2014年07月18日

◆ 最高裁判決(DNA鑑定・父子関係)

 父子関係がDNA鑑定で否定されたときにどうするか、という判決が最高裁で出た。DNA鑑定を否定する奇妙な判決。 ──

 科学的に考える人ならば、この判決には納得できないだろう。そこで、どうしてこうなったか、考察してみる。
 まずは、記事を読もう。(日経)
 DNA鑑定で血縁関係が否定された場合に法律上の父子関係を取り消せるかが争われた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は17日、父子関係を取り消すことはできないとする判決を言い渡した。妻が結婚中に妊娠した子は夫の子とする民法の「嫡出推定」規定は、DNA鑑定の結果より優先されるとの初判断を示した。
 この日判決が言い渡された訴訟3件のうち2件は北海道と近畿の事案。妻側が「子の父親は99.99%、夫ではない」とのDNA鑑定結果を基に親子関係がないことの確認を求めていた。一、二審判決は鑑定結果を重視して妻側の訴えを認めた。
 もう1件は四国の事案で、DNA鑑定で血縁関係がないと証明されたとして父親側が親子関係の取り消しを求め、一、二審とも嫡出推定に基づいて訴えを退けていた。
 最高裁判決はいずれも親子関係の取り消しを認めず、訴えを起こした原告側の敗訴が確定した。法律上の親子間では相互の扶養義務や相続の権利などが認められる。
 同小法廷は判決理由で、嫡出推定について「子の身分の法的安定性を保持するのに合理的」と指摘。「科学的証拠で生物学上の父子関係がないことが明らかになっても、法的安定性の保持は必要」と判断し、「法律上の父子関係と生物学上の父子関係が一致しないこともあるが、民法は容認している」と結論づけた。
 山浦善樹裁判官(弁護士出身)は補足意見として「DNA鑑定で突然それまでの父子関係が存在しないことになるなら、子が生まれたらすぐに鑑定しないと生涯不安定な状態が続くことになりかねない」と指摘。「新たな規範を作るなら、十分議論をして立法をするほかない」と述べた。
 一方、裁判長を務めた白木裁判官と金築誠志裁判官(いずれも裁判官出身)は反対意見を述べ、「生物学上の父との間で新たに法的な親子関係を確保できる状況にあるなら、戸籍上の父との関係を取り消すことを認めるべきだ」とした。
( → 日本経済新聞 2014-07-18

 これ以外にもあちこちの新聞で詳しい情報が書かれている。重要なのは「法的安定性」という概念だ。つまり、次のことだ。
 「 DNA の鑑定で父子関係が覆されるとしたら、すでにある父子関係の法的な価値がぐらついてしまう。そういうのはまずい。既存の法的な価値を安定させるために、 DNA の鑑定でぐらつかせないことが大切だ。そのことが結局は子供の利益にもなる」

 一見、もっともらしいが、よく考えると、ここには論理の混同があることがわかる。以下では否定的に考察しよう。

 ──

 (1) 子の利益 A

 子の利益を守ることは大切だ。ただしそれは、「父親が父子関係を否定することで、子の利益が失われる」という場合に限る。
 3件のうちの1件(四国)では、その例に該当する。だから、この場合には、「父親が父子関係を否定する」というのを却下することには、大いに合理性がある。この件に限っては、最高裁の判決には妥当性がある。
( ※ それでも科学的合理性からは否定的な評価が与えられるから、最高裁の判決が妥当だと言い切ることはできない。ある程度の妥当性はある、というだけだ。)

