分子生物学会(大隅典子会長)が、笹井さんの死後、声明を出した。
8月5日に本学会員であった笹井芳樹博士が自らの命を断ったという痛ましい知らせが飛び込んできました。ご遺族および関係者の方々には心からお悔やみ申し上げます。
( → 理事長からのメッセージ )
ご遺族および関係者への言葉はあるが、本人への弔辞さえ掲げない。その一方で、笹井さんの死については何ら責任を示さず、自己弁護だけしている。
Web上には各種の憶測など取り沙汰されていますが、その中で、あたかも本学会が笹井博士を追い込んだ、というような批判につきましては、まったく不当なものであると申し上げておきたいと思います。本学会webページ上に発出されている要望等において、個人を対象として述べたものは一切ありません。また、7月末のTV報道に関して、本学会の立場で関わったというようなこともありません。
( → 理事長からのメッセージ )
これは、頭がイカレているか、捏造しているか、どちらかだろう。次の@Aの点がある。
@ 「個人を対象として述べたものは一切ありません」というが、次の文言がある。
当該機関が論文不正に対して適切な対応をしないことは、科学の健全性を大きく損なうものとして、次世代の研究者育成の観点からも非常に憂慮すべき問題であるとともに、税金という形で間接的に生命科学研究を支えて頂いている国民に対する背信行為です。
( → 原文PDFの HTML化 )
ここでは「論文不正」と決めつけた上で「適切な対応をせよ」という形で述べている。これは明らかに小保方さん・笹井さん(など)への処分を意味していると考えるべきだ。「そのつもりじゃなかった」なんていうのは、ただの言い逃れにすぎない。
A NHK の番組への関与はないだろうが、読売の記事への関与がある。
STAPスタップ細胞の論文問題で、理化学研究所による不正調査や検証実験などに対して、約1万5000人の基礎生物学者を抱える日本分子生物学会が、異例の集中批判を展開している。
STAP細胞が存在したかどうかを調べる検証実験の中間報告は、近く公表される見通しだが、「一連の対応は科学を否定するもの」とする強い批判に、理研はどう応えるのか。
同学会理事長の大隅典子・東北大教授が「理研の対応は、税金で研究を支える国民への背信行為。不正の実態解明が済むまで、検証実験は凍結すべきだ」との声明を出し、口火を切った。理研は6月末に着手した不正の追加調査を何より優先するべきだという指摘だ。
その後、同学会の幹部ら9人も相次いで見解を公表し、学会あげて問題視する姿勢を鮮明にした。「科学的真実そのものの論文が撤回された以上、検証実験は無意味」(町田泰則・名古屋大名誉教授)。「STAP細胞は今や(未確認生物の)ネッシーみたいなもの」(近藤滋・大阪大教授)と、厳しい言葉が並んだ。
( → 読売新聞の転載 )
ここでは厳しい攻撃的な文句が並んでいる。しかも夕刊1面のトップ記事という形で大々的に報道した。これが笹井さんの死に大きな影響をもたらしたことは間違いない。この際、読売が独自に勝手に報道したということはありえない。つまり、関係者には連絡して、裏を取ったはずだ。記事で名前の出ている人物数名には連絡したはずだ。特に分子生物学会会長は、記事の趣旨を理解した上で、記事の掲載を許可したはずだ。
なのに、今さら「私は知りませんでした」というような知らんぷりは、許されないだろう。
7月末のTV報道に関して、本学会の立場で関わったというようなこともありません。
こんな声明を書くべきではない。ほとんど捏造に近い。正しくは、こうだ。
7月末のTV報道に関して、本学会の立場で関わったというようなことはありませんが、笹井氏の死の直前にあたる 8月02日の読売新聞の記事には、全面的な関与して、STAP論文の関係者に対し、マスコミを通じて大々的な攻撃を仕掛けました。
こういう政治的な活動があったのだ。これはもはや学術的な行動(科学的な真偽に関わる行動)ではなくて、組織において処分をするかどうかという政治的な行動だった。そして、それこそが、笹井さんを死に追い詰めたことだった。
なのに、分子生物学会は、空とぼけている。これはほとんど捏造に近い。
