トバ・カタストロフとは、トバ火山の爆発にともなう気温低下によって、人類の人口の急減があった、という事件のことだ。実際にあったかどうかはともかく、そういう事件があった、という仮説が提出された。時期は7〜7.5万年前。
この件は、前にも別項で示したので、引用しよう。
トバ火山の爆発という重大な出来事が、7万4千年前にあった。
これは、「恐竜の絶滅」の人類版みたいなものだ。白亜紀末( 6500万年前)には、隕石の衝突のせいで、粉塵が舞い上がり、地球が寒冷化して、恐竜が滅亡した。
それと同様に、7万4千年前に、トバ火山の爆発により、粉塵が舞い上がり、地球が寒冷化した。人類は絶滅寸前となった。人類の総人口は、一挙に 1万人以下に激減した。(一説には 2000人ほどだという。)
→ Wikipedia
→ Gigazine
( → ネアンデルタール人の滅亡 )
この仮説が出た理由は、人類の DNA の変異がきわめて小さいことだ。
現在、人類の総人口は70億人にも達するが、遺伝学的に見て、現世人類の個体数のわりに遺伝的特徴が均質であるのはトバ事変のボトルネック効果による影響であるという。遺伝子の解析によれば、現世人類は極めて少ない人口(1000組-1万組ほどの夫婦)から進化したことが想定されている。
( → Wikipedia )
この説は、現在、かなり支持者が多く、定説とは言えないまでも、それに近い扱いを受けている。
( ※ トバ・カタストロフがあったことを前提に、「その後、中東で、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人やデニソワ人との交配が起こった」というような説が出ている。)
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しかしながら、私としては、トバ・カタストロフがあったということに否定的である。この件は、前にも述べた。
すでに火を自由に使っていて、筏(いかだ)を作る知恵もある現生人類(基本的には今のわれわれとまったく同じ人類)が、5℃程度の気温低下で総人口が1万人にまで激減するというのは、不自然すぎる。(頭の悪いネアンデルタール人でさえ、ずっと寒い欧州を生き延びてきたのだ。)
しかも、出アフリカの前の現生人類が、アフリカ北東部という熱帯地方(しかも海のあたり)にいたことを考えると、5℃程度の気温低下で人口が激減するというのは、とうていありえない。(むしろ暑すぎずに気持ちいい、と思いそうだ。)
さらに言えば、7万-7万5000年前という時点ならば、10万年前に(一度目の)出アフリカをした現生人類は、すでに「アラビア半島南岸 〜 インド南岸」のあたりにいたはずで、ここでも熱帯地方を通っていたことになる。とすると、やはり、5℃程度の気温低下で人口が激減するというのは、とうていありえない。
というわけで、トバ・カタストロフ理論は受け入れがたい。
( → 人類の祖先は黒人か?(進化) )
(i)トバ噴火の時期(7万年前)に、多くの生物が絶滅した、という証拠はない。学説としてあるのは、「遺伝子の変異量(分布量)から見ると、人類は個体数が激減した時期があったはずだ」(ボトルネック効果)という推定があるだけだ。多くの生物種が激減したというデータはない。あやふやな仮説に基づいた推論があるだけだ。
(ii)仮に、トバ噴火の時期に、多くの生物が絶滅した、としたら、その時期にネアンデルタール人も絶滅していたはずだ。しかし現実には、ネアンデルタール人は 2.4万年前まで生き延びた。矛盾。
( → ネアンデルタール人の絶滅 3 )
以上のようにして、「トバ・カタストロフがあったはずがない」というふうに、すでに述べたことがあった。
──
本項ではさらに、補強となる証拠を示そう。
(1) 気温
トバ・カタストロフがあったとされる理由は、「そのときに(人類を絶滅寸前に追い込むほどの)急激な気温の低下があったから」ということだが、気温の変動を見ると、そのような事実は見出せない。
出典
このグラフからわかるように、7万年ほど前には、「突発的に気温が急低下した」という事件は起こっていない。確かにこの時期に気温は最低レベルになっているが、それは、長期的でなだらかな変化であるにすぎない。(グラフから見ると3万年ぐらいをかけてなだらかに低下している。)これはつまり、「氷河期のうちの最も寒い時期」であるにすぎない。
(2) 耐寒性
これほどなだらかな変化であれば、人類は十分に対応ができたはずだ。
