STAP細胞事件について、理研の調査書が出た。
→ STAP細胞論文に関する調査結果について
読んでみたが、これは相当、不正確なものである。以下で解説する。
図の捏造
新たに2件、図の捏造があると認定された。
新たに捏造が認定された図表は、細胞の増殖率を比較するグラフで、人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発を発表した山中伸弥・京都大教授の論文(2006年)中のグラフと酷似していると指摘されていた。また遺伝子の働き方が変わる現象を示す図も捏造とされた。
( → 毎日新聞 2014年12月26日 )
具体的に示そう。
(1)
まず、次の図だ。

これは、8月に NHK の番組で話題になった図だ。そのとき、私は次のように述べた。
ただ、私としては、ここで「小保方さんがずさんにやった」という可能性も捨てきれない。「実際に実験ノートをきちんと取って、その数値データからきちんとグラフ化した」という正しい操作を取らず、もっといい加減にヤマカンふうにグラフを作った可能性も捨てきれない。……その意味では、ある種の「不正」はあったかもしれない。
だが、だとしても、それは本質的な意味での「捏造」ではないのである。たとえば、「どうせ単調増加で増えていくのだから」という理由で、何カ所かのデータを入れたあとで、途中のデータ(黒丸または白丸)を勝手に想像で入れてしまったのかもしれない。 (^^);
これは、厳密に言えば「捏造」だが、「事実に反する」という意味ではなく、ただの「ズボラ」「手抜き」であるにすぎない。
( → NHKの番組の検証(STAP) )
この推定は、今回の理研の調査でも裏付けられた。
同氏の勤務の記録と照合して、Article Fig.5cのように約3日ごとに測定が行われたとは認められない。小保方氏の説明を聞いた限りでは、同氏は細胞生物学の最も基礎となる細胞増殖率測定に必要な「細胞数の計測」という手技の原理と方法は理解し、最初はそれによって行なっていたものの、途中からはコンフルエントになった状態の細胞数を107とみなし、計測を怠ったものと判断した。特に、小保方氏は植え継ぎ時に細胞数を正確に計測せずに、Article Fig.5bを作成していたことを自認しているが、そうだとすると、この図は、細胞増殖率を測定したものとしては全く意味をなさない。同氏が細胞数の計測という最も基本的な操作をしていないこと、また希釈率についても1/5と説明したり、1/8から1/16と説明したりしていること、オリジナルデータによる確認もできないことから、小保方氏の捏造と認定せざるを得ない。小保方氏は、1人で細胞数を計測し、細胞増殖率測定のグラフを作成したことを認めているところ、小保方氏によってなされた行為はデータの信頼性を根底から壊すものであり、その危険性を認識しながらなされたものと言わざるを得ない。よって、捏造に当たる研究不正と判断した。
( → 調査報告書(全文) )
要するに、架空の実験をでっち上げたのではなくて、実験そのものは(本人の主張に従えば)あったはずである。ただしそれは、論文に記載されたようなきちんとした実験ではなくて、ずさんな(手抜きされた)実験であった。勤務実態からして、「約3日ごとに測定が行われた」ということはありえず、多くの測定ポイントの数値が架空であったと推定される。
以上のことから、最低でも、部分的には架空の数値が記入されたことになるので、最低でも部分的な捏造はあったことになる。
それが理研の報告だ。
(2)
さらに、新たに次の図も問題視された。

これについて理研の報告書は、次のように述べている。
CDB若山研のPR資料において図の取り違えがあったこと、Article Fig.2cについて裏付ける実験記録の存在が確認できないことなど、小保方氏のデータ管理は杜撰であった。のみならず、小保方氏は、自認するとおり、得られたデータのうちの一部だけを仮説に沿って意図的に選別して提示し、データの誤った解釈を誘導する危険性を生じさせた。小保方氏はこのような危険性について認識しながらデータを選別したうえ、手動で作図して存在しないデータを新たに作り上げたものである。よって、捏造に当たる研究不正と判断した。
( → 調査報告書(全文) )
ここでもまた、同様のことがあったことになる。自分の意図した方向に、データを意図的に選別したり、加工したり、部分的には存在しないデータを作り上げた。
以上のことから、最低でも、部分的には架空の数値が記入されたことになるので、最低でも部分的な捏造はあったことになる。
それが理研の報告だ。
捏造の意味
理研の報告書が具体的に示しているのは、「部分的な捏造はあった」ということだ。この点については、私も異論がない。私もまた8月にはそうであろうと推定していた。「やっぱり予想通りだったか」と思うだけだ。
