2014年08月16日

◆ 選択と集中(GE,日産)

 「選択と集中」という方針について、GE と日産の例を見る。 ──

 「選択と集中」という方針は、GE の方針だ。このたび新たに、これをさらに徹底して、家電部門も売却する方針だそうだ。
  → 米GE、創業以来100年の家電事業を売却へ

 「選択と集中」というのは、次のことを意味する。
 「限られた経営資源を、高収益の部門に集中し、低収益の部門からは撤退する。そのことで、基調の収益体質を改善する」


 具体的に言うと、今回の例では、こうなる。
 GEの家電事業は冷蔵庫、洗濯機や食器洗浄機など白物家電が中心で、主に北米市場で事業を展開している。2013年12月期で家電事業の営業利益は約400億円。売上高営業利益率は4.5%と航空機エンジン(同約20%)やオイル&ガス(同約13%)などと比較して見劣りしていた。
( → 日本経済新聞 2014-08-16

 ここで、家電事業を売却して、その売却益(数千億円)を他の部門に投入すれば、その金が他の部門で 20% や 13%の高収益を生み出すから、総合的な収益は増えるはずだ……という目論見である。

 では、それは成立するか? 「成立する」と考えるのが、アメリカの MBA 流の発想である。彼らは、経営というものを帳簿だけで考えるから、「高収益部門に資金を投じれば、同じ率で収益が上がるはずだ」と考える。
 しかし、物事を考えればわかるように、経営というものは投下資本に比例して増えるものではない。たとえば、シェア 50%の企業の場合、投入資金を3倍にすればシェアが3倍の 150%になるかというと、そんなことない。シェアは 100%という上限があるからだ。
 要するに、「家電事業を売却すれば、その分、他部門が拡大する」という発想は、安易すぎて、必ずしも成立しないのである。
 実際、すぐ上の記事を見れば、こうある。
 こうした取り組みにもかかわらず、株価はさえない。年初から14日終値までS&P500種平均が約5%上昇しているのに対し、GE株は約7%安。
( → 日本経済新聞 2014-08-16

 いくら「選択と集中」の事業展開をしても、結果が狙い通りになるとは限らないのだ。そのことは GE の現状が証明している。

 とはいえ、まったく無効というわけではない。一時は経営危機にあった GE が、家電部門から他部門に比重を重視することで経営体質を改善した、というのは事実だ。また、日本の家電メーカーはみな青息吐息だが、一足先に家電事業から足を洗った日立は経営が好調である。日立は、以前は液晶パソコンなどはとても優秀だったが、それをきっぱ切り捨てて、重電部門に比重を移した。その効果で、現在では、経営状態がすこぶる好調である。似た例に、キヤノンもある。キヤノンはさっさとパソコン分野から撤退したおかげで、日本のIT企業の中では珍しく傷を負わずに済んだ。(プリンタ事業に集中したわけだが、これは「選択と集中」の成功例と言える。)

 一般的には、「選択と集中」は、経営方針としては正しい。それで必ずうまく行くというわけではないのだが、「高収益部門に特化して、低収益部門を切り捨てる」という方針は、原則的に正しいと言える。
 その先鞭を付けた GE が、必ずしも大成功とはなっていないのだが、少なくとも日本の家電メーカーよりはずっとまともな状況にあると言っていいだろう。

 ──

 これと対比的なのが、日産自動車だ。日産自動車は、ゴーン社長の下で、次の方針を取った。
 「次の時代の主流は、電気自動車である。ゆえに、限られた開発資金を、電気自動車に集中する。この部門で世界の覇者となることを狙う。そこで、思いきってハイブリッド部門は切り捨てる。それまではいろいろとハイブリッド車を開発してきたが、原則としてやめる」


 これは「選択と集中」に似ている。ただし、GE の場合とは決定的に異なる点がある。それは、事業部門の「選択と集中」ではなくて、研究開発の「選択と集中」であった、ということだ。
 思い出してほしい。GE の「選択と集中」は、あくまで事業部門の「選択と集中」だった。それは投下する資金面での「選択と集中」だった。
 一方、ゴーン社長が取ったのは、研究開発の「選択と集中」だった。本来ならば、研究は「広く浅く」が原則だから、たとえ「電気自動車に集中する」にしても、ハイブリッド車にもそれなりの部門を残しておくのが常道だろう。
 ところが、ゴーン社長は、どこを勘違いしたのか、研究分野に「選択と集中」を持ち込んだ。その結果、どうなったか?
  ・ ハイブリッド車の市場は、急拡大した。
  ・ トヨタとホンダはハイブリッド車で高収益を上げた。
  ・ 日産はハイブリッド技術が未熟なまま、指をくわえているだけ。
  ・ 一方、電気自動車は未熟な技術であり、市場は広がらなかった。
  ・ 日産のリーフも予想販売台数を大幅に下回った。(大赤字だろう。)

