2014年10月08日

◆ 青色 LED の業績

 青色LED でノーベル賞の受賞があった。これについて、世間の誤解があるようなので、私なりに整理してみる。 ──

 青色LED でノーベル賞の受賞があった。世間では大騒ぎしているようだから、私がいちいち書くまでもないだろう。

 さて。この件について、次のブログ記事が話題になった。
  → 単純には喜べない青色レーザーダイオードのノーベル賞。日本ではゼロから1を作った人がリスペクトされるのか?

 この記事の趣旨だと、次のように認定される。
  ・ 0から1にしたという画期的な業績を上げたのは 赤崎勇である。
  ・ 中村修二は 1 を 100か 1000にした。
  ・ 0から生み出したのは、赤崎勇であるから、赤崎勇の方がずっと偉い。


 しかし、この記事は、それ自体に矛盾を含む。次の記述だ。
 当時は青色レーザーを目指して、今回受賞したGaNとZnSeが激しく競争。いずれの陣営も日本の企業・大学が中心で、「日本を制したものが世界を制する」という、日本の黄金期でした。
 私は「負け組」であるZnSe陣営で、青色レーザーの実現を目指す企業の方と組んで、基礎的な物性の研究をしていました。

 ZnSe は負け組となったが、勝ち組の GaN もあったのに、どうして勝ち組に乗らなかったのか?  GaN に「1」があったのであれば、そっちに乗ればよかったではないか。なのにどうしてわざわざ負け組の方を選んだのか? 
 言っていることが矛盾している。これではまるで「私はわざと失敗することを選んだ間抜けです」と告白しているのも同然だ。

 ──

 では、正しくは? 中村修二の本を読んで、私の知った範囲では、次のことが正しい。
  ・ 当時は ZnSe と GaN の二つがあった。
  ・ しかし ZnSe の方が圧倒的に有望だと見なされていた。
  ・ 研究者のほとんどは ZnSe の研究をした。
  ・ 他人と同じことをやっても勝てるはずがないと思って、中村修二は GaN を選んだ。
  ・ GaN を選んだ理由は、それが有望だからではなくて、有望でないからだ。(ライバルが少ない)


 以上からわかるだろう。当時、ZnSe も GaN も、どちらもほとんど 0 に近かったのだ。どちらもほとんど実用性はなかった。輝度も弱く、とうてい実用レベルにはなっていなかった。工業レベルでは「青色 LED は存在していない」という状況だった。(青色 LED もどき、みたいなものがあるだけだった。)
 ただ、これは完全な 0 ではなかった。1には達していなかったが、0.01 ぐらいには達していた。とはいえ、0.01 ぐらいに達している研究なんていうものは、世の中にはたくさんある。青色 LED で言えば、 GaN が 0.01 で、ZnSe が 0.1 ぐらいだった。ZnSe の方が圧倒的に先行していたし、大部分の研究者はこの道を進んだ。とはいえ、最終的に1に到達したのは、中村修二の GaN だったのだ。

 このあと、量産化の技術が必要となる。すると、量産化の際には、「1にする技術」は必要なく、「100 や 1000 にする技術」だけが必要となった。そこで、中村修二の技術は捨てられた。(日亜化学はこの特許を放棄した。)
 とはいえ、「量産化の技術」というのは、それほど重要ではない。その意味では、「1を 1000 にする技術」をもっている日亜化学の技術は、あまり重要性を帯びていない。
 重要なのは、「0を 0.01 ぐらいにした」という形で可能性を示した赤崎勇と、その可能性をまさしく「現実のもの」として結実させて、「 0.01 を1 にした」という中村修二なのである。この二人(およびもう一人)によって、「0を 1にした」という過程がなされた。
 これが「基礎科学」というものだ。それゆえ、この三人で、ノーベル賞を分かちあったのである。

 その後、日亜化学は、中村修二の技術や特許を使って、業界首位の位置を得た。ここで、1億円ぐらいの報償金を与えれば、何も問題は起こらなかった。ところが、日亜化学は、「青色 LED の研究をするな」という(新)社長の命令に反して、勝手に青色 LED の研究をした中村修二が憎くて仕方なかった。そのせいで、金を与えなかったし、のみならず、あらゆる名誉を剥奪しようとした。
 中村修二としては、金をもらえないぐらいならば我慢できただろうが、名誉剥奪の形で自分の貢献を無にするような扱いには、耐えかねたのだろう。かくて、売られた喧嘩を買う形で、ケツをまくった。それで、世間で大騒ぎになった。

 そのあとで、当時は負け組にいた研究者が、「彼よりも赤崎勇さんの方が偉いんだよ」と言い出す。そのあとで、「じゃあどうして自分は GaN でなくて ZnSe なんかを選んだんだよ!」と突っ込まれて、しどろもどろになる。

