2015年06月16日

◆ 人文系学部を縮小するべきか?

 人文系学部を縮小するべきだ、という文科省の方針がある。これについてどう考えるか? ──

 大学の人文系学部を縮小するべきだ、という文科省の方針がある。
 文部科学省は27日、全国の国立大学に対して人文社会科学や教員養成の学部・大学院の規模縮小や統廃合などを要請する通知素案を示した。理系強化に重点を置いた政府の成長戦略に沿った学部・大学院の再編を促し、国立大の機能強化を図るのが狙いで、6月上旬に文科相名で大学側へ通知する。
 通知素案では、少子化による18歳人口の減少などを背景として、教員養成や人文社会科学などの学部・大学院について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むように努めることとする」と明記された。
 組織再編の動きはすでに出ている。弘前大(青森県)は来年4月から人文学部(3課程)を人文社会科学部(2課程)に再編。教育学部でも、教員免許を取得せず芸術や体育を学ぶ1課程を廃止し、2学部で定員を計150人減らす。一方、理系の理工学部と農学生命科学部の定員は90人増やす。
( → 産経ニュース 2015.5.28

 これに対して反対論も出た。
 日本学術会議が「(人文科学は)人間と社会のあり方を相対化し批判的に考察する」(提言)と指摘するように、人文科学系の役割は極めて重要です。
 多様な役割・機能を持つ大学を国が上から再編していくことは、学問・研究の発展だけでなく、日本社会の豊かな発展にも逆行するものです。
( → 転載:しんぶん赤旗 2015年06月10日

 これはこれで筋が通っている。
 では、どう考えるべきか? 

 ──

 まずは状況を調べてみる。
 「人文系の学部が必要とされていないのであれば、人文系の学部の(入試の)偏差値は低いはずだ。実際にそうか?」

 これをネットで調べてみた。すると、次のことがわかった。 「人文系の学部は、法学部や経済学部に比べて、特に偏差値は低くない」
 このことは、どの大学でも、同様だった。大学ごとの差はあるが、同じ大学では、文系のなかでの差はほとんどない。

 これはちょっと奇妙に思えた。そこで、「もしかしたら、人文系は試験も別なのでは? つまり、偏差値の母集団が違うのでは? だったら、センター試験で調べれば、全受験生のなかでの位置がわかるはずだ」
 これで調べてみると、センター試験の点数でも、学部間の差はほとんどないとわかった。

 ここから、次のことが結論される。
 「人文系の学部も、法律・経済の学部も、入試の難易度はほぼ同じである。つまり、人気のレベルはあまり差がない」

 これは本当だろうか? これが事実であるとすれば、人文系の学部は社会から十分に必要だとされていることになるが、本当にそうだろうか? 
 考えてみたところ、次の推定が出た。
 「学部間に差がないのは、受験生の人気で差がないだけだ。受験生は、大学名だけにブランド価値を感じているので、大学さえ好みの大学であれば、どんな学部であっても構わずに入ろうとするのだ。穴場狙いで」
 「一方、社会の場での必要性は、まったく別である。たとえ優秀な大学を出ていても、学部が人文系の学部であれば、社会での需要は少ない。入学時には同じようでも、卒業時にはまったく異なる結果になる」

 そこで、学部間の就職状況を調べてみる。ググったところ、次のページが出た。
  → 大学の学部で就職が1番悲惨なところってどこなの?

 2ちゃんねるのまとめだが、「文学部が圧倒的に悲惨だ」という声がたくさん出ている。特に注目なのは、次の発言だ。
 東大でも文学部の就職先は悲惨

 これはびっくり。東大でさえ文学部出だと駄目なのか。本当に? にわかには信じがたかったので、ググってみたら、東大文学部の人の証言が見つかった。
 夜は文III16組(フランス語選択)の同窓会。……クラスメートのうち2人が今年司法試験に合格したので、そのお祝いである。2人ともロースクールに通っていたらしいが、34-5歳になってさらにここから司法修習生もしないといけないことを考えると、40歳の手前でようやく新しい仕事に就く、というのはなかなか大変な道程である。
  ……
 「東大だったらさすがに文学部でも就職あるんじゃないか」と思うかもしれないが、現実はそんなことはなく、卒業してから資格学校に入り直したり医学部に編入したり、あるいは自分のように大学院は全然違う専門に進んだりしないと「高学歴ニート」まっしぐらなのである。
( → はてなダイアリー

