2014年10月27日

◆ なぜ中世アラブは先進国だったか 1

 中世では、欧州よりもアラブの方が先進国だった。なぜか?

   ※ 最後の 【 追記 】 で、内容を少し修正しています。


 ──

 これははてなブックマークで話題になっていた話題。

 最初の質問は、こうだ。
 イスラム科学の社会で、アラビア科学が発達した理由はなんですか?
( → 知恵袋

 文章が滅茶苦茶なので、正しい質問に直すと、こうだ。
 「中世では、アラブ社会が欧州社会よりも、文明が発達していましたが、それはなぜですか?」

  ※ 近代科学と呼べるようなものはまだできていなかった。
    近代科学が始まるのは、ニュートン以後だ。( → 別項


 これに対する回答は、下記のものがある。(上記ページのベストアンサー)
当時のキリスト教社会の場合、「神がきめたことを人が疑ってはいけない」という考え方がありました。キリスト教の経典で書かれていることを疑ったり、それと違うことを話すことは「異端」とみなされていて、そのために命を落とすことが多くありました。

科学とは「客観的根拠のある知識を探求する」ことですが、カトリック教会の権威は支配している社会では真理を探究する行動はしにくいです。今の近代科学の発展につながる「考え方のしくみ」ができるようになるためにはルネッサンスと宗教改革、つまり16世紀、17世紀まで待たないといけませんでした。 )
 
 一方、他の意見として、下記のようなものがある。
antonian 歴史 当時のイスラム圏は先進国で財力があったからじゃないかね。中世はイスラム圏が今の先進諸国で、欧州はローマ帝国崩壊後の群雄割拠で内戦に明け暮れてる第三世界。
 ──
kitayama ローマ帝国崩壊後のヨーロッパは暗黒世界で、一方イスラムは安定しており、余裕があったので、科学等が発展した。ヨーロッパは十字軍でイスラム世界から情報を仕入れ、ルネッサンスになったという理解なのだが。
( → はてなブックマーク

 しかし、いずれも妥当ではない、と私は考える。

 ──

 私の回答は、こうだ。
 「中世の欧州では、学問というものが存在しなかったし、学問を教える学校というものも存在しなかった。なぜか? そこに存在したのは、ラテン語学校というもので、ラテン語の文法などを教える学校だけだった。
 この時点では、文字言語というものが存在しないに等しかった。文字言語としては、ラテン語だけがあったが、ラテン語を覚えることだけがすべてであり、ラテン語で何かを考えるというようなことはなかった。何かを考えるとしたら、自国の言語で考えるしかないのだが、自国の言語には文字がないので、文字表現が不可能だった。
 要するに、中世の欧州では、文字言語が存在しなかったのである。これが決定的に文明を遅らせた原因だった」( → 【 追記 】 で修正 )

 さらに説明すれば、こうなる。
 「ルネッサンス期になると、ラテン語学校の教育から、人文主義の教育へと移行して、学校は学問を教えるようになった。このときようやく、西洋文明が開化した。
 このころ、同時に、ルターが口語聖書を普及させた。それまでのラテン語の聖書から、自国語の聖書へ、聖書の言語を転化した。同時に、自国語の文字表記が始まった。これに少し先だって、グーテンベルクの活版印刷も始まった。」( → 【 追記 】 で修正 )

 ──

 年代を示せば、下記のようになる。( Wikipedia による)

 1455年:グーテンベルク聖書(ラテン語)
 1524〜1545年 :ルター聖書(口語)
 さらに、ラテン語学校については、下記の通り。
 ルネサンス期の人文主義者たちは、中世ラテン語を「野蛮な隠語」だとして批判した。オランダの人文主義者デシデリウス・エラスムス(1467年 - 1563年)は、ラテン語の教え方が悪いとして教会を非難した。エラスムスはローマ・カトリック教会内部における改革のためには、古典の学修がなされなければならないと主張した。人文主義者たちの影響力は大きく、イタリア各地の領邦国家の住民たちは、新たな形態のラテン語教育を求めて声を上げ始めた。こうして、ラテン語古典文学、歴史、修辞、弁証法、自然哲学、算数に、少々の中世ラテン語、古典ギリシア語、近代諸語などを教える様々な形態の学校が、登場するようになった。
( → ラテン語学校

