STAP細胞について、理研の検証実験の報告が出た。
→ STAP現象の検証結果について | 理化学研究所
ここにはいろいろな資料があるが、特に、次のタイトルの実験報告が重要だ。
「STAP現象の検証結果(スライド資料)」 …… ★
さて。これを読めば、今回の報告の結果は一目瞭然だ。
なのに、これを読みもしないで、てんでに勝手なことばかりを言っているのが、マスコミだ。特に、読売新聞がひどい。
《 徹底した不正防止策 必要 》
日本を代表する研究機関の理化学研究所の責任は重い。日本の科学の信頼回復のために徹底した不正防止策が求められる。……科学界が自ら研究不正に厳しい姿勢で取り組むことが求められる。
( → 読売新聞・夕刊 2014-12-19 )
ここでは「不正があった」と認定した上で「不正をなくせ」と主張している。では、今回の報告で、「不正があった」と結論されたのか? いや、そうではない。読売の記事にも、次の文句が含まれている。
今回の不正が意図的なものだったのかの検証も必要だ。
( → 同上 )
ここでは「意図的なものかどうかはわかっていない」(だから検証すべきだ)という趣旨で記している。そのくせ、「不正」という言葉を使って、「不正である」と認定している。
呆れた。「意図的」でないとしたら、「不正」ではないことになる。だったら、「不正だ」と勝手に決めつけるべきではないのだ。こんなこともわからないで、「不正」という言葉を使って、勝手に「不正」と認定する読売は、頭がどうかしているとしか思えない。
マスコミの報道というのは、これほどにもデタラメなものである。理研の報告書を読めばわかることすら、読みもしないで、勝手に自分の思い込みを書くだけだ。
読売はひどいが、読売以外の他社がまともであるわけではない。どこのマスコミも、何も報じていないに等しい。
そこで、私がきちんと解説しておこう。
──
本項の冒頭にも記したように、理研のページに検証実験の結果(★)がある。その PDF を読めば、検証実験の内容はわかる。
結論だけを言えば、「 STAP細胞の存在性は確認されなかった」となるが、「ではどうして STAP細胞がある という論文が書かれたか」という点については何も言葉で示していない。
しかし、言葉では示していなくとも、図表を見ればわかる。特に、次の二点が重要だ。
・ 自家蛍光との区別
・ 多能性マーカーの発現
この二点について、順に論じよう。
(1) 自家蛍光との区別 (小保方)
自家蛍光との区別は、今回の検証実験で、詳しく調べられた。(小保方研究員の実験)

この図を見ればわかるように、緑色の蛍光のほかに、赤色の蛍光もある。このことから、「緑色の蛍光は、GFP の発光でなく、自家蛍光である」と判定されることになる。
※ 理由は、下記で説明した。
→ Oct4-GFP と自家蛍光の区別
つまり、緑色の発光を GFP の発光だと見なした原論文は、誤認だったことになる。
逆に言えば、今回のような検証をしておけば、原論文では誤認が起こらなかったはずなのに、そのような検証をしていなかったせいで、原論文では誤認が起こったのだ、と判明したことになる。(今回の検証実験によって判明した。)
(2) 多能性マーカーの発現 (丹羽)
多能性マーカーの発現は、今回の検証実験で、詳しく調べられた。(丹羽研究員の実験)

この図(グラフ)を見ればわかるように、多能性マーカーの発現は、皆無ではなくて、いくらかは起こっている。ES 細胞における発現を 1 とした場合に、ゼロ近辺になるとは限らず、 0.1 を上回るような、かなり大きめの数値を取ることもある。それでも、ES細胞と同程度というほどには大きな数値にはならないが、だとしても、無視することはできないほどの大きめの数値を取ることがあるとわかる。特に、 Oct3/4 に限っても、かなり大きめの数値を取ることがあるとわかる。
このことは、実は、以前にも指摘されたことだ。本サイトでも解説済みだ。
→ STAP細胞の真相は Oct4 発現の偽陽性
ここで指摘されたように、Oct4 の数値がかなり大きな数値になることがある。実際には多能性は発現していないのに、多能性マーカーは陽性になることがある。これは「偽陽性」という概念で説明できる。
( ※ 比喩的に言うと、ツベルクリン反応や、インフルエンザの検査で、実際には陰性であるのに、検査では陽性になることがある。それと同様だ。)
