2014年08月10日

◆ 正義の味方ごっこ(STAP)

 「不正には処罰せよ」という主張が多いのは、人々が「正義の味方ごっこ」をしているからだ。そのあげく…… ──


 「不正には処罰せよ」という主張が多い。ここでは人々は、「正義の味方ごっこ」をしている。「おれこそは正義だ。だから悪を懲らしめよ」という発想。


 しかし、そのように「正義と悪」という二極対立で考えるのは、あまりにも幼児っぽい。子供向けのテレビ番組なら仕方ないが、大人向けなら、もうちょっと複雑な発想をするべきだろう。たとえば、ガンダムがそうだ。
 「正義の味方VS悪の組織」というような、陳腐な勧善懲悪の話ではない、ということを理解してください。一応、物語には主人公がいて、彼は戦争を行っている複数の陣営のうちの、どれかに属して戦っています。しかし、主人公の属している陣営が、絶対的な「正義」というわけではない。
( → 今さら聞けないガンダム入門



機動戦士ガンダムC.D.A 若き彗星の肖像(11) (角川コミックス・エース)



 少年向けのアニメでさえ、「正義の味方ごっこ」を脱している。なのに、いまだに「正義の味方ごっこ」をしているのが、STAP細胞で騒いでいる人々だ。

 ただ、彼らは、単純な「正義の味方ごっこ」を唱えるのとはちょっと違う。本心はそうでも、名分は違う。こう語る。
 「不正の再発を防ぐには処罰するべき」
 「処罰が不正を予防する」

 こういう主張をする。

 では、それは正しいか? 厳しく処罰すれば、不正を予防できるか?
 今回の「画像の加工」や「コンタミ」で言えば、「無知ゆえのミス」「下手ゆえのミス」を、厳正な処罰で予防できるか?

 ──

 これについては、先にファインマンの例を示した。多数の宇宙飛行士が死ぬという重大な事故のあとで、ファインマンはどうしたか?
 感情的に考える人は、「悪い奴をやっつけろ」と思って、やたらと解体したがるだろう。しかし、そういう感情論で、正解が得られるだろうか?
 では、どうするべきか? …(中略)… 真相の究明を最優先にするべきだ。
 このような発想は、航空事故の際に、しばしば取られる。パイロットや整備士などの責任を追及するよりも、事故の原因を解明することが最優先となるのだ。
 似た例に、スペースシャトル爆発事故の解明がある。ここでは、事故の原因の究明を最優先した。すると、ファインマンが参加して、見事に究明した。
 「低温によるゴムの弾力性の低下が原因です。ほら。この氷水にゴムを入れると、ゴムが固くなりましたね? これと同じことが、爆発事故のときにも起こったんですよ」

 ここで、ファインマンは何を主張したか? 「ゴムを設計した人が悪い」と指弾したか? 「ゴムを作った人が悪い」と指弾したか? 「寒いさなかで打ち上げを強行させた大統領が悪い」と指弾したか?
 いや、彼は誰も指弾しなかった。彼は単に、事故の真相を究明しようとした。真実の究明。── それこそが、彼の狙うただ一つのことだった。
( → STAP事件の真相は 2[原因]

 事故の発生のあとで、ファインマンは「いかにして事故が発生したか」という真相を究明しようとした。それは「処罰することでミスを予防できる」という発想とはまったく別のものだった。

 ──

 前にも言ったが、STAP細胞事件は、「悪意ゆえに生じたもの」ではなくて、「愚かさゆえに生じた事故のようなもの」である。
 結論としては、STAP細胞の事件は、「船頭多くして舟陸に上がる」という形で理解できる。船頭が一人で統括していれば、何事も起こらなかっただろう。ところが、船頭が二人いて、責任体制もはっきりしないまま、それぞれが勝手な思い込みで、ずさんな行動を取った。そのあげく、舟は陸に上がってしまったのだ。
 こうして、今回の事件は、「船頭多くして舟陸に上がる」という形で、本質を理解できる。
 つまり、これは、犯罪ではなくて、事故の一種なのである。
( → STAP細胞事件の真犯人