 こうしてルネサンス以後のラテン語学校は、学問を教えるようになったが、そのとき、学問というものはもともと存在していなかったから、外部から翻訳するしかなかった。外部とは? 当時の先進国は、ギリシヤ文明を引き継いだアラビア社会だけだった。だから、アラビア社会から学問を翻訳の形で導入した。
 ルネサンス期のヨーロッパの学者たちは、膨大な百科全書的なギリシア−イスラム文献に取り組み、こうした文献は、最終的には、多くのヨーロッパの言語に翻訳され、印刷技術の飛躍的な革新によってヨーロッパ全土に普及した。イスラム文化が衰退の一途をたどりはじめた時代と相前後してギリシア−イスラムの知の遺産を継承した西洋がルネサンスによって旺盛な活力を獲得し、イスラム文化にとって代わって世界史の表舞台に登場したことは歴史の皮肉にほかならない。
( → ルネサンス

 ──

 以上から、真相がわかるだろう。
 (1) イスラムの方が先進国だったのは、教会が学問を禁じていたからではないし、欧州が暗黒世界だったからでもない。(中世欧州が暗黒世界だったというのは、古い歴史認識であり、今日では否定されている。)
 (2) イスラムの方が先進国だったのは、イスラムの方に金があるとか何とかいう、特別な理由があったからではない。
 (3) イスラムの方が先進国だったのは、単に、欧州が自国の文字言語をもたなかったからにすぎない。(比喩的に言えば、日本が中国語[漢文]を使うしかなくて、万葉仮名による自国語の表現ができなかった、という状態。)
 (4) ルネッサンス期になって、欧州は自国の文字言語をもつようになった。このとき、学問を学校で教えることも可能になった。かくて、学問が開花した。これ以後、欧州は学問や科学が発達することが可能となった。
 (5) のみならず、欧州は「翻訳」の形で、アラビア社会の文明をすべて流入させることができた。かくて、「自国の文字言語 + アラビア文明からの翻訳」という形で、欧州は一挙に世界最先端に追いついた。(これは日本の文明開化に相当する。日本も明治期に活版印刷を導入して、急激に文明開化がなされた。)
 
 ──

 結局、大切なのは、文字言語なのである。これを獲得する以前は、欧州は未開社会だった。しかしこれを獲得した以後は、欧州は文明社会となったのだ。

( → 【 追記 】 で修正 )



 [ 付記 ]
 最初の質問に戻って答えるならば、こうなる。
 中世アラブが先進国だったのは、中世アラブに特別な理由があったからではなくて、中世欧州の方に「後進国である理由」があったのだ。それは、「自国語の文字言語をもたない」ということだった。文字を書くときには、自国語で書くことはできず、ラテン語で書くことしかできなかった。(日本で言えば漢文で書くしかないようなものだ。)……こういう状況では、科学や文明というものは生じにくい。
 比喩的に言えば、アラブが徒競走で1位になったのは、特別に足が速かったからではなくて、単にライバルが勝手にこけたからだ。それだけのことだ。
 


 【 追記 】
 上で述べたことは修正を要する。
 「文字言語がなかった」
 と述べたが、これは正しくない。グーテンベルクの活版印刷が流入する前にも、木版印刷による文字言語はあった。それは、のちに「文語」と呼ばれる古めの言語だった。(ルネサンス期以後を、当時の「口語」と呼ぶ。)

 したがって、先に述べたことは、次のように記述するのが正しい。
 「ルネサンス期以前にも文字言語はあったが、学問に関する限りは、ラテン語を主体とするものだった。これは江戸時代の学問が漢文を主体とするものだったことに相当する。
 ルネサンス期以後は、学問の世界で、ラテン語から自国語へという変遷が起こった。このことで、学問が一部のエリートによる研究対象から、社会一般の共有財産たる知識へと拡大した。さらに、外部文明の導入もあった。この二点で、文明の発達が生じた」

 比喩的には、やはり明治維新が相当する。それまでにも、木版を使った「読み・書き・そろばん」という初等教育はあったし、漢文による中等教育もあった。しかし明治以後は、活字印刷術と西洋科学の導入により、先進的な科学や技術が導入された。……そのとき、日本が導入したのは、西洋の科学だった。一方、ルネサンス期の欧州が導入したのは、アラブの科学だった。(近代科学以前の先駆的な科学。)いずれにせよ、外部の文明の導入によって、一挙に文明が発達した。
 ここでは、江戸時代の漢文教育(≒ 欧州のラテン語教育)から、明治時代の科学技術教育へと転じたことが、決定的に重要だった。