ここでは、研究に意図的な不正があったのではなくて、実験そのものが「偽陽性」という形で嘘の結果が出ることになる。要するに、試薬が間違った結果を出しているわけだ。で、試薬が間違った結果を出しているときに、「研究者が不正をしているからだ、捏造をしたからだ」というふうに騒いでいるのが、読売のような無知な人々だ。
──
以上のことから、STAP細胞事件の問題点がどこにあったか、判明したことになる。
(1) 赤と緑の対比をしなかったせいで、ただの自家蛍光を見て、多能性があると誤認した。
(2) 多能性マーカーが偽陽性で発光したのを、多能性があると誤認した。
いずれも、誤認である。これらは、高度な知識のある研究者であるならば、避けられただろう。しかしながら、小保方さんは高度な研究者ではない。だから、このようなミスをして、自分で気づかない、ということもあるのだ。
これに対して、「そんな基本的なこともわからないなんて、とんでもない」というふうに批判する人もいる。
実は、私が蛍光顕微鏡観察で一番最初に「注意すべし」と教えられたのは、「死にかけ細胞による自家蛍光」なんですよね。本来なら、こうした細胞観察の最初に教えられるはずの注意事項なんです。(だから、例の論文の査読者からその指摘があったのは当然なんですよ…)
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2014, 11月 15
これを読むと、「そんな初歩的なことに気づかないのはけしからん」と思うかもしれない。しかしこのことは、決して初歩的ではない。この分野の専門家ですら、気づかないことがある。前出の「Oct4-GFP と自家蛍光の区別」という項目から孫引きしよう。
Jeanne Loring
Yoshiyuki: autofluorescence has a very broad emission spectrum- look in the red channel and see if you see the same signal as in the green.
Yoshiyuki
Jeanne: Thank you for your advise.
Unfortunately, because I can detect Red channel, this signal is autofluorescence. I will retry. Thanks
( → www.ipscell.com )
ここからもわかるように、関由行という一流の研究者(今回の事件では有名になった)でさえ、人に言われるまでは、赤色と緑色の対比という区別の仕方を知らなかったのだ。若手の小保方さんが知らなかったとしても、仕方ない。
どちらかと言えば、このような点に気づくべきだったのは、理研の研究者であった、笹井さんと若山さんだっただろう。しかし彼らにとっても、この分野は専門外(ちょっとずれる領域)だったから、知識がなかったのも仕方がない。
どちらかと言えば、最大の問題点は、Nature の査読者にあった。彼らは「自家蛍光との区別」という点を指摘していたようだが、「赤色と緑色の対比」という点については指摘しなかった。これはおそらく、Nature の査読者もこの方法を知らなかったからだろう。
とすれば、最大の責任者は、ミスを看過した Nature の査読者にあることになる。他の科学雑誌では、「ダメだ」と認定して、論文を拒否したのに、 Nature はまともな査読もしないまま、論文を掲載してしまった。ここに最大の責任があった、と見なせるだろう。
一般に、馬鹿や未熟者がミスをするのは、仕方がない。そのような例は、研究の分野では、山のようにたくさんある。大切なのは、馬鹿や未熟者がミスをしても、それを看過しないように、まともな人々がチェックすることだ。今回は、それができなかった。笹井さんと若山さんもできなかったし、Nature の査読者もできなかった。これらの人々こそ、最大の責任があったと言えるだろう。
順序で言えば、次の順で責任がある。(上位ほど責任が大きい。)
・ Nature の査読者
・ 笹井さん
・ 若山さん
・ 小保方さん
だから、批判するのであれば、この順で批判するべきだ。
一方、「小保方さんが不正や捏造をなした」というふうに主張するのは、それ自体が一種の捏造である。(たとえば、片瀬何とかという人がやったような。)