 この人は東大文科三類の出身。同窓生は 40歳の手前でようやく就職できるというありさま。しかもそれはラッキーな部類であるようだ。もっとひどい状況の人もいるようだ。
 この人自身はどうか? プロフィールを見ると、
 「首都大学東京で自然言語処理の研究をしています」
 とのことだ。教員らしい。
 で、この人が教員になれたのは、文学部で学んだからじゃない。大学院で転身して、自然言語処理というコンピュータ関係に進んだからだ。まあ、この分野なら、仕事はあるだろう。一方、もともとの人文系の学科に留まっていたら、いつまでたっても仕事はなかっただろう。(いまだに ニートかも。)
 東大を出てさえ、このありさまだ。そして、それは、「人文系の学部生に対する社会の需要がない」ということを意味する。

 ──

 このことは、モデル的にも、よく理解できるはずだ。あなたが中小企業の幹部で、新卒を採用する立場にあるとしたら、次のどちらを採用するか? 

 候補者A …… 
  早大・文学部卒。大学時代は、英文学を学んでいました。
  文学表現が得意なので、会社の宣伝を担当したいです。
  実務的な作業は不慣れなので、無理です。

 候補者B ……
  明大・経済学部卒。大学時代は、情報処理も学びました。
  パソコンを上手に操作して、業務の改善をしたいです。
  エクセルやワードのマクロも使えます。

 偏差値を見た限りでは、前者の方がいくらか上だが、学んだ内容を見る限りは、前者は使い物にならず、後者は使い物になりそうだ。というわけで、普通に考えれば、後者を取るだろう。

 ──

 ここまで考えれば、今の社会が学生に何を要求しているか、はっきりとするはずだ。私が文系の学生に「これを学べ」と要求するとしたら、次のことだ。
  ・ パソコンを操作する能力。特に、ブラインドタッチ。
  ・ エクセルやワードのマクロを自分で作れる。
  ・ Perl, Python, Ruby のいずれかでプログラムを書ける。
  ・ HTML や css の基礎知識がある。
  ・ ググる能力が高くて、調査能力が高い。
  ・ きちんとした文章作成能力がある。漢字力も。


 ま、こういう能力を求めたい。「情報事務力」みたいな能力だ。それがあるかないかで、企業の社員としての能力には大きく差が付くはずだからだ。
 とすれば、このような能力をきちんと教える学部が大学にあった方がいい。「卒業しても就職できない」という文学部は大幅に縮小して、「卒業すれば引く手あまた」という情報事務学部みたいなのを創設した方がいい。その方が、本人にとっても、企業にとっても、ありがたいはずだ。
 というわけで、上記のような方針を、私の結論としたい。

( ※ ひるがえって、現状の文学部はひどい。英文科を出ていても、ろくに英語を使えない人が多い。日常会話や文書理解はできても、ビジネス英語で通訳をできるような人は、大学卒業レベルではごく少ない。たいていの学部卒はまったく使い物にならない。何のために4年間も学んだんだ? 無意味な大学教育。 → 出典



 【 補説 】
 ただし、話はまだ終わっていない。
 上記の話だけだと、「人文系の学科は不要だ」というふうに思われるかもしれない。しかし、そんなことは主張していない。
 
 (1) 
 人文系の学科は必要である。ただし、現状のように、大規模である必要はない。全国の大学の大学教授をまかなえる程度(年間数十人程度)の規模であればいい。換言すれば、東大と京大に小規模な学科があるだけでよく、他の大学では学部は消滅させてしまっていい。
 つまり、心理学や哲学などの専門課程は、東大と京大だけに限り、他の大学ではすべて廃止するべきだ。