そもそも、声明においては、常識的には「本学会員であった笹井芳樹博士」への惜しむ言葉がいっぱい並んでいるはずなのだが、それがない。悪意がいまだ消えていないことを告白しているのも同然だ。ほとんど犯行声明に近い。
さらに言えば、亡くなった直後でなく、2週間もたってから、自己弁明の形で書くだけ。ひどいね。
( ※ 文書に日付は入っていないが、Google 検索およびはてなブックマークによると、19日の 14〜15時ごろに公開されたはず。)
──
本質的に考えよう。分子生物学会の罪は何か? それは、こうだ。
「せいぜい画像の取り違えぐらいしか判明していない些細なミスを、『不正だ、不正だ』と過剰に大騒ぎをしたこと」
ここでは、次のことが事実だったと推定される。
・ 悪意ある捏造は存在せず、不注意によるミスだけがあった。
・ 何らかの形で規定に反する不正があったとしても、微小な問題にすぎなかった。
このような小さな問題があっただけなのに、まるで大量殺人でもあったかのように、針小棒大に大騒ぎした。特に、ひどい攻撃の手を向けて、関係者を圧迫した。小保方さんは激痩せになり、笹井さんは死んでしまった。……ここには明らかに「他人を傷つけよう」という、ひどい悪意がある。
その悪意を自覚していないことが問題だ。「人を傷つけよう」という悪意があって、その悪意ゆえに実際に傷つけた。小保方さんも笹井さんも精神的にはズタズタになった。小保方さんは心療内科に入院し、笹井さんは抗うつ剤を大量に服用した。それほどの状況に追い込んでいながら、なおも執拗に攻撃の手を加えた。それが読売の夕刊の記事だ。これが決定的な影響をもたらした。
この件は前述したが、再掲しよう。
────── 引用開始 ──────
笹井さんの死の直接的な引き金は何だったか? これまでに次の候補を掲げた。
・ 分子生物学会
・ 学術会議
・ NHK の番組
これらは、たしかに大きな影響をもたらしたが、直接的な影響ではなかっただろう。なぜなら、日付が古いからだ。
・ 分子生物学会 7月04日
・ 学術会議 7月25日
・ NHK の番組 7月27日
・ 笹井さんの死 8月05日
直接的な引き金は、もっと日付が近いはずだ。となると、これしかない。
・ 読売新聞 2014-08-02 (転載)
これについては、前項でも述べた。この記事は、分子生物学会の大批判を紹介する形で、夕刊1面のトップ記事になった。
とすれば、これは笹井さんに大々的な影響をもたらしたと言えるだろう。それまでじわじわと追い詰められていた笹井さんは、この1面トップ記事を見て、最後の決定的な打撃を受けたのに違いない。
つまり、2日夕方に記事があり、3日に深刻な影響を及ぼし、4日に死を決意して、5日に死を決行した……ということだ。これでつじつまは合う。
こうして、「読売の記事が直接的な引き金となった」という推定が得られる。
────── 引用終了 ──────
分子生物学会には、読売新聞を通じて、直接的に笹井さんに死をもたらした、という責任がある。そこから目をそむけるべきではない。NHK の番組ではなく、読売新聞の1面トップ記事が直接の引き金となったのだ。
なるほど、分子生物学会には明らかな「殺意」はなかっただろう。とはいえ、「傷つけよう」という意思は明白にあった。新聞記事に「異例の集中批判を展開している」とある通りだ。
とすれば、たとえ殺意はなくとも、責任はある。そのことを認めるべきだ。まるで何も責任がなかったかのように自己弁護ばかりするのは、不誠実すぎる。
小保方さんは少なくとも未熟さを詫びた。なのに分子生物学会は一言も詫びない。あまりにも不誠実だ。
また、誰も殺していない小保方さんに比べて、分子生物学会は人の命を奪った。その点でもはるかに罪が重い。
おまけに、「NHKは無関係」とだけ書いて、「直接の死の引き金となった読売には深く関与した」という事実を隠蔽する。きわめて悪質性が高い。
本来ならば、会長は会長職を辞任するだけでは足りない。「人を死なせた責任」を負って、勤務先から懲戒解雇されるべきだろう。たかがミスをしたぐらいの罪であれだけの大騒動をしたのだから、人を死なせた責任では懲戒解雇になるのが当然だろう。
