科学用語の翻訳では、英語と日本語の1対1対応はできない。混同されることが多いので、注意しよう。 ──
一般に、日本語の科学用語は、英語から翻訳されたもので、専門の科学用語が使われることが多い。
一方、英語の科学用語は、日常語から転用されたもので、同じ語が日常語で使われることも多い。
結果的に、英語と日本語の1対1対応はできなくなる。英語で同一の語が、日本語では複数の語に対応することがある。
以下に例を示す。
英語 → 日本語
evolution → 展開,発展,進展 / 進化,進化論
gravity → 重大さ / 重力,引力 / 重量,重さ
gravitation → 重力,引力 [ ※ 参考記事 ]
earth → 土 / 大地 / 地球(Earth)
law → 法律 / 法則
すぐに思いついただけでも、これだけある。
理系の人だと、科学用語だけを覚えていることが多く、英語を見るとやたらと科学用語で翻訳しがちだが、日常語または別分野の世界では、別の語で使われることも多いのだ。勘違いしないように注意しよう。
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最も有名な誤訳(?)は、ガリレオの言葉だ。
「それでも地球は動く」
これは、Wikipedia を読めばわかるように、原文は「And yet it moves」(のイタリア語版)であり、「地球」という語は含まれていない。
仮に含まれているとしても、それは「地球」ではなく「大地」でなくては意味が通らない。なぜか? 「地球」という概念自体が地動説による惑星概念を含んでいるからだ。天動説の概念であれば、earth は不動の絶対的なものであるから、それは「大地」であって「地球」ではないのだ。
だから、ガリレオの言葉は
「それでも大地は動く」
でなくては意味が通らない。
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後世の人は、後世の概念で、古人の言葉を解釈しようとする。しかしそれは、自己流の解釈であり、歪曲した解釈である。
そのことは、元の言語を使っていれば発露しないのだが、日本語に訳すとき、日本語の科学用語に訳すことになるので、違いがはっきりと発露してしまう。
英語の科学用語を翻訳するときは、それが日常語や別分野でどういう意味を持っているかについて、留意した方がいい。さもないと、とんだ勘違いの翻訳になる。たとえば、天文分野で「進化」と翻訳する、というようなミスを犯す。
→ 「進化」と翻訳した誤訳の例
※ 正しくは、発展,進展,変化……などと訳すべき。
2014年10月12日
過去ログ

「それでも地球は動く」は、この訳で良いのではないかと思います。
ガリレオは天動説派ではなく地動説派なので、惑星概念つまり地球という概念をもっていたと考えられます。
この言葉を言ったのがガリレオ本人か弟子ならば、「それでも地球は動く」は正しい訳だと思います。
天動説派の人に対して言った言葉なら、「それでも動くんだ。」の方が良さそうです。しかし、裁判の後で、天動説派の人にこんなことを言ったら、反省していないと思われて、危ないと思います。
ガリレオ本人が言った言葉だとすると、知人か弟子に向って、あるいは神に向って言った言葉のように思います。
後に彼の弟子が地動説の宣伝効果を得ようとして、彼がつぶやいたという情報を捏造したのだとすると、弟子が宣伝した相手は学者か学のある人で地球という概念をもっていた可能性が高いように思います。
つまり、「それでも地球は動く」の前提に、「地球は動かない」という認識がすでにあることになる。しかし、「地球は動かない」というのは意味がない。「大地は動かない」ならば意味はあるが。
つまり、「地球は」と言った時点で、「動く」という言葉が続くに決まっている。「地球は動かない」という言葉は成立しないのだから。とすれば、その前に「それでも」という言葉が来るはずがない。
だから結局、ガリレオが「地球は動く」と思うのならばいいが、「それでも地球は動く」と思うことはあり得ない。
ちなみに、元のイタリア語では、「地球」も「大地」もなく、単に「それは動く」となっているので、あまり深く考えても意味はないのですが。
http://j.mp/1CntAQh
http://en.wikipedia.org/wiki/And_yet_it_moves
ここで、「それ」は何を意味するかというと、「異端自問をした裁判官の意味するところの Earth 」と理解するべきだろう。(それはつまり、「彼らの信じるところの大地」のことだ。ガリレオの信じるところの地球」という意味ではない。もしそうならば「それでも」という言葉は来ない。)