最初は、自家蛍光をGFPの蛍光だと誤認した事から始まったのだろうと思う。どうして引き返せなかったのか…。
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2014, 12月 18
この人もようやく、「自家蛍光をGFPの蛍光だと誤認した」と認識したようだ。だったら、そういうふうに認識を改めた、と述べて、「悪意ある捏造だ、シェーンと同様だ」というふうに非難したことについて、謝罪するべきだろう。
しかし、謝罪できない。人は自分のなした過ちを素直に認めたがらない。そういうものなのだ。
小保方さんだけでない。この事件で騒いでいる誰もが、自分の説にこだわって、自分のなした過ちを素直に認めたがらないものなのだ。
( ※ 「そういうおまえはどうなんだ?」という質問への回答は → こちら )
──
ともあれ、今回の騒動は「不正」ではなくて「実験ミス」であると認定される。その後、ただの実験ミスを、一流の研究者や、Nature のような科学雑誌が、看過してしまった。そのことから、大騒動が起こった。
「笹井さんや Nature が間違うはずがない! ゆえに、小保方さんがこれらの人々を意図的にだましたのだ! 捏造したのだ!」
というふうな批判が起こった。しかしこのような批判は、「小保方さんは、笹井さんや Nature を手玉に取るような、超絶的に優秀な知性の持主なのだ」ということを意味するから、それ自体の内に矛盾を含む。かくて、論理的に破綻してしまった。
今回の教訓は、「笹井さんや Nature でさえ、間違うことがあるのだ。ミスを看過することがあるのだ」と理解することだ。そして、そう理解すれば、「今後はミスを看過しないように、チェック体制を整備しよう」と思うはずだ。
ひるがえって、「不正を看過しないように」という読売の提言は、まったく見当違いである。不正を看過しない体制をどれほど整備しようと、ミスを看過しないことにはならない。両者は別のことだからだ。
現実にはミスで生じたものを、「不正があった」というふうに曲解すると、対策からして方向違いになってしまうのだ。怒りのような感情に駆られて、人を非難することばかりに熱中すると、真実を見失ってしまうのである。
そのこともまた、今回の騒動の教訓となるだろう。
──
最後にオマケふうに述べておこう。
今回、小保方さんと理研が検証実験をしたことは、良いことだった。おかげで、上記の (1)(2) のようなことが判明した。つまり、どういう形で実験ミス(誤認)が起こったかが、判明したことになる。
一方、「検証実験をするな」とか、「小保方さんを検証実験から排除せよ」とか、そういう反対論もあった。
→ STAP:分子生物学会の謎
しかし、このようは反対論に従わず、検証実験をしたことは、良かった。今回のような事実を明らかにしたからだ。なお、この点については、下記項目でも論じたことがある。
→ なぜ再現実験が必要か?(STAP)
[ 付記1 ]
読売には、次の記事もある。
神戸市の理研センターのある研究者は……と話す。「今回の問題の一因は、研究全体をコントロールする人がいなかったことにある」
( → 読売新聞 2014-12-19 )
これは的確な指摘だ。本項でも同趣旨の話を述べたことがある。
今回の問題が起こったのは、誰かが意図的に捏造をしたからではない。「研究全体の統括者と、実験の遂行者とが、別々の人物である」ということがあった。そのことから、ミス実験が正常実験だと勘違いされてしまったのだ。
とすれば、すべての根源は、「研究全体の統括者と、実験の遂行者とが、別々の人物である」ということだったのだ。
これは一種のヒューマンエラーである。組織の統括者が誰であるかよくわからないほど無責任な体制だった。かくて、責任の所在がはっきりとしないまま、デタラメがまかり通る。……こういうことは、よくあることだ。
結論としては、STAP細胞の事件は、「船頭多くして舟陸に上がる」という形で理解できる。船頭が一人で統括していれば、何事も起こらなかっただろう。ところが、船頭が二人いて、責任体制もはっきりしないまま、それぞれが勝手な思い込みで、ずさんな行動を取った。そのあげく、舟は陸に上がってしまったのだ。
こうして、今回の事件は、「船頭多くして舟陸に上がる」という形で、本質を理解できる。
( → STAP細胞事件の真犯人 )
[ 付記2 ]