さらにもう一つ。分子生物学会は、自分たちの声明が笹井さんの死に影響したことについて、詳しく実態を解明するべきだ。特に、会員たちがどのような声明を発したかを明示するべきだ。読売にあれだけ報道されたのだから、その報道内容となる行為をきちんと精査するべきだ。
たかが STAPなんていう小さな話題にあれだけ大騒ぎをして「調査しろ」と注文を付けたのだから、自分たち自身がノーベル賞級の天才の命を奪ったことについては、自分たち自身で調査するべきだ。それが当然だろう。
分子生物学会の声明の一部を伏せ字にして引用しよう。
このように当該機関が****に対して適切な対応をしないことは、科学の健全性を大きく損なうものとして、次世代の研究者育成の観点からも非常に憂慮すべき問題であるとともに、税金という形で間接的に生命科学研究を支えて頂いている国民に対する背信行為です。
今回の****問題が科学者コミュニティーを超えて広く国民の関心を惹くことに至ったのは、....不適切な記者発表や過剰な報道誘致が為されたことに原因があり、
( → 原文PDFの HTML化 )
ここでは、****の箇所は STAPに関する言葉が並んでいたが、ここを「笹井さんの死」というふうに置き換えてもいい。そうすれば、分子生物学会に対して適切な処分が必要だ、ということは、明らかだろう。自分自身の言葉がブーメランのように跳ね返る。
それにしても、分子生物学会の会長が大隅典子氏でなければよかったのに、とつくづく悔やまれる。もしその通りであったなら、笹井さんは死なずに済んだだろう。
[ 付記 ]
分子生物学会の反論は、予想できる。こうだ。
「不正があれば、不正を指摘して是正させることは正しい。また、あの程度の批判は、不正に対して過剰だとは言えない。実際、過去の論文捏造では、あの程度で自殺した人などは一人もいない。ゆえに、あの程度の批判は妥当であった」
この主張は、論理的には、完璧に正しい。一つとして間違っていない。ただし、ここからは、次の結論も出る。
「過剰ではない批判からは、自殺者が出るはずがない。実際、これまでの論文捏造では、この程度の批判によって自殺者が出た例はない」
これが結論だ。つまり、自殺者は出るはずがないのだ。分子生物学会の理屈によれば。……しかるに、実際には自殺者が出た。とすれば? 論理の最初の前提が間違っていたことになる。
論理式で書こう。
不正があれば 自殺者が出るはずがない
自殺者が出た
「不正があれば」は、偽である
つまり、「不正があれば」という前提が間違っていたことになる。(背理法)
結局、分子生物学会の主張は、その前提である「不正があった」という命題そのものが間違いだったのだ。そのことを、自分自身の緻密な論理によって、自分で証明していることになる。
なるほど、不正があったなら、分子生物学会の批判は当然だし、過剰だということもない。その場合、小保方さんと笹井さんは、「不正がバレたな」と思いながら、ヘラヘラ笑いをしていただろう。ちょうど iPS細胞の捏造犯がヘラヘラ笑いをしていたように。(あるいは、単に謝罪していたかもしれない。韓国人教授のように。)
しかし実際にはそうではなかった。小保方さんも笹井さんも、「不正がバレたな」と思うかわりに、「不当なバッシングを受けている」「身に覚えのない罪で非難されている」と思った。こうなると、何をどう対処していいかもわからなくなり、精神的にひどく滅入ってしまった。……そういう事実自体が、「不正があった」という命題そのものが間違いだったことを示している。
結局、分子生物学会は、ありもしない STAP細胞を信じるように、ありもしない不正を信じた。そういう錯覚に基づいて「不正だ、不正だ」と大騒ぎした。彼らは、「ありもしないものをあると信じた」という錯覚の点で、小保方さんや笹井さんと同様のことを犯しているのだ。しかも、その罪は、はるかに大きい。人の命を奪ったからだ。
ついでに一言。
分子生物学会の面々は、少なくとも、真相を語るべきだ。「自分たちは、ありもしない不正をあると信じて、笹井さんを死なせた」と。そういうことができないのであれば、分子生物学会の面々は、首謀者と同様に、犯罪的行為に加担しているとしか言いようがない。分子生物学会の面々は、真相を隠蔽する捏造犯も同然なのだ。
【 追記 】
分子生物学会がさらに小保方さんを攻撃するのを止めるには、どうすればいいか?