問題は、これが全面的な捏造であったかどうかだ。このことが問題となる。
まず、捏造の定義からすれば、こうだ。
捏造とは、実際になかったことを事実のように仕立て上げること。
( → Wikipedia )
この定義に従えば、実験そのものは実際になされたらしいので、「実際になかったこと」ではない。つまり、実験は捏造ではなかったことになる。
報告書が言っているのは、「図の部分データに架空のものがあった」ということだが、それはあくまで「部分的な捏造」であって、「実験が捏造だった」ということにはならない。
「たとえ部分的であれ捏造があったのだから、全体を捏造だと見なす」
という見解もありそうだが、これは成立しない。なぜなら、そのような不正確な認識(部分を全体であるかのように表現する不正確な認識)を許容するのであれば、部分を全体のごとく表現していること自体が捏造になるのだから、報告書自体が捏造だったことになる。
つまり、「こいつは捏造だ」という報告書自体が捏造だと認定されてしまうのだ。あまりにも厳しい評価基準を取るのであれば、その厳しい評価基準が自分自体にも適用されて、自分自体が捏造になってしまうわけだ。(自己言及文のパラドックスみたいだ。)
比喩
「誤変換や誤字を記している文章は、信用でき内!」
この文章では、最後の「ない」が「内」の誤変換されている。そのせいで、この文章自体が信用できないものになっている。
理研の報告書は、それと同様のことになっている。「部分的な捏造があるだけでも完全な捏造なのだ」というふうに主張したとき、単に部分的な捏造を全面的な捏造であるかのように誇大表示しているという点で、報告書自体が不正確なことをやっている。それゆえ、その不正確さゆえに、報告書自体が捏造していることになる。
では、どうすればいいか? もちろん、科学的に正確に表現すればいい。こうだ。
「小保方さんのやったことは、部分的な捏造とは言える。ただしそれは、実験そのものが架空の実験であったことを意味しない。実験そのものはなされた。ただし、あまりにもずさんで、手抜きされたものだった。未熟な初心者がしばしばやるように、ところどころで手抜きをした。うまくデータを取れないところや、データが歪んでいるところでは、勝手にデータを記入して、うまい実験データが出たように見せかけた。その意味で、歪曲という言葉はぴったり当てはまる。正確な実験からは、程遠い。それでも、ゼロから何かをでっち上げたのとは違うし、事実とは正反対の方向に結果を歪めたのとも違う」
これは、イメージ的に言えば、「白でも黒でもなく灰色だ」ということだ。そして、「正しい実験は白であることが必要だ」という基準からすれば、「これは正しい実験ではないし、まったく許されない」と判断していい。
しかしながら、それはあくまで「白ではない」という意味だ。
一方、これを「黒だ」とか「真っ黒だ」とか表現するのは、それ自体が捏造表現だと言える。
つまり、理研の報告書は、それ自体が(不正確さゆえに)捏造をしていることになる。
( ※ 理研の基準に従えば、の話である。このような不正確な表現は、理研の基準では「捏造」になるが、私の基準では「不正確」となる。だから本項の冒頭では「不正確」という言葉を使った。)
3大不正か?
記者会見では、これが3大不正か、ということが話題になった。
−− 今回の論文に関する一連のことが、「世界3大不正」にあたると表現されたこともあるが、そういう認識はあるか?
桂 大きなものだという認識はある。これだけおかしいことがいっぱいあるのに、非常にすぐれた研究者の目を通っているのに、表に出てしまった。不思議だ。ただ世界3大不正かどうかは、まったく自信がない。ただ、マスコミが非常に大きく取りあげたという意味では「3大」かもしれない。
( → 理研調査委員会の会見一問一答 )
3大不正というのは、他の二つと比較してのことだろう。
・ 超伝導の捏造事件(シェーン)
・ ES細胞の捏造事件(黄禹錫)
しかし、これら二つと STAP細胞事件とは、大きく異なる。これら二つでは、実験そのものがなされなかった。その意味で、完全な捏造であった。
一方、STAP細胞事件では、実験そのものはなされた。ただ、そのうちの一部において、初心者のやるような、ずぼらな手抜きと加工がなされたのである。
とすれば、「これら二つと STAP細胞事件とは、大きく異なる。これら二つは完全な捏造事件だが、STAP細胞事件ではごく小規模な加工があっただけだ」と表現するのが正しい。
にもかかわらず、これらを同列に並べた見解を否定せずに、同列に並べるのを是認するかのように表現した調査委は、まったく不正確な判定をしていることになる。
この意味では、この不正確さゆえに、理研の調査委は捏造をしていることになる。(理研の判断基準に従えば、だが。)
実験の有無
では、実験は、実際にはあったのか、なかったのか?
