故意にやったのか、偶然的に一致しただけなのかは、客観的には判別しがたい。本人だけが知っている。だから、本人の自白を待つのが最適だ。
だが、本人が「やりました」と自白したのならばいいが、「やっていません」としらばっくれている場合には、故意か偶然かは判定しがたい。……こうして、「わからない」というふうに迷宮入りになりがちだ。
ところが、である。ここで、犯罪心理学の方法を取ると、本人が嘘をついているかどうかがわかる。
以下では、今回のパクリ事件に関して、具体的に言おう。
──
(1) トートバッグ
トートバッグについては、完全にパクった(画像が完全に一致した)という動かぬ証拠があったので、本人もパクリ行為を認めた。ただし、パクったのは部下であるとして、責任を転嫁した。
(2) 五輪エンブレム
五輪エンブレムについては、「ただの偶然だ」と徹底的に抗弁した。実際、そういうこともありそうなので、他人が「これは絶対にパクリだ」と決めつけることはできない。この件については、咎めないでおくのが妥当だろう。
(3) その他のパクリ容疑
他にも、パクリ容疑がいろいろとある。下記に記してある通り。
→ パクリの証拠画像 一覧まとめ
これらのうち、多くについては、本人は知らんぷりをしている。(パクっていませんと強弁するだけである。)
たとえば、現在、トートバッグは次のものが(取り下げられずに)残っている。
→ サントリー公式
ここの画像と、上のパクリ一覧の画像を比べると、いくつかのデザインが取り下げられずに残っているとわかる。
No.4 スイカ
No.17 BBQ
No.25 黒猫
などだ。
また、例の |●● デザインについても、本人は知らんぷりをしている。
このように「疑わしいものについては知らんぷりをしている」「パクっていないということを個別に実証しようとしていない」という点がある。…… (A)
──
さらに、次のことがある。
徒歩で会場入りした佐野氏は、報道陣のカメラを目にするなり「撮らないでもらえますか」と不機嫌な表情。呼びかけには応じることなく、中へと入った。
騒動を受けて、過去の佐野氏の作品についても模倣したようなケースがないかすべて検証したといい「すべておさらいしましたが、(サントリーの件以外は)何一つなかった」と断言した。
佐野氏がデザインした東山動植物園(名古屋市)のシンボルマークが、中米コスタリカの国立博物館のマークに似ているとの指摘があり、同園がマークを提案した企業に事実関係の調査を依頼したことが判明。この件についても、広報担当は「模倣という認識はありません」と否定した。
講演会に出席した男性によると、佐野氏が講演で今回の騒動に触れることはなかったという。佐野氏は終了後も報道陣に対応することはなく、タクシーで会場を後にした。
( → 2015年8月18日18時26分 スポーツ報知 )
ここではすべて、広報担当が釈明している。本人が説明することは、一切なかった。 …… (B)
また、次のこともある。
「パクリ行為によって東京五輪の関係者に多大な迷惑をかけていることの謝罪がない。むしろ、パクリではないがゆえに五輪エンブレムは問題ないというふうに強弁する」 …… (C)
──
以上の (A)(B)(C)から推定できることがある。こうだ。
「パクリの疑惑があるいくつかの未定の作品について、本人はパクったことを自覚している。偶然的に一致したのではない、とわかっている」
なぜか? 以上の(A)(B)(C)の反応は、
「本人はパクったことを自覚していて、あえて嘘をついてゴマ化そうとしている」
というときの行動パターンに、きっちり一致するからだ。
・ 自己の正当性を必死に強弁する。
・ 問題視されていないことについては、なるべく知らんぷり。
・ 自分の方から積極的に細部を説明しようとしない。
・ 自分の口によって説明しようとしない。他人任せ。
・ 自分の写真の撮影を拒む。
これらはまさしく、嘘つき犯罪者の行動パターンだ。(真相を隠して、虚偽を訴えようとしている、という行動パターン。)
──