 おのれの失敗を直視できない人は、成功した人を羨んで、あとは足を引っ張ることぐらいしかできないのだ。
 一般に、日本人がノーベル賞を取ると、同じ分野の人はみんな悔しがる。たいていは黙っているが、なかには「悔しい」という思いをブログに書く人もいる。……ま、正直なんでしょうね。



 【 関連項目 】

 本サイトでは、以前、中村修二について何度か言及したことがあった。
  → サイト内検索 「中村修二」

 ──

 ノーベル賞とは直接の関係はないが、LED については、下記でも言及した。
  → LED 街路灯はまぶしい
  → LED 電球で色盲になる

 ※ 後者で示しているように、白色 LED というものは、「青色LED + 黄色の蛍光体」という形で、白色に見せている。たいていはそうだ。「 LED そのものが白色だ」というタイプもあるが、高価なので、あまり使われていない。



 【 関連サイト 】

 もうちょっと詳しい情報は、ここにある。
  → 中村による窒化ガリウム青色発光半導体デバイス開発






 


 【 追記 】
 青色 LED の意義は、その社会的影響の大きさにある。あちこちで指摘されているように、その低消費電力で、社会に大きな影響を与えた。(たとえば、自転車の前照灯は、今はたいていが LED になっている。足を踏む力が軽くて済むし、電池式であることも多い。)
 このように「社会的影響が大きい」という点では、「発明」としての意義が大きく、「真理の発見」という意義は小さい。その点では、通常のノーベル賞とは、かなり意義が異なる。
 このような点から認識すると、「実用化をなし遂げた」という点で、中村修二の貢献が最も大きかったと言えるだろう。発明というものは、きちんと完成して、ようやく意義が出るものだからだ。(部分的な未完成な発明というのでは、あまり意義がない。)

 余談だが、中村修二がすでに米国籍を取得していることは、下記で報道された。
  → 米国籍を取得した理由は

 ──

 中村修二へのインタビュー。興味深い。
  → 文系が金持ちの国は後進国
  その趣旨:「理系が金持ちになれない国は、技術発展しない」
    or 「理系を食いつぶすだけのブラック国家は、技術発展しない」
 
 次の紹介記事もある。
  → ノーベル賞学者は10年前、「敗軍の将」として何を語っていたか
posted by 管理人 at 01:04| Comment(33) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この記事の趣旨は、「中村修二さんが米国に渡ったのは、日本ではパイオニアがリスペクトされないからだ」、この一点のように思います。
つまりこの記事で言う0から1にしたパイオニアというのは、受賞者3名全員を指しているのでは?


しかしこの人の文章、

>日本ではゼロから1を作った人がリスペクトされるのか?
>日本はゼロから1を生み出した人をリスペクトするようになっているのでしょうか。

素直に「リスペクトされないのか」、「〜されないようになっている」と描けばいいところを皮肉のためなのか反対に書いてたり、すごく読み難い。
主旨が二転三転してるようにも読めてしまう。
Posted by 通り須賀 at 2014年10月08日 06:09
青色LEDの開発にかかる流れの整理では以下のものが信頼できると思っています。

http://www.doshisha-u.jp/~ey/images/pdf/BlueLED_Judgment.pdf#search='doshisha+青色LED'
Posted by 窓際研究員 at 2014年10月08日 10:04
上の PDF は、会社側の主張をそのままコピーしただけです。読むだけ時間の無駄。中村修二の言い分を故意に省略している。物事の半分しか示しておらず、残りの半分を隠蔽している。真実の追究のかわりに、真実の歪曲をしている。
 これを書いた人は、たぶん、中村修二の言い分をまったく知らないのだと思う。だからトンチンカンなことばかり書いている。最低限、中村修二の本を読んでからにするべきだ。(上記の Amazon の本。)
 「批判するなら相手の意見を読んでからにしろ」と、私は口が酸っぱくなるほど言っているのだが、それを理解しないで、独りよがりなことばかり言う人(自分は利口だと自惚れている人)が多くて、閉口する。
 この人、どうしてこれほどトンチンカンなことを言っているのかと思って、ググったら、わかった。理系の研究者じゃなくて、理系の技術を経営にしてビジネスにしよう、という奇怪なことを研究対象にしている。いわば「ベンチャー学」というような奇妙な研究分野。普通、それは、学問じゃなくて、ビジネスにするものなんだが。
 学者にもなれず、ビジネスマンにもなれず、ヌエ的なことをやっている奇妙な人。その結論は「ノーベル賞を受賞する研究者はクソで、その成果だけかすめ取る会社が偉い」というもの。
 こういうのがいるから、日本はダメになる。

