家族とは何かは、子供にとっては理解しがたい。大人になって初めて理解できるものだ。 ──
家族とは何か?
子供にとっては、家族というのは、あって当り前のものだ。そもそも、父や母がいたから、自分は生まれた。自分が生まれたということは、父や母がいるということであり、家族があるということだ。家族というのは、元々あるのが当然であり、普段は意識しない。それはいわば空気や大地と同じようなものだ。
子供が意識するのは、父や母や兄弟姉妹との個別の関係だ。父との関係。母との関係。兄や弟との関係。そういう個別の関係があるだけだ。
そして、この個別の関係は、決して否定されることがない。父との関係も、母との関係も、兄弟との関係も、否定されることはない。たとえ離婚のようなことがあったとしても、父が自分を産んだ父であること、母が自分を産んだ母であることは、決して否定されることのない事実だ。それは大地と同じように揺るがしようのない事実だ。
そういう個別の関係(絶対的な関係)があるだけで、ことさら家族という全体を意識することはない。
父母にとってはどうか? 事情はまったく一変する。
実は、家族のなかで唯一、血のつながっていないのが、父母だ。父母は元々まったくの赤の他人であり、血のつながりはない。仮に、離婚すれば、また元のように他人同士になってしまう。(下手をすると他人よりもひどい「敵」のような状態になる。)
このように他人同士である父母をつなぎ止めるのが、子だ。良く言われるように、「子はかすがい」なのである。
父 ── 子 ── 母
こういう形で、子を経由して、父と母は間接的に結びつく。そして、子というものがいなくなれば、父と母の結びつきはただの心理的なものだけになってしまう。今日は愛しあっても、明日は憎みあうかもしれず、そうだとすれば、あまりにも脆(もろ)い関係であるにすぎない。実際、そのような脆い関係は、世間の恋人同士にしばしば見られる。最近でも、有名な男性芸能人や女性芸能人が、恋愛関係が壊れて、別れてしまった。(特に名を上げないが、毎年毎年、同じようなことがたくさん起こっている。)
男と女の心の結びつきは、これほどにも脆い。どれほど深く愛しあっているとしても、それは脆い。その脆さは、子が父や母に感じていた絶対的な信頼性とは、まったく正反対のものだ。
ここまで理解すれば、本質がわかる。
子にとっては、家族というものは絶対的なものである。自分を中心として、父と母との絶対的な関係があるからだ。
父 ── 子 ── 母
父母にとっては、そうではない。仮に子がいなければ、父母の関係は壊れやすいものだ。
父 ── …… ── 母
このような関係は、いつ壊れても不思議ではない。しかし、ここに子が入れば、この関係は強固になる。
父 ── 子 ── 母
こうして家族というものの意味がわかってくる。
家族というのは、父と母を結びつけている、全体的な構造なのである。結びつけるものは子であり、結びつけられたものは父と母だ。
そして、この関係は、たえず確認される必要がある。父と子や、母と子のような、個別の関係だけでなく、家族がそろっている全体的な場が確認される必要がある。
その一例が、食事をいっしょに取ることだ。
さらには、年に何度か、家族旅行をすることだ。
このようにして、家族の結びつきを得ることで、父と母とは強く結びつく。子を介在して。
しかしながら、子には、その価値がわからない。子にとって、家族というのは、空気や大地と同じように、当り前のものであって、いちいち意識することもない。意識するのは、父や母を失ったときだが、そのときにはもはや手遅れだから、そのときにも家族の意味を現実のものとして意識することはない。(失ったものとして意識することはあるかもしれないが。)
子にとっては、家族というのは、一時的な仮の場のようなものでもある。なぜなら、子がめざすのは、新たな異性と出会って、新たな家族を築くことだからだ。子にとって、今ある家族というのは、いつかは捨てるべきものなのである。そして、その日が来ることに憧れながら、将来の異性を夢想する。
「彼女と結婚して家庭を作りたいな」
「彼氏と結婚して家庭を作りたいな」
そんなふうに、新たな家庭を築くことを夢想する。その間、自分が今いる家族の大切さを意識することはあまりない。
だが、そんな子も、実際に結婚して家庭を持ったときには、家族の大切さを意識する。子が親となるとき(新たな子ができたとき)には、自分と配偶者とが、血のつながりのない他人であることを意識する。それを意識すれば意識するほど、家族というものの大切さを実感する。
しかしながら、その実感を、新たな子は理解してくれない。自分が父や母となって、家族の大切さを実感したときには、新たな子の方は家族の大切さを実感してくれないのだ。
因果は繰り返す。
──
家族というものは、子にとってと、父母にとってとでは、まったく意味合いが異なる。そのことを理解しよう。
そして、その上で、家族というものの大切さを、子に理解してもらえるようにしよう。……ただし、そのためには、子との親密な時間を長くもつことが大切だ。
あと、もう一つ。子供は、「自分は親に愛されていないのかも」と自信をなくすことが、よくある。だから、きちんと親の愛を伝えることも大切だ。
ただし、それは、甘やかすのとは違う。きちんと躾けることも大切だ。一方、やたらと厳しいと、子は「愛されていない」と誤解することはよくある。ここで悲劇が生じることもあるので、ご注意あれ。
ともあれ、子育てというのは、難しい。
【 関連サイト 】
漫画。
→ 手塚治虫の家族愛
→ ジョージ秋山の家族愛
→ 魔夜峰央の家族愛
2015年06月24日
過去ログ

育てていくのは大変ですが。
自分が親になり子どもを育てるようになって
初めて、自分の両親の偉大さがわかるように
なりました。
現在の日本のリーダーにはわからないでしょう
ね。若者や子供に冷たい政策をとってばかり
いますから。
子どもが可愛いという気持ちがわかりませんでした.子どもができて初めてそれが分かりました.自分の子どもだけではなく,他人の子どもも皆可愛いと思うようになりました.”分かる”時期というものがありますね.