理研は小保方さんに 60万円を請求した。
理化学研究所は 20日、小保方晴子元研究員に研究費の一部として論文投稿料約 60万円を返還するよう求めると発表した。刑事告訴は見送り、出願中のSTAP細胞製造法の特許は権利を放棄する。
( → 朝日新聞 2015-03-21 )
この 60万円というのは、どこから出てきた数字なのか?
捏造があったのだとすれば、事件の全体が小保方さんの犯罪的なほど悪質な行為なのだから、実験にかかる費用や、支払った給与など、莫大な額の賠償責任が生じるだろう。少なくともその一部の支払い責任が生じる。しかし、今回はそれを請求していない。とすれば、少なくとも(悪意ある)捏造を認定していないことになる。
不正があったとしても、その不正(理研の用語では「捏造」「改ざん」でもある)というのは、「最善を尽くさなかったのでミスが生じた」とか「無知ゆえの錯誤があった」とかの問題にすぎないのだから、法的には賠償責任は皆無である。(一般に、業務上の過失によって会社に損害を与えた場合、従業員には、賠償責任はない。会社ができることは、減給や解雇であって、損害賠償を請求することはできない。法律で決まっている。)
結局、どう見ても、理研が小保方さんに金を請求できる筋合いはない。それで、少なくとも「論文投稿の費用だけは請求したい」ということなのだろうが、これにも名分がない。
そもそも、これを請求する根拠が、今回の発表では何も説明されていない。「不正があったから論文投稿の費用を請求する」というのは、論理がまったくつながらない。(ただの感情論にすぎない。)
こんな屁理屈(論理の飛躍)が通るなら、次のいずれも成立する。
・ 不正があったから研究費用を請求する
・ 不正があったから部屋の維持費を請求する
・ 不正があったから給与の返還を請求する
・ 不正があったから罰金を請求する
こういう言い分がどれもこれも成立してしまうだろう。なぜなら、いずれも法的根拠が皆無で、ただの感情論で言っているだけだからだ。
理研は、せっかく弁護士費用として 2820万円も支払った( → 前項 )。なのに、それで与えられたのは、法的根拠が皆無の結論でしかない。ただの素人の話を聞いたのと同様だ。
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そこで、私が妥当な方針を示そう。
第1に、論文投稿を決定したのは、理研(神戸)という組織である。なぜなら、小保方さんを抜擢して、研究を推進させたのは、理研(神戸)という組織だからだ。この上で、「研究した上で論文を投稿しない」ということはありえない。論文の投稿は小保方さんが理研から命じられた義務であるのだから、彼女には責任がなく、理研という組織に責任がある。したがって、論文投稿の費用弁済をするべきは、理研という組織(具体的には理事会の各人)である。特に、竹市センター長の責任が最大だ。金を請求するなら、こっちだろう。60万円のうち、30万円ぐらいは、竹市センター長に請求するべきだ。
第2に、弁護士に無駄金を払ったのは、今回の理研(本家)だ。したがって、今回の理研の報告書に関わった人々全員に、2820万円を請求するべきだ。何しろ、これだけの金を払って、法的に意味のある報告を何も与えられなかったわけで、ただの浪費をしたことになるからだ。金を請求するなら、こっちだろう。それも、60万円でなく、2820万円だ。
──
ただしまあ、こんなのは、かわいいものである。理研で最大の浪費をしているのは、利根川進・センター長だ。ほとんど意味のない脳研究を勝手にやって、10億円規模の研究費を湯水のごとく使っている。
ここで問題なのは、次のことだ。
「予算の配分を決める人と、予算の配分を受ける人が、同一人物である。そのせいで、自分ばかりに、圧倒的に巨額の金を配分する。クズみたいな研究のために」
利根川さんは、若いころは素晴らしい業績を上げたが、75歳の今では、まったくの無駄な研究をしているにすぎない。ボケているので、自分が無駄な研究をしていることに、気づかない。時代から取り残された研究をしながら、自分が最先端だと思い込んでいる。大塚家具のボケ会長と同じだ。
ここにこそ最大の問題があるのだ。STAP細胞なんかより、よほど重大な、日本の研究界の癌となっている。(莫大な研究費を勝手に浪費することで、他の研究者の研究費を奪っている。)
そもそも、自分で決めて自分に金を払わせるという点で、国の研究資金を私物化しているので、とんでもない倫理違反となる。なのに、そういうことを野放しにしている理研という組織そのものが、根本的に狂っていると言える。
【 関連項目 】
高齢化が問題となっている件は:
→ 理研の問題は高齢化
利根川さんの研究が無意味である点については:
→ 偽の記憶か、連想か?