 特許報酬を減らしてしまえ、というアベノミクスも同様だが。
  →  http://j.mp/1t7lzLP
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 【 追記 】 の箇所に、他のサイトの記事を紹介しておいたので、そちらをお読みください。
Posted by 管理人 at 2014年10月08日 12:25
管理者殿が取り上げたこの竹内研究室とはなにも関係のない者ですが、竹内研究室のブログを読んで;
>これではまるで「私はわざと失敗することを選んだ間抜けです」と告白しているのも同然だ。
とコメントするのは、いささかおかしいのでは?
この竹内研究室の方は、当時は当然下っ端で研究室を主催していたボスではありえないので、所属研究室の研究テーマに従ったわけで、その結果、負け組になってしまったということでしょ。

この竹内研究室の方を、
>おのれの失敗を直視できない人は、成功した人を羨んで、あとは足を引っ張ることぐらいしかできないのだ。
と批判することは、事実無根で言い過ぎでしょ。管理者殿は、直接この方を批判したわけではないと、コメントするかもしれませんが、この記事を読むと名指しで批判しているとしか読み取れませんね。
Posted by 一見さん at 2014年10月08日 18:06
↑ 誤読していますよ。私はこの人を「間抜けだ」と主張しているのではありません。その逆です。
 彼の主張に従えば「自分が間抜けだと主張していることになる。ゆえに矛盾」という形の背理法です。

 私が言っているのは、「見込みのない ZnSe を研究した人は間抜けだ」ということではありません。むしろ、こうです。
 「それでは矛盾になる。だから前件は否定される」つまり「ZnSe は見込みがなかったのではない」つまり「 ZnSe は当時最も有望だったのだ」( 0.01 を上回る 0.1 の位置にあったのだ)と。
 これが私の主張です。間違えないでください。

 どうも本サイトは、背理法を理解しない人が多くて困る。皮肉まじりの論理が通じないんですね。

 なお、私が批判しているのは、「彼が当時 ZnSe を研究したこと」ではありません。「中村修二のやったことを過小評価しようとする」という、今回のブログ記事です。つまり、「中村修二のやったことを過小評価しようとするべからず」というのが私の主張です。

 この点はもちろん名指しの批判ですよ。(ただし意見への批判であるにすぎない。意見を言えば批判が来るのは当然だ。日本には言論の自由があるのだから。専制国家じゃあるまいし。あなただって私を批判しているし。何も問題ない。)
 ただ、あなたは私の主張を誤読している。私を批判するのであれば、「中村修二のやったことを過小評価しようとするのは正しい」というふうに主張するべきです。それなら反論になる。
 一方、上記コメントは、ただの誤読による勘違いにすぎない。藁人形論法で、架空の対象を攻撃しているだけ。
Posted by 管理人 at 2014年10月08日 18:52
「単純には喜べない青色レーザーダイオードのノーベル賞。日本ではゼロから1を作った人がリスペクトされるのか?」を見ました。

管理人さんの以下の発言は間違っていると思います。
 この記事の趣旨だと、次のように認定される。
  ・ 0から1にしたという画期的な業績を上げたのは 赤崎勇である。
  ・ 中村修二は 1 を 100か 1000にした。
  ・ 0から生み出したのは、赤崎勇であるから、赤崎勇の方がずっと偉い。

私は、記事の趣旨を以下のように読みました。

日本ではゼロから1を作った人がリスペクトされるのか?
 日本の実情はそうであるのかもしれないが、それは間違っている。
 ゼロから1を作った人だけではなく、1 を 100か 1000にした人も同等にリスペクトされるべきだ。
 ノーベル賞にこの3人が選ばれたのは、この3人全員がノーベル賞にふさわしいと評価され、リスペクトされたからだ。
 ノーベル賞や海外からだけではなく、日本国内でも、3人とも評価され、リスペクトされるべきだ。

 この記事の筆者が喜べなかったことは、中村さんのノーベル賞受賞そのものではなく、中村さんが日本国籍からアメリカ国籍に変えていることを知って、国籍変更の理由を「日本では正当に評価されず、リスペクトされないからだろう。」と、考えたからだと思います。
 つまり、筆者は日本の状況を悲しく悔しく思って、喜べなかったのだと思いました。

 記事中の以下の記述で、筆者は舛岡先生が本気で言ったのではなく、皮肉として言ったのだと受け取っていると思います。

 私が新人の時に上司の舛岡先生が仰った言葉を思い出しました。
「ゼロから1を作った奴は、1を100、1000にした奴よりも偉いんだ」
Posted by ishi at 2014年10月08日 18:53
>  by ishi

 意味不明です。

>  ノーベル賞や海外からだけではなく、日本国内でも、3人とも評価され、リスペクトされるべきだ。

 「日本ではリスペクトされていない(しかし、リスペクトされるべきだ)」
 という認識はどこから来たのか? もしかしたら異次元空間の話か? 
 現実には、日本中で大騒ぎですよ。新聞記事はこの件で埋め尽くされている。日本国内ではものすごくリスペクトされている。
 変な妄想をしないで下さいね。

