2014年08月10日

◆ 笹井事件は殺人か?(STAP)

 笹井事件は、自殺ではなく、殺人だろうか? 「殺人だ」と見なす説も成立しそうだ。 ──

 「笹井事件は、自殺ではなく、殺人だ」
 というのは、常識的には成立しない。ところが、奇妙なことだが、成立することもある。それは、「捏造説」を前提とした場合だ。つまり、「捏造説」が正しければ、「捏造説を唱えた人々は、笹井さんを殺した」という説が成立する。ほとんど逆説的だが。
 以下ではその逆説を説明する。
( ※ 真実を示すというより、皮肉な虚構を示す。)

 ──

 以下では、特定の個人を貶めるつもりはないのだが、代表的な例として、有名人のツイートを掲げる。本人もわかっていないようなので、教える効果はあるだろう。



 これはまるで私の主張を批判しているようだ。 (^^);
 では、上の主張は何を言っているのか? それを考えよう。
 まず、そもそも、
 「故意の操作」が行われた事により「不正認定」された行為

 とは、何のことか?
 これを知るには、彼女の古いツイートの一覧を知ればわかる。
  → 片瀬久美子(@kumikokatase)/「故意の操作」の検索結果
 これで「故意の操作」についての発言のすべてを得られた。計4件あるが、1件目は上記ツイートだから、残るは3件。上記を見てもいいのだが、同じ文言を下に引用する。





 以上からわかるだろう。
 要するに、この人が言っているのは、「画像の書き換え」だけである。特に理研が問題視したのは、電気泳動写真の「切り貼り」だ。そこに「故意の操作」があるから、「単純なミス」ではない、ゆえに「不正だ」という理屈。

 しかしながら、ここには難点がある。
 (1) 画像の切り貼りなら、すでに小保方さんも認めており、争点とはなっていない。ただの「勘違い」(この程度のことは問題ないと思っていたこと)による行為にすぎない。「悪意」というよりは「無知」ゆえのことである。「間違いですよ」と教えて上げて、論文を取り下げさせれば済む問題だ。「不正だ」と指弾する必要はない。大騒ぎする理由にはならない。
 (2) また、この画像操作は、「真偽を転換させた加工」ではなくて、「真正画像を、別の真正画像に取り替えた」という程度の画像にすぎない。このことが「不正だ」と問題視されるのであれば、理研の調査委員長(これが理由で辞職した)の画像加工もまた、同様の理由で「不正だ」と指弾される必要がある。なのに、小保方さんばかりが「不正だ」と批判されるのは変だろう。ここでも、大騒ぎする理由にはならない。
 (3) いま話題になっているのは、「STAP細胞を ES細胞とすり替えたか」という問題だ。これに「すり替えて捏造した」という捏造説と、「コンタミによる実験ミスだ」という実験ミス説とがある。だから、そのどちらであるかを、再現実験の記録によって判定すればいい。それが私の主張である。一方、上記ツイートでは、単に「画像の操作があった」というだけだ。コンタミかどうかについては何も触れていない。それなのに「不正があった」と指弾している。

 ──

 以上からわかるだろう。上記のツイートでは、「画像の操作があった」というだけで、「不正だ」と認定して、それだけで批判している。
 要するに、この人が言いたいのは、こうだ。
 「画像の操作があったから、それは故意の操作であり、ゆえに不正である。だから、捏造があったと認定して、処分せよ」
 ここでは、「画像の操作」という微罪の認定で、「捏造」という巨大な罪をなすりつけようとする。大幅な論理の飛躍がある。
 比喩的に言えば、殺人罪の容疑で裁判にかけられた被告人が、こうなるようなものだ。
 「彼は途中で信号無視をした。信号無視をしたから、犯罪者だ。ゆえに彼は殺人犯でもある。被告人は死刑!」
 こういう形で、信号無視をしたという事実によって、殺人をしたと決めつけられる。この人は、そういう論理の飛躍をやらかしている。
( ※ なぜなら、コンタミについての議論はしないで、画像の操作の話ばかりしているからだ。)

 ──

 当然だが、画像の操作など、大騒ぎする理由にはならない。(理研の調査委員長もやっている。)
 なのに、こんな下らないことだけで断罪せよ、とこの人は主張する。



 ES細胞のコンタミについては真偽の解明をしないまま、画像の操作だけで、事件全体について「不正だ」と認定して処分せよ、と主張している。さらには、「不正だ」と大騒ぎせよ、とも主張している。
 では、そのどこに問題があるのか? 