一方、冤罪の正直者の場合は、どうなるか? こうだ。
・ 疑惑を受けたことで、予想外のショックを受ける。(激痩せ)
・ しばらくしてから、ようやく説明する。
・ 説明するときは、自分の口で説明する。
・ あらゆる疑問について、細部まで答えようとする。
・ 質問者に対しては、まっすぐ正面から答える。
・ 自分は嘘をついていないという揺るぎない信念がある。
・ 自分は悪をしていないという揺るぎない自信がある。
・ 自分の正当性を訴えるよりも、真実を知ってほしいと願う。
・ 疑われたことに、強い悲しみを感じている。
・ それでも、関係者に迷惑をかけたことを謝罪する。
・ 誠意を尽くして真実を示すことで解決すると信じている。
このような対応をした人は、いるか? いる。STAP細胞事件の、小保方さんだ。小保方さんは、そういう方針を取った。
仮に、今回のパクリデザイナーが「自分は潔白だ」と信じるのならば、上記のような態度を取っただろう。特に、次のように言明しただろう。
「いくつかのデザインでは、偶然的にデザインの骨幹が似てしまいましたが、それはあくまで偶然です。決してパクリではありません。たとえば、この作品には、このような下書きアイデアをたくさん描きました。これらのラフスケッチを見てください。ほら、同じようなものがあるでしょう? 決してパクリではないという証拠がこれらのラフスケッチです。これもそうです。これもそうです。(実例多数を呈示。)
私は潔白です。決してパクリをしていません。信じてください。
それでも、私の才能が足りないがために、多くの疑惑が生まれて、五輪組織委の方々に迷惑をかけたことについては、申し訳なく思います。このように迷惑をかけたことについては、深く謝罪します。そして、こういう迷惑をかけた以上は、五輪エンブレムの採用が取り消されたとしても、一切文句を言いません。取り消された場合には、賞金も返上します。また、場合によっては、取り消されなくても、賞金を返上しても構いません。私が今回のエンブレムに応募したのは、決して金目当てではないとわかってほしいからです。
ただ、どのような犠牲を払ってもいいので、たった一つ、私の言葉を信じてください。私は決して、パクリをやっていません。ただの一つも、パクリをやっていません。サントリーのバッグの件では、部下のパクリを見逃しましたが、私自身は決して、ただの一度もパクリをやっていません。そのことだけは信じてください。真実はただ一つです。私は決して嘘を言いません。どうか信じてください。
本日は長々とお話を聞いて下さって、ありがとうございます。そのことにお礼申し上げます。また、私のせいで、全国の皆様をお騒がせしたことには、お詫び申し上げます。
ただ、それでも、たった一つだけ信じて下さい。私は決して嘘を言っていないということを」
これほどのことを上手に語ったなら、本当に無実であるか、よほどの役者であるか、どちらかだろう。そして、よほどの役者であることなど、まず、あり得ない。ゆえに、そう語ることができたなら、彼は無実だろう。
しかし、彼は、そう語らなかった。むしろ、しらばっくれて、逃げ回った。……とすれば、彼がパクったかどうかは、もはや、彼自身が自白したのも同然なのである。
[ 付記 ]
「簡潔な幾何学的なデザインでは偶然的に一致することはある」
というふうに擁護する人々もいる。なるほど、その説は、成立するかもしれない。しかし、
・ そういう一致の例があまりにも多すぎる。
・ 以後の態度が、上記で示した通りの態度だ。
という二点によって、「偶然による一致」という解釈は、もはや成立しそうにないのである。

「一方、冤罪の正直者の場合」の例として「このような対応をした人は、いるか? いる。STAP細胞事件の、小保方さんだ。小保方さんは、そういう方針を取った。」と例を示しておられます。しかし、小保方さんは、データの改ざんを行ったと判定され、嘘をついたことになってます。
したがって、管理人度の挙げた「冤罪の正直者の場合にとった行動」では嘘つきかどうかは、判断できないのでは?