>  ゼロから1を作った人だけではなく、1 を 100か 1000にした人も同等にリスペクトされるべきだ。

 それだったら、「日亜にノーベル賞を出せ」もしくは「日亜に多大なリスペクトを」という主張になりますね。

 あのね。日亜は中村修二のおかげで何千億円もの富を得ているんです。他の会社は中村修二がいなかったから儲からなかったのに、日亜はたまたま中村修二がいたというだけのことで莫大な利益を得ている。濡れ手で粟みたいに。
 企業はこういうふうに棚からボタモチで大儲けしているが、中村修二や赤崎勇さんはろくに報われてこなかった。これらの人には金よりも名誉を与えよう、というのがノーベル賞の趣旨です。
 一方、1を100、1000にした会社は、ボロ儲けしています。これを「リスペクトせよ」という必要はありません。
 あなたの主張に従うなら、「世の中の大金持ちに対して多大なリスペクトを払え」ということになります。ただでさえ富を独占的に奪っている人々が、どうしてまた名声までも「寄越せ」と要求することになるんだか。わけわからん。
 
 基礎科学とビジネスの区別ぐらいはしましょうね。
Posted by 管理人 at 2014年10月08日 19:07
私は通り須賀さんと同様の解釈をしました。

>技術者だけに限る話ではないと思いますが、まずはパイオニアをリスペクトするようにならないと、日本の復活はないのではないかと思わされたノーベル賞でした。

最後の文がこれなので、パイオニア=0から1を作った人=中村修二氏ではないかと。
ishiさんの解釈はありえそうな気もしますが、管理人さんの解釈にはちょっと賛同できないです。
リンク先の記事には赤崎勇氏に関しての言及なんて一切ないですし、一方で中村修二氏に対しては思い入れと敬意が前面に出た文章だと思います。
管理人さんは“世間の誤解を整理”としていますので、たぶん他にもいろんな記事や書き込みを読んだ結果、他の方の意見とごっちゃにしてしまってないでしょうか?

通り須賀さんも書いてるけど、確かに話の趣旨が読み取り難い文を書く人ですね。
Posted by KOON at 2014年10月08日 19:16
> 0から1を作った人=中村修二氏ではないかと。

 まさか。それはないでしょ。先に赤崎さんの業績があります。
 科学的に見る限りは、赤崎さんの業績の方がずっと上です。だから賞金だって、二人で3分の2をもらっている。中村さんの貢献は3分の1です。(ノーベル賞の認定。)

 ただ、「発明」という工業的な意味で見るなら、中村さんの業績の方が圧倒的に上だ、というのが私の認定です。
 ま、どっちにしても、0から何かを生み出したのは、中村さんではありません。
Posted by 管理人 at 2014年10月08日 19:52
>現実には、日本中で大騒ぎですよ。新聞記事はこの件で埋め尽くされている。日本国内ではものすごくリスペクトされている。
>変な妄想をしないで下さいね。

横から失礼。
それはノーベル賞を取ったからですね。
ノーベル賞を取る以前の日本で十分な評価がされなかったから、中村氏は国外に去った。
記事タイトルの「単純には喜べない」はこの事を指しているのは、間違いないと私も思いますが。
Posted by KOON at 2014年10月08日 19:56
>まさか。それはないでしょ。先に赤崎さんの業績があります。
>科学的に見る限りは、赤崎さんの業績の方がずっと上です。だから賞金だって、二人で3分の2をもらっている。中村さんの貢献は3分の1です。(ノーベル賞の認定。)

私が、他の記事や書き込みとごっちゃになってませんか、と書いたのはまさにその点です。
研究者であるらしい筆者がその点を無視して記事を書いたのは釈然としないのは事実ですが、記事中にはそのような記載は一切ありません。
赤崎さんの存在を忘れて、もう一度記事を読み直して見てください。
幸い記事中には中村氏以外の受賞者は登場しませんので、それほど難しい事ではないと思います。
Posted by KOON at 2014年10月08日 20:03
> それはノーベル賞を取ったからですね。

 そう言われるだろうと思ったけど、ノーベル賞の業績が受賞前には一般人から理解されないのは、当たり前のことです。基礎科学のことを大衆が知らないのは当然。だからこそノーベル賞というものの意義がある。
 ノーベル賞とは何か? ということを理解しましょう。

> ノーベル賞を取る以前の日本で十分な評価がされなかったから、中村氏は国外に去った。

 それは成立しないでしょう。出ていった人もいますが、出ていかない人もいっぱいいる。企業内研究者という点では、田中さんも出ていかない。青色LED でも、赤崎さんも天野さんも出ていかない。
 
