まずは記事を紹介しよう。
東京大学は新年度から、全学部の始業時間を午前8時半に統一する。4学期制を導入するのを機に、学事暦を見直したためだ。ところが、意外なところに影響し、駒場キャンパスの最寄り駅、駒場東大前駅(京王電鉄井の頭線)の混雑が心配されている。
東大は今年に入って、新学期から駅の混雑が予想されることなどを説明した。学部ごとに異なっていた始業時間を午前8時半とするため、駅周辺の中学や高校とほぼ同じとなり通学時間も重なるためだ。
新年度から4学期制を導入するのを機に、1時限目の開始時間を午前9時から30分繰り上げた。
東大広報課の担当者は「同一時刻にホームに降りる人数は、車両の容量を超えない。降車後のホームで円滑な誘導ができれば安全上の問題はない」と説明。京王電鉄に相談し、誘導員の増員で対応可能という回答を得ているという。
( → 朝日新聞 2015年3月16日 )
こんなことをすれば乗客があふれるとわかっていて、あえてその方向に突っ込むわけだ。それも、奇妙な理屈で勝手に楽観する。
「同一時刻にホームに降りる人数は、車両の容量を超えない。降車後のホームで円滑な誘導ができれば安全上の問題はない」
というのが上の理屈だが、呆れるしかない。

「同一時刻にホームに降りる人数は、車両の容量を超えない」
なんてことは、理屈のつもりなのかもしれないが、何も言っていないに等しい。ちなみに、1秒間に1回、列車が停車すれば、上記のことに関係なく、ホームはたちまちあふれてしまう。上記のことは何の意味もない。
「降車後のホームで円滑な誘導ができれば安全上の問題はない」
も関係ない。誘導なんか、必要ない。別に、人々がホームで右往左往するわけではないからだ。(単に人が多すぎるだけだ。湯船に人が入りきらないように、ホームで人があふれそうになっているだけだ。)
では、大切なのは、何か? 階段と改札口の混雑だ。ここがボトルネックとなって、ホームから駅外への人の流れが阻害され、ホームに人員が滞留してしまうからだ。
では、そのボトルネックは、どうなっているか? 現状ですら、ボトルネックが生じて、東口も西口も大混雑だ。(私の高校時代もそうだったが、今でもそうだ。)
通学時間帯は、大混雑 【駒場東大前】
旅行時期 : 2014/02(約1年前)
井の頭線で渋谷から二つ目。各停のみが停車します。
周囲には、高校が多くあるため、朝の登校時間帯と、午後の下校時は、大混雑します。
それでも吉祥寺寄が空いている方かもしれません。
( → 渋谷旅行 クチコミガイド )
つまり、もともと大混雑である。そういう時間帯において、現状比で、5割以上の人員増をもたらすのが、今回の改訂だ。(現状は 3500人で、今後は 2000〜 3100人の履修者のうちの大半が加算される見込み。)
もともと過剰状態なのに、さらにこれほどの人員増加をもたらして、それでいて「誘導をするから大丈夫」とうそぶいて、肝心のボトルネックの対策をしない。呆れる。問題の所在がどこにあるかすら理解できない。
それどころか、危険性の予想もできない。駅で人間があふれかえれば、人間がホームに落ちたり、人間が列車にはねられたりする危険が生じる。人命喪失の危機だ。しかもこの駅を利用するのは、日本でも屈指のエリートが多い。そこいらの爺さん婆さんが死ぬのとは大違いだ。
こういう危険性さえも予測できない。その愚かさはどうしようもない。
だが、何よりもひどいのは、「始業時間を午前8時半に統一する。4学期制を導入するため」ということだ。実は、統一する必要など、まったくない。駒場キャンパスと本郷キャンパスでは、(地理的に離れすぎていて)同一時刻で掛け持ちすることはできないのだから、両者の講義時刻を統一する必要などまったくないのだ。なのに、「4学期制を導入するため」という変な理屈で、駒場キャンパスと本郷キャンパスの講義時刻を統一する。無意味なルールのために、人命を危険にさらし、能率を大幅に低下させる。……狂気の沙汰だ。
さらに言えば、どうせ統一するなら、8時半でなく、もっと別の時刻にすれば良かった。7時半とか、8時とか、9時とか。なのに、よりによって、一番混雑する時刻にするとは。呆れるしかない。
東大は、今や、最高学府というより、最高馬鹿府になってしまったようだ。
【 関連サイト 】
駒場東大前の写真集
→ 駒場東大前駅前|街並(町並み)写真集【街並画像.com】
→ 駒場東大前駅周辺 の風景・街並み紹介

人命には軽重がない、と教わったのは今は昔か?年寄りと若人では命の重さが違う?平均余命は明らかに違うし、平均生産性もプラスとマイナスくらいの違いはあるかもしれないが、測る尺度は様々で、経済価値の観点から見ても、(未だに)価値の高い老人も、(結果的に)価値の低い若人もいる。
管理人さんの発言に敬意を表している者としては残念な失言にきこえる。
私も、ここの箇所でひっかかりを感じました。あとはスムーズに読めましたけど。
確かに表現は悪い。でもこれがこのブログのスパイスで、このあたりに惹かれちゃうんですね。
トピックは東大の危機管理能力でしたっけ。
この件は前に「正義とは何か」の件で論じたことがあります。下記の (8)