 詳しい話はリンク先に書いてあるが、ともあれ、この事件は「事故」として認識するべきだ。そして、事故を予防するのは、「真相の究明」による「個別の対策」であって、単に「処罰を厳しくすること」ではないのだ。

 ──

 一般に、市場原理とかダーウィニズムとかを信じる人々は、「利益誘導」という発想を取る。「利益を与えれば人々はその方向をめざすので、状況は改善する」という発想だ。
 たとえば、こうなる。
 「金持ちに減税すれば、みんなが金持ちをめざして努力するので、みんなが金持ちになる」
 「東大生を優遇すれば、みんなが東大をめざして努力するので、みんなが東大生になる」
 「スポーツで1位を優遇すれば、みんなが1位をめざして努力するので、みんなが1位になる」
 ま、こういう例を見るだけでも、バカバカしさがわかるだろう。

 で、その裏返しの形で、次のような主張も生じる。
 「悪いことをした人を処罰すれば、誰もが悪いことをしなくなる」
 これは正しいか? そのことは、禁酒法を見ればわかる。
 「酒を売った人を処罰すれば、誰も酒を売らなくなる」
 そうなったか? もちろん、そうならなかった。むしろ、禁酒法の裏をくぐる形で、カポネがボロ儲けして、マフィアが跋扈(ばっこ)するようになった。状況はかえって悪化した。
 ストーカーもそうだ。
 「ストーカーを処罰すれば、誰もストーカーにならなくなる」
 そうなったか? もちろん、そうならなかった。ストーカーは「彼女を殺しておれも死ぬ」というふうに凶暴化しただけだった。

 一般に、利益誘導処罰主義では、問題が解決するとは限らないのだ。特に、「ミス」の形で生じる事故については、利益誘導や処罰主義はまったく無効なのだ。かわりに、「事故の原因の解明」こそが、有効なのである。そのことは、ファインマンの例からもわかる。

 STAP細胞事件で言えば、「いかにして実験ミスや錯誤が生じたか」というふうに、真相を解明することが、何よりも大切だった。
 しかし、それはもはや不可能になった。少なくとも、完全な形ではできなくなった。なぜなら、当事者の一人である笹井さんが死んでしまったからだ。
 処罰ばかりを優先して、真相の解明を二の次にする……という発想が、いかに愚かであるかを、今回の事例は示す。



 [ 付記1 ]
 ついでに皮肉を一つ。
 今回、「捏造だ」「不正だ」と主張した人々( = 笹井さんに死をもたらした人々)を、厳正に処罰するべきだろうか? たとえば、これらの人々をみんな懲役刑に付するべきだろうか? そうすれば、彼らの間違いは、以後は予防できるだろうか?
 いや、それは無理だ。処罰によっては、人間の愚かさは是正できない。「東大に入らないと処罰するぞ」と言われた人々が東大に入れるとは限らないのと同様だ。
 厳正な処罰なんていうものは、子供の「正義の味方ごっこ」と同程度の効果しかないのである。

 [ 付記2 ]
 似た例を示す。
 高速道路で居眠り運転をした事故……というのが、ひところ話題になった。
 では、居眠り運転を解決するには、どうすればいいか? 居眠り運転に厳罰をかければいいか? いや、ダメだ。居眠り運転は、しようと思ってそうしたのではなく、しようとも思わないのにそうしてしまうものだからだ。厳罰化は意味をなさない。
 かわりに、どうしたか? 「一日の走行距離制限」や「運転手二人体制」などを義務づけた。このことで、たしかに安全性は向上した。
 事故を防ぐには、処罰主義を取るのではなく、事故の原因を解明して、正しい対策を取ることが大切だ。



