朝日の記事を引用しよう。
免震ゴムの性能データを偽装していた問題で、製品を開発する部門の担当者に加え、上司や同僚が問題行為を指示したり、不正を知りながら出荷を黙認したりしていた疑いがあることがわかった。開発部門が測定したデータをチェックする品質保証部も、データを書き換えていたことが判明。
報告書によると、品質保証部の担当者は、顧客からのクレームを避けるためや、事前に用意した資料に合うようにするためにデータを書き換えていた。
( → 朝日新聞 2015-06-22 )
つまり、「性能データを偽装していた」という捏造において、
・ 開発する部門の担当者がやっていた
・ 上司や同僚が問題行為を指示した
・ 不正を知りながら出荷を黙認した
・ データをチェックする品質保証部も、データを書き換えていた
というデタラメぶりだ。これこそ正真正銘の「捏造」だろう。
ひるがえって、STAP細胞事件においては、理研が「捏造」と理由としたことの根拠は、「実際に悪意をもって改変したこと」ではなくて、単にデタラメな左方による実験ミスにおいて、その実験をしていることを「知っている」ということを理由にした。「知っていることは、悪意があるということだ」という理屈。
これだったら、あらゆる実験はすべて捏造になってしまう。なぜなら、あらゆる実験は、実験者が「知っていて」実験をしているからだ。
なのに、(犯罪について)「知っていることは悪意がある」という法律用語を勝手に転用して、(実験ミスの実験について)「知っていることは悪意である」というふうに結論した。
本来ならば、(実験ミスだと知っていながら放置したとすれば)「知っていることは悪意である」というふうに結論するべきなのに、(実験ミスだと知っていなくとも放置したとすれば)「知っていることは悪意である」というふうに結論した。
肝心の話を ( ) 内に入れて、 「 」 内の文章だけで「知っていることは悪意がある」というに結論した。まあ、ひどい論理ペテンである。こういう論理ペテンで、理研はただの実験ミスを「悪意ある捏造だ」と認定した。
こういうインチキ論理に比べれば、今回の東洋ゴムの捏造が、本当の捏造であるとよくわかるだろう。
捏造であるか否かは、その実験について知っているかどうかによるのではない。その実験が虚偽であることを知っているかどうかによる。東洋ゴムの場合には、知っていた。STAPの場合には、知っていなかった。なのに、理研は全然別のことについて「知っていた」ということを理由に、「悪意がある」「捏造だ」と認定した。
かくて、理研の内部では、正しい実験でさえ、「知っていた」ことを理由に「悪意がある」「捏造」だと認定されてしまうことになる。……ひとたび実験ミスをしたならば、だが。
実験ミスをした人をすべて犯罪者扱いするような組織も、体制も、まったく科学とは無縁なのである。いや、理研だけではない。STAP事件で大騒ぎした人々の大半がそうだ。
【 関連項目 】
「悪意」「知っていた」という話は、下記項目で論じた。
→ 片瀬久美子の発言の検証(STAP) (コメント欄)
→ 《 お知らせ 》(故意と悪意)
悪意の場合は捏造である場合もあれば捏造とは
言えない場合もある ということですな。
「意図的なミス」という言葉を聞くと、たいていの人は「そんなことはありえないだろ」と思うから、勘違いする。
詳細は
→ http://openblog.meblog.biz/article/24448484.html