→ 脳科学の現在と未来
→ 脳内の微小チップ
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ついでだが、STAP 事件そのものについて「真相は何か?」を知りたければ、下記項目に まとめ がある。
→ STAP細胞事件の総括 1
私はSTAP細胞の存在はまだ否定されていないと考え、この1年以上にわたって様々な掲示板、ブログ等で捏造派との議論を繰り返してきたものです。当初はこのブログにおける論考も大変参考になりました。
しかし、管理人さんは、なぜかあるときから、ライブセルイメージングの画像におけるOct-GFP発光現象は、死にかけ細胞の発する自家蛍光の誤認であると考え、現在はSTAP細胞は存在しないという結論を支持されているものと思われます。
過去のブログを拝見しますと、管理人さんのお考えでは、「赤色フィルター」による赤色蛍光の確認をもって自家蛍光の証明とした上で、PCRによるOct4等のmRNA発現は「偽陽性」であるとされているようにお見受けいたしました。
私の疑問は以下の2点です。
1)赤色フィルターでは「赤色蛍光」の有無しか判定できない。したがって、赤色蛍光が観察されたからと言って、観察された緑色蛍光がOct-GFPの光ではないとは言えない。
2)STAP細胞におけるOct4の発現は、mRNAレベルだけでなく、免疫染色によってタンパク質レベルでも確認されている。これを偽陽性と判断した根拠はなにか?
もしよろしければお答えいただければ幸いです。
偽陽性の根拠は、Oct4の発現の有無ではなくて、発現量の少なさです。この件は、本項末の「関連項目」の最後に記してあるリンク(STAP細胞事件の総括 1)に詳しく記述してあるので、そちらを読んでください。
赤色蛍光が観察されたということは、そこに死にかけ細胞が存在するということを示しております。しかし、そこに生細胞が存在しないという証明にはなりません。
>生きている STAP 細胞であることは否定されます。「生きている」という大前提が否定されるわけ。
したがって、これは否定されません。死にかけ細胞と生細胞が共存している可能性があるからです。
発現量が少ないとなぜ偽陽性と言えるのですか?発現量が少なくても、Oct4の特異的な発現があった可能性は否定できません。
それはともかく、丹羽氏の検証実験においても、発現量は決して少なくありません。いくつかのデータではコントロールESの約半分にも達しております。また小保方論文においては、ESと同じレベルの発現量が観察されております。
>(STAP細胞事件の総括 1)に詳しく記述してあるので、そちらを読んでください。
もちろん、読んだ上での議論です。
当人が「STAP細胞が存在すること」を証明する必要であり、それに成功していない、ということです。
※ 悪魔の証明(不存在の証明)は無理。
ま、幽霊みたいなものです。「幽霊が存在しないこと」は誰も証明していないが、「幽霊が存在すること」を誰も証明していない以上、「幽霊は存在しない」と見なすのが科学主義です。
>結局、どう見ても、理研が小保方さんに金を請求できる筋合いはない。それで、少なくとも「論文投稿の費用だけは請求したい」ということなのだろうが、これにも名分がない。
う〜ん。論文投稿費の場合「名分が無い」とまでは言いきれないかも知れませんね。
>一般に、業務上の過失によって会社に損害を与えた場合、従業員には、賠償責任はない。会社ができることは、減給や解雇であって、損害賠償を請求することはできない。法律で決まっている。
法律は基本的に認める方向でできているけど、判例が認める範囲を厳しく制限しているという形なのね。民法第709条「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」は単純な法理論的には労働契約の当事者間にも適用されることにはなっている。
しかし、現実の判例では「内在リスク論」によって否認される形ね。つまり、労働契約で使用者が労働者に業務を命ずるということが「労働者のミス等により損害を生ずるリスクをもともとに含んでいる」ので「法律上保護される利益(保護法益)」と言い切れなくなるわけです。
だから、理研が研究を命ずるという行為が「もともと実験ミスなどで意味の無いことに研究費が使われるというリスクを当然含む」ので、研究費そのものの損害賠償請求はしても裁判官に否認されることはまあ、間違いないでしょう。問題は論文の投稿費だけに限定した場合に「図の改竄等」などの故意行為に関する部分でいうと、全額認容となるかどうかは微妙だけど全額否認も無いかもしれませんね。