> 記事中にはそのような記載は一切ありません。

 わざとぼかして書いてあるのでしょう。攻撃しているようには見せたくないから。
 どっちみち、ゼロから何かを生み出したのは、赤崎さんであり、中村さんではありません。
 仮に KOON さんの意図の通りだとしたら、誤解されるように文章を書いた方が悪い。
 
 ──

 この件、「国語的解釈」の問題になってきているので、無意味です。本題とは関係ないので、打ち切りにして下さい。
Posted by 管理人 at 2014年10月08日 20:18
だいたいKOONさんが書いてくれてますが、この記事を読んで中村批判の赤崎押しの文章と読むのは、「国語的解釈」以前の問題だと思います。
「中村さんをもっと評価せよ」という趣旨の部分は私もKOONさんもishiさんも少なくとも同様の理解をしていますから。
管理人さんは普段ご自分の読者の誤読に厳しい方ですのに、「誤解されるように文章を書いた方が悪い」はないでしょう。
このブログ内のにぎわっているコメント欄では、大抵管理人さんに、「ただの誤読による勘違いにすぎない。藁人形論法で、架空の対象を攻撃しているだけ(←これはこのコメント欄です)」ってな感じで罵倒されている方がいますよ。
確かに文章に問題がある記事ではありますが、KOONさんが仰る通り赤崎氏の存在を忘れて読み直したうえで、記事を修正されることを一読者として強く奨めます。
じゃないと、完全にブーメランですよ。

>ただの誤読による勘違いにすぎない。藁人形論法で、架空の対象を攻撃しているだけ
Posted by 通り須賀 at 2014年10月08日 20:36
追記
厳しいこと書きましたが、管理人さんの打ち切りを無視しての書き込みですので、当然そちらも無視してくださって結構です。
私もこれでこの記事への書き込みは控えます。
失礼しました。
Posted by 通り須賀 at 2014年10月08日 20:41
私の誤読なら取り消しますけど、私の誤読じゃないですよ。同意見はたくさんあります。
 たとえばtwitter。
  → http://j.mp/ZQXtga
 本項のはてブでも、批判はなし。
  → http://b.hatena.ne.jp/entry/openblog.meblog.biz/article/23839238.html
 逆に、本項に批判的な人は、たったの3人ぐらいだから、批判的な人の方が圧倒的に少ない。
 また、元の記事のはてブも同様。
  → http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Takeuchi-Lab/20141007/1412679852
 ここで「赤崎」または「中村」で検索すればわかるように、ほとんどの人は私と同様の解釈です。
 通り須賀さんみたいな解釈をする人の方が「勝手読み」をしているだけでしょう。
 いずれにせよ、これは国語的な解釈であり、しかも、大多数の人は、私の同様の解釈です。
 それとは異なる解釈の人が3人ぐらいいるからといって、その例外的な3人が正しいということにはなりません。
仮に解釈に対して文句を言うのであれば、私以外の大多数に対しても同じ文句を言うべきでしょう。「自分たち3人以外はみんな読解を間違っている」というふうに。
Posted by 管理人 at 2014年10月08日 22:37
改めて読み直すと、該当の記事を単独で読んだ場合には、通り須賀 さんたちのように読むことも妥当でしょう。
 ですが、この件では、「赤崎さんたちの先駆的な業績の方が重要だ」「中村さんの研究はたいしたことがない」という主張がしばしば見られるし、日亜化学もそう主張しているし、本項で引用した特許関係者もそう主張している。そこでは、「0から生み出した赤崎さんが偉くて、中村さんは単にちょっと改良しただけ」というという主張がなされている。そういう社会的状況(社会的文脈)があるなかで、該当の記事のようなことを書けば、「0から生み出した」という表現自体で、赤崎擁護・中村批判と受け取られるのは当然でしょう。
 そんなことも理解しないまま、「0から生み出した」という表現で、基礎科学者一般を擁護しているのだと読解するのは不自然です。仮に基礎科学者一般を擁護するのであれば、話は青色LEDに限ったことではないのだから、「基礎科学について」というふうに語るべきであり、「青色LEDについて」というふうに語るのはおかしい。
 
 ま、「中村さんは0から生み出したわけじゃない」という批判がこれまでずっと続いていた、ということを知らない人であれば、通り須賀 さんのように解釈するのも、不思議ではない。しかし本サイトの読者の多くは、「中村さんは0から生み出したわけじゃない」という批判がこれまでずっと続いていた、ということを知っているのだから、「0から生み出したわけじゃない」という言葉を聞けば、それを中村批判だと受け止めるのは当然です。
 ま、業界内のリテラシー( or 常識)があるかどうかで解釈が異なる、というようなものでしょう。