 (2)
 ただし、専門課程と教養課程は別である。教養課程では、人文系の科目を大幅に残すべきだ。
 ここで注意。教養課程では、学ぶべき科目としての人文科目は残るが、それは、副次的に学ぶだけであって、専門課程として学ぶのではない。
 たとえば、専門は法学・経済学・理学・工学・医学である学生たちが、専門とは別に、教養として人文科目を学ぶ。
 この区別は大切なので、理解してほしい。法学・経済学・理学・工学・医学などを学ぶ人も、教養としてならば、人文科目を学ぶべきだ。ただし、人文科目を専門として学ぶ必要はない。人文科目を専門として学ぶ必要があるのは、人文科目の大学教員となる人だけである。そして、そのような人は、年に数十人もいれば足りる。残りの大部分は、人文科目を専門として学ぶ必要はない。
 比喩的に言えば、人文科目は、メインの食事のあとのデザートのようなものだ。メインの食事をきちんと食べたあとでなら、デザートがあった方がいい。しかし、メインの食事なしで、デザートだけあったとしても、歪んだ食生活になってしまう。
 同様に、人が学ぶべきことは、将来の仕事に役立つようなことであるべきだ。一方、人文科目は、教養として、添え物としての役に立つ。人文科目は、それ自体が目的とはならないのだ。(デザートそれ自体が目的となるのは、パティシエになるような少数の人だけだ。)

 (3)
 先の東大文科三類の人の例を思い出してほしい。彼は、大学では人文系の学科で学んだが、そこで学んだことは、就職には何の役にも立たなかった。そこで、大学院に入って、自然言語の研究をするようになった。つまり、学び直した。そのことでようやく、就職することができたのだ。ということは、彼が大学の4年間で学んだことの大部分は、あらかた無駄だった、ということになる。壮大なる浪費。
 現代社会は、情報処理能力のある人を求めている。とすれば、社会の要請に応えて、情報処理能力を高める教育をするべきなのだ。と同時に、基礎的な教養も副次的に教えるべきなのだ。
 人文科目は、確かに大切である。ただし、人文科目を学ぶべきなのは、人文系の学生ではない。人文系以外の学生だ。専門は法学・経済学・理学・工学・医学である学生たちが、専門とは別に、教養として人文科目を学ぶべきなのだ。……ここを混同して、「人文系の専門課程を重視せよ」というのは、道を間違えているとしか思えない。それはいわば、「ケーキは美味しい」と思った人が、ケーキを買う金を稼ぐかわりに、パティシエになろうとするようなものだ。「自分でケーキを作れば、作り放題だぞ。嬉しい!」と。
 これじゃ、朝ドラの「まれ」みたいな、壮大な勘違いドラマになるだけだ。(「人生は地道にコツコツ」を唱えていたヒロインが、堅実な公務員を辞めて、華やかなパティシエになろうとする、という勘違いドラマ。……まるで日本の教育制度みたい。)





 (4)
 ここまでの話は、別に、私の独創ではない。「人文系の学科では、トップクラスの人だけが大学教員になって、それ以外の大多数は就職先が見つからないまま、就職に難儀する」ということは、多くの人々が「現状報告」という形で述べている。
 つまり、私が上記で述べたことは、多くの人が「現状報告」という形で述べたことを整理しただけだ。
 「人文系の学科は大切だから学ぶべきだ」というふうに主張する人もいるだろうが、それは、「人文系の学科に入って就職に難儀しろ。または、他の学科に入り直せ」と言っているのと同じだ。それはあまりにも無責任だろう。
 私は、そういう無責任な立場を取らず、きちんと現実的な方針を示している。それだけのことだ。
( ※ 別に私は人文系の科目を軽視しているわけじゃない。お間違えなく。そもそも私は、大学時代に人文系の勉強をいっぱいやってきました。幅広い勉強の必要性はよくわかっています。「専門馬鹿になるべからず」ということもよくわかっています。だからこそ、「人文系の科目を教養として学べ」と言っています。)
 


 【 関連項目 】

 → 人口知能研究の遅れ

  ※ 本項の続編
posted by 管理人 at 22:38| Comment(6) | 一般(雑学)3 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
年間数十名(50名ほど)だと、大学の教養課程の教員数と釣り合いそうですが、実学要素の少ない人文系は教授の供給源だけでいいというのはちょっと過激ですね。
考古学とかの需要は博物館員という就職口がありそうなのでもう少し多くてもよいかな?と思います。
Posted by 京都の人 at 2015年06月16日 23:58
> 過激ですね。

