すところで微妙な話がたくさん見えてくるようになりました。
つまり、
『韓国(イギリス)では、休眠口座で消失した資金をガバナンスのしっかりしたファンドや国債など安定財源で運用し、その利益をNPO/NGOなどに分配する』
話だったのが、なぜか日本では
『発生する休眠口座の資産をそのまま管理団体に払い込み、NPO/NGOに分配する』
話になってしまいました。
意味が分かりません。年間800億円ほど発生する休眠口座のお金(実際には払い戻しがあるので年間450億円程度)が、NPO界隈に分配されるという話があるとすると、ただでさえその活動の政治性や妥当性に問題が指摘されることの多いNPO/NGO界隈が、にわかに一大利権ビジネスになってしまいます。
( → 山本一郎 2015年8月4日 )
鋭い指摘である。もともとは「資金の運用益だけを NPO に渡す」という話が、「資金のすべてを NPO に渡す」というふうに転じてしまっているからだ。(元金と利子とを混同しているわけだ。)
この点は、きわめて重要なので、裏付けを求めてググってみた。
→ 休眠口座|休眠預金 韓国|英国 - Google 検索
休眠講座の活用を推進する人々の PDF などが見つかったが、運用益に関する記述は何とも見つからなかった。
そこでさらに検索してみた。
→ 休眠口座|休眠預金 韓国|英国 運用 - Google 検索
すると、次の記述が見つかった。
休眠口座の預貯金を「使う」のではなく「投資する」という考え方は、イギリスでも同じのようだ。イギリスで休眠預金を社会的投資に活用しているBig Society Capitalは、基金が目減りしないように運用することを、行動指針の一つとしている。そこには、団体にお金を与えるのではなく、団体に投資を行い、その利益を基金の運営資金に充てるという考え方がある。
( → The Huffington Post | 執筆者: 和田千才 )
こうして裏付けを得た。つまり、先の「元金には手を付けず、運用益だけを使う」という話は、裏を取れたわけだ。
つまり、「資金の運用益だけを NPO に渡す」という話が、「資金のすべてを NPO に渡す」というふうに転じてしまっているわけだ。
( ※ ただし、ちょっと疑義があるので、最後の [ 付記 ] を参照。)
──
さて。休眠預金を NPO が使ってしまうとしたら、これでは泥棒も同様だ。しかし、(民間人による)泥棒を、国家が正当化していいのか? 大いに問題となるだろう。
この問題を、私なりに整理しよう。
そもそも、NPO とは何か? 民間の自発的な善意による活動だ。それは「ボランティア」という概念とも合致する。そして、「ボランティア」というものは、自発的になされるものであって、強制的になされるものではない。(強制的になされるボランティアなんて、言語矛盾だ。)
→ 罰としてのボランティア
同様に、ボランティアは、民間でなされるものであって、政府の監督下において命令されるのではないし、政府に資金援助してもらってなされるものでもない。……この意味で、NPO が政府の金をもらうとしたら、それは、ボランティアという概念そのものを損なう。
では、今回の例は、どうか? 政府の金を直接的にはもらわず、休眠預金の金をもらうだけだ。だから、「政府の金をもらう」ことにはならない。「政府の金をもらう」という問題を回避している。
しかしながら、ここでは、「民間の金を NPO が勝手に頂戴する」ということになるのだから、「他人の金を盗んでボランティアに投入する」というのに等しい。現代版のネズミ小僧だ。そんなことは倫理的に許されるのか? 「福祉のため」という理由で、他人の金を盗むことが許されるのか? 善意があれば犯罪的な行為(泥棒)をすることが許されるのか?