事件の本質については、「ただのミス」ではなくて、「意図的なミス」というふうに理解できる。つまり、こうだ。
冒頭の報告からは、STAP細胞が ES細胞のコンタミではないことを証明する実験が、意図的になされたことがわかる。ただし、その意図を有していたのは、小保方さんではなくて、笹井さんである。
・ 笹井さんが「正解」を勝手に示した。
・ 小保方さんが「正解」に合うようにミス実験をした。
( → STAP細胞事件の真犯人 )
「意図的なミス」という言葉を聞くと、「そんなことはあり得ない」と思うだろう。しかし、意図した人とミスをした人が別々であれば、「意図的なミス」ということは起こりうるのだ。
そして、それをもたらしたのは、「意図した人とミスをした人が別々である」ということ、つまり、「船頭が多い」ということなのだ。
かくて今回の事件では、「船頭多くして舟陸に上がる」という形で、事件が起こってしまった。
この本質を理解するといいだろう。
( ※ すぐ上では、簡単な説明しかしていないので、詳しくはリンク先を読んでほしい。とにかく、ここに本質がある。)
《 緑色の蛍光の問題については、本文中の (1)(2) で示した通りだ。一方、キメラマウス作製の方は、[ 付記1 ] ,[ 付記2 ] で示した通りだ。つまり、「意図的なミス」の形で、コンタミが起こったことになる。詳細は、リンク先を参照。 》
[ 余談 ]
今回の騒動は、何をもたらしたか? ただのドタバタ騒ぎか? いや、あまりにも大きな傷跡を残した。
第1に、理研神戸は、規模を大幅縮小された。人員も予算も、ほぼ半減である。( → 読売・夕刊 2014-12-19 )これによって日本の再生医療の研究は、大幅に後退することになった。
第2に、笹井さんを失った。これ何中の意味で痛手である。一つは、世界最高レベルの研究者を失ったこと。もう一つは、神戸における再生医療の研究のボス(リーダー)を失ったこと。これによって巨大な組織全体が迷走することになった。
今回の騒動がもたらした傷跡は、あまりにも大きく、深い。そして、そういうものをもたらした張本人は、小保方さんではなくて、彼女を非難して騒いだ愚かな人々なのである。彼らは、小保方さんを攻撃するつもりで、日本の再生医療の研究全体を傷つけてしまったのだ。さらには、笹井さんの命を奪ってしまったのだ。……これほどの愚行は、そう滅多に起こるものではない。歴史に残る愚行の記念碑と言える。
【 シリーズ項目 】
→ 総括 2
→ 総括 3
→ 総括 4
→ 総括 5
これらは正しい実験手順ではないですが、かといって不正な手段でもありません。
むしろ、判明している実験条件内では再現性がえられやすくなるだけで、発明には至りませんね。
どうしてコンタミ(および実験ミス)が起こったか……という話は、本文でなく、<STRONG>[ 付記1 ]</STRONG><STRONG>[ 付記2 ]</STRONG> のリンクに記してあります。そちらをお読みください。
意図的な操作はありました。しかしそれは、意図的なミスでした。
仮に小保方氏に悪意があったとしてもです。
ただ、小保方氏は今もなおSTAPの存在を信じています。
悪意(故意)の認定は仕方ないのかと思います。
誤読でないですよね?
小保方さんが笹井さんの意図に従った実験結果を出すのはミスではできないでしょう。1回だけなら、試薬を間違えたとか、保管してあった別のチューブから間違えて細胞をとりだして使ったとかであり得ますが何回もやっているのですから、ミスとは思えません。
普通は、ミスだと予期しない結果になりますが、たまたま期待している結果や、別の役に立ちそうな結果になることもあります。新しい発見の誕生ですね。しかし、これまで何回もトライしてできなかったのが、なぜ今回に限ってできたかを、普通は考えるものです。再現性がなければ意味がないですからね。管理者殿は小保方さんが無能だからそのようなことはなく、そのミスを続けたーたとえば保存してあったES細胞を常に使ったーとでもいうのでしょうか。
管理者殿はなんとか「ミス」にしたいようですが、ミスでは笹井さんの意図通りにいかない、1回だけはできたかもしれませんが続かないと思いますので「ミス」という言葉は不適でしょう。無能で成功した/ミスった原因がわからなかったというのなら ミス ではなく 無能 といったほうがいいかと思います。「意図的無能」かな?