 こうして明暗がはっきりした。
 ハイブリッド車に多額の開発投資を注入したトヨタとホンダは、大成功だった。
 一方、「選択と集中」で電気自動車に注力した日産は、大失敗した。

 ──

 以上から、結論が出る。
 「選択と集中」は、事業部門に関する限り、正しい。
 「選択と集中」は、研究開発に関する限り、誤りである。


 そもそも、将来というものはなかなか見通せないものだ。見通せない将来に対しては、あらゆる可能性を考えて、研究開発を「広く浅く」にしておく必要がある。そうすえば、「予想がはずれて大損」という危険を防げる。
 たとえれば、研究開発は、バクチのようなものなのである。それも、あたる確率はかなり低い。とすれば、当たりそうな部門に広く布石しておくことが、失敗を避けるための策だ。逆に、特定の一部だけに山を張って大金をかけるのは、あまりにも無謀な賭けである。当たればいいかもしれないが、確率的には はずれる確率の方が高いのだから、無謀というしかない。
 ゴーン社長は、事業部門における「選択と集中」という方針を、研究開発にも当てはめようとした。しかしそれは、「研究開発とは何か」ということを理解できない、文系の素人判断だったのである。その結果が、「ハイブリッド技術を持たない日産」「低収益の日産」という結果になってしまった。



 【 関連項目 】

 日産の状況は、他人事ではない。日本の政府また、研究開発において「選択と集中」という方針を打ち出している。この件は、下記項目で詳しく述べた。
  → STAP細胞事件の背景

 一部抜粋しよう。
 STAP細胞事件の背景には、国の科学政策があると思える。「選択と集中」という政策だ。一種の成果主義とも言える。
 昨日の NHK の番組を見ると、理研 CDB がやたらと予算獲得に追い込まれていたことがわかる。「成果を出せ。そのために予算を付けてやる」というわけだが、逆に言えば、「成果を出さなければ予算を出さないぞ」という脅迫だ。
  ……
 上図を見ればわかるように、日本(赤線)だけが突出して、研究成果の低下が起こっている。
  ……
 要するに、STAP細胞の問題が起こったのは、国の科学研究の方針が根本的に間違っているからだ。そのせいで、「広く薄く」という正しい方針は捨てられ、多くの重要な基礎研究が討ち死にしつつある。(というか、餓死しつつある。)
 こういう状況で、何とかして生き延びようとして努力した末の徒花(あだばな)が、STAP細胞事件だったのだ。

 なお、この記事の冒頭には、新聞記事が引用してある。そこでは、「(研究開発の)各分野の中での選択と集中を徹底し...」という政府の方針が引用されている。このように、研究開発における「選択と集中」が、安倍内閣の方針だ。(ひどいね。)

 詳しくは、リンク先を参照。



 【 関連書籍 】
 すぐ上の話(STAP事件の背景)に関連する書籍もある。にも紹介した本。



嘘と絶望の生命科学 (文春新書 986)
 《 読者批評 》
 日本のバイオ研究の構造的な問題点を浮き彫りにする本。正直、読んでいて吐き気がするほど希望のない状況と感じた。
 要約するに、昨今、好奇心に基づく基礎研究よりもすぐに医療や食料問題に役立つ応用研究を、という風潮があまりに強い。そのため現場の研究者には猛烈なプレッシャーがかかっており、予算獲得のために論文を有名な雑誌に出さねば……
   (中略)
 この病んだ構造はいつまでも変わらない。・・・というお話。


posted by 管理人 at 21:40| Comment(7) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは、管理人さん。

企業の事例としては大変分かりやすい事例だと思うのですが、私には国と言うものの経営戦略を企業の経営戦略と対比させることの違和感がぬぐえない面がありますのでコメントさせてください。

人間の集団には共同体と機能体があります。私は狩猟民族の村が共同体で、その村に「狩人が集まって巻狩りをしよう」とできあがる巻狩りチームが機能体であると説明します。原始共産制の世界では、機能体はある意味暫定的な組織で、巻狩りの獲物をもって村に戻るとチームはいったん解散して、獲物は共同体全体のものとなるので、まあ、村人全体で楽しく食べることになる訳です。

では国とは共同体、機能体のどっちであるかというと共同体であるわけです。それに対して例示された企業などは機能体ですね。機能体の目的は明確です。営利企業であれば営利の追求であるわけです。それに対して共同体の目的と言うのは、たいていの場合、かなり曖昧なものになります、「皆でできるだけ楽に平穏に長く生き延びられたら良いなぁ〜」みたいな感じでしょうか(笑)。