ここで、連中は「合法化すれば泥棒も悪ではない」という理屈を繰り出した。それが今回の法案だ。
しかしながら、合法化しようがするまいが、「他人の金を奪い取る」というのは、本質的には泥棒なのである。「合法的だから正しいのだ」なんていう盗人猛々しい理屈を言い立てるのでは、「善意による」というボランティアの概念そのものを損なう。
では、どうすればいいか? この問題を回避するたった一つの方法は、こうだ。
「休眠預金の金は、すべて国庫に入れる」
これだけが正義にかなう。相続者のいない遺産が国庫に入るように、管理者のいない銀行預金は国庫に入るようにするべきだ。これのみが正義にかなう。だから、そうするべきなのだ。
ところが、いったん国庫に金が入ると、NPO としては「国から金をもらう」という形になり、NPO の存在原理そのものを歪めてしまう。(国に交付してもらう金で活動するのでは、もはや NPO とは言えないからだ。国の下位機関みたいな性質を帯びる。)
そこで、この制約を回避するために、「国を通さずに、独立団体を通じて、NPO に金を流す」という仕組みを考えたわけだ。これならば、国の管理から逃れることができる。「うまいアイデアだ!」と連中は膝を叩いたことだろう。
しかしながら、その「うまい方法」というのは、要するに、「合法的に泥棒をする」という方法なのだ。このことが、冒頭で山本一郎が指摘したことにも相当する。
連中がいくら「善のために休眠預金を利用できる」と喜んでも、それは「善のために悪をなす」「貧しい人を助けるために泥棒をする」ということにほかならない。
そのようなことは、根源的に自己矛盾をもたらす。
( ※ 英国のように、運用益だけを使うのならともかく、元金に手を付けるのでは、泥棒と見なさざるを得ない。)
──
では、どうするべきか?
私の考えは、こうだ。
・ NPO のためには、英国同様とする。(元金には手を付けない。)
・ 休眠預金の金は、現状では銀行の利益となるが、国庫の利益とする。
これでいい。つまり、ごく当たり前のことをするだけでいい。「民間人による泥棒」なんてものが、たとえそれが善意に基づくものであっても、許されるはずがないのだ。
この場合、結果的には、どうなるか? たぶん、批判者は、こう言うだろう。
「 NPO は、国家の手の届かない困窮者に手を差し伸べている。そういう福祉のための金が削られたら、困窮者が出てしまう。たとえば、ひとり親家庭の子達のために大学進学などを目的とした援助ができなくなる」
なるほど、その主張は正しい。しかし、それだからこそ、NPO へ金を出してはならない、と思う。
なぜか? なぜ困窮者を助ける福祉に金を出してはいけないのか? それは、次の理由による。
「困窮者を助ける福祉に金を出すのは、困っている人から順に、最も困っている人を優先して、国が金を出すべきだ。一方、ちょっと困っているような人には、NPO が勝手に金を出していいが、そのために国家がやたらと金を出すべきではない」
具体的に言おう。
「ひとり親家庭の子達のために大学進学などを目的とした」
というふうに推進者は述べる。しかし、国が最も優先して行なうべきことは、最も困窮した人々を助けることだ。それは、現状では、次の順だろう。(教育関係で。)
・ 児童施設に在籍する、小・中・高校生。
・ 児童施設から卒業した、進学希望の高校生。
これらの子供たちが最も困窮している。というのも、国の出す金があまりにも足りないからだ。まともに参考書を買うこともできないし、高校卒業後に大学進学することもままならない。
だから、これらの困窮者を救うために金を出すのが最優先となる。たとえば、こうだ。
「休眠預金の金を国庫に入れた上で、上記のような児童施設の子供のための福祉資金を増やす」
一方、一人親の子供というのは、児童施設の子供よりは、ずっと恵まれている。だから、これらは、優先度では落ちる。民間の NPO が援助するのは、それはそれでいいが、国が金を出すべきは、まずは児童施設の子供だ。
そもそも、日本では、大学の授業料がやたらと高いくせに、奨学金は貧弱だ。卒業後に奨学金が返せなくなっている人多い。こういうふうに国の福祉が貧困になっていることが根本的に悪い。ここでは巨額の資金拡大が必要だ。
一方、休眠預金の金を使うとしたら、国の制度の枠外で、一部の団体が勝手に資金を恣意的に使うことになる。しかし、一部の団体が勝手に恣意的に行動すればどうなるかは、先に二つの例で明らかになったはずだ。
・ JSC による新国立競技場
・ 五輪組織による五輪エンブレム