本人が「やってはいけないとは思わなかった」と弁明しているし、悪質な捏造というよりは、ただの手続きミスに過ぎません。(虚偽を真実に取り替えたものではなく、真実を別の真実に取り替えただけなので。)
→ http://openblog.meblog.biz/article/22255936.html
→ http://openblog.meblog.biz/article/22609595.html
どうみても「過失」なので、少なくとも論文の図(改ざんと認定された電気泳動写真)に関する限り、賠償責任は無理でしょう。
改ざんといっても、「真正画像を、別の真正画像に置き換える」というだけのことなので、素人のよくやる過失の一類型であるにすぎません。この程度のことでは損害賠償の請求は無理でしょう。(上記)
そもそも、STAP細胞が本当に存在していたなら、上記のような過失は看過されて、お咎めなしであったはずです。論文の価値にも影響しなかったはずです。(あとで画像の差し替えを注記するだけで済む。)
一方、重大なことは、STAP細胞が本当は存在していなかったことです。これは、上記の画像の過失には影響されず、理研が再現実験をしなかったことに最大の原因があります。
とすれば、本当は存在しなかったものを論文として提出させたことの最大責任は、実験をした本人ではなくて、再現実験をしなかった別人(つまり理研)にあります。具体的には、竹市さんと笹井さんです。理事全員も連帯責任を免れない。これらの人々が真犯人なので、これらの人こそが賠償責任を負うはずです。
ただし、より正確には、「誰も賠償責任を負わない」でしょう。この程度のミスなら、賠償責任にはならないのが常識です。なぜなら、誰もミスを故意でやったわけではないから。
→ http://openblog.meblog.biz/article/22813112.html
やたらと賠償責任を持ち出すのは、単にスケープゴートを出して、責任転嫁をしたいだけです。トカゲの尻尾切り。
→ http://openblog.meblog.biz/article/21956912.html
まあ、「自分は過去の判例にも通暁しているから、自分の判断は神のごとく正しい」とお信じになられても、別にかまいはしないのだけどね。
過去にいくつもの従業員に対して使用者が損害賠償を請求した裁判の判例が積み重なって、判例法理は成立しているからねぇ。
多いのは業務上で自動車を運転していての交通事故なんかなんだけどね。一般的に言うと「軽過失の責めは使用者に帰し、中過失の責めは案分、重過失の責めは労働者に帰す」というところなんですね。
でもって、良く聞かれるのが「軽重はどう見るのか」なのね。なかなか答えにくい質問なんだけど「その仕事の労働者誰もがやらかしそうなミスが軽過失、めったにやらかさないけどやらかさないと言いきれない程度のミスが中過失、まずやらかしそうにないミスが重過失」なんて変な答えをするのね。でもって、交通事故なんかの場合は割と中過失という判断も出ている。まあ、車を運転する従業員がそうそう頻繁に交通事故を起こすわけでもないからね。
そういう意味では、管理人さんが「軽い軽い」と力説されても、そうそう研究者が図表の間違いをやらかした論文をポンポン投稿している訳ではないので、中程度の過失と判断される可能性はあるということなんですよ。そうすると60万円を理研と小保方氏て半々くらいに案分しろみたいな判決かな、なんてね(笑)。
これ、まったく研究の世界を知らない人が今回の件に対して抱く感想の一つですよね。
理研はなんで再現性を確認した上で論文を提出させなかったんだって。
ただ、管理人さんは理解されていると思いますが、国の研究機関にしろ大学にしろ通常は所属研究者の発表する論文を一々チェックはしません。
普通はチェック機関として作用し得るのは研究室のPIまでで、今回の場合は小保方さんは一応PI。
まあSTAP論文は執筆状況からしてかなり特殊で、竹市センター長の指示の元で笹井さんが指導に付いているので、仰る通りこの二人には確かに責任があると思います。
でも組織として再現実験を行わなかったのは本来なら普通の流れですよね。
東大なんかでもよく捏造問題が騒がれますが、大学側が再現実験をしなかったのが問題だ、なんて論調にはならないですし。
そこで疑問なんですが、管理人さんの仰る理研での再現実験の必要性は、STAP論文の取り巻く特殊な状況(小保方さんのと特例的な採用や、発表時の大々的な広報など)を考慮してのことでしょうか?
