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佐野研二郎や森本千絵の絵画が「パクリだ」「コラージュだ」というふうに話題になっている。しかしもっと興味深い話題がある。「レカミエ夫人」の絵画だ。これがコラージュである疑いが強い。
まずは、次の画像を見て欲しい。

この絵を見て、人間として不自然なところを感じるだろうか? 「こんな人間などはあり得ない」というところは見つかるだろうか?
ま、特に不思議なところはない、と思うのが普通だろう。
では、そのあとで、次の画像を見てほしい。この画像に、人間として不自然なところを感じるだろうか?

たぶん感じるはずだ。それは「首が異様に長すぎる」ということだ。また、「首が太すぎる」ということもある。
ちなみに、自分が同じ姿勢を取って、その姿を鏡に映してみてほしい。このように根元が太すぎて、しかも首が長すぎる、ということは、とうていあり得ないとわかる。
では、上の二枚のうち、どちらが本物か? 「上の方が本物だ」と言いたいところだが、上の方は私が加工した画像であり、下の方が本物だ。
さて。この二枚の絵を比べてみよう。


上 下
すると、次の疑惑が湧く。
「この絵は、本人を写生した肖像画ではない。あらかじめ別人にこのポーズを取らせて写生したあとで、顔の部分だけ、あとから描き足したものだ」
要するに、コラージュ画像である。そういう疑惑がある。
この疑惑が妥当であることは、次の点からも明らかになる。
「この顔はこちら(画家の方)を向いている。しかし、首は、体の正面(画面の右方)を向いている」
わかりやすく言おう。仮に女性に喉仏があったとする。その喉仏の位置(つまり首の前側の位置)は、絵画を見る限り、画面の右方を向いている。また、項[うなじ]の位置(つまり首の後側の位置)は、絵画を見る限り、画面の左方を向いている。
しかしながら、顔がこちら(画家の方)を向いている限りは、喉仏の位置(つまり首の前側の位置)もまた、顔と同じ方向を向いている必要があるのだ。絵画で言えば、喉仏に当たる位置が(こちら向きに)はっきりと見えているはずなのだ。しかるに、そうなっていない。
つまり、顔の方向と、首の方向とが、ズレている。これは、首を描いたあとで、顔だけがコラージュふうに加筆されたということを意味している。
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結局、顔の位置(高すぎる)からしても、首の太さからしても、首の方向からしても、首以下の部分と、顔とが、一致しない。両者は分離している。つまり、顔はあとから加筆されたものである。
以上のことから、レカミエ夫人の絵画はコラージュであることが証明された。……ただし、そのコラージュは、他人の描いたコラージュではなくて、画家自身が描いたコラージュだ。そこでは、「二枚の絵画を一枚に合成する」という手法のかわりに、「二人の人物を一枚に合成する」という手法が取られた。
これがレカミエ夫人の真相だ。
【 関連項目 】
ゴヤの「裸のマハ」という絵画にも、同じ疑惑がある。これについては、次項で説明する。
→ 裸のマハはコラか?