よく考えたすえに、私はこう結論した。
「片瀬さんを騒動に巻き込んで、その騒動の状況を大隅さんに示す。そのことで、大隅さんが『こんな騒動には巻き込まれたくない』と尻込みするように仕向ける」
この計画の下で、次項と次々項を実行したところ、かなりの成果を上げることができた。この二項を見れば、大隅さんは尻込みするに違いない。「こんなふうに批判されたくない」とか、「Google の検索で不名誉は帯びたくない」と思うはずだ。
とすれば、大隅さんが小保方さんを自殺に仕向けるような行動は、慎むだろう。片瀬さんは今後も相変わらず、小保方さんへの攻撃を続けるだろうが、少なくとも大隅さんは、片瀬さんとは同調しないだろう。「こんな人とつるむと、おかしな厄災に巻き込まれる」と感じるだろう。
かくて、分子生物学会がさらに小保方さんを攻撃するのを、阻止することができたと思う。少なくとも、彼らが自重する力は大きく働いたはずだ。
分子生物学会は、自分たちの政治力を人殺しのために使ったが、私は自分の策略を、人命を救うために使う。
【 関連項目 】
次項、次々項に、関連記事あり。
→ 片瀬久美子の発言の検証(STAP)
→ 片瀬さんの反応(STAP)
大隈氏は個人的に小保方氏を責めるツイッターでの発言がありましたが。
調査委員の不正認定後であれば、公式の発言は不正前提となるのは穏当な反応って気がしますが
穏当であろうと何であろうと、自分の発言には責任を持つべきです。特に、その発言に(人を死なせるほどの)大きな影響力があるのならば。
言いたいことだけを言って自分の発言に責任を持てない、というのであれば、匿名で2ちゃんねるで発言するべきでしょう。
本項は「不正だという発言をすることには科学的に論理が通らない」というふうに批判をしているのではなくて、(科学とは関係のない)「不正だという政治的活動をしたならば、その政治的な活動に責任を持て」ということです。「発言を撤回しろ」と言っているのではなく、「辞任するか解雇されろ」と言っているのです。
発言自体は、言論の自由ゆえに、何を言っても構いません。しかしながら、学会の権威を利用して、小さな事件を針小棒大に拡大する政治的活動には、大きな責任がともないます。
タイムスタンプは 下記 ↓
笹井氏の死の引き金となったものとして、
分子生物学会、学術会議、NHK
を挙げていらっしゃいますが、笹井氏にとっては、これらの声明、番組など何の関心もなかったのではないでしょうか。
読む価値、観る価値は、笹井氏の中では低かったのではないかと思います。
何故なら、もっと大きな関心事が彼にはあったからです。
12日に会見した、笹井氏遺族代理人の弁護士の方がこうおっしゃっています。
「外部有識者による理研の改革委員会が6月、研究の舞台となったCDBの年内解体などを提言した頃からは、相当なショックを受け、精神的につらい状態に追い込まれていた。」
笹井氏にとっては、改革委委員会の提言の方が余程重要なものだったのではないでしょうか。
ですから、笹井氏にとってその程度の分子生物学会や学術会議の声明、NHKの番組に対して、管理人氏も今更批判することもないのでは?
笹井氏がスルーしたように、スルーすれば良いのでは?