 基本線は過激に書くのが本サイトの売りなので。
 そのあとはずるずると現実に妥協するのが、本来のあるべき姿。
 実際には、採用もされずに、宙ぶらりん状態がいつまでも続く。

> 考古学とかの需要は

 まあ、その辺は微調整してください。
 といっても、現実化に進む可能性は皆無だけど。(私は首相でもないし。)
 あくまで思考実験。
Posted by 管理人 at 2015年06月17日 00:16
ご参考まで

こちらで紹介されているG/L区分は本稿よりも過激です。これでは国民全般が劣化します。
すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる。と思います。職業訓練校と大学は区分すべきだと思います。
工学系に流れなどの三力は不要で工作機械の使い方を学べという暴論はエリートによる衆愚指導にもつながりかねません。
不要の要を捨てて効率まっしぐらに進むのはレミングの寓話みたいです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20150612/284213/?P=5&mds&ST=smart
Posted by 京都の人 at 2015年06月17日 06:22
最後の補説で救われましたので何も言うことはないですが、実務一辺倒になるあまり、基礎研究の重要さを疎かにすると、地力が弱くなる気がします。いまの企業は生き残りに終始し目先ばかり追いかけている。長い目で見たら恐ろしいこと。
Posted by 菊池 at 2015年06月17日 09:03
以下の箇所に疑問を持ちました。

「早大・文学部卒。大学時代は、英文学を学んでいました。文学表現が得意なので、会社の宣伝を担当したいです。」

英文学を学んでいたのなら当然英語ができるはずです。ですので「文学表現が得意」ではなく「英語が話せる」とすべきです。そうすると価値が理解されやすいと思います。

人文系にもいろいろあり、みなさんのおっしゃる「役に立つ」学問もあるのではないでしょうか。たとえば、心理学ならば統計を学ぶはずですからそれは直接仕事の役に立つはずです。外国語学部が役に立つのは自明でしょう。グーグルが言語学者を雇用していることからも分かる通り言語学も「役に立つ」学問です。人文系としてひとくくりに扱うのは問題があると思います。
Posted by ななし at 2015年06月30日 22:40
> 英文学を学んでいたのなら当然英語ができるはずです。

 そうではない、と本文中に書いてあります。
 「英文科を出ていても、ろくに英語を使えない人が多い。」
 と書いてあるでしょ? その典拠も、きちんとリンクで示してあるでしょ? 
 まずは人の話をきちんと読んで理解しましょう。

> 心理学ならば統計を学ぶはずですからそれは直接仕事の役に立つはずです。

 そりゃ、少しは役に立つでしょうけど、それだけ。私は別に「まったく無意味だ」と主張しているわけではない。誤読。

> 外国語学部が役に立つのは自明でしょう。

 リンク先の記事によると、地方の職場では英語力が役立つ状況はほぼ皆無だ、とのことです。
 都会でも多くの企業でそう。

> グーグルが言語学者を雇用している

 Google で雇用されるのは、エリート中のエリートばかり。言語学しかやっていないような人は採用されません。雇用されるのは、言語学をやると同時にコンピュータ能力も高い人。つまり、本項で述べたような人。
 本項でも似た例が記してあるでしょ? あなた、本項を読んでいないの? 

> 人文系としてひとくくりに扱うのは問題があると思います。

 本項はおおまかに示したものであり、詳細を網羅的に示したものではありません。全体的な傾向がわかれば十分。
 あなた、本項が何を書いているか、根本的に理解していませんよ。話のテーマすら理解できていない。文章読解力がひどすぎる。まるでトンデモマニアの N****M さんみたいだ。

> 言語学も「役に立つ」学問です。

 私は別に、「言語学は役に立たない無駄な学問だ」というような主張はしていません。勘違いしないでほしい。
 相手が何を言おうとしているかを、きちんと理解しましょう。最初から最後まで誤読のしっぱなし。
Posted by 管理人 at 2015年06月30日 23:36
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