2014年11月24日

◆ はやぶさ成功はトンデモのおかげ

 宇宙探査機「はやぶさ」が 2010年に帰還したのは、トンデモ技術者のおかげであることが判明した。 ──

 はやぶさが帰還できたのは、「こんなこともあろうかと」という予備的な対策が非常に優れていたからだ、ということは、すでに知られている。





 このような対策を取ったのは「変態的なほどの技術力」というふうに言われていた。しかし実は、これは、日本の組織の変態力(変態的技術力)によるのではなく、ただ一人のトンデモ技術者の独断のせいであることが判明した。
( ※ ここでは「トンデモ」と表現したが、「トンデモ」というよりはもっと悪い「組織のルールを破る違反行為」という方が正しい。一種の犯罪的な逸脱行為だ。)
 読売新聞・地方版 2014-11-23 に記事があるので、それを抜粋・転載しよう。
 帰還7カ月前のことだった。四つのイオンエンジンがすべて停止した。「いよいよ万事休す」誰もがそう思った。記者会見に臨んだプロジェクトマネージャーの川口淳一郎教授は、「おそらくダメかと思います」と目に涙を浮かべて語った。
 この会見後、イオンエンジンを開発した國中均教授が奇策を提案した。設計書にはない、エンジンをダイオードでつないでいることを用いたアイデアだった。打ち上げ数日前、「メーカーの担当者と二人だけでやった重大なルール違反である。
 「もしすべてのエンジンが故障したら……」
 國中教授が眠れない夜のすえに、ひらめいたのが回路をつなぐことだった。打ち上げまで時間はない。相談しても反対されると思い、無断で設計変更を敢行したのだ。
 土壇場でミッションを救ったのは、封印されるはずであったその行為。だが、はやぶさ帰還で日本中が沸くなか、チーム内では「ルール違反」にしばらく意見が割れたという。

 大成功をもたらした画期的な偉業に対してさえ、賛否で「意見が割れた」わけだ。つまり、半分ぐらいは、批判が出たわけだ。それも当然だろう。このようなルール違反は通常は厳しく批判されるものだからだ。よくある批判では「トンデモだ!」という批判に類する。正当な方式ではないという点ではトンデモに近いが、独断で勝手に設計変更をする読点では犯罪に近い。(トンデモよりもさらに悪い。)
 しかし、そういう逸脱行為があったおかげで、はやぶさは帰還したのである。もし正しい方法(組織の決を得た上で修正するかどうかを決める方法)を取っていたなら、時間不足ゆえに修正はなされなかっただろうし、その場合には、はやぶさは宇宙の迷子になっていたはずなのだ。
 
 上記の記事には、次の言葉もある。
 プロジェクトの広報責任者である的川さんは言う。
 「ルールはもちろん簡単に破るものではない。だけど、命を賭して破ることもあるかもしれない。……國中くんはまさに命を賭していた。……世の中の偉業は、こういうルール違反から生まれることも多いのです。」




 [ 付記 ]
 似た例がある。青色 LED の中村修二だ。
 彼は会社(社長)から「研究中止」を命じられた。「やめろ、やめろ」と言われたのに、強引に研究を続けたり、こっそり特許を申請したりした。まったく組織のルールを逸脱しており、上記のはやぶさの例に比べてもはるかに逸脱している。(ほとんど犯罪に近い。)
 しかし、そのおかげで、会社はとんでもないほどのボロ儲けをしたのだ。もともと四国の小さな中小企業にすぎなかったのに、中村修二があれこれと研究を続けて特許を申請したから、莫大な富を生み出すことができた。(利益率が 60% なんていう超絶的な企業は、他にはない。)
 逸脱のレベルも、成果のレベルも、中村修二は傑出していた。だからノーベル賞ももらえた。(はやぶさは、それほどではない。)



  【 関連項目 】

 思い返せば、このような「トンデモ」ふうのことから生じた偉業は、他にもあった。本ブログでも論じたことがある。
 → ノーベル賞学者はトンデモだった (シェヒトマン)
 → トンデモな科学者? (下村脩・ノーベル化学賞)
 → 最大のトンデモ経済学者(下村治)
 → トンデモと仮説
 → 間違える勇気

 ※ 変人科学者である キャリー・マリス という例もある。彼は DNA 解析の原理(PCR 法)を発明・発見した偉大なる人物だが、論文を掲載拒否された。つまり、トンデモ扱いされた。
 ではなぜ論文は日の目を見たか? 実は、日の目を見なかった。かわりに、同僚が PCR 法による機械を開発して、その機械によって「ほら、できました」と証明した。要するに、理論を自分で発表してから、同僚に理論の証明をしてもらった。全部自分でやったようなものだ。その間、学会は完全に置いてけぼりにされていた。
 


 【 関連サイト 】
 この件(はやぶさの独断改造)の情報は、他のサイトでも見つかる。
 いずれも、國中均教授自身の説明がある。(以下、長いので、注意。いちいち読まなくてもいい。)