彼らに独り相撲を撮らせておけばよいのです。
私見を書いていますので、お時間があればお読み頂ければと思います。
「笹井氏の自殺を許せません」
http://d.hatena.ne.jp/souheki1009/edit?date=20140808
死なせた責任があると「過剰」に責め立てる。
批判対象と同じことしてますよ。
管理人殿らしいシニカルな批判を期待します。
と理事長声明があるが、怒りを私は憶えます。
学者でなくても一般人の常識で以下解ります。他機関、他人のしかも東北大の研究科で起きたことで、大隅に発言権があるようなケース以外のことでバッシングに積極的だったことは、国民、研究界からみても不当なことですよ。再生医療分野の学者に大隅がなり、STAPの論文を出し、論争すること、これが正当なことです。
不当と言われることが恐いから、先に自己防衛する発言です。
一人の優秀な学者の死に対して、魂のこもった文章を書けない人間です。
> 批判対象と同じことしてますよ。
世間では圧倒的に捏造論なのに、そのなかでごく小さな一人が意見を出すと過剰なの?
私は99%の方を過剰だと思うけど、あなたは1%の方が過剰だと思うの? というか、同種の批判は(まともな長さの文章では)世間では私しか書いていないはずだが、世間の中でたった1つの見解が「過剰」なの? 1つが過剰?
さらに言えば、分子生物学会にマスコミを動かす力があったが、私が世間の隅っこで語るとマスコミを動かす力があるの?
もしかしてあなたは、「口ぶりの過激さ」を指摘しているのかも知れないが、それはただの表現内容の問題にすぎない。その点は、表現の自由で保障されているので、見当違いです。要するに、トンチンカン。
本項は意見の内容を指摘しているのではありません。政治的活動の影響の大きさを指摘しています。 2014年08月21日 21:47 のコメントを参照。
p.s.
人を死なせたことに対して「懲戒免職」なら、大甘でしょう。画像の取り違えに「懲戒免職」なら過剰だけど。
> 笹井氏にとっては、改革委委員会の提言の方が余程重要なものだったのではないでしょうか。
それは本質を見誤っていますね。
(1) 組織が変更・解体されるからといって、自殺する人などは存在しない。吸収合併や倒産などは、世の中で無数にあるが、そのような組織の変更にともなって自殺する人などはいない。いるとしたら、組織の変更の意味を理解できない道化だけだ。笹井さんはそれほどの阿呆ではない。
(2) 笹井さんにとって組織の解体がショックだったのは、それを「笹井さんのせいだ」というふうに責める勢力があったから。つまり、分子生物学会を含む勢力があったから。
(3) 改革委の報告は、それ自体は決定的なショックではなかった。その証拠に、改革委の報告が出たときには自殺しなかった。
(4) 改革委の報告が大きな影響をもたらしたのは、自分の研究室の解体を前提に、部下の就職先の面倒を見るという心労が重なったから。こちらの方が直接的に心労となった。
(5) そこで最後の決定的な打撃となったのがNHKと読売だ。分子生物学会の声明は7月上旬なので、この声明自体は直接的な影響ではない。直接的な影響はやはりNHKと読売。
(6) 仮に「改革委のせい」だとするならば、報告が 2014/06/13 なので、それから2カ月近くも自殺の意思を継続していて、2カ月近くたってから自殺したことになる。ありえない。
> 笹井氏にとっては、改革委委員会の提言の方が余程重要なものだったのではないでしょうか。
それはそうです。仕事内容ですからね。
しかしあなたは、仕事内容の重要性と、死に至る心理の重要性とを、混同しています。二つの重要性は別のものです。
> 笹井氏にとっては、これらの声明、番組など何の関心もなかったのではないでしょうか。
> 読む価値、観る価値は、笹井氏の中では低かったのではないかと思います。
それはそうです。自分の関心ではね。しかし、世間の攻撃というのは、自分が選ぶものではなくて、相手が勝手に押しつけるものです。
ホリエモンが言っていましたが、あの攻撃は容易に耐えられるものではない。あなただって、日本中から責められたら、同じように精神状態になって、鬱病状態になりますよ。やってもいない罪で「やっただろ、白状しろ」と責め立てられれば。毎日毎日、日本中から責め立てられれば。効きたくなくとも、テレビや新聞やネットからそういう情報がどんどん飛び込んでくれば。
あなたはそういうことへの想像力が欠けている。「自分がその場に立ったら」という想像力が欠けている。あなたは単に、人の気持ちを理解できないだけです。
発言の正当性を無視して責任の有無は語れないと思います。
言い方悪いですが、自殺した者勝ちになってしまいますからね。
まあそれは置いておいて、
>「不正だという政治的活動をしたならば、その政治的な活動に責任を持て」ということです。「発言を撤回しろ」と言っているのではなく、「辞任するか解雇されろ」と言っているのです
学会の理事とか会長職って基本1年とか2年単位の持ち回りですよ。
もちろん分生くらいでかい学会だと一回会長を務めるだけで非常に名誉なことですが、同時にその間の学会運営等の雑務を押し付けられる格好。
そもそもが解雇とかって組織ではないと思います。
ちなみに大隈理事は2013年と2014年の会長で、すでに来年の理事も選出されています。
会長職は職業ではないので、解雇というのは職業である東北大教授のことでは? それ以外に解釈できませんが。
…擁護にしても、酷すぎません?
