※ 後半の 【 補説 】 が重要です。 ──
この騒動に関して、三つの関連用語を示す。
社会的バッシング
人々狂気的に誰かを批判するということは、朝日たたきの前にも、いくつかあった。
・ イラク人質騒動
・ ほしのあき騒動
・ 美人市議騒動
・ 女性漫画家騒動
・ STAP細胞騒動(小保方たたき)
これらは、「社会的バッシング」と見なせる。この件は、すでに別項で詳しく論じた。
→ 社会的バッシング(STAP)
※ 上記の5例については、サイト内検索で見つかる。(例:「女性漫画家」でサイト内検索)
モヒカン族
かなり古い用語だが、Web 創生期のころ、ネット世界を技術的に純粋化しようとした人々の思想的立場があった。それは、やたらと俗っぽい態度から決別しようという、技術者の矜持を示すものだった。
→ モヒカン族とは - はてなキーワード
そのうちの一部を抜粋しよう。
《 モヒカン族の思想 》
これと逆なのが、ネトウヨである。
- 原則として発言者の思想的立場によって正誤を判定する。どんな議論であろうと、発言者が右翼ならば正しく、発言者が左翼ならば間違い。
- 真剣な論理的議論を求めない。むしろ厨二病的な仲間内の馴れ合いを求める
- 取材ミスや実験ミスのような些細なミスは、単に「間違い」と考えず、悪意ある意図的な捏造と見なす。他人の間違いは徹底的に批判するが、自分の間違いは決して認めない。
こういうネトウヨが現れるのは、ネット上であることが多いが、どこかのナベ関係の新聞社でもよく見られる現象である。
ヒトラー時代
ヒトラーの言葉から引用。
「大衆は小さな嘘より、大きな嘘の犠牲になりやすい」
「嘘を大声で、充分に時間を費やして語れば、人はそれを信じるようになる」
「熱狂した大衆だけが、操縦可能である」
「政策実現の道具とするため、私は大衆を熱狂させるのだ」
→ 出典
まるで今現在の日本を表現するためにあるかのような、ぴったりとした言葉だ。
【 補説 】
この三つの概念は、今現在のネトウヨを描写するのにふさわしいが、実はもともとは、韓国人・中国人にぴったりと当てはまる概念であった。
・ やたらと相手(日本)をバッシングする。
・ 論理は関係なく、単に「親日」というだけで悪と見なされる。
・ ヒトラー時代のドイツ国民のように煽動された、熱狂的な大衆。
このような状況を見て、「中国人・韓国人はひどいな。非文明的だな」と、日本人は呆れたものだった。ところが今や、そういう中国人・韓国人とそっくりな状況になってしまったのである。
アジアの極東には、世界でも稀なほど非文明的な国がいくつかある……と思えていたのだが、いつのまにか、日本もまたその仲間に入ってしまったのだ。
第二次大戦後、GHQ の導入した「戦後民主主義」は、日本には根づかなかったのかもしれない。戦後 70年を経て、欧米流の民主主義は、土壌に定着することなく、根っこからして枯れつつある。
今の日本は、ふたたび戦前のような、軍事的右翼主義に回帰しつつあるようだ。
こうして、わずかに日本だけに定着した民主主義は枯れ果てて、日本もまた、中国・韓国と同じような国になっていくのかもしれない。
( ※ 実を言えば、日本に親の民主主義が成立したことは一度もなかった、とさえ言える。なぜなら常に圧倒的な「一票の格差」の下で、保守派に有利になるように歪められた、「疑似的な民主主義」が成立しただけだったからだ。その「疑似的な民主主義」のおかげで、自民党政権が長く続いたし、今後も長く続くのだろう。日本において「民主主義が成立した」と見えたのは、実はただの錯覚だったのかもしれない。それゆえ、今まさしく、風前の灯火だった民主主義が消えつつあるのかもしれない。日本では。……そして、その理由は、ヒトラー時代と同じく、「大衆の洗脳」だったのである。)
【 関連サイト 】
参考となるサイトがある。
→ なぜドイツ国民はヒトラーを熱狂的に支持したのですか
一部抜粋しよう。
ナチス時代のドイツは以上のような状態でした。ですから、「どうして国民の大半はヒトラーを熱狂的に支持したのですか」という質問に対しては、ヒトラー政府の暴力的な弾圧があったこと、経済政策・外交政策での実績から国民がヒトラー政府を信用したこと、ナチス党の宣伝がうまくてドイツ国民の多くが半ばだまされてしまったこと、などがあると思います。
これは安倍内閣と似ている。
・ 「一票の格差」による、民主主義の歪曲。
・ 経済政策・外交政策での実績から国民が自民党政府を信用したこと
・ 自民党と読売の宣伝がうまくて国民の多くが半ばだまされてしまったこと
うり二つですね。

ちなみにワイマール共和国は厳正拘束名簿式比例代表制だったので、ナチス党は票も議席も合法的には一度も過半数には達したことはありません(現代において
同じ制度を採っているイスラエルがガザへの非道を繰り返しているのは皮肉という他ありませんがw)
むしろ、民主主義のためには、民意を忠実に反映させる選挙制度は採られるべきではないというのが歴史からの教訓ともいえると思います。
そのとき、一票の格差がなければ、自民党は下野していたはず。そうなっていたら、以後の歴史はどう転んでいたかわからない。そのときに公正な選挙制度ができて、以後は与野党交替が何度も起こったかもしれない。
歴史の if ですけどね。
あと、日本の最高裁が「1対5までは合憲」なんていう滅茶苦茶を言わなければ、歴史はかなり変わっていたはず。
この意味では日本は真の法治国家ではない。「時の政権にとって都合のいい法律解釈のみが許容される、半面的な法治国家」であるにすぎない。
> 民意を忠実に反映させる選挙制度は採られるべきではない
