捏造説に矛盾があることを示す。テラトーマの画像に関して。 ──
「STAP細胞は小保方さんの捏造だ」という説がある。(捏造説)
これによれば、次のような捏造があったことになる。
・ 電気泳動の画像は、他の画像を転用した捏造
・ テラトーマの画像も、他の画像を転用した捏造
・ STAP幹細胞は、ES細胞を転用した捏造
しかしながら、この三つを同時に成立させようとすると、矛盾が生じる。そのことを論証しよう。
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まず、「捏造」の定義は、「意図的な不正」とする。ここでは、意図しないミス(錯誤)は含まれない。
このように「捏造」を定義すると、この「捏造」概念と、上記の三つの条件とを合わせた場合、矛盾が生じる。次の矛盾だ。
「 STAP幹細胞が、ES細胞を(意図的に)転用した捏造であるとすれば、そこからテラトーマの画像を正式に作製するのは、きわめて容易である。捏造した細胞から正式に画像が作れるのに、あえて別の画像を捏造する必要がない」
つまり、いったん何かを捏造したのであれば、その捏造物をそのまま使えばいいのであって、そこからさらに二重に捏造をする必要はない、ということだ。
必要のないことをやったと見なすという点で、捏造説の根拠は崩れる。
ただし、必要はないからといって、やってはいけないということはない。しかし、二重の捏造をするということは、いろいろと問題がある。
・ まったく必要のないことをやる無駄手間
・ 余計なことをやることによる信頼性の低下
要するに、「多くの手間を掛けて捏造物の信頼性を低くする」ということだから、「やるだけ逆効果だ」ということになる。
そして、そういうことをするのは、馬鹿だけであって、利口のやることではない。ここで、「意図的な捏造をした利口者」という人物像が崩壊する。
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まとめて言おう。こうなる。
(1) STAP幹細胞が捏造物ならば、テラトーマ画像は捏造物である必要はない。
(2) 必要のない捏造物を作るのは、有害無益である。(バレやすくなるだけ。)
(3) 有害無益なことを意図的にやったとすれば、利口ではなく馬鹿である。
(4) この捏造は、馬鹿があえてバレることを狙った捏造だということになる。
(5) 「捏造犯はバレないことを狙った」という前提に矛盾する。
結局、捏造説によると、
「捏造犯は意図的に捏造をした利口者だ」
という主張になるのだが、そこからは、
「捏造犯は、わざとバレるように無駄な捏造をした馬鹿者だ」
という結論が導き出される。
かくて、自己矛盾を含む。
ゆえに、背理法によって、捏造説は否定される。
Q.E.D.
《 解説 》
「画像の捏造があった」と見なすのでも、「ES細胞を入れる捏造があった」と見なすのでも、それ単独ならば矛盾はない。しかしながら、「こいつは捏造した」と言いたいがために、あれこれと「捏造した」という主張を盛り込むと、上記の双方の捏造説を併用したあげく、捏造説自体が矛盾を含むようになってしまう。かくて捏造説は破綻する。
( ※ ちょっと数学の公理系に似ている。公理系にやたらとたくさんの公理を盛り込むと、盛り込みすぎのせいで内部に矛盾が生じて、公理系が全体として破綻してしまう。)
( ※ 何事であれ、欲張りすぎると破綻する、というわけ。食べ過ぎて おなかが破れるようなものだ。)
[ 補足 ]
片瀬久美子さんは、「画像の不正だけで処分せよ」と主張した。
今にして思うと、これは次の意図だったのかも。
「 画像の不正だけならば矛盾はないが、画像の不正と ES細胞の不正の双方があったと見なすと、捏造説は矛盾してしまう。その矛盾が露見しないように、画像の不正だけで話を完結させた方がいい」
もしそうだとすれば、片瀬久美子さんは捏造説が間違っているのを自覚しているがゆえに、故意に「画像の不正だけに話を限定せよ。ES細胞の話を持ち込むな」と主張して、自説の矛盾を隠蔽しようとしたのかもしれない。さすがに悪賢いね。感心した。
比喩的に言えば、片瀬さんは、「こいつは捏造をした」と主張するために、証拠の一部をあえて隠蔽する形で、「捏造した」という主張を捏造したわけだ。つまり、捏造説自体が捏造物だったことになる。
[ 付記1 ]
朝日の誤報騒動(前項)にせよ、STAPの捏造騒動にせよ、人々の騒動には共通性がある。
「人々が騒いで批判する対象について、人々は勝手にこうだと思い込んでいる。自分が誤認しているということに気づかないまま、自分の妄想を盲目的に信じている。かくて真実に目をふさがれる」
人々は、「自分が正しい」と信じたとき、他人を一方的に攻撃するが、そのとき、自分が目をふさがれていることに気づかないのである。
[ 付記2 ]
STAP細胞事件で言えば、次のことに目をふさがれる。
「捏造でないことの理由として、単純なミスではないことを上げる人が多い。しかし現実には、単純なミスのほかに、意図的なミスというのもある」
→ STAP細胞事件の真犯人
このことを理解できない人が多い。
※ 以下は細かな話。読まなくてもいい。
[ 補足 ]
「意図的なミスなどあり得ない。ミスというのは意図的でないからミスなのだ」と喚く人がいる。
こういう人は、上記項目を読まないで喚きたてる。(朝日の記事を読まないで朝日を批判した人々と同様だ。)
この手の人々は、次の二つを混同している。
・ 意図的になしたミス
・ 意図的に選別されたミス
この両者は異なる。
意図的になしたミスというのはあり得ない。ミスというのは非意図的なものだからだ。
しかしながら、非意図的なされたミスについて、意図的に選別することはできる。その有名な例が「チャンピオンデータ」だ。古いところでは、メンデルの実験が例となる。
メンデルの実験そのものは、故意に捏造をしたものではない。しかし、データの選別の時点で、意図的な歪みが入った。(生データから論文に移す過程で、意図的な歪みが入った。)その意味で、公正な実験とは言えない。
しかしながら、ここには意図が介入したからといって、実験そのものが捏造だったとは言えないのだ。ある種の不正が入っていることは事実だが、ことさら「捏造」と呼ぶのは不適切なのだ。
このようなことを理解できない人が多い。それというのも、「自分は正しい」とだけ主張して、他人の見解には目と耳をふさぐからだ。
このような人々が真実に到達するのは、およそありえないことなのだ。
2014年09月06日
過去ログ
しかし、世の中の「捏造説」はもっとレベルが低い。
STAP幹細胞ではなく、STAP細胞をES細胞だと思っている人が結構いるように思います。
小保方氏がこっそりES細胞に摩り替えて、若山先生に渡したとか、言っている。
STAPは増殖能力がないから、幹細胞にしたはずで、ES細胞を渡していたのならば、そもそも幹細胞化する必要がありません。
こういう低レベルの捏造説は、けっこう多いですね。
いや、幹細胞を渡したんです。若山さんが受け取ったのは、STAP細胞ではなくて、STAP幹細胞です。STAP細胞からSTAP幹細胞を得る行程は、若山さんが自分で何度やっても失敗したと言っていました。
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