基本的には、この問題は「訳者が訳しすぎた」というふうに理解できる。
我々が生息する天体としての「地球」という概念は、明治以降に一般化したように思います。「地球」という言葉には、学術用語としては惑星概念を含んでいるのと同時に、一般生活者の感覚での我々が生活している天体という意味も含んでいると理解していいのではないでしょうか。惑星としての地球と区別するあまり「大地」としてしまうと、日本語の感覚では、天体という意味合いは含まず、広い陸地という意味で認識されてしまうのではないでしょうか。
さて、ガリレオが呟いたとされる、「E pur si muove/And yet it moves」ですが、Wikipedia の説明は間違っています。
『・・・「E pur si muove」は直訳すれば単に「それでも動く」であり、「地球」(terra)という語は含まれていない。仮に「地球」という語を入れれば「E pur la terra si muove」となる。』
とありますが、si/it は指示代名詞であり、主語であり、無視してはいけません。直訳すれば、「それでも、それは動く」です。ここで指示代名詞「それ」が使われるのは、この台詞が、指示代名詞の対象が自明な状況で発せられたからです。
例えば、アメリカの家庭で小さな子供が迷惑になる程騒いでいると、親が「Stop it!」と子供に向けてが叫ぶ光景を目にします。訳せば「止めなさい!」でしょうが、「it」が何を指しているかは明白でしょう。
ガリレオの台詞は異端審問裁判で発せられたものであり、si/it が裁判の主題であった「la Terra/the Earth」であるのは明白です。われわれの棲息する天体が動くのか、動かないのかが問題だったわけで、訳としては「それでも地球は動く」でいいのではないでしょうか。
「われわれの棲息する天体が動かない」とか「地球は動かない」とか思っている人はいないはずです。「地球」という概念そのものに「天体の一つ」という概念があり、「動くもの」という概念が含まれます。
天文学者のなかで「動かない天体がある」なんていう理屈を唱えている人はいないはずです。それは「絶対静止」という「エーテル」概念が必要となるので、できるとしたら、近代科学ができたあとです。
教会の概念では、「大地」は天体ではなくて、「大地」と「天体以外」とに分類されます。不動のものは大地であり、動くものは天体です。「動かない天体」というような概念は生じようがありません。
どうも、近代以後の「地動説」を真理と見なした上で、それによって「天動説」を解釈しようとする人が多い。
しかし教会の概念では「天動説」が真理であり、それ以外は異端です。そしてガリレオの言葉とされる「それでも」は、天動説に対する「それでも」であって、地動説に対する「それでも」ではありません。
ここでは、「(天文学における)地球という天体は動かない」という説を否定しているのではなく、「(協会の概念における)大地は不動だ」という説を否定しています。惑星理論のうちの一部である「地球不動説」を否定しているのではありません。
なお、ガリレオの言う「地球」とは「球形の大地」という意味ではなく、「万有引力によって構成される太陽系のうちの第三惑星」という意味であり、ここでは「動く惑星」という概念がもともと含まれます。したがって「動かない惑星」「動かない地球」というのは自己矛盾になります。ゆえに、「それでも地球は動く」の対立概念である「地球は動かない」というのは、それ自体が内部矛盾を含む概念なので、成立しません。「惑星(地球)は動かない」というのは、教会の見解ではなくて、ただの「誰も信じていない破綻した概念」であるにすぎません。従ってその奇妙な概念を前提として、「それでも地球は動く」という文章は成立しません。
なお、「地球」という概念は、この時点では一般的に成立していません。「太陽系の第三惑星」という概念を持っていたのは、この時点ではガリレオなど、ごく一部の人だけです。したがって「地球」という言葉は、この時点では存在していなかった、と言えるでしょう。(ガリレオが自分だけに語る自己流用語を使っていたぐらいであって、世間一般における「地球」「太陽系第三惑星」という言葉・概念は成立していなかった。)
訳としては、「やはりそれは動く」というふうに「それ」と訳すべきです。ここで言う「それ」は、ガリレオの頭では「地球」を意味し、教会の頭では「大地」を意味します。受け取り方が双方で異なるのですから、一方だけに限定するのは不正確です。
