捏造というと「悪意」があることになるが、これは「悪意」があるとは認められない。ただし、ものすごく ずさんだ。小保方さんと同じぐらい、ずさんだ。そのせいで、とんでもない結論を出している。そのことを指摘しよう。
まず、論文は下記だ。
→ オスの存在理由、実験で証明される ? WIRED.jp
原文や英語紹介は、次の検索で見つかる。
→ East-Anglia sexual-selection - Google 検索
Nature の論文は、下記だ。
→ Nature | Letter (\3300)
ま、私は原文を読んだわけではない※が、Wired と 英語解説記事とを読んだ上で、批判しよう。
※ この件は、本項末の (2) を参照。
──
実験の要点は、こうだ。
この実験では、圧倒的多数のオスが少数のメスを得るために競う。そのことで「性淘汰」が働く。だが、少数のオスがメスを得る一方で、多数のオスはメスを得られない。それでも、集団の全体としてみれば、絶滅に対する耐性が強まる……という趣旨。
部分抜粋しよう。
いくつかの集団では、生殖サイクルごとに、90匹のオスが10匹のメスと交配するために互いに競争した。一方、別の集団では、オス・メスの数の割合をより小さくした。
こういう形で比較した。(詳細は Wired の記事。)
そして、最後のあたりでは、こう結論している。
したがって、オスは役立たずな存在などではなく、彼らが伴侶を見付けるための競争は、種の遺伝的優位性を保つために必要不可欠なのだ。
以上について、批判しよう。
──
(1) 性淘汰
本人も最後で述べているように、これは、「性淘汰」の重要性を調べようとする実験だ。ここから得られる結論は、「性淘汰が重要だ」ということだけだ。
一方、「オスは必要不可欠だ」というのは、今回の実験とは何の関係もない話だ。どこからこの結論が出てくるのか、まったく不明である。あまりにもひどい論理の飛躍。
「オスは必要不可欠だ」というのは、「オスのいる集団」と「オスのいない集団」とを比較することで得られる。
一方、今回は「性淘汰が強い集団」と「性淘汰が弱い集団」を比較しているだけだ。ここからは、「オスは必要不可欠だ」という結論は出てこない。
論理的に言うならば、次の結論だけが出る。
「有性生殖の生物は、オスとメスがともに必要である」 ……(*)
こういう結論が出るだけだ。特にオスだけについて「オスが必要だ」という結論は出ない。
また、(*)のことは、正しいことは正しいが、単に「有性生殖」という概念を説明しているだけで、ただのトートロジーにすぎない。
「オスとメスによってなされる生殖には、オスとメスがともに必要だ」
というのは、論理的に当たり前のことを言っているだけで、実験などは必要ない。(言葉の定義の問題にすぎない。)
つまり、「今回の実験で、オスの必要性が判明した」というのは、トンデモ論理そのものだ。その意味では、トンデモ論文だとも言える。
(2) 性淘汰の必要性
今回の実験は正しいか? 正しいとしたら、「性淘汰が強いことが大切だ」という結論になる。
だとすれば、たいていの生物は、性淘汰がものすごく強いことになる。つまり、オスが 90%もいる……というような種族だらけになることになる。
しかし、現実には、どの生物もオスはほぼ 50%である。つまり、実験の結論は、現実に矛盾する。この実験は、現実の生物世界に反することを結論しているわけで、実験としては間違っていることになる。
( ※ オスとメスの性比が 1:1 になることは、生物学の世界で「フィッシャーの原理」として知られている。これに反する説を主張する点で、トンデモに近い。)
(3) 性淘汰の概念
そもそもこの実験は、性淘汰の概念を誤解している。
性淘汰というのは、性的な強者が多くのメスを得るという「一夫多妻」の状況をいう。