どのように説明されるのでしょう?小保方さんはデータの改ざんを行わなかった、あれは事故だ、エラーだということはなしですよ。増殖曲線のグラフとかメチル化の実験結果、テラトーマの結果は捏造と判定され、電気泳動のレーンの切り貼りも改ざんとされており、本人も異議をとなえていませんからね。
小保方さんの精神構造に原因があるとしてもいいですけど、判定の基準にならないと思えます。
「故意なのか、偶然的なのか? 心理学の方法を取るとわかる。」というテーマですので、小保方さんの場合は偶然をhonest errorに置き換えたと考えてのことです。
サイト内検索でもして、読み直して下さい。たとえば、
→ http://openblog.meblog.biz/article/21510908.html
簡単に言うと:
「無から有を生み出した捏造ではなくて、すでにあるデータを少し加工しただけ。本人の意識では、見栄えを良くしただけで、真偽には影響しないつもり」
正確さを重視するという意味の科学的倫理からは逸脱していますが、無から有を生み出した捏造ではありません。捏造というよりは、データの恣意的な加工というべき。そのうちのいくつかは、真偽には影響しなかった。
これをもって「捏造」というふうに呼ぶのは、針小棒大に誇大表示していることになるので、「捏造」と呼ぶ人自身が捏造していることになる。ありもしない捏造を「ある」と見なしているからだ。その意味で、あなたもまた、ありもしない悪を捏造していることになる。(このような誇大表示は、科学的に倫理にも反する。)
> honest error
こういう発想をするところが、捏造論者の根本的な勘違い。エラーは honest なものだと思い込んでいる。ところが、STAP 事件の場合は、そうではなかった。「意図的なミス」が起こった。
この「意図的なミス」という言葉を聞いて、「何だそれ。そんなものがあるわけがないだろ」と混乱してしまうのが、捏造論者の根本的な限界だ。詳細は
→ http://openblog.meblog.biz/article/24448484.html
→ http://openblog.meblog.biz/article/22813112.html
──
なお、あなたは誤解しているけど、本項の話題は「小保方さんは捏造をしたか否か」ではなくて、「小保方さんは正直に語っているか否か」です。彼女が何らかの脳内妄想を信じていて、それを正直に語っている、ということは否定していません。本項では単に「彼女は自分の信じていることを正直に語っているのであって、腹黒い嘘つきではない」と述べているだけです。
これを「捏造しているか否か」というふうに誤読するとしたら、捏造論者は、やはり誤解や誤読をする人だらけだ、ということになる。
犯罪心理学的には、小保方さんは自分の思うところを正直に語ったということで了解しました。
「本当に無実であるか、よほどの役者であるか」であるので、小保方さんは、”無実”ではなかったわけで、よどの役者ということになります。しかし、多分、小保方さんは役者ではないので、「病的な妄想がある」というもう一つの場合も、本文に加筆されたらどうでしょ?
自分でデータを捏造した(増殖曲線やメチル化など)にもかかわらず、これは「上司の意図に沿ったミス実験(http://openblog.meblog.biz/article/24448484.html)」であるという管理者殿の主張には納得ができないのですが、今回は直接関係ないので議論しません。
こういうのを捏造というのでは? 人に対することだから誹謗かな?
診断書などの証拠があっていってるのかな? 正確な病名は何だろう?
でもこういうのは、証拠があっても無くても名誉毀損罪だと思うなぁ。ただ、証拠が無い場合はそれに加えて妄想癖があるかなぁって感じ?
犯罪者って怖いね?
リンクをもう一つ示したので、そちらをご覧ください。
→ http://openblog.meblog.biz/article/22813112.html
> 自分でデータを捏造した(増殖曲線やメチル化など)
捏造じゃないでしょ。
(1) 増殖曲線は、単にグラフの補間をしただけ。やってもやらなくても、結果は同じ。黒を白にしたのではなく、灰色っぽい白を真っ白にしただけ。結果には影響しない。データの加工という意味で、やってはいけないことだが、黒を白にする捏造ではない。また、肝心の実験そのものは、存在した。架空のものではない。
(2) メチル化も同様だ。「これは捏造だ」と結論した論拠となる実験データは、まさしく小保方さん自身が行った実験のデータだ。
→ http://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/1412/26/l_yuo_chosa_06.jpg
とすれば、「捏造だ」ということの根拠を小保方さんに依存しているわけで、論拠としては自己矛盾に当たる。非論理。