管理者殿の「意図的ミス」という言葉は、説明がないと、「意識してミスであるかのような行為をおこなった」と解釈されかねません。管理者殿のような、創造力のある方ならもう少しいい言葉を創作したらいいのではないかと愚考します。
法律上、「故意」と「過失」とは区別されます。
「実験ミスは、故意ではなく、過失である」というのが私の認定です。
交通事故で人を死なせた場合には、過失と見なすのが普通であり、「意図的な殺人である」と見なすのはおかしいでしょう。(酒を飲んでいたというわけでなければ。)
ただし、ここで、次のように主張する人も出てくる。
「ハンドルを握っていたことも、運転したことも、アクセルを踏んだことも、すべて故意だ。やったことのすべては故意だから、人をはねたことも故意だ!」
これと同様の論理的倒錯が、今回はなされています。実験そのものは故意だったが、悪意ある捏造はなされなかった。なのに悪意ある捏造がなされたと勘違いしている。交通事故を悪意ある殺人だと勘違いするように。
> STAP君
> 「意図的ミス」という言葉は、説明がないと
説明はありますよ。
「すぐ上では、簡単な説明しかしていないので、詳しくはリンク先を読んでほしい」
とわざわざ注記してあるでしょ? なのに、それに反して、ちゃんと説明を読まずに、短い語句だけを勝手読みするなんて、どうかしているんじゃないの?
とにかく、短い語句だけ読まずに、リンク先をきちんと読んでください。そこに説明してあります。
なお、それを読む根気がなければ、せめて、次項を読んでください。簡単な説明があります。
また今回、FI培地ではESはボロボロになり死滅すると丹羽さんは語った。やってみたのだ。FI=ES+TSといった論文を否定して見せた。
実験は打ち切りになったが、理研に残るFI-SCsのサンプルがある。捏造の証拠か世紀の御宝か、まだまだ見逃せない。
これは単にそれ以外の方法が一般的だからってだけだと思うますよ。
こういった実験で普通行われるのは、野生型マウスをコントロールとして置く方法です(Oct4-GFPマウスと同腹の個体が望ましい)。
つまり野生型マウスに対して有意にGFP陽性細胞数が増加しているかをカウントする方法です。
これは遺伝子改変マウスを用いるラボなら大学院生レベルでも行う実験の基本といえると思います。
それをやれ、という提案も、当時なされました。
つまり、それもやっていなかったわけですね。
ただ、それはちょっと面倒なので、単に写真を見るだけで済む「赤・緑」の方が簡便でしょう。今回も、そうしたわけだし。
ま、Nature の査読者がこの方法を知っていたかどうかは、今回の話題とはあまり関係なくて、あくまで余談の扱いです。どうでもいい。
単に蛍光漏れの可能性も有りますからね。
つまり極端に強いGFP発現がある場合などは、赤色を励起しても見かけ上は光って見える場合が結構有ります。
それでなくとも露光時間なんかも弄れちゃうわけで、実験データとしては同じく提示されているPCRデータと比べると蛍光像というのはそもそも信頼性に欠ける手法なんです。
まあ余談部分らしいですが、管理人さんはこの分野の実験経験はないようなので指摘させて頂きました。
それはまあそうでしょうけど、
> 野生型マウスをコントロールとして置く方法
というのは、2月か3月ごろに「これぞ名案」というふうに提案されて、「なるほど」というふうに扱われていました。「そんなのは常識だろ」というふうに批判されることはなく、好意的に受け止められていました。
だから、上記方法も、赤・緑の方法も、どっちも査読者は知らなかったのかもしれない。Nature の査読者は、この(狭い)分野の専門家ではなくて、もうちょっと広い細胞生物学全般に関わる立場だったと思えます。自家蛍光についてよく知らなかったとしても、仕方ないでしょう。笹井さんや若山さんだって知らなかったようだし。
としたら、知らなかったこと自体が罪なのではなくて、狭い分野の専門家のチェックを経ないで掲載した、Nature の査読システムの問題かもしれませんね。