それとも不正論文根絶のために、理研に限らず研究機関にはもっと厳しいチェック機構を設けるべきだというお考えなのでしょうか?
大学で不正論文を書いた教員の所属する学部長や学長が責任とって辞めたとか、懲戒されたなんて聞いたことがない。つまり論文の責任者は、執筆者であって所属組織の上司にはないのが、世界共通の認識ですね。
論文の再現性を所属組織の別のグループが実施するなんてきいたこともないです。
組織の許可なしに論文発表しますからね。PI が責任者でしょうね。
管理人さんは、「「真正画像を、別の真正画像に置き換える」というだけ」とおっしゃっていますが、本人も認めた捏造があるわけで、画像の差し替えではすまないわけです。
存在しなかったものを論文として提出した責任者は著者全員です。理研の理事には責任はないです。倫理教育が不十分とかいう責任はあるでしょうけどね。んで、捏造とされた部分を担当したのはすべて小保方さんだけで、賠償責任は、あるとすれば小保方さんがほとんどを負うと言っていいのではないでしょうか。
図表の間違いじゃないですよ。真正画像を別の真正画像に交換して、そのことを「悪いことだとは思わなかった」というだけです。
なのに、ただの勘違い(無知)を見て、「完全な真正画像を掲載しなかったから、それは不正だ、悪だ」と騒いでいる人の方が、虚偽を主張しているわけで、こっちの方がよほど重過失です。理研の調査委もそうだし、世間もそうだし。
彼女は、図表の間違いをやらかしたわけではありません。まさしく意図通りに、真正画像を別の真正画像に交換しただけです。ただし、交換したことを、注記しなかった。ここが彼女のミスです。この注記が欠けていたこともって「重過失だ」というのであれば、もはや何をかいわんや。
はっきり言って、理研も世間も、狂っている。論文執筆の「ミス」と「不正」の区別すらできていない。
> 自分は過去の判例にも通暁しているから
過去の判例を見る必要は全然ない。
真正画像と交換されたものが、別の真正画像(A)であるか、虚構の画像(B)であるか、という違いだけです。ここを理解できないで、(A)でなく(B)だと思い込んでいるのが、多くの人々。私はその点を指摘しているだけです。
もちろん、通常ではないからです。その理由はすでに何度も述べたけど。(以下、引用。)
「実験を推進するのならば、小保方さん自身が再現実験をするのでなく、第三者による再現実験も必要だった。特に、普通の実験ではなくて、「学界の常識を根本的にひっくり返す」というような研究であるならば、実験ミスを疑って、再現性をチェックするべきだった。」
→ http://openblog.meblog.biz/article/24480016.html
他にたくさんあります。「再現性をチェック」という後で、サイト内検索をしてみてください。
いつも言っているけれど、疑問の点があれば、サイト内検索をしてみてください。すぐにわかりますよ。
なお、私が初めて言ったのは、下記。
→ http://openblog.meblog.biz/article/21862089.html
これをパクって再現性チェックの重要性を記事にしたのが、片瀬さん。
→ http://openblog.meblog.biz/article/24452596.html
これを読んで「そうだね。再現性チェックが重要だね」という賛同の声が多数集まった。
→ http://b.hatena.ne.jp/entry/synodos.jp/science/7647
一般的な事例は別として、今回のような事例に限っては、再現性チェックが重要なんです。理由は、上記の点のほかにも、たくさん挙げられます。私の話を読む前に、自分の頭で考えてみましょう。考えてもわからなかったら、(検索して)私の話を読めばわかります。
一つ言えば、「実験や論文の主導者が、本人ではなくて、別人だった」ということです。今回の事例では、実験や論文の主導者(プロジェクトリーダー)は、自分では実験をしていないんですよ。単に本業の片手間で経過報告を受けているだけ。そんなこと、普通の例では、あり得ないでしょ?