→ http://nando.seesaa.net/article/155534468.html
また、子宮頸がんワクチンの話で、青春期を生きることが何よりも大事だ、という話をしたこともある。下記の [ 付記1 ]
→ http://openblog.meblog.biz/article/17252616.html
簡単に言えば、青春期を過ごしていない若年者の命こそ最も大切であり、大人や老人(すでに人生の絶頂期を過ぎた人の命)はそれよりも劣る、という結論になります。
タイタニックに乗ったならば、子供の命が優先であり、大人や老人は残って死ぬべきだ、となります。
私としては、その場合、自分が残って死ぬことの覚悟はできています。また、原発事故のときには、菅直人が「60歳以上の人間は命を犠牲にしても国民の命を守ろう」と語ったのも、同趣旨です。
要するにこれは、「人間としていつでも死ぬ覚悟をしておけ(若い人の命を守るために犠牲になる覚悟をしておこう)」という趣旨であって、「老人であっても助かろうとして、我先にボートに乗ろうと必死になるようなことはするまい」という趣旨です。
若い人を助けようというのは、私自身が生き延びたいという意味ではなくて、自分の命を犠牲にして若者の命を救おうという意味になります。
これが私の基盤としてあります。
社会的に言うなら、福島の70〜80歳の老人を救うという名目で一人あたり数千万円もの国税を浪費するより、駒場東大前で見殺しにされる若者の命を救おう、という趣旨になります。
ま、あなたがそれに反対するのは、勝手です。駒場東大前で見殺しにされる若者の命をほったらかして、福島の70〜80歳の老人を救うという名目で一人あたり数千万円もの国税を浪費するという、現状の政府の方針が正しい、と思うのであれば、そう主張して下さい。
私としては、すぐに死ぬ人のために数千万円を無駄に投入するよりは、将来数億円を国家のために貢献してくれる若者を救うために知恵だけ出す(1円も出さない)方が、よほど利口だと思いますが。
──
あと、生物学的に言うなら、「親が自分の命を犠牲にしても子の命を守る」というのは、生物(魚類以上)においてかなり普遍的に見られる現象です。この件は下記で。
→ http://openblog.meblog.biz/article/251135.html
に違和感を憶えたのは 「エリート」 という言葉であって、管理人が言い訳している 「若者」 を指し示しているのではないでしょ。ごまかさないほうがいいのでは?
若者だから重要と主張しているのではなく エリートだから重要と読めるのは、例によって誤読なんでしょ。
「しかもこの駅を利用するのは、若者が多い。そこいらの爺さん婆さんが死ぬのとは大違いだ。」と書いたら、違ったのにね。
> ごまかさないほうがいいのでは?
私のコメントは、1番目のコメントへの回答であって、2番目のスピネカさんへの回答ではありません。誤読しないで下さい。
1番目のコメントには、
> 年寄りと若人では命の重さが違う?
と書いてあったでしょ。そう質問されたから、それに答えたのに。質問にまともに答えて怒られたんじゃ、やっていられんわ。
──
一方、エリートかどうかという問題は、いちいち追加で説明する必要がないでしょう。
ここでは「どっちの命が大切か」を論じているのではなくて、「どっちの命の損失の方が経済的に国家的な損失が大きいか」というコスト計算をしているだけです。倫理じゃなくて、経済価値の問題。お間違えなく。あなたはそれをごっちゃにしている。
ここでは「同じく一人が死ぬにしても、その経済的損失の大小には差がある」ということを意味しているのだが、「才能や知能の高低によって命の優先度に差が生じる」というふうに曲解する人が出ているわけだ。
たぶん、1番目のコメントと2番目のコメントをつまみ食いして、勝手にキメラ的な質問を想定してしまったのでしょう。
私は別に、「エリートの命を救うことを優先して、凡人の命を無駄にせよ」と主張しているわけじゃないんだが、そういう意味だと誤読してしまうんでしょうね。(ひがみのせい?)
今回、東大駒場駅の混雑についての記事を拝読しましたが、以前別の観点から考えたことがあったのを思い出したのでコメントします。
そもそもあの駅のホームはラッシュ時にはかなり混雑するところでした。
それほど広くもないホームを挟むように線路が走っています。
東京の多くの電車ホームは似たり寄ったりで、歩く方向が違う乗客がぶつかり合うようになっています。お茶の水もひどい?人間工学的に考えて、人の流れをもう少し制御できないものかと考えたものです。
例えば、線路を真ん中に通して、両脇にホームをこしらえてはどうか。ホームの込み具合はほぼ半分に軽減されるし、危険度も減る筈です。その方が電車の運行も楽ではないでしょうか。
でも、そのように改造できるほど、土地に余裕はなさそうですね。鉄道会社が土地を確保できないために現在の構造になったのか、あるいは土地買収費用を抑えたためにそうなったでしょうか。
パリの地下鉄の一部の駅では、乗車口と出口が全く別のために、誰ともすれ違うことなく路上に出れたのを思い出します。