小生(STAP君)は管理者殿の主張から「意図的ミス」とは、こういうことね?と管理者の記事を読み、確認のコメントを行い、もしそうなら「意図的ミス」という言葉は誤解されやすいので、変更したら?とコメントしたわけです。
それに対して管理者殿は、コメントを読むことができないようで、確認に対しての答えもなく、「ちゃんと説明を読まずに、短い語句だけを勝手読みするなんて、どうかしているんじゃないの? 」と返すわけですな。
2007年08月31日の◆ つじつま主義(http://openblog.meblog.biz/article/116423.html)で
《 結論 》
要するに、自説の主張ばかりにこだわらず、他人の異論にも耳を傾けて、幅広い意見を受け入れることが大事だ、ということだ。
と管理者殿が自ら説教されているのが、空々しいですな。
この文章は誤解されやすいかな、と思いましたが、STAP君 さんへのコメントではなくて、下記へのコメントです。
> 「意図的ミス」という言葉は、説明がないと、「意識してミスであるかのような行為をおこなった」と解釈されかねません。
つまり、「誰かさんが誤った解釈をしかねない」という心配に対して、
> 「(誰かさんが)ちゃんと説明を読まずに、短い語句だけを勝手読みするなんて、どうかしているんじゃないの? 」
というふうに返答しているわけです。「誰かさん」というのは、STAP君 さんのことではありません。
誤解されやすい文章を書いたことは、お詫びします。
やっと一つの決着をみたようです。理研の会見だけでは未だ不明な経緯もあるわけですが、管理人さんの慧眼により光があてられました。STAP現象関連の記事に於いてもぶれる事なく導いて頂きました。騒動の渦中に日本の頭脳とも云うべき科学者が帰らぬ人となり、それに対し誰も責任を負う事も出来ません。マスコミの報道は殆ど当てにならないばかりか、騒動を拡大し、関係識者の挙動にも良心に欠くものが多かったという課題が唯々明らかになった、と云う事かも知れません。
どんなに言葉を尽くした説明があっても、人は己の望むものを見るしかないのでしょう。小保方博士はおそらくは御自身の責任以上のものをこれからも背負っていく。石を投げる者は自身の根拠をころころ変えながら、標的に照準を合わせ続ける。憂慮すべき問題はそちらの方かと思われます。小保方博士の実験上の問題点は、この騒動に対する我々自身の問題とシンクロしていて、共鳴してしまったかのようです。物と事を正しく受け止め観ることは難しく、邪見にぶれた被害者意識は、人の命を奪ってしまう凶器にもなる。そんな社会を本当に望むのでしょうか。
疑心暗鬼に陥った眼には不正と捏造にしか見えない。
この社会は高度な再生医療を享受する資格にまだ足りず。そんな結末の様です。
>以上のことから、STAP細胞事件の問題点がどこにあったか、判明したことになる。
> (1) 赤と緑の対比をしなかったせいで、ただの自家蛍光を見て、多能性があると誤認した。
> (2) 多能性マーカーが偽陽性で発光したのを、多能性があると誤認した。
そのとおりなのだろうと私も思うのですが、私の場合、そうすると気になるのが、「一般に生物学の学生は、どの時期に蛍光顕微鏡の取り扱い(たぶん、自家蛍光の見分け方も含めて)を実習的に習うのだろう」ということになります。
でもって、ちょっと検索してみたのですが、早稲田のカリキュラムは分からなかったのですが、東大とか北大では、どうやら学部の実習に蛍光顕微鏡の取り扱い実習がある様です。
早稲田大学でもおそらく生物学の授業で蛍光顕微鏡の取り扱いを学ぶのは学部ではないかと思います。そうすると小保方氏は学部は化学ですから、学生実習の形では蛍光顕微鏡の扱い方を習っていない可能性が高いわけです。
なんでそんなことを気にするのか、というと、化学、特に分析化学の方で、「学生にどこまで分析装置の実習をさせるか」というのが結構問題になっているからです。私などが大学からインターンシップて学生さんを短期間預かる様な時にも、「そちらには大学にない分析装置も多いので、できるだけ沢山の装置に触らせて、できるだけ詳しく説明してくれ」と先生から依頼されることも多いのです。
