「人文系科目の人を情報科学系に移せ」と前に論じた。下記。
→ 人文系学部を縮小するべきか?
→ 人口知能研究の遅れ
この延長上で、次のように提言したい。
「人文系のほか、社会科学系や、美術系も含めて、大学や専門学校の課程では、プログラム学習を義務づける。つまり、プログラミング言語を習得させる」
ここでは、特に高度なプログラム学習をしなくてもいい。とにかく、基礎的なことは一通り教えるべきだ。で、その後、全体の半分ぐらいの人は、まともなプログラム能力を獲得する。(他の半分は落ちこぼれ。)
で、いったんまともなプログラム能力を獲得したら、あとは、いざというときに、プログラム関係の方面の仕事に転向できる。つまり、食いっぱぐれがない。
このことは、次のような職種で有効だ。
・ 心理学、歴史学、哲学などの人文科目。
・ 美術、音楽などの芸術科目。
・ アニメーター、漫画家などの専門科目。
これらの分野で失業状態になったときに、プログラム能力を応用して、まともな仕事に就けるようになる。それが狙いだ。
──
具体的な例としては、次の人がいる。
「アマからプロに転じた将棋棋士の瀬川晶司」
この人は、プロをめざして奨励会に入っていたが、プロになれず、退会した。その後、司法試験をめざしたが、合格できず、情報系の会社の営業システムエンジニアとして勤務した。(その後、プロ編入試験に合格。)
ともあれ、いったん奨励会から退会したあとで、営業システムエンジニアとして勤務することができた。たぶん、いちからプログラムを勉強したのだろうが、ともあれ、プログラム能力を使って、まともな社会人として働くことができたわけだ。
一方、対照的な例もある。
「アマからプロに転じた将棋棋士の今泉健司」
この人は、プロをめざして奨励会に入っていたが、プロになれず、退会した。(ここまでは同じ。)その後は、調理師としてスパゲティを作っていたが、それもうまく行かなかったらしく、介護士に転じた。
しかし、介護士というのは、薄給で有名な職業だ。この人は、すごく優秀な頭脳を持ちながら、介護士という肉体労働をすることになった。実にもったいない。プログラム能力を学んでいたら、そんなこともなかっただろうに。(ちゃんと持てる能力を使ったはずだ。)
だが、もっとひどい例もある。「プロになれなければ自殺する」という絶望だ。
三段のまま退会するハメになるんじゃないかと、恐怖に駆られる。もし奨励会を退会するようなことになれば、ぼくは死ぬ以外に無い・・・四段にもなれず故郷に帰るわけにはいきません。退会イコール『死』です。
( → 将棋ペンクラブログ )
こう思ったのは、名人戦で羽生名人と戦った行方(なめかた)尚史八段だ。これほどの高段者ですら、若き日には「プロになれなければ自殺」とまで思い込んでいたのだ。
なぜ? 将棋以外に生きる道がなかったからだ。換言すれば、プログラム能力を学んでいなかったからだ。もしプログラム能力を学んでいたら、「プロになれなかったらプログラマーになるしかないな」と思って、それで済んでいたはずだ。決して自殺なんていう発想は生じなかったはずだ。
上の話を見て、「極端な例だし、ただのたとえだろ」と思うかもしれない。しかし、違う。実際に「自殺」を本気で考えた人がいる。上記の瀬川晶司だ。彼は奨励会を退会になったとき、自殺を実行する寸前まで追い込まれた。本人が語っている。
頭の中はいろんな思いでパニック状態でした。奨励会を退会となった以上、もうプロには絶対になれない。
プロ棋士を目指したこと自体も悔やみました。なぜそんなリスクの高い生き方よりも、みんなと同じように大学へ行って、会社に入ってという普通の人生を選ばなかったのか。本当に、12年間、将棋なんかやらなきゃよかったって思いましたし、自分がやってきたこと全てが無駄だったっていう気になりましたね。
それは単なる挫折感というような生易しいものじゃなかったです。なんていうかもう、自分の人生が終わったような感じでしたね。小学生のころから将棋にすべてを賭けてきた身にとっては、将棋がなくなったわけですから、自分には何もない、もう本当にゼロなんです。自分の体をぐちゃぐちゃにして、消し去りたい衝動に駆られるほどでした。
実際に、何回目かの往復途中で、横断歩道で信号待ちをしている時に、「もうこうなってしまった以上、生きていてもしょうがない。死んでしまおう」と思って、道路に足を踏み出したんです。そして向かってくる車に飛び込もうと足に力を入れた瞬間、親や兄弟の顔が思い浮かんだんです。僕がこのまま死んじゃったらみんな悲しむだろうなって思ったら、飛び込もうとしていた足から力が抜けたんです。あの時はもう、そんなことをしそうになるくらい、絶望感でいっぱいだったんでしょうね。
( → 瀬川晶司の言葉 )
日本の将棋のプロ組織(日本将棋連盟)は、何と罪深い存在だろう。日本でもトップクラスの優秀な若者たちを、次々と絶望に追い込み、自殺寸前にさせている。実際に自殺した人もいるかもしれない。(報道されていないだけで。)
とすれば、こういうことのないように、プロになれなかった場合に備えて、プログラム学習の過程を用意するべきなのだ。
なるほど、今だって、個人的にやれば、習得はできる。しかし、個人レベルでやれば、やった人だけが損をする。(将棋を研鑽する時間が減るから。)
だから、奨励会の全員に対して、プログラム学習を講習するべきだ。それで一定以上の成績を収めない限り、プロ昇格ができないようにするべきだ。……これならば、「プログラムを学んだ人だけが不利だ」という状況を解消できる。かくて、自殺者を予防できる。