 日本の明治維新(もしくは文明開化)と、欧州のルネサンス期とは、とてもよく似ている。
 日本では、二葉亭四迷による口語文がひろがり、それまでの文語による文字表現から変化した。欧州では、ルター聖書などによる口語文が広がり、それまでの文語による文字表現から変化した。いずれにしても、「文語 → 口語」という変化が起こり、それにともなって、文字言語が大衆に広く普及した。それによって「(明治の)文明開化」「ルネッサンス」という形で文明が発展した。
 「その時期以前には文字言語がなかった」と先に述べた。そのことは、「自国語」については正しくなかったが、「口語」については正しかった。口語は、それまでは話し言葉しかなかったのだが、この時期以降は文字言語が発生した。かくて文明は急速に発達したのだ。

 ──

 なお、江戸時代の中等教育が漢文中心であったことについては、下記に情報がある。
 江戸時代の武家は、近世社会の支配者であり、また指導者としての地位を保っていたのであり、したがって、それにふさわしい文武の教養をつむべきものと考えられていた。そのために設けられた教育機関が「藩校」であった。他方庶民は日常生活に必要な教養を求めた。そのために、「読み」・「書き」を主とする簡易な教育機関として「寺子屋」が成立している。
 藩校の教育は漢学特に儒学が中心であったが、当時における漢学は一般に経・史・詩文を学ぶべきものとされ、著名な経書・史書・詩文集などが教科書として使用された。儒学の教科書としては孝経、四書(大学・中庸・論語・孟子)、ついで五経(易経・書経・詩経・春秋・礼記)などが一般に重んぜられた。また入門書としては千字文や三字経なども用いられた。朱子学派では小学や近思録も四書や五経と並んで尊ばれた。
( → 幕末期の教育:文部科学省

 初等教育は、自国語で「読み・書き」をやっていたが、その上の中等教育は、漢文中心だった。これはルネサンス期の前の欧州と同等だったと言えるだろう。
( ※ 欧州のラテン語学校は、エリート層の中等教育を担うものだった。)



 【 関連サイト 】
 
 → 「銃・病原菌・鉄」への私見2(知的な書評ブログ)

 ※ ここでも「印刷術とアラビア文明」という話題で、いろいろと述べてある。
   参考になるので、読むといいだろう。本項と深く関連する。
 
 ※ 本稿の加筆分では、「文語から口語への変化だ大事」と述べたが、
   実は、それをもたらしたのは、グーテンベルクの活版印刷だった。
   その意味で、最も重要だったのは、活版印刷だったとも言える。
   これこそが西洋文明の発達をもたらした根源だった。そのことは、
   上記のリンクページでも詳しく説明している。



 【 関連項目 】

 本項の続編があります。
  → なぜ中世アラブは先進国だったか 2: Open ブログ

posted by 管理人 at 23:00 | Comment(14) | 一般(雑学)2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最後に <FONT COLOR="#dd0000">【 追記 】</FONT> を加筆しました。内容の一部修正を含んでいます。

 p.s. さらに 【 追記 】 の後半にも、また加筆しました。次の箇所。

>  日本の明治維新(もしくは文明開化)と、欧州のルネサンス期とは、とてもよく似ている。〜〜
Posted by 管理人 at 2014年10月28日 12:11
楽しい説をありがとうございました。
欧州人のおごり、いわんや日本人のおごりにならんことを。
Posted by 京都の人 at 2014年10月28日 23:19
オッカムに謝れ!w
Posted by 王子のきつね at 2014年10月29日 15:03
> オッカム

残念。予想の範囲だが、新しすぎる。
どうせケチを付けるなら、ピタゴラスの名前を出す方がいい。

ところで。
悪口ばっかり書いていると、人相が歪みますよ。
Posted by 管理人 at 2014年10月29日 19:02
管理人氏の話(時々与太話?)を楽しく読んでいますが、今回のは(追記後のものも含めて)いただけません。