 【 関連項目 】

 → ハンロンの剃刀
 「愚かさで説明できることに、悪意を見出すな」
posted by 管理人 at 14:08| Comment(8) |  STAP細胞 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
他人を攻撃することで世の中が改善する……と思う人がいる。正義の味方主義。
 
 他人に親切にすることで世の中が改善する……と思う人もいる。愛が大切という主義。
  → http://bipblog.com/archives/4841391.html
Posted by 管理人 at 2014年08月10日 14:19
はじめて拝見させていただきました。

”研究不正”とは、行われた事実・行為に対し、非難、責任を問う規範的な評価を伴う言葉です。だからこそ、誰かの行為を研究不正と指弾するには、基準と手続を定めたルールが必要になります。

このルールが不明確なところで、安易に研究不正という言葉が振り回されてきたところにそもそもの問題があるように思います。

もちろん理研には研究不正について、規則で、ねつ造、改ざん、盗用の3種類を定めています。

これは、アメリカの研究公正局がそもそも採用する定義ですが、補助金の打切り・返還を求めるかどうかを判断するための基準として、限定してかつ厳格に定めているものです。広く研究上の逸脱行為を不正行為と言ってしまうと、自由で創造的な研究活動を阻害し、委縮させるおそれがあるからでしょう。また、思い込みの強いしかし熱心な研究者ほどミスが生じやすいから、といってもよいかも知れません。だからこそ、ここでいう研究不正とは、意図ある不正行為、しかもねつ造、改ざん、盗用の3種類の行為に限定されているのでしょう。

この点について、理研の調査委員会がそもそもどのように理解していたのか、疑問です。

そしてまた、分子生物学会の会長が不正研究の疑いを指摘されてきた場合にも、果たしてその分子生物学会において、不正研究について判断するルールがあったのかどうかも、外部の私にとってはよく分からないところです。

多分、分子生物学会の会長は、表面上は、文部科学省のガイドラインを踏まえて、ねつ造、改ざん、盗用といった基準に依拠してきたのでしょう。しかし、実質的には、ねつ造説主張派がいう、科学における客観性、厳密さの観念と、広く研究上の逸脱行為を意味する研究不正概念とを踏まえた評価・ご主張のように思います。

しかしながら、研究不正を指摘する行為そのものは、客観的で厳密な研究活動行為ではなく、科学者コミュニティーという部分社会における社会的行為そのものに他なりません。

だからこそ、弁護士が介入してくる余地もあるのでしょう。
ルールの専門家である弁護士が、なぜ悪人なり悪人と疑われる人を弁護をするのかといえば、正義の名のもとに過剰な制裁を加えれば、それはそれで人々の自由な活動が失われるようになるからです。行った行為とそれに課される制裁にはバランスが求められるのです。

研究不正も同様で、これが過剰に主張されるようになれば、研究者の自由で創造的な研究活動が損なわれるようになるからだと思います。
だからこそ、他人に非難を加える、責任を課すには、一定の謙抑さが要求されるのだろうと思います。

ブログ主さまのご見解を拝読して、ついついとりとめのないことを書き綴ってしまいましたこと、お許しください。
Posted by T at 2014年08月10日 18:07
狂奔のスパイラル
論文不正を糾弾し続けたのは、分子生物学会の理事長であるが、
これについて調べてみた。
分子生物学会は、2年任期の30名の理事により、理事会が構成され、その中の互選で理事長が、選ばれるようだ。
大隅理事長は、2013年1月から2014年12月までの任期である。したがってもうすぐいなくなる。
今回の理事長声明とは、すべて、理事会の了承を取ったものではない。数名の理事には、連絡しているようであるが、理事長個人の思想に近いものである。
自分の信念である、STAP許さないという考えを、分子生物学会の印籠を掲げて主張すると、読売新聞は、分子生物学会理事長というの肩書をつけるため、
読者は学会総意の意見であり、権威ある主張で真実に違いないものと受け止める。
本人は、肩書を利用して、声明や、インタビューを通して、圧力をかけ続けた。