なんていうか、「この装置はこういう間違い結果を出すことがあるから気を付けろ」みたいな部分は、最初にその装置を触るときに叩き込むのが一番良く身につく気がするのです。そういう間違い結果の出ない実験をいくつか経験してしまうと、座学で「こういうことがあるから気を付けろ」と教えても、身につかないというか試験が終わったら忘れてしまうことが多い気もします。
「そんなのはこの分野の研究者なら常識」と言われる様な基礎知識というのも、必ずどこかで習っているというか、最初に勉強するときと言うのはあるわけで、その機会がきちんとあったかどうかを押さえないと「常識的なことだから知らないはずはない」もまた、言えないだろうと思う訳です。
一つだけ気になったのは、責任者の一人、Vacantiさんが抜けていることです。順番は、私としては論文執筆者の責任の方が重いと考えます。
以前、「日本の科学と技術」に寄せた文章を再録することをご容赦下さい。
STAP騒動ー私の見解ー
STAP騒動は、世間を一時的に騒がせましたが、その科学上の本質は、一商業週刊誌に掲載された、不十分な実験データを元に作り上げられた2つの論文が撤回された、というだけのことではないでしょうか。
この騒動によって、日本学術会議が妄想して言うように「我が国の科学研究全体に負のイメージを与える状況が生み出されています」という訳でもないし、STAPという現象/考え方が否定された訳でもありません。この騒動によって、実害を受けた研究は世界にひとつもない(!)はずですし、不利益を受けた科学者は世界に一人も(当事者を除いて)いない(!)はずです。
残念な不祥事ですが、科学の世界ではまま起こる事象の1つに過ぎません。科学上の誤り/不正は、訂正・修正されるか、無価値なものとして忘れ去られるだけのことです。私にとっては「当事者たちは、愚かな早とちりをしたのかな・・・」といった印象を持ったにすぎません。この騒動の科学上の責任を問うとすれば、1には論文の主要な著者たち(4名)であり、2には、論文の不十分さを見ぬけずに、出版に踏み切った週刊誌の編集者ということになるでしょう。論文撤回ということで、両者は既に一応、科学上の責任を取ったことになると、私は理解しています。
このように、STAP騒動は、基本的には論文が撤回された時点で一段落で、あとはCDBか理研が当事者の応分の責任を明確にし、CDBとして再発防止に取り組む姿勢を具体的に示すことで終結する、ということでしょう。しかし、その動きがCDBにほとんどないことが、問題を長引かせ、不要な憶測を呼び、当事者のひとり笹井氏の死を招いてしまったと、私は見ています。CDB解体再出発をうたった改革委員会の過激・過剰な「提言書」も宜なるかな、という思いです。
今回の騒動で特異だったのは、分子生物学会が、STAP騒動糾弾の先鋒となったことでした。理事長さんは、論文の著者に学会の会員が含まれるからと因縁をつけて、当事者に、ほぼ一方的な誹謗中傷・非難をあびせかけました。「理事長」という鎧をまとっているわけですから、攻撃を受ける側はたまりません。また、世の常として無批判な同調者が9人も現れ、「提言書」に基づく再現実験にも猛烈に反対します。9人の内3人は、某大学の学位認定問題にまで異論を唱える始末です。分子生物学会はいつから大学の学位問題にまで口出しする団体になったのでしょうか。また、同調者の一人は、STAPをネッシーとみたてて「再現実験」を批判しています。しかし「STAPをネッシーとみたてる」科学的根拠・正当性には言及していません。したがって、氏の意見は、非科学的な妄言である、と私は思います。
それらに釣られてでしょうか、日本学術会議までもが、科学の守護神気取りで理研CDBを責め立て、過激な圧力をかけました。曰く「我が国の科学研究全体に負のイメージを与える状況が生み出されています」。でもそんな状況はこの国のどこにもありません。全く「非科学的な憶測」にすぎない、と私は思います。[2014. 8. 15]
以上。