報告書を読むと、「実際にあったというのは疑わしい」というような表現が多く見られ、「実験はなかったようだ」と推定していることになる。
しかしながら、このような曖昧な論拠で推定することは、非常に問題だ。
私の見解を言えば、「実験は実際になされた」と推定する。なぜか? それは、この実験があまりにも容易だからだ。
たとえば、 (1) の実験ならば、細胞の数を数えるだけだ。その細胞もあるし、数える方法も簡単だし、数えるやり方も本人が知っている。しかも、数えること自体が本人の仕事だ。……ここまで理解すれば、「実験をしなかった」ということの方が、不自然すぎる。
今回の報告書(スライド)には、次の図もある。

このような環境で、細胞の数を数えるだけという実験ができないはずがない。とすれば、論理的に考えて、「実験はなされた」と推定するのが妥当だろう。
一方、「出勤記録が不十分だから実験はなされなかった」と推定するのは、論理の飛躍というものだ。ここでは、「実験は完全にはなされなかった」と推定するのが正しい。「実験はまったくなされなかった」と推定するのは正しくない。
その意味で、調査委の推定は論理の飛躍があるし、したがって、その推定は捏造に当たるのである。(調査委の基準に従えば。)
なお、もう一つの図についても、同様だろう。小保方さん自身が加工を認めているのだし、部分的な加工はあったのだろうが、「実験そのものがなかった」と見なすのは、論理の飛躍がある。
したがって、「3大不正」などと表現するのは、あまりにも過大な表現であり、そんな表現を是認する( or 看過する)理研は、あまりに認識が不正確である。(理研の基準に従えば、それもまた捏造だ。)
《 注記 》
さらに重要なことがある。
この2点の「部分的な捏造」は、全体のごく一部にすぎない、ということだ。当然ながら、この2点以外の大部分の図や表については、「捏造」でなく「実際になされた実験」と見なされる。
特に、今回の報告の眼目は「 STAP細胞の正体は ES細胞のコンタミであった」ということなのだから、実験はまさしくなされたということを、報告書自体が認めているわけだ。(仮に実験が架空のものであったなら、コンタミもなかったことになるので、報告書は瓦解する。)
結局、報告書の全体は、「実験はまさしくなされた」という趣旨で書かれている。とすれば、「3大不正」などと表現するのはあまりにも過大な表現であるとわかる。そんな過大な表現を聞いたら、「全然違う」というふうに、はっきりと否定するべきだった。
なのに、そうできなかったのは、「初めに結論ありき」で、「こいつは捏造だ」という結論をあらかじめ用意しておいて、その事前の結論に合わせて報告書を書いたからだろう。だからこそ、真実とは懸け離れた不正確な報告書になってしまった。(その意味では、この報告書自体が、小保方さんと同様に、不正な操作をしている、と言える。)
理研の責任
最後に、より本質的に述べよう。
今回の理研の報告書では、画竜点睛を欠くというよりは、いちばん肝心の点が抜けている。それは、理研の首脳部の組織的責任だ。つまり、竹市センター長および上層部の責任だ。
ここに最大の責任があるということは、すでに述べた。
STAP細胞事件の責任は、誰にあるか? 実験ミスをした小保方さんよりも、プロジェクトを推進した上層部であろう。
( → STAP細胞事件の総括 3 )
ここで詳しく述べたように、未熟な初心者の異常な実験に対して、何らチェックを入れず、イケイケドンドンでやたらとデタラメ実験を推進した。アクセルの踏みっぱなしで、ブレーキを掛ける気配もなかった。つまり、組織としてなすべきチェック機能が完全に欠落していた。
これは明らかに理研(神戸)の組織的な欠陥である。その責任は、竹市・センター長、笹井・副センター長、および他の上層部にある。
とすれば、これらの放任した人々の責任こそ、最大限に指摘される必要がある。
にもかかわらず、今回の報告書は、あくまで小保方・若山・笹井という三名だけに責任を集中している。これは「責任転嫁」と呼ぶにふさわしい。
要するに、この報告書は、理研のトップの責任を隠蔽して、すべての責任を三名に押しつけようとしているだけなのだ。真実を隠蔽して、特定の三人に責任を押しつけているわけだ。(尻ぬぐいみたいに。)
で、こういう隠蔽工作に引っかかった人々が、「小保方さんが悪い!」とばかり非難して、肝心の真犯人である理研・上層部を見逃してしまうわけだ。この件は、前にも述べた。