私には日本人が国とは共同体であることを忘れている様な気がしてならない時があります。それが国家の経営に企業経営の対比を持ち込む時に顕著に表れる気がして仕方ないのです。

国が共同体であることを忘れて機能体化した事例として「スパルタ」が挙げられるのでは無いかと考えたこともあります。軍隊国家として他国の侵略と収奪で国を富ませるのは、今の価値観で判断すべきことでは無いので善悪を置いて考えたとしても、国を「強い軍隊のためにある」とした面がスパルタにはあります。良き軍人になれない市民は奴隷階級に落とすような面です。そういう制度が「スパルタ教育」という言葉も生むわけですけどね。スパルタは軍隊という機能体としては最適化している訳ですが、国という共同体としては決して良い共同体では無いと考えています。

国が経営する研究機関や大学という組織一つ一つは機能体であり機能体として最適化するべきなのかも知れませんが、国の経営戦略としてそれらをひとまとめとして機能体化して考えるときに、国が共同体であることを忘れられてしまう気がして仕方ない訳です。
Posted by 分析化学者 at 2014年08月19日 16:49
> 私には国と言うものの経営戦略を企業の経営戦略と対比させることの違和感がぬぐえない

 そうですよ。同様に扱ってはいけない、というのが【 関連項目 】の趣旨です。同様に扱っているのは政府であり、それを批判しているのが本サイトです。お間違えなく。
Posted by 管理人 at 2014年08月19日 20:05
興味深く拝見させていただきました。
横槍ですが、コメントへの回答の論点がずれているのが気になったのでコメントさせていただきます。

>そうですよ。同様に扱ってはいけない、というのが【 関連項目 】の趣旨です。
管理人さんがおっしゃっているのは、事業部門の選択と集中と、研究開発の選択と集中を同様に扱ってはいけない、という趣旨ですよね。
分析化学者さんがおっしゃっているのは、研究開発の選択と集中に関して、国と企業を同様に扱ってはいけない、ということだと思います。
Posted by 通りすがり at 2014年08月24日 16:30
> 管理人さんがおっしゃっているのは、事業部門の選択と集中と、研究開発の選択と集中を同様に扱ってはいけない、という趣旨ですよね。

 それは本項の趣旨です。
 一方、【 関連項目 】の趣旨は、分析化学者さんの趣旨と同様です。
Posted by 管理人 at 2014年08月24日 16:48
>日産の状況は、他人事ではない。日本の政府もまた、研究開発において「選択と集中」という方針を打ち出している。

これって【関連項目】が、国と日産が「選択と集中」という同じ過ちを犯している、という趣旨であるとしか読めません。
日産の例を引き合いにして、国の戦略の是非を展開してますよね。
分析化学者さんは、国と日産(企業)を同じ事例として研究開発戦略の論じていることに違和感があると言っているわけです。
Posted by 通りすがり at 2014年08月24日 17:47
> by 通りすがり

うーん。そうなのかなあ? 

> 日産の例を引き合いにして、国の戦略の是非を展開してますよね。

 違いますよ。企業を例にして、「企業がこうだから国もこうしろ」という《 国の戦略方針 》を批判しています。同列に扱うことを批判しています。

 私自身が同列に扱っているわけではありません。私は「同列に扱ってはいけない」というふうに批判しています。同列に扱っているのは国です。
Posted by 管理人 at 2014年08月24日 18:00
こんにちは、管理人さん、皆さん。

私としては、管理人さんの記事を批判したつもりはなくて、少し根本のところを考えて見たくてコメントしただけなんですけどね。

変な話になりますが、昔、いろんな企業が「成果主義」なんかの導入に走った頃に、東大の高橋さんの「虚妄の成果主義」を読んで、心理学の「動機づけ」の理屈に外発的動機付けと内発的動機付けの2種類があることを知り、その部分もいろいろと調べてみて、「成果主義は心理学的にもうまく行かない」と納得して批判していたことがあります。まあ、こういう批判はある意味学術的色彩になって批判としての受けが良くないのですけどね。

でもって、その頃に富士通の成果主義が悲惨な結果を招いたという内部告発本みたいな本が出たんですね。読んでみると内容的にはまさに外発的動機付けの強化が内発的動機付けを阻害している状況が良く書かれているものだったのです。でもね、著者のあとがきを見て「なんだぁ〜」になってしまったのですね。著者は「成果主義そのものはうまく行くはずだ」とその本を書いた後でも信じていて、「富士通はやり方を間違った」とその間違いを批判するために書いていたわけです(笑)。

別に管理人さんが「やり方間違い論」になっているとか思っている訳では無くて、何かを批判するときに、本質的な間違いがあるのならその部分に言及してみたいという思いがあるので、私なりに考え方を整理してみただけなんです。
Posted by 分析化学者 at 2014年08月26日 13:05
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