一方、今回の状況では、「多夫一妻」みたいな関係になっている。( 90% がオスだ。)……これでは、「性淘汰」とは概念が反対だろう。確かに、オス同士の競争は激しくなっているが、これは、「性淘汰」とは別の概念であるにすぎない。「性淘汰」は関係ない。
( ※ 性淘汰のある場合、強いオスがたくさんのメスを独占する。ライオンもそうだし、トドもそうだし、オットセイもそうだ。これが正しい「性淘汰」の概念だ。)
(4) 性淘汰と認識
すぐ上で述べたことからして、この実験でなされたことは、「性淘汰」は別のことであったことになる。
では本当に、この実験では「性淘汰」はなかったのか? 私の考えでは「なかった」だ。なぜなら、「性淘汰」をなすためには、メスがオスを選ぶ必要があるが、ゴミムシダマシ科甲虫なんていう昆虫レベルでは、メスがオスを個体識別するはずがないからだ。
このレベルの昆虫では、いちいち相手の個体識別をせず、単に「同種の匂いがあるから」というぐらいのことで、交尾する。そのとき、「いい匂いかどうか」なんてことは判断しない。単に「同種の匂いがしたから交尾する」というだけの、単純な生理的反応だ。
ここでは、個体識別をする「性淘汰」など、根源的にあり得ないのだ。個体識別をするためには、それだけの高度な脳が必要だが、昆虫にはそれだけの脳がないからだ。
( ※ まともな脳がない昆虫にまで「性淘汰」を当てはめるなんて、あまりにも能がないね。……ダジャレ。 (^^); )
(5) 矛盾
そもそもこの実験には、根本的な矛盾がある。
仮に 90% がオスである集団が有利だとしたら、次のようになるはずだ。
・ オスが 90%で、メスが 10% の集団 …… 有利
・ オスが 50%で、メスが 50% の集団 …… 不利
しかし、これはありえない。先の「フィッシャーの原理」を読めばわかるが、メスの比率が少ないと、出産される子の数が少なくなるので、不利になるのだ。
上記の例で言えば、メスが 10%の集団に比べて、メスが 50%の集団は、メスが5倍なので、生まれる子も5倍になる。その方が圧倒的に有利だ。ゆえに、「オスが 90%で、メスが 10% の集団」という集団(遺伝子集団)は、どんどん減って、滅びてしまうはずだ。
これが真実である。(「フィッシャーの原理」から得られる真実。)
この真実に反する結論が出るとしたら、実験そのものがおかしいことになる。
(6) インチキ実験
おかしな結論が出るとしたら、実験そのものがおかしいことになる。では、どんな?
今回の例で言えば、次のことが推定される。
「二つの集団を比べるとき、全体の総数を揃えるかわりに、メスの数を揃える。たとえば、どちらもメスの数を 10匹にする。その上で、一方の集団には、メスの 9倍の 90匹のオスを与えて、他方の集団には、メスと同じ 10匹のオスを与える。……このように、メスの数を揃えた上で、集団を対比する」
なるほど、これならば、報告されたような実験結果は出るだろう。しかし、その理由は、次のことだ。
「 90匹のオスがいる集団は、10匹のオスがいる集団よりも、遺伝的多様性の面で9倍も有利である。だから、絶滅しにくくなる。ここでは、性的淘汰があったかどうかは関係なくて、単にオスの個体が多いこと(オスの遺伝子に遺伝的多様性があったこと)が有利であったにすぎない」
要するに、オスの数が9倍だということは、性淘汰が9倍であることを意味せず、遺伝的多様性が9倍であることを意味するだけだ。
なのに、「遺伝的多様性」を「性淘汰」にすり替えてしまうのは、「 STAP細胞もどき」(死滅細胞)を「 ES細胞」にすり替えてしまうようなものだ。
これはもう、捏造も同然だろう。……いや、正確には、ただの「ずさん」な論文であるのだが、とはいえ、「STAP細胞は捏造だ」という世間の論拠に従うのであれば、この論文だって同程度に捏造だと言える。
(7) 真相
では、真相は?