それは「比例代表制は良くない」というだけの意味であって、「与党にとってだけ都合のいいような選挙制度の方がいい」ということにはなりません。
比例代表制にかわる案は、別に考慮済みです。
→ http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/90_kousen.htm
※ 首相公選制ふうの案。
戦前は政権交代は割とよく行われていました)
逆に、野党が万年化に至ったのは、9条にしがみつき、ついには一体化してしまい、司法にまで政権を任せるのはマズいと思われるようになったからでしょうw
つまり、"改革的な与党"と"保守的な野党"という日本政治に特徴的な状況があって、選挙制度を改革するだけでは民意を反映することが困難になっているわけです。
おそらく、野党が20年早く自衛隊を認めていたならば、司法も国民も安んじて野党に政権を任せたでしょうが、与党になって渋々認めさせられたとあっては
意味がありませんでした。
それなりに批判されて当然でしょう。
それに、それほどのバッシングを朝日が受けている
わけでもない。
これで会社がつぶれるほどの不買運動でも起これば、
異常なバッシングといえるでしょうけど。
こんな状況でも朝日好きの一定の人々が存在することは、
社会としてはむしろ成熟しているし健全だと言えるでしょう。
自らの意見に反する人のコメントもあえて掲載を許す
管理人殿の姿勢にも敬意を表します。
貴族院は勅撰なのでノータッチ)戦前日本は「軍事的右翼主義」どころかけっこう健全だったんだなというのが実感なんですがw(便乗主義者はいつの時代にもいる)
疑問なのは、そういう日本にあった良識には依らず、バカな知識人が二言目に言うオーベイデワーなどという論法を管理人さまが採っておられるようであるのが
引っかかっているわけです。
欧米の真似をしろ、と言っているわけじゃありません。欧米の真似をしたくてもできなかった原住民ども、という認識です。極東民族には、能力がないんですね。
中国・韓国・北朝鮮は蛮族かと思っていたが、実は日本もそうだった、というオチです。チョンマゲの似合う原住民が欧米の真似をするのはとうてい無理ということか。
・・・そうなんです!これからはここを前提にして考えていただきたいですね。国民に主権を与えたのは早すぎたんですよ。それでも戦後70年持ちこたえられたことは幸いでした!
しかし管理人さんは立派ですねぇ。余程優秀でしかも人間が出来ておられる。イラッとする問題もありますが、コメントでのやり取りをみても頭の下がる思いです。
「こういう朝日」が生き延びるとむしろ管理人さんの言う「愚民」の支持者が増えるのでは無いかと思われ。
(※は外国との思想戦に勝てないし勝てなかった)
まず日本が愚民だらけになって、日本が韓国化している。こうなると、まともな勢力は存在しにくくなる、というのは、韓国を見ればわかるとおり。
ナチス時代も、まともな人間はいたが、まわりの人々がみんなナチスを称賛するようになると、少数のリベラルな人は生きにくくなった。それと同様の現象が、今の日本でも生じている。
「ドイツはどうしてヒトラーなんかを支持してナチスが政権を取ったんだ?」
というのは、昔は疑問に思えていたが、今なら日本人も納得できるだろう。「ナチスは国益重視で愛国心を唱えたから、それに人々は賛同したのだ」と。
同じ現象が、今の日本でも生じている。
戦後の反動からリベラルは言論空間のの覇者だった、やりたい放題だった。やがて増長し、ついには大失策を犯し「愚民」に自殺点を献上している始末。擁護でなく浄化の炎を。まともになれば再逆転できます。右だろうが左だろうが早い者勝ち。
「国益・愛国心」をただ見下すばかりの傲慢なリベラルと「美しい国」を唱える敗北主義者。一体何が違うんだろうか、と思う。
なんかよくわかんないけど、自分と同じ考えの人を増やそうとすると失敗する気がする。自分と違う考えの人に見方になってもらう、というのがうまくいく気がする。
誤読や誤解や間違えてしまう事が決定的な事な事なのではなく、心の中に潜んでいる<利害>が肝心。人間は利害からは自由にはなれない。ただそれを昇華する事だけができる。
会社の為に生きているのか、家族の為なのか、自分の為なのか、<内なる良心>の為なのか。過ちを認める事ができるのは素晴らしいこと。少しも恥ずべきことではなく勇気を必要とすることです。
管理人さんの仰る通り、日本には民主主義が成立したことはないと思われます。輸入された民主主義は必要ないとも思います。異邦人の思想でしょう。イデオロギーを超えた感性を日本人は元々持っている。個人的には民主主義は危険な思想だとすら感じてもいる。多数決では大切な事からずれてしまうからです。<愚民>の多数派とその暴走は時に危険なもの。中世の魔女狩りを見ても判ります。
ナチス党の宣伝がうまくてドイツ国民の多くが半ばだまされてしまったとも云えますが、ヒトラーの暴走を許したのは当時のドイツ国民であったでしょう。国民の総意が独裁者の暴挙を望んだのではないのかと。同じ事は今後も起こり得ます。日本でも起こりつつある。
どんな時でも肝心なのは、悪を外にしか見ていない時、我々は主導権を失ってしまうと云うこと。他人の悪を変える事は叶わぬ望みなのですから。共感力こそ事態転換の鍵ではないかと。
ネットは社会的バッシングという暴力を安易に拡大するツールになってしまっている側面もありますが、 賢者の見識を共有するものにもなり得る。馴れ合いや憂さ晴らしの確執が目的では宝の持ち腐れです。
何を持って喜びとするのか、小さな利害を離れ、在るべき見識をここで寄せ合って求めるべきなのではないかと。