> 特殊な状況(小保方さんのと特例的な採用や、発表時の大々的な広報など)を考慮してのことでしょうか?
当り前でしょ。ただし研究過程のみ。
(小保方さんのと特例的な採用や、発表時の大々的な広報など)は、どうでもいい。
> 理研に限らず研究機関にはもっと厳しいチェック
そんな意見は、あるわけない。研究の世界を知っているなら、わかるはず。
何か、藁人形論法をやっていますよ。誰も述べていない仮想敵を勝手に構築して、批判している。
誤読。私が「再現性をチェックするべきだった」と言っているのは、笹井さんと若山さんのことです。学長や理事長のことじゃない。(考えればすぐにわかるだろうに。)
あと、「再現性のチェックがあったこと」を確認しないで(チェックなしのまま放置して)大々的に推進した理研組織にも責任があります。ここが肝心。
今回の事例は、ただの論文発表ではなくて、理研の組織的な推進という背景があります。そこいらの平凡な論文とは関係がない。Nature に掲載することを組織的に推進するような大論文・大研究の話。
比喩的に言えば、国家プロジェクトである「はやぶさ」の計画をするときに、部品の信頼性のチェックもしないで計画を推進したら、組織に責任がある、というような話。個人レベルのマイナーなプロジェクトと混同してはいけない。
> 論文の責任者は、執筆者であって
だったら、小保方さんではなくて、笹井さんでしょ。
言っていることが自己矛盾。
> 本人も認めた捏造がある
グラフの補間のことでしょ? ズボラ研究者の、ただの手抜きにすぎない。そんなものをことさら「捏造」と呼ぶ方が、よほど捏造している。
捏造でもないものを「捏造」と呼ぶ人こそ、小保方さんの何十倍も責められるべき。小保方さんは少なくとも嘘をついていないが、捏造論者はみんな故意の嘘つきであり、悪質度が極めて高い。馬鹿の無知は罪ではないが、利口が意図的に他人を加害しようとして捏造することには、大きな罪がある。
私の話をきちんと読めば誤解しないはずなのに、勝手に誤読して、藁人形に対して文句を言う人が多すぎる。
──
最後に一言言っておくと、小保方さんは「無罪」ではなくて「有罪」だけど、その理由は「捏造」ではなくて、「コピペ」です。
論文の脚注みたいなところで、実験装置の説明として、コピペをしている。ここだけが意図的であり、有罪。あとは愚かさゆえのミス・過失ばかり。ただし、その過失があまりにもひどすぎて巨大なので、たいていの人が故意の犯行だと勘違いしてしまう。
あまりにも壮大なミスは、犯罪のように見てしまう、ということ。人々はそこを理解できない。物事の本質を見ず、表面だけを見るから。
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ついでだが、iPS細胞の場合、山中さんは自分の実験だけでは足りないと感じて、他の人に依頼して、再現性を確認した。学界の常識を覆すような画期的な業績については、このような再現性の確認が絶対に必要だ。
なのに、そのこともわからず、再現性の必要性を理解できないのが、捏造論者だ。捏造論者というのが、どういうものであるか、よくわかる。