いずれも、関係者が癒着して、勝手に金の使い道を決めている。国の管理の枠外で(目の届かないところで)、少数の委員や理事が好き勝手のやり放題だ。新国立競技場に至っては、3000億円も勝手に散財しようとした。
休眠預金の利用では、年間 500億円もの金が流れ込むらしい。( → 冒頭の読売の記事 )
これほど巨額の金を、国の目の届かないところで、森喜朗みたいな元政治家や、天下りの元役人などが、好き勝手なことをしようとしているわけだ。とんでもない利権活動と言えるだろう。断じて、許すべきではあるまい。
──
まとめ。
休眠預金の活用は「福祉のため」という美名があるが、その美名のもとで、本来は国の財源となるべき金を流用しようとしている。つまり、「善を美名とした泥棒」である。ネズミ小僧と同様。
そして、この美名のもとで、天下りの役人などが利権に群がる。また、NPO は本来の「ボランティア」という概念を忘れて、国の金をむさぼろうとする。「自分たちが奉仕して社会に貢献する」という本来の目的を忘れて、「国民の金を盗んで自分たちの活動に充てる(ついでに自分の給料も上げる)」というふうに犯罪的な活動をするようになる。
「社会のために身を削って貢献したい」という当初の理念を忘れて、「社会のために貢献しているんだから、おれたちは評価されるべきだ。国民の金を盗んで、おれたちの活動に使うべきだ。おれたちの給料のためにも使うべきだ」と言い出す。
初心忘るべからず、と言いたいところだが、金に目の眩んだ連中にとっては、蛙の面にションベンだろう。
[ 付記 ]
なお、本当に「元金に手を付けない」と言えるかどうかは、ちょっと疑問である。というのは、「毎年 500億円の休眠預金の金が流れ込む」ということがあるので、「毎年流れ込む 500億円についてはすっかり使っても、当初の元金は減るわけではない」と言えるからだ。
英国においても、毎年流れ込む分については、すべて使ってしまっているのかもしれない。……この件、調査不足であり、どうなのかはよくわからない。
ただ、いずれにせよ、「休眠預金の金はすべて国家が取るべきだ」( NPO には金を与えるべきではない)という結論には変わりはない。
※ NPO に対しては、税制の優遇などをするだけでいい。国家が資金援助するのでは、ボランティアという概念に矛盾してしまう。また、休眠預金の金を NPO が盗むというのでは、そもそも「善」という概念に矛盾してしまう。「福祉のためであれば泥棒をしてもいい」というのは、もはや「善」ではない。それは国家の金を盗む脱税犯と同様の悪である。
※ 「脱税犯は勝手に盗むが、NPO は勝手に盗むのではない」という批判が来そうだ。しかし、NPO への分配を決めるのは、一部の特殊な団体の委員たちなのだから、そこには利権が登場する。五輪エンブレムみたいな癒着も生じる。本来は国家のものである 500億円もの金を、少数の民間人が勝手に恣意的に使うようになれば、そこには黒い澱みが発生するものだ。
※ 「 NPOならば善なることをする」という発想も成立しない。たとえば、「エコキャップ運動」を推進する NPO は、ただの害悪の垂れ流ししかしていない。特に、間違った思想のもとで、日本の生徒たちの時間を無駄に奪っていることは、きわめて罪が重い。金でな時間を奪っているわけだが、これは「人生を奪う」「命を奪う」ということを部分的にやっているのと同じだ。泥棒よりは殺人罪に近い。life を奪っているのだから。

> 児童施設に在籍する、小・中・高校生。
> 児童施設から卒業した、進学希望の高校生。
これはそのとおりですが、さらに優先順位の高い子どもたちがいます。
「児童施設にすら入れない子どもたち」
自分も、児童養護施設を調べてたまげたのですが、入所者総数は、健常児施設に限ると4.3万人しかなく、18歳以下人口の500人に1人でしかありません。
こどもの福祉を向上させたいなら、児童施設を数十倍に増やす必要があります。非常に効果的に、中絶や虐待を防ぐでしょう。
利益が主たる目的ではないというだけで,ちゃんと利益を生む組織です。公益の活動をしながらの商業です。
分配はできませんが,手当も,もちろん充分な給与も支払います。
20年で1兆円になりますよ。私はすごい金額だと思うけど。井上さんは兆円規模の大金持ちなのかな?
ちなみに世間が大騒ぎした新国立競技場は、3000億円(当時)。
> 一生懸命に論じていらっしゃいます
読売の社説に反応した程度です。
一生懸命に論じているのは、新国立競技場やエンブレムの方でしょう。ただ、世間はもっと熱中している。
法人だから、ヒト・モノ・カネが関係しているはずです。
管理人さんの指摘、勉強になりました。