 「中世では、欧州よりもアラブの方が先進国だった。なぜか?」という問いに対する答えの中では、ラテン語社会とアラビア語社会だけが出てきており(という印象があります)、地理的に言って両者の間にあったギリシア語社会への顧慮が全く欠けています。

 古代における先進文化はギリシア語文化であり、周囲の社会はみなギリシア語文化から学ぼうとした。アラビア語社会(というか、イスラム教が支配的な社会、と言ってもよいでしょうが)でも、ギリシア語文化から学ぶことが熱心に行なわれており、それが、中世におけるイスラム思想の非常な発展のきっかけとなりました。そのイスラム思想、或いはアラビア語化したギリシア文化から学ぶことで、西欧のラテン語社会は12〜13世紀に大いに知的に発展し、それ以降は、西洋でも学問が自律的に発展するようになっていった、と言ってよいでしょう。

 では、そういう発展の契機を内蔵していたギリシア語文化は、自ら自体はそのような発展を遂げたかというと、そうではなかった。それはなぜか。これについては、ご自分で勉強してくださいととりあえず言うほかありません。
Posted by vox_populi at 2014年10月31日 00:25
↑ そのことはわかっていましたが、特に言及しませんでした。今回の話題とは違うからです。
 本項はアラビア文化全般を歴史的に解説する歴史教科書ではなくて、ごく一部分だけに着目するだけです。言及していない話はたくさんあります。アレキサンダー大王とか、アレクサンドリア図書館とか。……それらも大切ですが、そこまで言及するには、ここには余白が足りない。

 なお、ギリシア文化については、下記で言及しています。
  → http://openblog.meblog.biz/article/10995829.html
 ギリシア文化は、それ自体が源泉であったわけではありません。それ以前の文明から影響を受けています。ギリシア文字からしてそうです。

 本サイトではこれまで、「ギリシア文明とアラビア文明」という件についてはまったく言及うしてきませんでしたが、それは、歴史の教科書には書いてあることで、調べればすぐにわかることだからです。
 本サイトでは原則、教科書に書いてあるような基本知識は紹介しません。申し訳ありませんが、ご容赦下さい。

 なお、この概念は「ヘレニズム文化」という概念であり、歴史の教科書では初歩の初歩です。ググってみると、次のページが興味深い。
 → http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/s14.html
Posted by 管理人 at 2014年10月31日 07:24
負の数の扱いについて 教会以前に元々地中海世界では抵抗がありました。それは負の数に先立って理解された平方根で、うまく扱えなかったためというのも一つの理由です。

一方、貿易の発達したアラビア社会では負の数が一般的に負債を表すものとして普及しました。

ルネサンス期に地中海世界はアラビア数学を受け入れますが、負の数の扱いには当惑しました。しかしながら作図法から「虚数は回転である」ことが発見され、ここに数学としての禁忌はなくなったのです。
Posted by at 2014年10月31日 11:47
じゃあ、中国は発展していてたのか、いなかったのか、という疑念がわいてきますね。
Posted by ぱ at 2014年11月03日 14:06
中国については<FONT COLOR="#000099"> 【 関連サイト 】</FONT>のリンク先で詳しく説明しています。
Posted by 管理人 at 2014年11月03日 14:36
>本項はアラビア文化全般を歴史的に解説する歴史教科書ではなくて、ごく一部分だけに着目するだけです。

 でも、書いておられることは最初の問いすなわち「中世では、欧州よりもアラブの方が先進国だった。なぜか?」への答えに全然なっていないですね。教科書的に言っても、西欧で学問が開花したのがルネサンス期になってからなどという言い方は全く誤っていますし(大学が成立したのはいつ頃だったかを考えれば答えは自明です)。

 要するに、問いに答えるとはどういうことかが、よくわかっておられないということなのでしょうか。ちょっとがっかりしました。
Posted by vox_populi at 2014年11月04日 19:44
科学技術に限定すれば管理人の述べる通りかな?と思います。
思想は神学と共にルネサンス以前でも様々な議論を基に哲学として進んだと思われますが、錬金術を含む化学技術は魔術扱いで、数学も魔法陣とかの類にされていたのではないかと思います。
世界史には疎いのですが、薔薇の名前や、ダビンチへの迫害などで得た感覚です。
とはいえ、中世でも建築はそこそこできていたり、投石機を開発していたりするし、滑車もあるので実用的な簡単な力学はそれなりに進んでいたのかもしれません。
Posted by 京都の人 at 2014年11月04日 20:26
> 西欧で学問が開花したのがルネサンス期になってからなどという言い方は全く誤っていますし(大学が成立したのはいつ頃だったかを考えれば答えは自明です)。