そもそも人類は、もっと気温が低下した 15万年前の氷河期をも乗り越えてきたのだ。また、知性の劣るネアンデルタール人ですら、その氷河期を乗り越えてきたのだ。なのに、ネアンデルタール人よりも知性のあったホモ・サピエンスが、このような寒さを乗り越えられないはずがない。特に、火も十分に使えるし、衣服もあるし、おまけに熱帯にいるのだ。熱帯よりもはるかに気温の低い地域でネアンデルタール人が生存していたのに、知性のあるホモ・サピエンスが熱帯で絶滅寸前に追い込まれるはずがない。
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トバ・カタストロフ(人類の人口の急減)という現象は、あったはずがない。(上記)
ではなぜ、「現生人類の DNA の変異の少なさ」という現象が起こるのか? その謎に、どう答えるか? 私は、次のように答える。
「ユーラシア大陸に出た現生人類の祖先は、たしかに数千人〜1万人程度だったのだろう。(分子進化学の成果を尊重する。)ただし、それは、祖先の数だ。一方、祖先ではない人類が、アフリカには大量に存在した」
換言すれば、こうだ。
「当時、アフリカには、大量の人類が存在した。そのうちのごく一部だけが、出アフリカをして、アラビア半島経由で、メソポタミアに渡った。これらの人々が、ユーラシア大陸に出た現生人類の祖先である」
つまり、ボトルネック効果はまさしくあったのだが、それは、「人類の数を減らす」ということによってなされたのではなく、「出アフリカした人々(ユーラシア大陸に出た現生人類の祖先)の数を絞る」ということによってなされたのだ。
実際、出アフリカをした人々の数は、ごくわずかだったのだろう。その数が、数千〜1万という数だ。ここで祖先の数は絞られたわけだ。……そして、そう考えれば、「人類全体の数が急減した」ということは必要ないとわかる。
( ※ 似た例を示そう。オーストラリアにおける白人の DNA の変異は、かなり限られているはずだ。そして、それは、オーストラリアに送られた白人の集団が、ごく一部の集団[イギリス人]であったからだ。ここで、オーストラリア人の DNA の変異の少なさを見て、「人類全体の数が大幅に減ったから、変異が少ないのだ」と考えるのは、荒唐無稽だ。人類全体の数が大幅に減ったことは必要ない。単に「移民の母集団が一部[= イギリス人]に限定されていた」というだけのことだ。)
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こうして、謎は説明された。ただし、こうして説明すると、新たな疑問が湧く。
「人類が出アフリカをした時期と、寒冷化が最も進んだ時期とは、一致する。それは、なぜか?」
この両者の時期は一致する。それを偶然と見なすのは、不自然だ。ではなぜ、両者の時期は一致するのか? もしかしたら、トバ・カタストロフというのは、あったのだろうか? (トバ・カタストロフがあったとすれば、両者の時期が一致することは自然に説明される。)
実は、この問題には、うまく答えることができる。こうだ。
「気温の低下によって、海水の低下があり、アフリカの角から海峡を渡ることができた」
つまり、次の論理的順序が成立する。
寒冷化 → 氷山・氷河の拡大 → 海水面の低下 → 海峡を渡りやすくなる → アフリカの角から海を渡れる。
このことについて論拠を求めてググったところ、海水面の低下については、次のような数字を得ることができた。
海面が今より80メートルも低下していたので、紅海を歩いてアラビア半島まで渡ることができた。
( → ブログ記事 )
この記事では、地続きになっていたことになる。
一方、Wikipedia には、次の記述がある。こちらの記述では、地続きにはなっていない。
約20万年前に東アフリカの大地溝帯で誕生した現生人類は、約7万年前の最終氷期の始まりにより気候が乾燥化し、草原および狩りの獲物が減少したために移住を余儀なくされ、海水準が降下したためにバブ・エル・マンデブ海峡の幅が11kmほどに縮まった時に、海峡を通じてアラビア半島南部へ渡ったとする仮説がある。
海水準の低下によりアラビア半島南部沿岸は今よりも陸地が広く、インド洋のモンスーンを水源とする、淡水の湧くオアシスが点在し、それを頼りに海岸沿いに移動したとされる。現在のイエメンからオマーンにかけての陸地に、約7万年前から約1万2000年前までの間、人類が住んでいた痕跡がある。