「こいつは嘘つきだ。なぜならこいつ自身が自分は嘘つきだと証明しているからだ」
これは自己言及文のパラドックスであり、論理として成立しない。こんな非論理的な理屈で「捏造だ」と決めつけている連中こそ、捏造しているも同然だ。
では、真相は? これは捏造ではない。なぜなら、実験は架空ではなくて、まさしくなされた実験だからだ。ただし、実験から得られたグラフは、実験結果とは一致していない。つまり、実験からグラフにする過程で、エラーが起こった。
ではなぜ、エラーが起こったか? これは先に示した通り。つまり、「意図的なミス」だ。
→ http://openblog.meblog.biz/article/22813112.html
→ http://cruel.hatenablog.com/entry/2015/08/19/124413
事実とは正反対の誤報。ものの英文を正反対に誤訳している。
なぜそんな馬鹿げたことをしているのか? 読者に指摘されれば一発でバレるような誤訳を、なぜやるのか? 恥をかくだけではないのか? ……そう思うだろう。
しかし、これは簡単だ。「事実はこうあるべきだ」というふうに勝手に思い込んでいるから、「これは青い」という文章を読んでも、「これは赤い」というふうに勝手に読み替えてしまうのだ。もともとそういう概念に頭が染まっているから、そのフィルターを通して、文章を歪めて理解してしまうのだ。
実は、こういうことは、しばしばある。相手の言い分を勝手に誤読して批判する、というやつ。藁人形論法。本サイトを批判する人は、たいていがそうだ。
上のコメントもそうだ。「小保方さんは嘘をついていない。正直に語っている」という文章を、「小保方さんは捏造をしていない」というふうに誤読する。自分の思い込みに合わせて、文章を勝手に読み違えてしまう。……こういう例は、枚挙に暇がない。
そして、小保方さんがやったことも、これと同じだ。データを正しく読み取らず、自分の思い込みに合わせて、データを歪めてグラフにしてしまう。本人は正しいことをやっているつもりだが、頭にフィルターが入っているので、グラフ化の操作を歪めてしまう。……これは、ありもしないデータから架空のグラフを捏造する、というのとは、まったく異なる原理だ。
この違いを理解できない人が多すぎる。だから、この世には、相も変わらず、エラーによる事故が絶えない。誰かがエラーを起こしたということを理解できないからだ。かわりに「悪意ある犯人の故意の破壊行為」ばかりを求めているからだ。
原発事故もまた同じ。「菅直人のせいだ。こいつの悪意のせいだ」なんて馬鹿げたことを言っているから、自民党政権(特に第1次安倍政権)の原発安全管理のミスを見失う。
STAP 細胞で真実を見失うのも、原発事故で真実を見失うのも、どちらも同じ原理だ。人々はいつも勝手な思い込みを信じる。ゆえに事故はなくならない。
そう主張されるのはかまいませんが、「捏造じゃないでしょ。」については納得できないです。
(1) 増殖曲線
捏造の定義を「白楽ロックビルのバイオ政治学」http://haklak.com/?page_id=2102にある文部科学省の定義に従うと「存在しないデータ、研究結果等を作成すること。」ですので、データの補完は捏造です。グラフの幾つかの点は創作したからです。結果に影響があったかどうかは、捏造か改ざんかの判定とは関係ないです。
研究論文に関する調査報告書(桂委員会)http://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf 18ページでも捏造と断定しています。
決して、上司のSTAP細胞の増殖曲線がES細胞の増殖曲線と類似すべきだという示唆に一致したエラーによる結果がたまたまでたのではないですね。意図にしたがった点を創作したんですね。
(2) メチル化
改ざんが同上の定義では「研究資料・機器・過程を変更する操作を行い、データ、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること。」ですから、文字通り白を黒にあるいは逆にしたので、改ざんです。小保方氏の聞き取り調査から、「メチル化のデータを取りまとめる際に、仮説を支持するデータとするために意図的な DNA 配列の選択や大腸菌クローンの操作を行ったことが確認された。(同上報告書20ページ)」
と捏造と判定されています。捏造と改ざんは実際には区別しがたいところがあるという上記の「白楽ロックビルのバイオ政治学」をご覧ください。
これもエラーでたまたまできたものを採用したわけではないですね。
これらの判定結果に小保方氏は異議をとなえていません。
「「捏造だ」ということの根拠を小保方さんに依存しているわけで、論拠としては自己矛盾に当たる。嘘つきが言ったことに依存している=自己言及文のパラドックスで論理として成立しない。」は、小保方氏が必ず嘘をつくから、小保方氏の自供に依存するのは非論理的であるということでしょうか?