ブログ「大隅典子の仙台通信」においても、STAP非難の記事は多く、それらのコメント欄には理事長賛同意見がほとんどである。
主催者が了解しないと、掲示されないシステムであるため、御用意見ばかりになるのは、やむを得ないが、慎重さを望む意見もわずか見受けられる。

7/10  海外在住日本人研究者のご意見 「研究者も含めて、人々がひたすら理研、CDBの側を責めているのを見ると、とても異常な感を持たずにはいられません。」
これにたいして、
大隅は、「関係者の処分や当該研究機関のあり方については、一切述べておりません。」と回答してはいるが、7/4の声明その3においては、
「学会は、当初から
同研究所の適切な対応や早期の論文撤回を求めておりました」「多くの論文不正についての疑義がきちんと分析されず」「当該機関が論文不正に対して適切な対応をしないことは、科学の健全性を大きく損なう」と述べており、論文を撤回して、
担当者を処分しろと述べているように受け取れるものである。

また、
7/18 STAP細胞問題等についての、理事、元役員経験者9名からの自主的なコメントというものがある。
理事長の子分共が追従意見を発信したようで、取り立てて言うほどの内容はないが、面白いと感じるのは、
副理事長 九州大学 中山 敬一 (東京医科歯科大出身:大隅の大学後輩)が
「科学者の代表たる日本学術会議はほとんど機能しておらず、それがわれわれの最大の問題だと感じています」と書いていることである。
分子生物学会の矜持が表れ、学術会議の体たらくが嘆かれ、学会間の競争意識が垣間見られる。

 本件においては、分子生物学会が、非難の口火を切り、遅れて、学術会議が、負けてはいけないとばかり、さらなる強硬意見を表明するというパターンが繰り返された。
さらには、期待された改革委員会がせっかく作り上げられた、先端組織CDCの解体というさらに強硬な提言を出すことになった。
強硬論で後れを取ってはいけないとばかりに、三者が競争している状態になった。
分子生物学会理事長が声明を出す。読売新聞が大々的に報道する。負けじとばかり、学術会議、改革会議が強硬な提言を繰り出す。狂奔のスパイラルである。
学会、マスコミ、改革委員会、権威を持つすべての集団が、競争でより激しいバッシングを続ける。これでは担当者たちは追い込まれることになる。
個人のブログで少数の現実派が実験から事実を見極めるよう、まっとうな意見を述べてはいたが、学会、マスコミが翼賛会的に組織力を挙げて続けるバッシングに対抗できるものではない。
流れに飲み込まれないまともな、権威集団はなかった。
かくて笹井氏を失う羽目になった。

ここで、
口火を切った生物学会理事長声明なるものが、ほとんど個人の意見でしかなかったという現実を見ると、ひとりよがりの偏った、アジテーター「杜の魔女」がトリガーを引き、知識集団であるはずの、権威集団が、
互いに、発振共鳴、狂気のドミノ倒しが国中を席巻したことになる。

心あるマスコミの人々よ。
この新しい事案のデーターは、まだ全部残っているだろう、誰がどう発言し、何を求めたのか、この国の病んだ流れを記録していってほしい。
教育現場でのいじめと同じことが、権威を持つはずの学会、マスコミによって行われた社会病理を解析し、国の糧にすることが、若くして逝ってしまった、天才科学者の無念を慰めることになると思う。
Posted by 経営者B at 2014年08月10日 21:53
管理人さんが言われる「正義の味方ごっこ」は1面の真理で、他の1面の「妬みや他人の不幸を喜ぶ感情」
が結合して、感情の歯止めが利かなくなったのではないでしょうか。

 それにしても、大変優秀な研究者を自殺に追い込むほど執拗に非難を続けた世論誘導者は、人間として、
科学者として、あるいはジャーナリストとして度が過ぎた。「論文の不適切な箇所は修正されるといい」、
「興味深い研究です。わが学会も支援するので言ってください」と、普通は言うのではないか?
 