──
将棋の棋士だけでない。他の多くの分野で、同様のことが言える。だからこそ、プログラム学習を、あらゆる学習過程で義務づけるべきだ。
それが不要なのは、頭脳労働者以外、つまり、高卒以下の人だけだ。このような人は、肉体労働者として、介護士などとして働けばいい。そういう人なら、プログラム能力を学ぶ必要はない。
【 関連項目 】
将棋の棋士の話(奨励会からプロになれなかった場合の話)は、前にも論じたことがある。
→ 将棋界の人材浪費をするな
※ ここで提案したのは、「プロになれるのは 20歳以下」という年齢制限。
そういう案もある。それはそれ。本項とは別の形。

強制的にやらせる教育が、なぜプログラミングなのかがわからない。他にいくらでも生きていくスキルはあるでしょう。例えば、なぜ簿記会計ではないのか。
そしてpivottableなどの処理、検索の仕組みを理解すればデータベースの取扱いにもたけるでしょう。
前にも述べたけど、エクセルなどのマクロを使えるようになれる、ということ。Perl などで情報処理ができるようになる、ということ。企業の実務で役立てる、ということ。
簿記会計は全員が学ぶ必要はない。技術者には不要。だけど、コンピュータを使う人なら、どの分野であってもマクロを使うことで能力がアップします。医者だってそう。マクロを使えば事務処理能力が向上して、カルテの管理が便利になる。
たとえば、一定の条件の患者を複雑な方式で自動処理して抜き出せる。
前に述べたことなので、そっちを読んでください。
→ http://openblog.meblog.biz/article/25742177.html
あと、簿記会計の分野こそ、エクセルマクロを使うことが大切な分野の筆頭です。この分野の求人がすごく多い。今は単に帳面を付けていれば済む時代じゃない。
ま、常識的には、好き勝手に選ばせたすえ、さまざまな言語に ばらける……というふうになるでしょう。
お薦めの言語は、世間で評価が出るでしょう。下記など。
http://java.it-manual.com/programming.html
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20010131/1/
こういうのは個別指導になるので、今の大学にそれだけの余力はないでしょうね。
個人的には、小学校のころの読書感想文の添削や中高での小論文の添削が一番いいかなと思っています。まぁ、中高だと全員が対象にならないので選ばれた人の個別指導的なところはありますが....。
私は、自習書(ドリルみたいなもの)を大学から与えられて勉強しました。教師はなし。自分で読んで、書いて、自習するだけ。それでも結構役立ちました。
今はもっと便利で、一人一台のパソコンがあって自習できます。プログラムを自分で走らせることもできます。余裕はたっぷりでしょう。PC 8801 の時代に比べれば、圧倒的に恵まれている。自習できないはずがない。
それだと、義務化でもなんでもない気がします。
という誰かがしそうなツッコミはおいておいて...。
自習の学習効果は人に依存すると思います。
自習で効果がでる人は社会にでて何をやってもそこそこ通じるでしょう。
大抵の人は、自習ではどうにもならなくて人に頼るんだと思います。
現在は、ネットの募集でPG関連の勉強会は頻繁にあるのでそちらに参加するのがより効果があると思います。
PG関連以外にそういった勉強会があるのかどうかは知りませんが、PG系にそういった機会があるという意味ではオススメできますね。
あと、今はパソコンソフトで個別学習です。といっても、教室でみんなでいっしょにやる。
→ http://www.selmo-machida.com/main/
プログラム言語の学習は、教師が講義して、生徒がノートを取る、という形では無理でしょう。生徒が自分で言語を書く必要がある。それは自習の形にならざるを得ない。
ところで、こんな細かい話をする必要はないんだけど。
それと、小生は、教師が講義してプログラム学習ができるとは記載しておらず、生徒が書いたプログラムを教師が添削して初めて意味があるとしています。この例が感想文や小論文の例えです。
まぁ、こんな細かいことを指摘する必要ないんだけどね。
添削なんか受けないでプログラムを習得した人はいっぱいいますよ。私もそうだし。基本は自分で書いてプログラムをパソコン上で動かすこと。パソコンでデバッグすること。教師は不要。デバッガーが教師役を果たしてくれる。
あなたもしかしてプログラムを書いたことがないんじゃないの?
これらは経験を重ねるとスッキリしてくるようになりますし、「みんなで一緒にやる」方が、全体学習よりも効果的でしょうね。「みんな」の中にTipsを指導できる人がいればいいでしょうね。そう考えると講義型セミナーではなく自習的なワークショップになりそうです。
プログラムが組める≒マクロが組める≒アルゴリズムが分かる30歳よりも、なんにも知らない22歳を取ると思うけどな〜。
もちろん何も知らない30歳よりはアドバンテージはあるでしょうけど・・・。
現実的に就職までは届かない気がします。
本項冒頭に書いてあるように、大学教育の話をしているのであって、対象はすべて新卒です。
30歳なら、判断基準は、プログラム能力じゃなくて、それまでの職歴です。ゆえに30歳の人は関係ない。