 ──

 ここで真相を明かそう。この人がどう勘違いしているかというと、こうだ。
 問題は、ES細胞のコンタミの有無である。ここが論点である。そして、ここでは、「故意の操作」があったかどうかは関係がない。対比の対象は「単純なミス」「うっかりミス」ではない。では何かというと、「錯誤」である。「STAP細胞は存在する」と思い込んだあげく、特定方向の実験結果(チャンピオンデータ)ばかりを追い求めたことである。( → 詳細
 なるほど、そこには、「故意の操作」があった。しかしそれは、「正常な実験」に「故意の操作」があったのと同様である。「故意の操作」があったからといって、「正常な実験」が不正であるとは言えない。また、「故意の操作」があったからといって、「正常な実験の失敗」(実験ミス)が不正であるとは言えない。
 要するに、「故意の操作」があることは、「単純なミス」ではないことを示すが、「不正であること」を示さないのだ。なのに、そこを混同しているのが、この人だ。
  ・ 「故意の操作」がある
  ・ 「単純なミス」ではない
  ・ 「不正」である
 この三つを等価なものだと思い込んでいる。そこに勘違いがある。
 では、真実は? この三つは等価ではない。「故意の操作」があることは、「単純なミス」ではないことを意味するが、「不正であること」を意味しない。なぜなら、「錯誤」という道があるからだ。
 「錯誤」(思い違いに基づく特定方向の実験ミス)もまた、「故意の操作」があり、「単純なミス」ではないのだが、それは別に「不正」だとは言えないのだ。「正しい」とまでは言えないが、せいぜい「下手」と言える程度のことだ。愚かさに基づくものであって、悪意に基づくものではない。

 上に真実を示した。なのに、この人はそこを理解できない。つまり、「錯誤」というものがある、と理解できない。そのせいで、「単純ミスではないから、意図的な悪だ」と論理が飛躍してしまう。つまり、「白ではないから真っ黒だ」というふうに論理をつなげてしまう。「白ではないが、黒でもなくて、灰色だ」という論理を理解できない。

 ──

 この人の論理は滅茶苦茶だと言える。そこで、このことを示すために、この人の論理を自分自身に適用させるといい。こうなる。
 「この人は、STAP細胞の論文の執筆者を批判した。そのことで、執筆者の一人を死に至らしめた。このことは、そうしようと思ってやったことではなくて、意図せざる結果であった。しかしながら、この人の理屈に従えば、この人のやったことは殺人である」

 こういう結論になる。ではなぜか? 
 この人の論理は、STAP細胞について、「単純なミスでなければ、故意の行為だから、不正だ」というものだった。「錯誤だというのは認めない」というものだった。
 そうであれば、笹井さんの死についても、「単純なミスでなければ、故意の行為だから、殺人だ」ということになる。「錯誤だというのは認めない」ということになる。

 わかりやすく言おう。
 この人たち(捏造批判派)は、笹井さんたちを指弾して、死に至らしめた。そのとき、「まさか死ぬとは思っていなかった」ということなのだろう。つまり、そこには「錯誤」があったわけだ。それであってもとにかく、この人たちの行為が、まさしく笹井さんを死に至らしめた。
 それは、倫理的には「悪」であるが、法的には「殺人」と言えるほどではない。しかしながら、「錯誤」に基づく行為を、「単純ミスではないがゆえに、意図的になしたものだ」という理屈を取るのであれば、この人たちは意図的に「殺人」をなしたことになる。なぜなら、この人たちの発言は、まさしく「故意の発言」「意図的な発言」であり、「たまたま間違って発言した」(言い間違えをした)というような「単純ミス」ではないからだ。
 
 結局、「単純なミスだから、故意の行為だ」と見なすような認定方法を取ると、「単純な言い間違えではないから、笹井さんを死なせた発言は意図的な殺人行為であった」ということになる。つまり、この人たちは、自分自身が「悪意ある殺人犯」であることを告白しているのも同然だ。

 もちろん、実際には、そうではない。この人たちは、「錯誤」をしていただけだ。「こういう結果になるとは思っていなかった」という状態で、思い違いをして、発言していたわけだ。自らの発言が笹井さんを死に至らせるとは思わないまま。……だから、そういう「錯誤」を「錯誤」として認定すればいい。
 ところが、この人たちの論理は、「錯誤」を認めない。「単純なミス」(言い間違え)ではなかった、というだけのことで、「故意の発言だった」と認定して、「故意の人殺しだ」と認定することになる。……つまり、彼らの論理そのものが、彼ら自身を「人殺し」と認定することになる。
 自らの論理が、自分自身に降りかかる。
 
( ※ とすれば、彼らが「人殺し」と非難されるのも、仕方ないだろう。自分の振り上げた拳で、自分を殴ることになるからだ。恨むなら、自分を恨むべし。)



 [ 付記 ]
 批判した本人も、批判されているようだ。



 ここでは、「殺してはいない」ないし「殺すつもりはなかった」と言っている。
 つまり、
 「殺すつもりはなかった。しかし錯誤ゆえに、殺したのと同じ結果になっただけだ」
 ということだろう。
 ならば、STAP細胞についても同様に考えるべきだ。
 「捏造するつもりはなかった。しかし錯誤ゆえに、捏造したのと同じ結果になっただけだ」
 どちらも錯誤のもたらした失敗である。ならば同様に扱うべきだ。
 なのに、STAP細胞については「故意の不正だ」と批判して、自分については「故意はなかったから悪くない」と弁解する。言っていることに筋が通らない。二重基準みたいなものだ。(自己矛盾という方が近い。)
 「わが身をつねって人の痛さを知れ」
 という言葉がある。彼ら批判派は、「錯誤した」というだけのことで批判されることの苦しみを知ったなら、他人を自殺させようとしたおのれの罪を理解するべきだ。それなら、少なくとも、反省はできたことになる。

