2014年10月12日

◆ 天野浩の業績(赤崎・中村)

 青色 LED については、天野浩の業績が不当に低く評価されている。そこで、彼の業績を紹介する。(赤崎・中村も) ──

 青色 LED の業績を、簡単に整理すると、次のようになる。
  ・ 赤崎勇  → 低温バッファ層
  ・ 天野浩  → p型ドープ
  ・ 中村修二 → ツーフローによる諸技術

 以下では順に説明しよう。

 (1) 赤崎勇  → 低温バッファ層


 赤崎勇の業績は、二つある。
  ・ GaN にこだわったこと
  ・ 低温バッファ層の技術開発

 順に述べよう。

 @ GaN にこだわったこと

 GaN (窒化ガリウム)が青色 LED の候補であることは、古くから知られていた。江崎玲於奈が超格子の概念を出しいて以来、超格子である GaN が青色 LED の性質をもつことはわかっていた。
 問題は、それを実現することの困難さだった。基盤の上に結晶を成長させることが技術的に困難だったのだ。そのせいで,他の人はすべて撤退していた。残っているのは赤崎勇だけだった。
 化合物半導体の国際会議が1981年に日本ではじめて開催されたとき、開発した技術を発表しました。窒化ガリウムでは初の選択成長による優れた構造は、相当関心を呼ぶだろうと思ったんです。ところが何の反応もない。全くなかった。そのときの論文集からもわかりますが、窒化ガリウムに関する発表をしたのは私たちだけだった。あとでわかったことですが、有力な研究所(者)はそのころはすでに窒化ガリウム研究をやめており、会場にいた誰一人として、窒化ガリウムに関心を持つ人がいなかったのでしょう。そのとき、私は思わずつぶやいてました。「われ一人荒野を行く」と。
( → 青色LED実現への道 未到の領域「われ一人荒野を行く」

 こういう状況だったのだ。

 A 低温バッファ層の技術開発

 基盤の上に結晶を成長させることが技術的に困難だったが,この技術的困難を打破する技術が開発された。それが低温バッファ層の技術だ。
 これは、「たまたま機械が故障したので、偶然によって天野浩が見つけた」というふうに報道されている。ま、それはそうだが、この偶然を生かす方向で、もともと赤崎勇が指導していたことが大きい。
 ともあれ、赤崎の指導の下で、天野浩がうまく実験して、低温バッファ層の技術開発に成功した。このとき初めて、GaN の単結晶が形成された。それまで存在しなかった GaN の単結晶が形成されたことで、青色 LED の原型となる物質が初めて地球上に誕生したのだ。
 これが赤崎勇の業績だ。(天野浩はここでは下っ端にすぎない。)

 (2) 天野浩  → p型ドープ


 GaN の単結晶ができたが、これはまだ発光する能力を持たなかった。その意味で、これは青色 LED ではない。
 では、GaN に発光させる能力を持たせるには、どうすればいいか? GaN に半導体としての能力を持たせればいい。それには、p型半導体となるために、何らかの不純物を混ぜればいい。(不純物を混ぜることで半導体としての性質ができるからだ。半導体とは、不純物によって、絶縁体と導電体の中間の性質をもつものである。)
 では、どうすればいいか? ここで、天野浩の独創性が発揮された。
  ・ マグネシウムを用いること
  ・ 電子線放射をすること

 この二点である。詳しくは、下記の通り。(一部のみ抜粋)
 この実験を行っている中で、天野は奇妙な現象に気づくことになる。その現象というのは、亜鉛をドープした窒化ガリウム薄膜に励起用の電子線を照射して、薄膜から出てくる発光を観察していたが、電子線を当て続けるにしたがって、発光強度がどんどん強くなってくることであった。(中略)
 そのようなある時、天野は研究室でフィリップス著の「半導体結合論」という書物をパラパラとめくっている時に、その中である図が偶然目に留まった。それはマグネシウムを用いた方が、不純物原子が活性化する、いわゆるp型化が起こりやすいことを示唆していた。天野はこの図をみて、「そうだ、p型化にするのに、不純物として亜鉛にこだわる必要はない、むしろマグネシウムの方が、向いている傾向を持っているはずだ」と考え、直ちにマグネシウムをp型化のための不純物材料に変更し、窒化ガリウム薄膜の製作を試みた。(中略)
 そしてある時、あるひらめきが天野に起こった。電子線照射を新しく作成したマグネシウムを添加した窒化ガリウム薄膜に行ってみたら、p型化が実現できるのではないかと、ひらめいたのである。早速マグネシウムを添加した窒化ガリウム薄膜に電子線照射を行い、その試料の電気的特性を測定した。実に4桁も抵抗値が下がっており、このことはマグネシウム不純物が活性化され、伝導ホールとして動作していることを伺わせた。窒化ガリウム薄膜にマグネシウムを添加し、それに電子線照射を行うという二つの技術の組み合わせにより、誰も為しえなかった窒化ガリウムのp型化せ、世界で初めて成功した瞬間であった。
( → 天野浩 (武田賞受賞) [PDF] )

