人類の進化や、人類の移動については、前に詳しく論じたことがある。アフリカを出た人類が、モンゴロイドやコーカソイドなどに分岐したのは、どういう過程であったか、という話。
→ 人類の進化(総集編) 2
→ 人類の移動 (まとめ)
ところがその後、Y染色体ハプロタイプの最新研究の図を得た。(クリックして拡大)
出典:Wikipedia(英語版)
同時に、次の知見も得た。
@ 古モンゴロイド(北方系)と、古モンゴロイド(南方系)は、遺伝子的に遠く隔たっている。[両者を同一グループと見なすのは誤り。]
A 古モンゴロイド(北方系)は、白人と近い。チベット人や、縄文人や、アメリカインディアンも。[縄文人を古モンゴロイド(南方系)と見なすのは誤り。]
B チベット人は、古モンゴロイド(北方系)である。[チベット人を新モンゴロイドと見なすのは誤り。]
C 新モンゴロイドは古モンゴロイド(南方系)から生じた。[新モンゴロイドは古モンゴロイド(北方系)から生じたと見なすのは誤り。]
D オーストラロイドは、遺伝子的には古モンゴロイド(北方系)に近い。[かなり孤絶している、と見なした本項は誤り。]
( → 人類の進化(総集編) 2 【 後日記 】 )
以上の情報すでに得たが、古い記事を特に書き直す暇がないまま、今日まで来てしまった。そこで、ここで簡単に、新たに考えをまとめてみる。
──
上の図では、A,B,C というような記号は、分岐の順番も示している。A が最も古くて、B,C ……と移っていくにつれて新しくなる。
すると、アフリカにいる A,B を除くと、出アフリカをしたグループで最も古いのは、C グループであるとわかる。つまり、北方系モンゴロイドと、オーストラロイドだ。
このことと、「デニソワ人の遺伝子の消失」( → 参照 )とを合わせて考えると、こう推定できる。
「出アフリカをしたなかで最も古いのは、オーストラロイド。彼らはデニソワ人との共通遺伝子を有していた。その後、北方系モンゴロイドや、欧州系コーカソイドや、南方系モンゴロイドなどが分岐した。このとき、(それまで持っていた)デニソワ人との共通遺伝子を失った」
これで基本的なことは説明できる。
ただし、北方系モンゴロイドや、欧州系コーカソイドや、南方系モンゴロイドは、たがいにどういう関係にあったか? 彼らの共通祖先はいたのか? これについてじっくり考えたすえ、次の説が浮かんだ。
「北方系モンゴロイド、欧州系コーカソイド、南方系モンゴロイドの共通祖先は、メソポタミアにいた」
これですべては整合的に説明できると思う。
メソポタミアは、世界的にも時期的に最古の高度文明と言っていいだけでなく、西欧文明の発祥の地である。つまり文明は、次の順で発達した。
メソポタミア → エジプト → ギリシャ → ローマ
この件は、先に「文明の形成」で詳しく述べた通り。
ところが、そのメソポタミアの文明は滅んでしまって、なかば砂漠化してしまった。緑の領域もあるが、大部分が砂漠地帯である。
大きな地図で見る
今ではイラクとなっているが、世界でも最も悲惨な状況の国である。この地域にもともと住んでいた人々は、かなり離散してしまったと思える。また、歴史的にも、移動が激しかったと思える。人種的に、昔の痕跡を残しているとは思えない。
逆に言えば、今はそこに痕跡が残っていなくとも、10万年ぐらい前には、ここには太古の人類がたくさんいたはずなのだ。そして、ここにいた人々が共通祖先となって、そこから、北方系モンゴロイド、欧州系コーカソイド、南方系モンゴロイドなどが分岐したと思える。
こう考えれば、すべてが整合的だ。
──
以上を基本として、あとは細かいところは、従来の記述に従えばいい。従来の記述と食い違う点があれば、本項の記述の方を取ればいい。
※ 従来の記述とは、本項冒頭に示した二つの項目。
おおざっぱに言えば、次のように言える。
・ 当初はエチオピアで人類が誕生した。(初期コーカソイド)
・ その一部が西に分岐して、ネグロイドとなった。
・ ネグロイドは、ネアンデルタール人との共通遺伝子を失った。
・ エチオピアから東に出てアラビア半島に渡った人類もいた。
・ そのうちの一部は東進して、オーストラロイドとなった。
・ 残りはアラビア半島を経て、メソポタミアに定住した。
・ メソポタミアの人々は、デニソワ人との共通遺伝子を失った。
・ メソポタミアから北へ、北方系モンゴロイドが分岐した。
・ そのうちの一部はベーリング海を渡って北米へ移った。
・ メソポタミアから西へ、欧州系コーカソイドが分岐した。
・ メソポタミアから東へ、南方系モンゴロイドが分岐した。
・ 南方系モンゴロイドの一部は、中国へ渡った。
・ 各方向への分岐の後、メソポタミアで都市文明が栄えた。
・ さらにその後、メソポタミアは砂漠化して、人々は離散した。
※ 他に、スエズ地峡経由でメソポタミアに到達した人々もいる。
これらもデニソワ人との共通遺伝子を失っているので、
オーストラロイドとの分岐の時期は、アラビア半島到達後
ではなく、まだアフリカにいる時期であると見なすべきか。
──
なお、日本人について言えば、次の混合だと言えるだろう。
・ モンゴル付近の北方系モンゴロイド (樺太経由)
・ 中国南方の南方系モンゴロイド (黒潮経由)
・ インドに近いドラヴィダ地方 (マラッカ海峡と黒潮経由)
つまり、遺伝的には、かなり多様な祖先を持つことになる。(初期の)樺太経由の人々は、それほど多様ではなかっただろうが、(後期の)黒潮経由の人々は、海を経るがゆえに、東南アジアや南アジアの広い領域からの人々が到来したと思える。
【 関連項目 】
日本人の由来については、過去記事もある。
→ 縄文人と弥生人 2
※ はっきりとした結論は出ていない。
→ 弥生人は朝鮮半島を経由したか?