( → バブ・エル・マンデブ海峡 - Wikipedia )
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結局、トバ・カタストロフなどは、なかったのだ。単に、氷河期に海峡の幅が縮まったせいで、アフリカの角から出て、出アフリカができるようになっただけだ。ただ、そのときに出アフリカをした人々の個体数が少なかったせいで、その子孫の DNA の範囲も限定的になってしまったわけだ。
【 関連項目 】
出アフリカや、その後の人類の移動については、下記項目を参照。
→ 人類の進化(総集編) 2
→ 人類の移動 2
→ 人類の出アフリカ
文献は多数ありますが、たとえば、下記 PDF の 65〜66頁。
→ http://race.zinbun.kyoto-u.ac.jp/previous/058-067.pdf
なお、変異が大きいことの理由は、他にも理由が考えられます。この件は、下記で。
→ http://openblog.meblog.biz/article/10867051.html
気温低下もさることながら、火山灰により
日照が低下して植物の光合成活動の低下。
降灰による土壌の酸性化 植物の窒息による激減。
そちらの方が大きい影響になるように思います。
当然ながら火を起す技術では対応できません。
世界地図を見て、この川はなだらかだから滝はない、とは言えないですよね。
火山噴火による温度低下は数か月単位で発生し、現地に居住していた人類集団の数を激減させるのには十分でしょう(どの学説も「絶滅」とは言っていない点に注意)。
(熱帯で)31度が 26度になると人口が激減する……としたら、温帯や寒帯には人が住めないんじゃないの?
現実にはネアンデルタール人でさえ、寒い領域に住める。火があるんだから。
原人ならばともかく、賢いホモ・サピエンスが、26度で生きられないはずがない。
だったら、われわれは存在していないことになりますね。
> ネアンデルタールは衣服をきていず、オラウータンのように毛だらけだったのでしょう。
残念でした。
http://j.mp/2AqJOCR
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参考:
「ネアンデルタール人も間違いなく衣服を着ていた」
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8356/
地球温暖化で熱帯雨林の昆虫が激減して生態系全体に大きな影響を与えている
https://gigazine.net/news/20181017-massive-insect-loss/
>a.7万4000年前に最終氷期が始まり,7万3000年前のトバ山大噴火で一気に世界中の気温が下がり,ホモ・サピエンスの個体数は世界中で数千頭にまで激減。
ちなみに,この時代のホモ・サピエンスの脳容量は1350gと現代人と同じだったが,使っていた石器は150万年前と同じハンドアックスだけだった。生活パターンは遊動・狩猟採集型だった。
>b.温暖な地域のホモ・サピエンスのみ生き残り,生存に適した場所に集まって暮らすようになった。局所的人口密度の増加が中脳A-10細胞を刺激し,その結果,ドーパミン分泌が増加して前頭連合野を刺激。
>c.7万年前ころから新型石器が作られ始め,寒さを防ぐために衣類を着るようになる。5万年前から石器の種類が一気に増え,細工も精緻になっていく。
http://www.wound-treatment.jp/new.htm#1222-3
トバ火山の大噴火で気温が低下する
↓
昆虫の数が減る
↓
脂質・タンパク質の補給源が昆虫だったホモ・サピエンス、飢える
↓
温暖な地で生き残ったホモ・サピエンス、人口が回復し若年層の比率が上がる
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体重の割に体力があり移動力が高いホモ・サピエンス若年層、生き易い所に集中する
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進化ではなく進歩が始まる
こんなイメージが湧きました
それ、全部間違いです。まずは本文を正しく読みましょう。
どっちのこと? トバ・カタストロフの方なのか、それへの否定の方なのか、どっち?
ま、どっちにしろ、仮説です。前者は広く知られた仮説。後者は私の考え。(冒頭に書いてある通り。)