 こうして天野浩は世界で初めて、光を発する半導体としての GaN を開発した。つまり(不十分ながらも)青色 LED をこの世界に初めて誕生させたわけだ。
 最初の青色 LED の開発者という称号は、天野浩にふさわしい称号だ。

 (3) 中村修二 → ツーフローによる諸技術


 天野浩の開発した青色 LED は、光ることは光ったが、光量がまったく不十分で、実用性はないも同然だった。実用的にするには、光の量を百倍以上にすることが必要で、また、量産技術も必要だった。このあとに残る課題は山積みされていた。
 ここで中村修二が登場した。彼は装置を自作することで、ツーフローMOCVD という技術の装置を開発した。この装置は、それ自体は、量産化にふさわしい技術だったとは言えない。しかしながら、この装置を用いることで、それまで山積みされていた課題を、次から次へと解決していった。それは、他人にはなしえないような偉業であり、「巨人の業績」というにふさわしい。彼一人で、山のような難題を、次から次へと解決していったのだ。ただしそれは、彼が(フォン・ノイマンのような)特別に優秀な知性をもっていたからではない。彼の開発したツーフローMOCVD という技術の装置が、ものすごい業績を生み出したのだ。逆に言えば、このような装置を開発したことが、中村の業績だった。
( ※ 比喩的に言えば、鉄腕アトムを開発した天馬博士のような役割だ。) 
 ともあれ、中村修二はツーフローMOCVD という技術の装置を用いることで、次から次へと問題を解決していった。そのことで最終的には、青色 LED を真に出現させた。これまでのように明るさが不足することもなく、また、量産化が困難であるということもなかった。中村修二の貢献(それは実に多大な貢献であった)によって、初めて青色 LED の名に値するものが世界に普及することになったのである。

 (4) 余談


 それ以後の開発の歴史は、すべては余談のようなものにすぎない。
 たとえば、日亜化学や豊田合成は(赤崎や中村の指導の下で)多大な技術開発をしたが、それらはすべて、余談のようなものにすぎない。というのは、「すでに存在しているものをいかに効率的に量産するか」という程度のことをなしたにすぎないからだ。……それは、企業の利益活動にとっては死活的に重要なことであろうが、人類の歴史においては、「誰が青色 LED で金儲けをしたか」というのは、ただの余談にすぎないのである。
 もちろん、中村修二と日亜化学の裁判がどうなったか、というようなことも、ただの余談にすぎない。
 ただ、日亜化学の主張に従うなら、この会社が「おれこそノーベル賞をもらう資格がある」と主張することになるので、最後の余興のような寸劇にはなるかもしれない。
 偉大なる三幕劇の最後には、ピエロが登場して、お笑いを買うのである。

 







 【 関連書籍 】



負けてたまるか! 青色発光ダイオード発明者の言い分 (朝日選書)
(近日発売 予約可。 2014/10/17に発売予定。)





 【 追記 】
 書き落としたが、中村修二の業績には、青色 LED のほか、青色レーザーもある。これも重要な業績だ。
posted by 管理人 at 00:23| Comment(1) | 物理・天文 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本Openプログによって、天野浩氏の立派な業績が読者に周知されたことは、意義深いと考えます。
特にTV局の報道がいい加減です。赤崎勇氏に帰すべき業績である「低温バッファ層の発見」を天野浩氏が単独で発見した
独創的な業績であるかのように誘導していた。

 作業をしたのは天野浩氏であるが、赤崎氏のアイディアと方法論と指示の下で作業した場合、天野氏の独創的な業績とは
ならない。そのあたりが全然分かっていない。大事なことを混同してはいけない。
 それなら、「低温バッファ層の発見」の業績が赤崎氏に帰すのなら、天野氏は何をしたの? 労力提供者か? となる。
本Openプログは、「いやいや、天野氏にも立派な独創的な業績がある」ということをブログ読者に明快に示された。これで、
誰もが3名のノーベル賞受賞を納得し、心から祝福できるだろう。

 1人だけ、日亜化学の小川英治氏だけは祝福しないかも。中村修二氏のおかげで、青色発光ダイオード系列の先端的製品
を生産する超優良企業になったにもかかわらず、中村氏から受けた大恩を「なかった。貢献度ゼロ」と事実を歪め、自分が
命令した大きな判断ミス「青色発光ダイオード開発を中止せよ」を中村が無視し、開発してしまった。顔に泥を塗られた。
中村は自分を社長として尊敬しなかった等、中村氏へ払うべき退職金も払わず、生涯逆恨みし続けている。器があまりにも
小さい。小川英治氏は、中村修二氏へお祝いの電話をされたらいかがだろうか。絶好の機会です。
Posted by 思いやり at 2014年10月12日 23:32
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

過去ログ