ただ、そこまで考えると、本文中の「それでも大地は動く」もまた不正確だということになりそうです。
とはいえ、「大地」という概念の意味は、昔と今では異なってしまっているので、ある程度は許容範囲かも。
ご丁寧なコメントありがとうございます。
こちらの言葉足らずのせいで誤解を与えているのか、あるいは、私のルーズな頭のせいで理解できないのか、と思われるところがあるので、補足のコメントをさせていただきます。
>> われわれの棲息する天体が動くのか、動かないのかが問題だった・・・
は、異端審問の行われた当時の状況を述べたつもりの記述です。「人間の棲息する天体・・・」とした方がよかったかもしれません。
また、私はどこにも『・・・「地球」とは「球形の大地」・・・』という言い方はしていません。「地球=我々が生息する天体」です。強いて言えば「地球=球形の天体」です。
当時は、マゼランの世界周航(1522?)からほぼ百年経過しており、地球=球形の天体(の一つ)という概念は、一般に受け入れられていたのではないでしょうか。ただし、コペルニクスの地動説「天球の回転について」は既に刊行(1543年?)されていましが、ガリレオがの「地動説」はまだ未熟なもので、彼が「太陽系の第三惑星」という概念を持っていた、とまで言えるかどうか、疑問に思います。
聖書にあるのは、天と地のみ(「神は天地を創られた」)、で、宇宙全体を構成する天体というような概念はないのでしょう。そこで教会は、既にあったプトレマイオスの天体理論=天動説を正統とし、それと異なる思想や天体理論=地動説を異端として、教会の権威付けを行ったのではないでしょうか。そうした背景でガリレオは裁判にかけられたのだと、私は理解しています。
裁判=異端審問にかけられたのはガリレオの「地動説」的言動であり、それが「異端」であり、ガリレオはそのような言動をしないように求められ、「地球が動くという考え=地動説」を放棄するよう誓約をさせられ、そのときガリレオは「E pur si muove(けれども/それでも、それは動いている)」と呟いたのだ、と私は理解しています。したがって、「けれども/それでも」は、「地動説」を放棄するよう誓約をさせられた「けれども/それでも」ということであり、「それは動いている」の「それ」は、地動説の「それ=地球」と言っていいではないでしょうか。
>訳としては、「やはりそれは動く」というふうに「それ」と訳すべきです。ここで言う「それ」は、
>ガリレオの頭では「地球」を意味し、教会の頭では「大地」>を意味します。・・・・・
とありますが、「やはりそれは動く」は、「ガリレオの頭」(「教会の頭」ではなく)から発せられたわけですから、ここでの「それ」は「地球」ということになるのではないでしょうか。
この辺の状況の把握が、私と食い違っているのが、ルーズな頭の私には理解できないのです。
ガリレオはそう思っていたでしょうね。
しかし、こう語った時点では、まだ地動説は世間に普及していないので、「地球」という言葉は誕生していませんでした。というか、「地球」という言葉は日本語だけにあるもので、英語では「大地」と区別できない同一の単語です。
だから、意味的には「地球」を意味しているのですが、翻訳としては、20世紀の用語を 16世紀の発言には使えない、と考えます。
ここでは、ガリレオの意図が問題なのではなく、翻訳が問題となっています。
ガリレオの頭の中にあるのは地球なのですが、それを表現する言葉として20世紀の日本語の「地球」をもってくるのは不適切だ、という意味です。その場合には言葉の二重性が消えてしまうからです。(科学的な真偽ではなくて、言葉の使い方が不自然になる、ということ。あくまで言葉遣いの問題です。)
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もう少し補足すると、ガリレオの気持ちはこうです。
「それは動く。彼らは不動の大地というものを信じているが、そんなものはないんだ。彼らの信じているもの(それ)は、本当は動くんだ。それは幻であり、それの正体は地球という動くものなんだ。彼らは勘違いしていることに気づかないんだ」
だから、ここでは「それ」という言葉の意味するものに二重性があります。彼らの信じているものと、自分の信じているもの。
この二重性は、「地球」と訳したとたんに消えてしまいます。なぜなら「地球」は現代のわれわれの概念であり、16世紀社会の概念ではないからです。
現代社会では正当性はガリレオの側にあります。一方、16世紀社会の概念では正当性は教会の側にあり、ガリレオは異端の側にありました。この異端の側による反発の意味が、「地球」という訳語では消えてしまいます。