 (1) JAXA のページ

Q. 打ち上げ直後にイオンエンジンの1つが不調になるなど、順調な飛行とは言えませんでした。帰還するまでに、「はやぶさ」はどのような危機を乗り越えてきたのでしょうか?


まず、2003年の打ち上げ直後に、4基のエンジンA〜Dのうち、Aが動作不安定となり、運転を休止することになりました。イオンエンジンの連続運転を行う自信はなく、順調に動く残りの3基を、とにかく壊さないよう、毎日、手探りで運用をしていたという感じでした。
2004年には地球スウィングバイに成功し、小惑星イトカワに向かう長楕円軌道に乗りました。最初の太陽に近い軌道にいるうちはよいのですが、だんだん太陽から遠ざかっていくと電力が少なくなってきます。ちょっと目を離したすきに、電気が足りなくなってしまい、探査機が停電状態に陥ってかなり危うい状態になったことがあります。
その後、3基ある姿勢制御装置のうち2基が故障したものの、2005年11月に「はやぶさ」はイトカワに着陸することができました。しかし、離陸後に地上管制室で歓声がわく中、姿勢制御用の化学エンジンが燃料漏れを起こしていることが判明しました。燃料漏れの影響で探査機の姿勢が乱れ、「はやぶさ」は行方不明となってしまいます。約2ヵ月もの間、音信不通となってしまいました。
2006年3月には通信がなんとか回復したものの、姿勢制御装置はすべて故障していました。そこで、イオンエンジンの燃料であるキセノンガスや、太陽光の圧力を利用する新しい姿勢制御方法をあみ出し、2007年に、なんとか地球に向けて出発します。しかし、この時点でエンジンBも不調だったため、CとDの2基で地球をめざしました。
そして、2009年11月に最大の危機がおとずれます。エンジンDが寿命をむかえて異常停止し、一緒に頑張ってきたCもここまでの長旅で性能が低下し、まもなく寿命をむかえようとしていました。そこで思いついたのが、先ほどお話した、2つのエンジンを組み合わせて、1台分のエンジンの推力を得るという、クロス回路を使った運転です。偶然にも、エンジンAはイオン源、エンジンBは中和器が壊れて使用を中止していました。そこで、壊れていないエンジンAの中和器と、エンジンBのイオン源を組み合わせて動かして、危機を回避したのです。その後「はやぶさ」は、2010年3月末に地球に接近する軌道に入り、6月の帰還にめどが立ちました。

Q. 2009年11月にイオンエンジンが異常停止したときは帰還を絶望視する声もあがりました。その時はどのようなお気持ちでしたか?


私には「クロス回路」というアテがありましたので、まだ希望はありました。せっかく設けた回路なので、一度は使ってみたいと思っていたのですが、いざという時のためのものなので、なかなか使うチャンスはありません。そのため、イオンエンジンが異常停止したときには、「ついにこの時が来たな」と内心思いましたね。
また私は、探査機の運用をしているチームと、カプセルの回収準備をしているチームの両方を監督していました。回収チームは、オーストラリアでカプセルを回収するための準備を数年間やってきましたので、もしも、ここで「はやぶさ」が止まってしまったら、彼らの作業がすべて無駄になってしまうわけです。さらに、小惑星イトカワから持ち帰った試料を扱うキュレーション設備(惑星物質試料受け入れ設備)も用意していましたので、それを無駄にするわけにもいきません。ですから、何としても「はやぶさ」を生き延びさせて、このプロジェクトを続行したいという一心でした。

 (2) Gigazine
2009年11月4日、夜中に電話が掛かってきまして「エンジンが止まっています」と言われました。「困ったな」と思って、まだ終電があったので相模原に駆けつけたところ、スラスターBがウンともスンとも動かない状況になっていました。この時、スラスターAとスラスターBは故障して、運転を停止しておりました。そしてスラスターCも性能が少し落ちていたものですから、虎の子のスラスターBが動かないと、地球には届かないという状況でした。ここで万事休すか、と思ったのですが、「こんなこともあろうかと」ということで、別の準備もしていました。

スラスターAが故障をした話をしましたが、原因はイオン源Aが壊れたということです。一方、スラスターBの故障の原因は中和器Bが壊れたということでした。中和器Aとイオン源Bは健全であると確信しておりましたので、これらをうまくバイパス回路でつなげることができれば、急ごしらえの新たなエンジンシステムとして運転させることができます。実はこのようなバイパス回路を私は事前に仕込んでおきました。というのも、「これを動作させればきっとこういう運転ができるだろう」ということはずっと考えていて、私のエンジニア魂としては「よいチャンスが来たな、あの技術を世に示す機会が来たな」と30%くらいはやってみたいという意味でわくわくしておりました。70%は「困ったことになったな」と思っておりました。とにかく、この方法で推力を回復することができ、残りの7ヶ月間の運用も無事にこなすことができました。 

 ※ (1)(2) とも、出典は 題字の青字リンク。
posted by 管理人 at 09:43| Comment(2) | 一般(雑学)2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
真ん中へんに <STRONG>[ 付記 ]</STRONG> を加筆しました。中村修二の話。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2014年11月24日 11:39
的川さんのコラムに詳細な記述があります。

12月8日「「はやぶさ」の危機(5)イオンエンジンがすべて故障」
http://www.ku-ma.or.jp/ym/ym111207.php
12月21日「「はやぶさ」の危機(6)星野君の二塁打」
http://www.ku-ma.or.jp/ym/ym111221.php
Posted by at 2014年11月26日 14:51
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