トカゲのシッポ切りとは、組織の一部に責任をすべて帰することで、組織防衛をすること。
たとえば、ある不祥事が起こったときに、組織は特定個人を名指しして、責任のすべてを特定個人にひっかぶせる。「こいつが故意にやったことだ。すべてはこいつの責任である」というふうに。そのことで、組織は自分の責任を免れる。こうして組織を防衛する。(世間の指弾を免れる。)
《 以下、略 》
( → トカゲのシッポ切り )
かくて、理研のデタラメさは放置され、最大の張本人たちは、ぬくぬくと生き続ける。
STAP細胞問題で論文の不正が議論されている。「これをきちんと是正しないと研究がまともに進まない」というような趣旨。
しかし、理研に関する限り、最大の問題は、論文の不正ではない。研究員の高齢化だ。60歳を超えた研究員がかなりいるし、研究所を牛耳っているのは 70歳以上だ。そのせいで、若手の登用が制限されて、研究の新陳代謝が進まない。
ここに理研の最大の問題がある。
具体的に例示すると、こうだ。 (以下略)
( → 理研の問題は高齢化 )
世間が STAP細胞事件なんかに目を奪われているせいで、理研を牛耳っている 80歳近いボケ老人たちは、相も変わらずぬくぬくと超巨額の科学予算を、ほとんど私物化しているわけだ。
物事の本質を見失うと、30歳の女性をいじめることばかりに熱中して、80歳近いボケ老人が日本の科学を滅茶苦茶にしていることは放置してしまう。
馬鹿な国民たちは、日本の科学のことなんかどうでもいいのだ。単にスキャンダルごっこで騒ぎたいだけだ。
要するに、人々が STAP細胞事件で騒いでいるのは、これと同様である。
→ NHKのお天気お姉さん 岡村真美子に“変態ダブル不倫
何のことはない。「かっぽう着とか何とかでセンセーショナルに記者会見を開いた理研の体質が問題だ」なんて主張をしている国民自体が、やたらとスキャンダル好きだった、というだけのことだ。センセーショナルが好きなのは、理研ではなくて、国民自体なのだ。
【 追記 】
(1) のグラフ(単調増加のグラフ)の不正は、「事実に反する」という意味の捏造とは違う。なぜなら、仮に正直に正確にやったとしても、そこで描かれるグラフはほとんど同一のものになるからだ。( ES細胞を使っているのだから当然だ。)……その意味で、結果はまったく変わらない。単に「信頼性が損なわれる」というだけのことだ。
もちろん、それは科学として許されるべきことではないが、これを「捏造」と呼んで大騒ぎするのは、その騒ぎ自体が捏造に近い。捏造でもないものを「捏造」と呼ぶからだ。つまり、捏造騒動をする人々自身が、事件を捏造しているわけだ。
( ※ 朝日が誤報をして大騒動になったが、それと同様だ。捏造騒動をする人々は、ありもしない捏造を「ある」というふうに誤報しているわけだ。これもまた一種の捏造みたいなものだ。)
【 シリーズ項目 】
→ 総括 1
→ 総括 2
→ 総括 3
→ 総括 5
タイムスタンプは 下記 ↓
当時、管理者殿と議論?となったグラフが、また今回の調査委員会で問題になりましたね。
このグラフに関する当時の管理者殿の主張は、「真実を告げたのだが手抜きであった」ということでしたね?
誤読でしょうか?
小生(ため息ばかり)は「実験はやってみないとわからないのです。データを作ってはいけないのです。作ったら、たとえ結果的に事実と同様であっても、捏造です。」と主張したわけです。
覚えておられますか?
今回の調査委員会の「実証的な研究では細胞の数を正確に数えないで推定することは許されない。
もし、行なえば、それは捏造と認定をされることになる。」http://www3.riken.jp/stap/j/h9document6.pdfという結論と小生の主張とが一致していることはご承認していただけるでしょうか?
管理者殿は、実験は行われた。しかし部分的にデータを捏造した。これは実際になかったことを事実のように仕上げるという捏造の定義にあてはまらないから、捏造ではないと主張されています。これは今回の調査委員会の見解とは異なると思いませんか?
つまり、管理者殿の、実際に実施した実験の部分的データの捏造、結果が分かっている「食塩の溶解度の実験」のデータの捏造は許されるという考えと、小生や今回の調査委員会の考えとは異なるとしてよろしいでしょうか?