 ──

 なお、もし通り須賀さんのような見解が該当ブログの本意だったとするなら、お詫びを書くべきでしょう。
 「本項は基礎科学一般について述べたものであり、青色LEDについて述べたことではありません。特に青色LEDにおいて中村さんの軽視をしているように受け取られたとしたら、誤解を招く表現をしたことをお詫びします」
 というふうに。そういうお詫びと訂正が出たなら、私も記述をあらためます。
 しかし、そういうお詫びが出ていない以上、大多数の人が解釈したとおりの内容だと理解するしかありません。
Posted by 管理人 at 2014年10月08日 22:39
中村さんは、量産化には貢献してないよ。
実際に彼の特許は使われていないし、量産化には関係なかった。
ここの記事を読むと、中村さんが輝度を上げたと書いてあるけど、それが本当なら、輝度を上げただけの貢献しかしてない。
他の社員が量産化技術を発見したが、中村さんが実験はしないのに論文だけ書いていたから、世間が中村さんの手柄と誤認した。

赤崎先生が一番凄いよ。中村さんは単なる製品化技術者でしょ。日本にはそんな技術者沢山います。

あと、中村さんは性格悪すぎ、もっと同僚にもクレジットあげればいいのに、全部自分の手柄にした。

何この人?正直人間として軽蔑する。
Posted by 通りすがり at 2014年10月08日 22:41
↑ ほらね。こういうふうに勘違いしている無知な素人がたくさんいる。だから、そういう社会的状況では、該当記事は中村批判だと受け取られるんです。
Posted by 管理人 at 2014年10月08日 22:56
中村さんの貢献度がどのくらいのものか、という点について、次項の最後に加筆しました。
(天野さんの記者会見の転載)
Posted by 管理人 at 2014年10月08日 23:03
どうしても、管理人さんの誤読だと思えてしまうので、書き込みしました。

> 海外への人材の流出はノーベル賞レベルだけでなく身近な所でも起こっています。
技術者だけに限る話ではないと思いますが、まずはパイオニアをリスペクトするようにならないと、日本の復活はないのではないかと思わされたノーベル賞でした。

 「単純には喜べない青色レーザーダイオードのノーベル賞。日本ではゼロから1を作った人がリスペクトされるのか?」の記事中の上の記述を読むと、文中のパイオニアには中村さんも含まれると読み取れます。少なくとも技術畑では、中村さんは明らかにパイオニアですから。
Posted by ishi at 2014年10月09日 01:00
わざとどっちにでも読めるように曖昧に書いているんですよ。あからさまな個人攻撃はまずいから。
Posted by 管理人 at 2014年10月09日 01:03
青色LEDの開発にかかる流れの整理では以下のものが信頼できると思っています。
http://www.doshisha-u.jp/~ey/images/pdf/BlueLED_Judgment.pdf#search='doshisha+青色LED'
Posted by 窓際研究員

このPDFは、こういう考え方もある、というレベルのものだと思います。
「発明の対価は、604 億 3006 万円とした判決の考え方は間違っている」という主張は認められると思います。中村氏の請求額が 200億円だったわけですし。
しかし、「対価額を合理的に算出した結果、その額は、683 万円−6833 万円となった。」という主張は鵜呑みにはできないと考えます。合理的に計算しているようですが、額を抑えようとする姿勢が見受けられるます。
Posted by ishi at 2014年10月09日 01:18
管理人殿の大好きな背理法を十分理解していないマヌケです。

管理人殿が立てた疑問:「ZnSe は負け組となったが、...なのにどうしてわざわざ負け組の方を選んだのか?」に対して管理人殿自身が「言っていることが矛盾している。これで...告白しているのも同然だ。」と答えているわけです。

私は「どうして負け組に?」という疑問に対しては「下っ端で...その結果、負け組になってしまった」と竹内研究室のブログから読み取ったわけです。竹内研究室ブログからこのブログの著者自身が自身をマヌケではないと主張しているようには読み取れないので、背理法がどのように立つのかわからないのです。管理人殿は、私ども無知な人間へ教えるのに長けていると思いますので教えてくださるとうれしいです。

「おのれの失敗を直視できない人は、成功した人を羨んで、あとは足を引っ張ることぐらいしかできないのだ。」という管理者殿の記述は、どう考えても竹内研究室のブログの著者への批判としか読み取れなかったわけです。この管理者殿の文章は、竹内研究室のブログの著者を例に一般化した結論のように書いてありますが、その竹内研究室のブログの著者への批判には根拠がないと思えたわけで、コメントしたわけです。

この記事の論争は中村氏の評価になっているようなので、私のコメントはどうでもいいですが、管理人殿がそれこそ私のコメントを誤読しているようなので、あえて再度コメントしました。
Posted by 一言さん at 2014年10月09日 07:02
↑ は、 2014年10月08日 18:52 のコメントに説明してあります。