もしそうなら、小保方氏が常に嘘をついているという根拠を教えて下さい。小保方氏は捏造・改ざんをした=嘘をついたが、指摘されたら正直に白状したと言うのが素直な解釈ではないでしょうか?STAP細胞の存在を信じているがゆえに、キメラができたという最終的なそして最大の(本人だけが信じている)証拠があるので、その補足データには嘘をついたというのが単純な推測です。
この議論は、管理者殿のブログでさんざん議論されたようです(大量にあって読みきれない)ので、蒸し返しになるのでしょうから、ご返事は不要です。管理者殿のご意見は私を納得させることができなかったということで、私を、藁人形論法の捏造派と判断されてかまいません。これでおしまいですね。ながなと、失礼しました。
(なんでエンブレム問題からこんなことになったんだろ?)
まあ、これは定義しだいで、どっちにでも決められるから、決着は付かないでしょう。
私が言っているのは、「この程度のポカで、日本中で大騒ぎする必要はない」ということ。「笹井さんという天才的頭脳を殺すほどにも狂気的に騒ぐ必要はない」ということ。
私がこの件で主張しているのは、「捏造か否か」ではなくて、「捏造だ捏造だと大騒ぎするべきではない」ということです。
→ http://openblog.meblog.biz/article/23307046.html
→ http://openblog.meblog.biz/article/23295937.html
つまり、小保方さんを擁護しているのではなく、小保方さんを攻撃する社会のヒステリー状態を批判している。たかが一個人の研究のミスにすぎないのに。
(せいぜい研究費が無駄になったということぐらいだ。だが、研究費が無駄になるのは、どの分野でも多大にある。研究費が無駄になったからといって社会的に弾劾することになったら、日本からは研究が消えてしまう。)
一方、新国立競技場や、五輪エンブレムは、五輪という兆円規模の国家事業であるがゆえに、一個人の研究ミスなんかとは雲泥の差があります。
明確な線引き出来ないし外からはやはり解らないですよね。
ルパン三世や天空の城ラピュタに出て来る空飛ぶロボットは、フライシャーのスーパーマンからの引用です。オマージュと云うのでしょうか。宮崎駿さん風に仕上げられていますが基本的に同じものです。大方の人はさすが宮崎さんと思うのかもですが発想は別の人のものです。宮崎作品で古典アニメからの引用は他にもありそうです。でもそれを知っている人達があそこからパクッたと責める事はしない。大概は原形が判らぬくらいに咀嚼されているし引用の仕方がうまいから。オリジナルを尊重しあるいはそれを超えるものを表せば受け取る方も納得もするのですが。
最終的な答えは御本人の胸の中にある。良心の呵責を感じてないのがそもそもアウトでしょう。本音はその後の対応にどうしたって出てしまう。自分の仕事に誠意があるならば、管理人さんの言う通りの態度を示せるとやはり思います。
百パーセントオリジナルな発想というのは無くてどこかしら似ていて当たり前ではあるのですが、アーティストがそこにあぐらをかいて開き直っていてもいつかは精算しなければならなくなる。世間は甘くないとも云えるしまた別のお話では武士の情けも失ってしまったようです。何でもかんでも責めて潰せばいいってものでもない。
アイデアは著作権の対象とはならないので、発想が似ていることは問題とはなりません。芸術は模倣から始まる、とゲーテも言っている。ゲーテの代表作のファウストも、シェークスピアの代表作のリア王も、独自の発想によるのではなく、当時の別人のアイデアをパクったものです。リア王は他人の作品のストーリーをかなり大幅になぞっているし、ファウストは当時のファウスト伝説みたいなものに依拠している。他に、吸血鬼というテーマでもたくさんの芸術作品ができている。
このように、芸術において、アイデアを模倣することは、ごく普通にあります。しかしながら、アイデアは著作権の対象になりません。芸術はあくまでも表現 expression の問題です。
参考: http://yourei.jp/expression
佐野さんの場合も、アイデアではなくて、表現そのものが問題となっています。表現の核心となる部分の類似性。
たとえば、 |● の場合、このような表現要素がそっくりそのまま共通して使われているし、それで文字を示すという基本原理が共通している。
アイデアを模倣したというよりは、片方をちょっとアレンジしただけで、他方ができてしまう。表現の全体がほとんど共通している。
例。
スーパーマンとアンパンマンは、アイデアがそっくりだが、パクリとは見なされない。
スーパーマンの初代と、現代版とは、衣装が大幅に違うが、パクリと見なされる。(原作者の許可つきのパクリ。原作は、初代の映画ではなくて、漫画。)