小生は、いかなるグラフでも、実際に計測したデータ以外に、推測されたデータをプロットしてはいけないという立場です。しかし、管理者殿は、わかりきったデータだったら、例えば初期値と最終値を測定したら、その中間の値を創作してプロットしても、そのデータが重要でなければ構わないという立場であると解釈しましたが誤読でしょうか?
「STAP細胞事件では、実験そのものはなされた。ただ、そのうちの一部において、初心者のやるような、ずぼらな手抜きと加工がなされたのである。」とおっしゃる根拠、特に実験がなされたという根拠はどこにあるのでしょうか?この問題となっているグラフは、いわゆる「エア実験」と思われます。小保方氏はrawdata を示すこともできず、実験ノートもない、実施した期間もありえないというのが今回の調査委員会の結論です。
さて、管理者殿も小生も細胞増殖の程度を細胞数でカウントするようなことをしたことがないわけです。小生は0.5日毎にカウントして間引きしてグラフに表示するという管理者殿のアイデアはありえないとコメントしました。これに対してエノケンさんという方が、細胞数のカウントは2〜3日毎に実施するという、経験したことのあると思われる方からのコメントがありました。これに対する管理者殿の応答はありませんでしたね。その後、お考えは変更されましたか?
管理者殿は、そんなグラフの部分的捏造なんかを針小棒大に騒ぐのではなく、理研の上層部や理研を牛耳っている 80歳近いボケ老人たちを問題にしろとおっしゃっていますが、それはそれで立派なご意見です。
しかし上記のグラフという小さな件とは関係ないことです。問題をそらさないようにお願いします。
最後に、管理者殿と意見の違う事もありますが、楽しくブログを読ませていただいているので、「ため息ばかり」を排除されるのをやめていただけないでしょうか。お願いします。異なる意見があってもいいのではないかと思うのですがいかがでしょうか?
誤読がひどすぎて、私の時間を取られるのが人生の無駄。前は「リンク先を読んでくれ。そこに説明は書いてある。そっちを読んでからにしてくれ。そうすれば同じことをいちいち書いて反論しないで済む」という趣旨でした。
今回も似た感じ。「本文を読んでくれ。そうすればいちいち反論しないで済む。時間を無駄にしたくないから、本文を読んでくれ」と言うしかないですね。
「誤読ですか」って? もちろん、誤読だらけですよ。あなたの見解は、こちらの意見をあらかじめ想定して、勝手に藁人形を仕立てているだけ。まずは私の文章を虚心坦懐に読んでください。あなたのやっていることは、もはや捏造と同様です。
ごく簡単に本項の要旨を言うなら、こうです。
「小保方さんのやったことは完全な捏造ではない。部分的な小さな不正だ。それは許されるべきではないが、真っ黒な巨大な捏造と見なすべきではない」
つまりは「事実を正確に認識せよ」と言っているだけ。
あなたはそれを誤読して、「本項は小保方さんを真っ白だから許せと主張している」と勘違いしている。誤読がひどすぎ。こんなのを相手にするのは時間の無駄。
ああ、また無駄にしてしまった。忙しいのに。
※ 「未熟な愚か者のやったたわいもない愚行を、天才犯罪者による超絶的に知性的な犯行と見なすべきではない」というのが、私の立場。こんな当たり前のことも理解できない人と論議するのは、時間の無駄。犯罪マニアの妄想に付き合っている暇はない。
> 異なる意見があってもいいのではないかと思うのですがいかがでしょうか?
それはいいですけど、自分のブログでやってください。私は関与しません。私は日本語能力のない人と日本語読解力の話をするつもりはない。
タイムスタンプは 下記 ↓
お疲れ様でした。
彼女は自然科学に携わる者の心構え、倫理観が備わっていなかった。だから己の為したことは管理人が述べるように悪意を持たずにやったのだと思います。
ゆえに無知を糾弾するのではなく、それを登用させたものやシステムを改善すべきなのです。
プレゼン重視、応答重視から頭の回転の早い人物を重用するきらいがあります。二人のスティーブが良い例だと思います。私はジョブズ的な彼女がウォズの仕事をやってしまった悲劇(喜劇?)だと思います。
※ ジョブスが捏造や不正をやったという意味ではない。
STAP細胞の研究は関係者以外漏れないように穏便にやってきたということと、ES細胞の混入は研究所内の誰でもできる可能性があったということは相反してて、要は基本的なことを組織として管理できてないお遊び団体に税金を使っていたということになる。