( ※ なお、実際に殺したかどうかと言えば、殺したに決まっている。比喩的に言うと、「被害者を刺し殺した犯人が多数いて、そのうちの一人」という形だ。****殺人事件に同じトリックがあったが、それと同様だ。特に、発信力の強い人であれば、分子生物学会にもいくらかの影響を及ぼしたと考えられる。実際、分子生物学会会長がこの人をフォローしていることを考えると、「片瀬久美子 → 大隅典子 → 分子生物学会」という順の影響で、笹井さんの死に強い影響があったのは確実だ。)

( ※ 繰り返して言うが、「殺した」と言われることの理由は、「殺意があった」ということではない。「発言が故意であったこと」つまり「言い間違いではなかったこと」である。それゆえ「殺した」と認定されるのである。そのことが本人の論理なのだから。)



 [ オマケ ]
 本項は、特定個人を攻撃することを目的としていません。上記の人は、特定個人(小保方・笹井)を攻撃することに熱中していましたが、私はその趣旨ではありません。
 ゆえに、上記の人を攻撃するツイートなどをしないよう、お願いします。
 本項が示したのは、あくまで代表例として、有名な1名を掲げることだけです。その意味では、上記の人は「何で自分ばかりが……」と不満を言いたくなるでしょう。それはごもっとも。
 ゆえに、上記の人を個人批判しないよう、お願いします。

 どうしても批判する場合には、「個人批判」でなく、「発言批判」の形にしてください。つまり、本人の発言を引用して、その発言のどこがどう問題であるかを、学術的に長文で批判する形にしてください。本項のように。
 悪いのは、思想であって、特定個人ではありません。そこをお間違えなく。
 ツイッターなどの短文で個人批判をすることは、厳に慎んで下さい。そんなことをすれば、人殺し連中と同じ穴のムジナになります。

posted by 管理人 at 10:10| Comment(5) |  STAP細胞 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
前項のコメント。

> この件って角を矯めて牛を殺すという故事と同じですね。
> Posted by 京都の人 at 2014年08月10日 10:16

 ごもっとも。まったくその通り。
Posted by 管理人 at 2014年08月10日 10:28
最後のあたりに [ 付記 ] を加筆しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2014年08月10日 11:57
> ツイッターなどの短文で個人批判をすることは、厳に慎んで下さい。そんなことをすれば、人殺し連中と同じ穴のムジナになります。

このあたり、片瀬氏を貶める事にご執心の様子が面白いです。
Posted by 雑賀 at 2014年08月10日 23:19
>  by 雑賀

 連中というのは複数であり、本項では特に非常に多数の人のことを意味します。百万人以上になりますね。
 100万と1の区別ぐらいはできるようにしましょう。最低限、単数と複数の区別はできるようにしましょう。
Posted by 管理人 at 2014年08月10日 23:32
捏造だと思う人の全てが抗議なりバッシングをする訳ではないのですから、問題は内側に渦巻くネガティブな衝動であり、その無節操な放出なのです。誤解していても心ある人間ならば自分の行いを振り返るだろうし、痛ましい結果があれば良心の呵責を覚え声明なり行動があるはず。その対極が保身ですが。

こちらのブログに書いてある内容を少なくとも概略は間接的にしろ知っていたと。けれど誤認である可能性を一蹴している。型通りでしかない弔辞。まるで他人事の様なその後のツイート。そして沈黙。こと此の件に関しては、良心に基づく信念の行動とは感じられない。美辞麗句を並べた建前と本音とは一致していたのだろうか?

読解力・誤認・誤読・誤解・錯誤。理解力の低さや勘違いが諸悪の根源なのではなくて、そもそも理解しようとしていない。全体を観る必要なんかないと。「画像の書き換え」の尻尾を掴んだと思った時点で充分だった。攻撃の為の口実でしかなかったからでしょう。だとするならば動機に問題あり。それは曲解に繋がってしまうのです。

これは不正ではないと直感で感じる人もいるでしょう。私もそうでしたがSTAP現象を巡る騒動の核心がどうなっているのやら想像の域を出なかった。管理人さんの眼識の助けを借りて実態がようやく観えてきたのです。業界や社会を思って行動を起こすのも結構なのですが、どこまでも真相追求の労を惜しんではならなかった。ましてや仲間の処分を求める行動に於いては尚更です。
そもそも仲間とは思っていない処にこの騒動の痛ましさが隠れているようです。その狭量さが事態を暗転させる。
殺伐とした現実を生み出しているのは、けれどひとり一人だと思われます。
Posted by 小平の義太郎 at 2014年08月11日 13:27
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