 笹井氏の死に対して、
大隅典子氏「大変気の毒。研究不正で人が死ぬことはあってはならなかった。周囲が彼の心のケアに注意を
十分払っていたのだろうか」と話したそうである。先端的な学会の理事長にふさわしい人ではないようだ。

 放射線医学総合研究所の以下の研究は興味深い。
 「妬みや他人の不幸を喜ぶ感情に関する脳内のメカニズムが明らかに」
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20090213/
Posted by 思いやり at 2014年08月10日 22:17
引用(コピペ)が不正かどうかは引用先の提示の有無では決まらないのではないでしょうか。

引用先が提示してあっても不正引用の場合もあります。(著作権を有するもの)

また引用先が提示してなくても問題ない場合もあります。(空は青い、幹細胞は自分で分裂する、などの科学的事実、公知)

引用(コピペ)が不正かどうかは引用先、引用内容などにより適宜に判断することで、厳密に規定するものではないと思います。
Posted by ラッキー純 at 2014年08月10日 22:38
ネチズンによるブログ等の炎上、匿名記事、議会でのヤジ。根は同じ。
顔が見えないから正義をかざして糾そうとするが、そこに悪意が滲む。そして彼等が糾そうとする対象は弱者だ。
自らが正しいと思い込んでいるから、やっかいです。
Posted by 京都の人 at 2014年08月11日 00:29
管理人殿もやっと最も注力すべきことは予防対策であることに気がつかれたようだ。
 4月に国会内閣委員会で末松教授から紹介された慶大医学部での対策が、基礎研究者と臨床研究者との共同でなされる「臨床研究」にも展開されることを期待したい。
 末松教授が紹介されたヒヤリ・ハットによる予防方式では「正義」も「悪意」も「故意」も「過失」も考える必要もない。魔女狩りをする必要もない。
 発見された不具合について誰かが研究者生命を奪われることもないし、自殺の動機にもなりえないだろう。
Posted by 科学誌印刷業者 at 2014年08月11日 01:34
勧善懲悪の物語はそもそも破綻しております。
だからこそよく出来た物語が教えてくれる矛盾があり、正義とは互いの立場の違いであり、その利害の対立を生み出すものでもあります。そして人間の営みはそもそも善悪を越えていて、その歴史は何処でも例外なく血塗られている。

他人に親切にして有効なのは時と場合によるでしょうね。逆効果の場合も有り得ますから。
厳密には人が人を救う事など出来ないという人生の現実があります。救いは自分で自分を救うことのみなのです。それが人間の自由意志と尊厳を抱く厳しさでもあると思われますが。

人が正義の御旗を掲げる時には注意しなければなりません。正義にも段階があり、それが偽りの仮面でしかないのなら闇雲な処罰を求め、究極滅ぼす事しか念頭になかったりします。その仮面は時に本人にも気がつけない邪な意図を隠す為のものでしょう。レッテルは正義でも被っているのは冷淡な意図かも知れません。成熟した正義なら互いの立場に苦悩するはず。当時者でありながら他人事でいられるのが偽りの仮面であることの証明ではないかと。

集団のベクトルに対する個人の抵抗力には限界があります。優れた科学者であっても生身の存在です。
皆発展途上の存在であればそれぞれのステージで過ちは避けられない。失敗からも生まれるものがあるはずなのに。あまりにも構造的に惨い仕打ちになってしまった。笹井さんが残されたものを拝見すると、そこには励ましがあるのですね。限界を超えていく中で最後まで指導者としてあろうとしたのかもしれません。笹井さんの選択が問い掛けているものを受け取ることによって昇華していけるのではないでしょうか。時間がある限りそのチャンスは残されます。
Posted by 小平の義太郎 at 2014年08月11日 17:14
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