※ コメント欄に重要情報がある。ハプロタイプから見た日本人の由来。
次の項目もある。
→ 古モンゴロイド(北方系)の経路
【 関連サイト 】
出アフリカをした人類は、アラビア半島に定住した、という話のある記事。
→ ナショナル ジオグラフィック
※ 記事のテーマであるネアンデルタール人の話は、どうでもいい。
ホモサピエンスとデニソワ人との共通遺伝子とは、デニソワ人やホモサピエンスが出アフリカ前に共有していた遺伝子のことでしょうか?
それとも、出アフリカ以後にユーラシア大陸でデニソワ人と出会って交流したホモサピエンスがデニソワ人から取り入れた遺伝子のことでしょうか?
初歩的な質問ですみませんが、よろしくお願いします。
>インドに近いドラヴィダ地方 あの国語の先生のご宣託 信じる根拠は あるんですか
それは、本文中にリンクを記してあります。つまり、
>> 「デニソワ人の遺伝子の消失」( → 参照 )
という箇所です。リンク先を見てください。
> ホモサピエンスとデニソワ人との共通遺伝子とは、デニソワ人やホモサピエンスが出アフリカ前に共有していた遺伝子のことでしょうか?
イエス。
> それとも、出アフリカ以後にユーラシア大陸でデニソワ人と出会って交流したホモサピエンスがデニソワ人から取り入れた遺伝子のことでしょうか?
そんなものは存在しません。種として大きく隔たっているので混血は不可能です。これも説明済み。
わからないことがあれば、サイト内検索してください。一般に、わからないことは、その語句でサイト内検索すればわかります。(★)
──
>インドに近いドラヴィダ地方
簡単に言えば、あの説の何分の1かは、信じるに足ります。つまり、日本人は、多民族由来。
(★)を繰り返し。この件は「ドラヴィダ」で。
オーストラロイドとデニソワ人と共通して持つ割合が高い遺伝子とは、たしかHLA-Bの型の1つで、免疫に関する遺伝子だったと思います。
アフリカ地域の人類がそれを失っている原因は、何らかの病気に対抗する必要がなかったのでしょうか?
デニソワ人がそれを失っていなかった(または改めて獲得した)のは、その病気に対抗する必要があったためでしょうか?
ユーラシア大陸の寒冷な気候とアフリカ大陸の熱帯あるいは温暖な気候の差による何らかの感染症の有無が原因でしょうか?
アフリカ地域の人類がHLA-B遺伝子の型の1つを失った時期が、ずっとアフリカに住み続けたネグロイドとオーストラロイドが分かれた時期よりも後か前かが重要です。
管理人さんは、ネグロイドとオーストラロイドが分かれた時期よりも後に失われたと考えておられます。
デニソワ人と混血があったと考える人は、ネグロイドとオーストラロイドが分かれた時期より前に失ったと考えているわけです。
ある特定の役に立たないが特に有害ではない遺伝子が失われるのは、集団の個体数が少なくなりボトルネック効果が現れる場合だと認識しています。
ホモサピエンスはいろいろな遺伝子の多様性から人数が少なくなりボトルネック効果が現れた時期が何回もあったと考えられているそうです。
ゴリラやチンパンジーがもっていた遺伝子を時期はわかりませんが失った可能性は十分ありそうです。
デニソワ人とホモサピエンスの共通祖先の時代に失っていたとしたら、デニソワ人はホモサピエンスと分かれてから改めてその遺伝子の変異を起こしたと考えられます。
ホモサピエンスのうち、出アフリカをしたヒトは人数が少なく、ボトルネック効果が現れたと考えられます。
オーストラロイドが出アフリカした後にアフリカに残ったネグロイドの祖先集団はすでにアフリカ各地に分散していたと考えられるので、ボトルネック効果が現れるようなときがあったとは考えにくいのです。それでも、遺伝子の喪失が起こったのでしょうか?