> 竹内研究室のブログの著者への批判

そうですよ。ブログ記事への批判だ、と前コメントに書いています。

私が否定したのは「間抜け」という表現の箇所だけです。「批判」は否定していません。コメントを再度読み直して下さい。

私の主張は、「こいつは間抜けだ」ではなくて、「中村批判(批判というより軽視)は正しくない」ということです。
Posted by 管理人 at 2014年10月09日 07:27
こんにちは、管理人さん。

学問と言う世界から言えば、全くの0からの出発なんてものは無いのだろうと思います。青色発光ダイオードについても、発光ダイオードの発光メカニズムが既にあり、青色発光するであろうという理論的予測の立つ材料としてGaNやZrSeが挙げられていたという意味では0では無いわけです。それが実現できるかどうかは別にしてね。

別な話になってしまうけど、なんていうかマスコミ総出で「粘り強さ」を持ち上げていることに変な危惧を感じるんですね。難しい仕事を成し遂げるのに「粘り強さ(言い方を変えると「諦めの悪さ」)は必要ではあるのだけど、なんていうか、研究で必要なのは、やみくもな「粘り強さ」ではなくてもっと知的な背景を持った「諦めの悪さ」みたいなものなんですね。言葉を変えると「ダメな理由に納得ができないから止められない」みたいな部分です。

私なんかも小さな部分では「粘り強い開発」というのをやったことがある訳だけど、途中から「うまく行かないことに納得できる理由が見つからないから止められない」状態に落ち込むのね。もし途中で「こういう理由でできないのかぁ、この理由だと手の施しようがないな」なら心安らかに諦められるものなのね。

なんていうか、うまく伝わるかどうかわからないけど、こういう「知的な背景をもった粘り強さ」が理解されずに、「諦めずに取り組むことは良いことだ」みたいな風潮ができるのは嫌だななんて思ったりする訳です。
Posted by 分析化学者 at 2014年10月09日 08:32
紙面の大半が中村さんが米国に渡った事が残念だとする内容で、0から1にした人云々は最後に恩師の発言の引用という形で一文あるだけ。
やっぱり中村批判には私は読めませんね。
ツイッターやらで同意見が多いから、大多数がそう解釈しているというのも疑問。
中村批判じゃなかったら、「優秀な人間が米国に流出する」っていうありきたりな主張をしてるだけですから、わざわざ反対意見を主張する人がいないだけでは?
反対派の方が声が大きくなるのは、このコメント欄が証明しています。

まあここでごちゃごちゃ言い合っても答えが出る問題ではないので、私もこれで最後とします。
Posted by KOON at 2014年10月09日 11:13
こんにちは、皆さま。

少しだけ法律が分かるので民事訴訟の判決文をいろいろと読まされて解説させられることも多いのですが、民事訴訟の判決文には「今後も同様の判決が出るだろう」と予想できるレベルの裁判、「反面教師として参考になる」レベルの裁判、そして「参考にならない」レベルの裁判があります。

参考にならないレベルの裁判の代表は、欠席裁判です。被告側が全く裁判所に出てこないと、原告側の請求が法に反しない限り全て通った判決になります。こんなのは、今後の類似紛争の判決がどう転ぶかの予想に全く参考になりません。

反面教師として参考になるレベルの裁判と言うのは、原告の請求、あるいは被告の抗弁に「的外れ」の主張が多い場合です。裁判官と言うのは、あくまで両当事者の主張とその提示する証拠にのみ基づいて判決しなくてはなりませんから、原告の請求が請求の理由と不整合していたり、被告の抗弁が的外れな抗弁をしていると、的外れな方に不利な判決となります。こういう判決は「的確な主張をしないと不利になる」という教訓は参考になりますが、的確な主張がなされた時に裁判所がどのように判断するかの参考にはなりません。

実は、中村修二氏と日亜化学の裁判は、この反面教師として参考になるレベルの裁判のように見えます。日亜化学の主張が何か的を外している感じを受ける訳です。まだ、完全に解析している訳ではありませんので、あくまで感触としてです。

そういう意味では、中村修二氏と日亜化学の判決は、「今後も同様の判決が出るだろう」と予想できるレベルとは言い難い気がしています。
Posted by 分析化学者 at 2014年10月10日 15:38
分析化学者さんへ

地裁判決は「参考にならない」レベルの判決と言うわけですね。
私もそう思います。

では、判決ではありませんが、高裁の和解勧告は、どのレベルと判断されますか? 
「今後も同様の判決あるいは和解勧告が出るだろう」と予想できるレベルの裁判、「反面教師として参考になる」レベルの裁判、「参考にならない」レベル
教えてください。

また、管理人さんのご意見もお聞かせいただけたらありがたいです。
Posted by ishi at 2014年10月10日 17:21
↑ 訂正します。

地裁判決は「参考にならないレベルの判決」と言うわけですね。
私もそう思います。
   ↓
地裁判決は「反面教師として参考になるレベルの裁判」と言うわけですね。
私はむしろ「ほとんど参考にならないレベルの判決」だと思います。
Posted by ishi at 2014年10月10日 18:21
こんにちは、 ishi さん。