何故なら、その直後の大隅氏のtwitterでは「一ヶ月も前の声明をいまさら取り上げられても。。。」といったコメントがあったように記憶しています。
この発言自体、私は違和感を覚えましたが、学会HPには声明が貼り付けたままでしたし。
「一教育者研究者の意見」というブログ主も書かれていますが、この指摘は研究者にとって、実に過酷なものと思われます。
140の図表の7割に疑義がある、と結論だけを述べるならば、その全ての証拠を示す必要がありますが、放送ではたった一つ、ESとSTAP細胞の増え方を示す図の丸が縦に並んでなければいけないという指摘だけで、これも同日測定したものでなければ斜めでもよいわけで、私は首をかしげてしまう指摘でした。
いずれにしても、これら、周囲の対応は、この話がドキュメンタリとなった際、書物として記録されることでしょう
大隅> (約1ヶ月前のメッセージをあたかも最近のことのように報道するのは、なんだかな、と思います。ニュースの少なくなる8月でもあり、実際、この件でも報道できることが足りないのでしょうか……。やれやれ……。)
https://twitter.com/sendaitribune/status/495885442316001280
「判明」という語に注意。存否ではなく、判明の分です。他は未判明。
詳細は、本日掲載の項目=次項 を参照。
想像する事はできますが、本当に理解することってできるんでしょうかね。
ところで先日、NHKBSでシェーン事件のドキュメンタリーの再放送をやっていた。
当時は大騒ぎになったが、今では専門家以外は殆ど覚えていない事件だ。
番組では権威主義の恐ろしさを指摘していた。ベル研究所だから間違いないだろうと。
同じように理研だから、NHKだからと我々は信じ込まされていく。
けれども、いちいち疑っていたら面倒くさいですよね。
責任の有無の立証は厳密には難しいかもとは思います。分子生物学会・学術会議・NHKの番組・8月2日の夕刊トップ記事等一連の動きを当時者がどこまで知っていてどの様に感じていたかは第三者には判りません。全く知らないとは有り得そうもないですが、もしかしたら殆ど意識的にシャットアウトしていたかも知れない。私が当時者であっても「不正の深層」という番組は恐ろしくて見られそうもない。これが「本当に不正だったのか?」というものなら勇気を振り絞って見ようとするかな、いやでも既にそんな精神的な余裕すらないかも知れない。
仮に全くそれらを知らなかったとしても、そもそもそんな精神状態に追い込んでしまった、何がそうさせてしまったのか?という事であり、根本にある問題は<悪意のある不正>であるという誤った前提に立った諸々の抗議・バッシングであり報道の在り方であると思われるのです。
法に照らして社会的に判定される責任の有無と、意識で感じる事のできる責任とは次元が違う。権利の自由だと言って、反論の為の理不尽な反論や詭弁、不誠実な意図を隠した正義は、場を混乱させる行為ですから、きちんと区別されねばならない。それは結局は自覚される事でしか解消されないのですけれども。自分の胸に聞いてみれば分かるはずなのですが、理論武装しての正当化。それが如何に哀しいことかも感じていない。だから指摘する必要が生まれてしまうのではないでしょうか。
タイムスタンプは 下記 ↓