すみませんが、疑問に答えてくださるようお願いします。
私はあなたの奇妙な自説にお答えする立場にはありません。
まずは私の説をきちんと読んでください。誤読・誤解のしっぱなしですよ。見当違いの自説 or 誤読内容を信じているから、矛盾にぶつかるだけです。藁人形論法。
サイト内検索すればわかる、と書いたのに、それもしないのであれば、質問しないでください。私はあなたの無料奉仕家庭教師じゃない。まずはサイト内検索してください。
→ http://is.gd/2R6Ta0
きちんと読めばわかる。読まずにいるから、奇妙な自説 or 自己流解釈を信じて、矛盾だらけになるだけ。
相手に質問したいときは、まずは相手の話を読んでから。……この最低限の礼節を弁えましょう。
だいたいね。私がこれまで莫大な分量を使って記してきたことを、「コメント欄で、簡単に説明してくれ」なんて、虫が良すぎるでしょ? そんなに簡単に説明できるのなら、莫大な分量を費やして書くはずがない。
注文はもともと無理難題。だから「検索して別項を読むべし」となる。
管理人さんの説(仮説)では、以下の通りの人類グループ(人種など)の枝わかれがあったと考えておられるのですね。黒人A B は黒人の系統の例を示すものとする
→→→→モンゴロイド
↑
↑
原人 →→→原白人 →→→→→→→→→→→→→→→→→→ 白人
↓
↓
→→→→→→ 黒人A
↓
↓
→→→→黒人B
管理人さんは、以下のように考えているという理解でよいのでしょうかのでしょうか?
黒人(アフリカ土着のネグロイド)はモンゴロイドや白人のグループと別れてから多くの系統に分かれたのであるから、黒人全体でネアンデルタール人やデニソワ人と共通の遺伝子を持つ割合が特に低いのは、黒人とモンゴロイドや白人のグループと別れてから黒人の多くの系統が別れる前かまたは黒人が多くの系統に別れて後かどちらかでそれらの遺伝子が失われたはずだ。
ホモサピエンスとネアンデルタール人やデニソワ人と混血があったであろうとする仮説を言っている学者は、以下のように考えているという理解でよいのでしょうかのでしょうか? 黒人A B は黒人の系統の例を示すものとする
→→→→モンゴロイド
↑
↑
原人 →→→原白人 →→→→→→→→→→→→→→→→→→ 白人
↓ ↓
↓ ↓
↓ →→→ 黒人A
→→→ 黒人B
黒人(アフリカ土着のネグロイド)は単系統群ではなく側系統群であるから、黒人全体でネアンデルタール人やデニソワ人と共通の遺伝子を持つ割合が特に低いのは、ホモサピエンス全体の祖先(上の図での原白人)以前にそれらの遺伝子が失われたはずだ。
私は、今まで何となく「いくらかは混血はあったのかなー」と思っていたので、それを否定する管理人さんの仮説を新鮮に思い、いろいろ勉強させてもらいたいと考えて、書き込みさせていただいています。管理人さんの仮説にいちゃもんをつける意図はありません。
> ホモサピエンスとネアンデルタール人やデニソワ人と混血があったであろうとする仮説を言っている学者は、以下のように考えているという理解でよいのでしょうかのでしょうか?
は、正しくない。彼らは黒人から始まり、白人やモンゴロイドが枝分れしたと考えています。
あと、人種については、下記のコメント欄も参照。
→ http://openblog.meblog.biz/article/23417108.html
管理人さんの説の元となる系統図を見ました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AEの「ファイル:遺伝的近縁図.png」
ホモサピエンスとネアンデルタール人などと混血があったであろうとする仮説を言っている学者は、以下の図のように考えているのでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE の「変動ゲノムワイドパターンから求められる51集団の遺伝的系統樹」を参考に前の系統図を描き直しました。
→→→モンゴロイド
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原人 →→→原白人 →→→→→→→→ 白人
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↓ ↓
↓ →→→ 黒人A
→→→ 黒人B
アフリカ南部のネグロイドが、実際には単系統群なのか側系統群なのか、大変気になるところです。
単系統群だったら管理人さんの説の信憑性が高まると思いますし、側系統群であれば信憑性が低くなってしまうように思います。