それは、 (2) を見ればわかる。「オスが 90%の集団の方が有利だ」という結論を出した時点で、「現実にはオスが 50%だ」という事実に反するのだから、現実に反する結論を出していることになる。とすれば、この実験そのものが無意味な実験であることになる。
この実験は、何の意味もない無意味実験であるにすぎない。しいて何かを見出すとしたら、
「オスの遺伝子に多様性がある方が、近親交配の集団は絶滅しにくい」
ということだけだ。そして、そんなことは、いちいち実験しなくてもわかりきったことであるにすぎない。
こんなものを掲載するのだから、Nature というのは呆れはてた科学雑誌だ。
また、こんな無意味論文を見て、「すごい、すごい」と喜ぶ人も同様だ。たぶん、進化論の知識ばかりがあって、生物学の知識がろくにないのだろう。
( ※ 「この実験は無意味だ」というのが、本項の結論です。「この論文は捏造だ」というのは、本項の結論ではありません。お間違えなく。……タイトルだけ読んで、誤読する人もいそうだが。)
【 関連項目 】
最初のテーマに戻って、「オスが必要だ」ということは、「有性生殖は無性生殖よりも有利だ」というふうに表現できる。
この話題は、次の項目ですでに説明した。
→ 有性生物と無性生物
→ 有性生殖と多細胞生物
→ 有性生殖の意義
簡単に言えば、こうだ。
有性生殖は交配によって遺伝子の多様性を増す。無性生殖は交配がないから遺伝子の多様性が生じない。交配が遺伝子の多様性を増して進化を大幅に早める。……これが、オスとメスがいること(性があること)の原理だ。
- [ 余談 ]
(1)
本文中では「捏造」という言葉を使っていますが、これは、私が「捏造だ」と見なしていることを意味しません。私はあくまで「ずさん」と見なしているだけです。お間違えなく。
「捏造」という言葉を使っているのは、以前、ただの「ずさん」なだけの STAP細胞論文を「捏造」というふうに間違って表現した人々を皮肉っているだけです。ここで皮肉っているのは、本論文の著者ではなくて、STAP細胞事件で「捏造だ」と大騒ぎした人々です。お間違えなく。
一般に、「ずさん」な論文は、世の中には数限りなくあります。なのに、ことさら「捏造だ!」などと騒ぐべきではない、というのが、私の立場です。
本項を読んで、「この論文は捏造じゃないぞ!」と思ったら、私としては、「その通り。そう書いてあるでしょ」と言うしかないですね。誤読しないように注意してください。
私の文章は、ひねくれた皮肉なので、皮肉の一部だけを取り上げると、意図とは正反対に解釈することになることがあります。
( ※ ネット用語で言えば、タイトルは「釣り」です。「捏造」という語で釣っているわけ。それに釣られて、「捏造じゃないぞ」と言うなんて、本文を読むだけの読解力がないとしか言いようがない。ま、タイトルだけ読んで、本文を読まずにいるのだろう。あるいは、読んでも頭に入らないのか。……ひどいものだ。リテラシーがゼロ同然。)
( ※ 論理力がない人向けに説明しておこう。本項では次の順で示している。「STAP細胞が捏造だとしたら、今回の論文も捏造だ。しかし、今回の論文は捏造ではない。ゆえに、STAP細胞論文は捏造ではない」。これは背理法だ。ここで、捏造か否かを論じているのは、今回の論文のことではなくて、STAP細胞の方だ。……こういうふうに背理法で書くと、とたんに頭が錯乱する人々が出てくる。論理力が弱いね。)
(2)
「元論文を読め」
という声もありそうだが、私は専門家でもないのに、ゴミ論文を買うために 3300円も出す気にはなれない。文句を言いたい人がいるなら、その金で論文を二つ買って、私に一つ送ってください。
あと、本項は、学会誌に掲載した論文ではなく、ネット上のエッセーふうの文章です。本項は有料ではありません。3300円を、私に払う必要はありません。「金返せ!」というような文句は受けつけません。
……と書いたあとで、なおも文句を付けてくる人がいる。彼らはどうも、本項を学術論文と勘違いしているようだ。なるほど、学術論文ならば、原論文を読まずに反対の論説を書くのは、馬鹿げている。しかし本項は、学術論文ではない。学会誌に掲載されたわけでもない。ただの個人ブログだ。
本項の趣旨は、「元論文が学術的に間違っていることを証明すること」ではない。「元論文にはおかしなところがあると、新たな視点から示唆すること」だ。本項はあくまで、示唆している(新たな観点を提供している)だけであって、何かを証明しようとしているわけではない。ここを根本的に勘違いしている人がいるようだ。(学術研究で評価されることばかりを考えているような人だろう。だから「真実とは何か?」よりも、「出世するか」どうかを考えている。可哀想に。)
【 参考 】
本項の続編があります。
→ オスの存在意義 (次項)
子育てしやすい世界を目指すなら、伝統を大切にしながら、それを還元するシステムを構築し、投資する計画を立案する研究が、人間が動物と異なる点で、脳の発達を遂げてきた理由付けできる論文になると思います。
とすると、命が生まれてくるには、オスとメスが必要ですので、そこで初めて、遺伝子の研究によって、オスとメスに異なる機能を、病気の解明や障がいの再生に役立てられる医療、必要な福祉制度、それを学ぶ国家資格の教育課程を整備できると考えます。