 中世の大学については、Wikipedia の英語版に記述があります。以下、引用。

 ──

Latin was the language of the university, used for all texts, lectures, disputations and examinations. Professors lectured on the books of Aristotle for logic, natural philosophy, and metaphysics; while Hippocrates, Galen, and Avicenna were used for medicine.

 当時の大学は、キリスト教の下で、アリストテレスの天動説などを、ラテン語で教える……というようなものでした。
 これをもって「素晴らしい神学の大学があるから中世の欧州は先進的だった」なんて言えるでしょうか? 

 なお、あなたは本項をまったく理解できていませんよ。
 本項で言っているのは、限られたエリート層に高等教育があったかどうかではなくて、一般大衆に活字印刷術と口語による知識が普及したか否かです。前者から後者に転じたことがルネサンスをもたらした、と示しています。
 なのに、「前者の状態があった」と示しても、それは単に「中世にも小さな文化があった」ということを示すだけです。それは何の意味もありません。
 あなたは本項を読んでも理解できていません。文盲状態です。これでは、問いへの答えを得られないのは当然です。
 あなたにとって本項は、ラテン語文書のように見えるのでしょう。
 
 ──

 なお、本文中には、次の記述があります。
 「学問が一部のエリートによる研究対象から、社会一般の共有財産たる知識へと拡大した。」
 この意味で、あなたの言ったことは、すでに本文中で言及済みです。
Posted by 管理人 at 2014年11月04日 21:07
失礼ながら、

管理人 at 2014年11月04日 21:07

のコメントは恥の上塗りにしかなっていませんよ。

>「素晴らしい神学の大学があるから中世の欧州は先進的だった」なんて言えるでしょうか?

 大学の成立を語るのに逸せない大学としてボローニャ大学があるのをご存じないようです。ボローニャ大学は法学の学び場として有名でした。神学ではありません。

>本項で言っているのは、限られたエリート層に高等教育があったかどうかではなくて、一般大衆に活字印刷術と口語による知識が普及したか否かです。前者から後者に転じたことがルネサンスをもたらした、と示しています。

 こういうのは論点ずらしと言います。最初問題となっていたのは学問ではなかったでしたか? いつの間にか話が一般大衆に飛んでいます。

>あなたにとって本項は、ラテン語文書のように見えるのでしょう。

 貴殿がGraeca non legiturであることは最初から承知しています。

 私の書き込みはこれで終わりにします。
Posted by vox_populi at 2014年11月08日 23:37
> 最初問題となっていたのは学問ではなかったでしたか?

 誤読。学問でなく、文明です。冒頭の「正しい質問」の箇所を見ましょう。

> 法学の学び場

 法学なんて関係ないですよ。

> ボローニャ大学

 以下は Wikipedia から。
 「ローマ教皇庁より、ストゥディウム・ゲネラーレに認定される」
 「13世紀当時にヴァチカンに認定されていたストゥディア・ゲネラリア」
 「各大学では神学および世俗の学問の両方が扱われた」
 出典は該当国をググればわかります。
 いずれにせよ、教会の支配下にあった組織です。

> 私の書き込みはこれで終わりにします。

 そうしてください。こちらは誤読を指摘するだけで終わってしまった。議論は成立していません。そちらの話は一方的な誤解だけであり、反論になっていません。
 
 ──

 根本的な誤解点を指摘しておきます。
 本項のテーマは、「中世の欧州に学問は存在したか否か」ではありません。「中世の欧州の文明レベルがアラビアの文明レベルに大きく劣っていたのはなぜか」です。文明の存否ではなくて、隣の文明と比べての相対的な遅れです。
 単に文明が存在していたかどうかなら、五千年前のエジプトにだって文明は存在していました。古代文明に法典があったことも知られています。しかしそのような文明や法典の存否は、ここでは問題になっていません。
Posted by 管理人 at 2014年11月09日 00:04
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