>地裁判決は「反面教師として参考になるレベルの裁判」と言うわけですね。
>私はむしろ「ほとんど参考にならないレベルの判決」だと思います。

少し別な裁判の話をすると、大庄ホールディングスっていう居酒屋チェーンの本部が過労死裁判の控訴審で他の居酒屋チェーンであるワタミの36協定とかを証拠として示して「飲食店チェーンではこの程度の残業はどこでもやっている」と主張したに驚いたことがあります。なんていうか「視野の狭さ」に驚いたわけです。当然、裁判官はそんな主張は取り上げないわけですけどね。

>では、判決ではありませんが、高裁の和解勧告は、どのレベルと判断されますか?

まあ、日亜化学は大庄ホールディングスほど視野が狭くなかったので、控訴審ではもう少しまともな主張をしていて、それを中村さんの方も感じ取っていて、それが和解につながっているように見えます。つまり控訴審が和解せずに判決まで行ったら、あの和解条件(8億円でしたっけ?)に近いところで決着しているのではないかと予想しています。
Posted by 分析科学者 at 2014年10月14日 09:59
こんにちは、 ishi さん。私も少し訂正しないとなりませんね。

>控訴審ではもう少しまともな主張をしていて、それを中村さんの方も感じ取っていて、それが和解につながっているように見えます。

この「中村さんの方も」は「中村さんの弁護団も」とした方が正確かもしれませんね。ご本人はその後「不本意だった」みたいなことも言われているみたいですからね。弁護士としては依頼人の利益を考えて、依頼人を説得して「納得してもらった」つもりでも、依頼人が腹の底では納得してないなんてのは結構良く見ることではありますけどね。

なんていうか、民事裁判では多重の主張というのが可能なんですね。「何々の金をいくら払え」という請求に対して「払う必要はない」と主張する場合に、万一「払え」となった場合を考えて「もし仮に払うとしても、金額はいくらが相当である」みたいな、第一防御ラインが破れたときの第二防御ラインを構築しておくような形です。日亜化学の地裁での主張と言うのが、どうもこの第二の防御ラインの構築に失敗している感じなんですね。そのため第一防御が崩れたら悲惨な金額の判決になる。控訴審ではこの第二防御ラインをきちんと構築しようとしたのを中村さんの弁護団も感じ取って、「地裁判決の様にはいかないから」と中村さんを説得したかんじでしょうか。

とまあ、「反面教師」の部分としては「第二防御の失敗」で巨額の判決になるということが言えるのではないかと思います。
Posted by 分析化学者 at 2014年10月14日 17:15
分析化学者さまへ

ありがとうございます。
地裁判決が、「反面教師」として参考になるレベルであると分かりました。

地裁判決の200億円という金額に衝撃を受け、他の企業・使用者側にとって、日亜化学の地裁での裁判への取り組みが、まさに「反面教師」となったのだと思いました。
Posted by ishi at 2014年10月15日 19:33
こんにちは、ishiさん。

>地裁判決の200億円という金額に衝撃を受け、他の企業・使用者側にとって、日亜化学の地裁での裁判への取り組みが、まさに「反面教師」となったのだと思いました。

私としては「下手な裁判の結果」で衝撃を受けて欲しくないのね(下手な裁判もして欲しくないけど)。

例えば、悪質な訪問販売で浄水器買わされた消費者が「水がおいしくならない」と裁判して負けた事例なんてのがあるけど、これなんかは、訴えるポイントがずれているのね。その浄水器の販売においてどれだけ悪質な勧誘トークがあったかをきちんと主張すれば勝てるような話ね。でもって、こういうポイントのズレが分からない人たちが、判決だけ見て「浄水器での裁判は勝てないのか」なんて思われて泣き寝入りが増えたら困るからね(笑)。

なんていうか、大企業じゃない会社では珍しくないことなんだけど、中村氏が在籍した頃の日亜化学には「知財管理の分かる人材」が居なかったんじゃないかと思います。弁理士会あたりの講習会を受けに行っただけの担当者がなんとか「知財関連の業務」をこなしている様な状態ね(今でも中小企業の大半はそんな感じです)。だから、とりあえず就業規則としての「業務発明ま取扱い」みたいな制度とかはできているけど、その運用はなんていうか、必要性が良くわからないまま適当にやっていた感じかな。そんないい加減にやっていたツケが裁判では全部日亜化学に不利に働いている感じも受けます。

反面教師としては、そういう、常日頃の知財管理をその必要性まで理解してきちんと行うことなんかもありそうです。
Posted by 分析化学者 at 2014年10月16日 08:26
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