 (2) 子の利益 B

 一方、他の2件では、「母親が父子関係を否定したがっている」という状況にある。(1) とは正反対だ。この場合には、「子の利益が失われる」ということにはならない。なぜなら、新しい父(本当の父)と、すでに新しい父子関係を構築しているからだ。
 ここに、「妻の元夫」が「私が父です」と名乗り出ても、子は顔も知らないおじさんにいきなり「父です」と言われることになり、子の利益はかえって失われる。真の父を父として得ることができず、見知らぬ人(偽の父)を父とすることになるからだ。
 要するに、最高裁は、(1) における「子の利益」を、(2) における「子の利益」に敷衍(ふえん)することで、論理の拡大解釈を招いている。これは論理の誤謬とも言える。
 要するに、3件の事例があって、それぞれをきちんと区別するべきだったのに、そうしなかったのだ。(1)と(2) と区別するべきだったのに、区別しなかったのだ。
 これはつまり、3件を統一的にまとめて扱おうとしたせいで、論理の破綻を招いてしまった、ということだ。換言すれば、「論理的に統一的に扱おう」という「論理馬鹿」のせいで、別々のものにあえて統一的な解釈を適用してしまったのだ。
( ※ 論理に無理にこだわる馬鹿だと、こういうことが起こる。法律家には論理力が必要だということがよくわかる。論理力がないと、無理に論理を通そうとして、「無理が通れば道理が引っ込む」というふうになる。)

 (3) 法的安定性とDNA鑑定

 以上のことを、もう少し詳しく説明しよう。
 同小法廷は判決理由で、嫡出推定について「子の身分の法的安定性を保持するのに合理的」と指摘。「科学的証拠で生物学上の父子関係がないことが明らかになっても、法的安定性の保持は必要」と判断し、「法律上の父子関係と生物学上の父子関係が一致しないこともあるが、民法は容認している」と結論づけた。

 ここで述べられていることは、ある程度は理解できるが、論理の飛躍がある。
 以上の理屈から得られる結論は、「DNA鑑定を無視すべきだ」ということか? 違う。論理的には、こうだ。
 「法的安定性の面からは、原則的には、従来の方針(嫡出子推定)が適用される。ただし、例外的には、DNA鑑定が優先される」
 そして、その例外の条件としては、次の二つがあげられるだろう。
  ・ DNA鑑定により、真の父親が判明していること
  ・ 真の父親が父親としての義務・権利を行使すること

 この場合には、「子の利益」は失われない。ゆえに、「子の利益」を理由とした判決は成立しない。むしろ、判決は、子の利益を失わせてしまっている。( (1)で述べた通り。)

 (4) 法的安定性と現実

 「子の利益」ばかりを唱えてもダメだ、ということは、最高裁も理解しているのだろう。だからこそ、法的安定性を理由としたのだろう。だが、その場合には、おかしなことになる。こうだ。
 「双方の意見が対立せずに、ともに真の父親を法的な父親と見なしたとしても、行政の側がそれを拒否することになる」
 つまり、妻も元夫も、どちらも「この子は元夫の子ではない」と認定して、父子関係を否定するように行政に頼んだとしても、行政の側はそれを拒否せざるを得なくなる。本当の父はあくまで「養親」という形の法的地位しか与えられないことになる。
 これでは、誰一人として幸福になれない。行政の都合で国民を不幸にしているだけだ。全員が「こうしたい」と望んでいるとき(対立点がないとき)でさえ、最高裁判決のせいで、嘘を「真実」として記載するしかないのだ。
 これは、行政の側による「捏造」の強制であろう。誰もが「真実」を記載したいと望んでいるときに、行政の側があえて「嘘を記載せよ」と命じるなんて、狂気の沙汰だ。
 そして、最高裁の理屈に従えば、その狂気の沙汰を実行するしかないのである。
( ※ それというのも、無理に3件を統一的に処理しようとして「法的安定性」なんていう滅茶苦茶な理屈をもちだしたせいだ。)

 (5) 法的安定性の意味

 裁判官は「法的安定性」という言葉の意味を理解できていないようだ。というか、DNA鑑定というものの意味を法的に理解できていないようだ。
 そもそも、「法的安定性」とは何か? それは、「朝令暮改にならないようにする」というぐらいの意味だ。
  → 法的安定性 とは - コトバンク
 これを本件に適用すると、どうなるか? 
 「DNA鑑定で確定する」のであれば、いったんそうなった以上、それがひっくり返ることはないのだから、法的安定性には影響しない。ここで最高裁が「法的安定性」を持ち出したのは、無理筋というものだ。仮に、最高裁が「元夫は親の父ではないから、法的な権利は認めない」と判決すれば、それで安定的な状況となる。法的安定性には影響しない。
 一方、次の問題もある。
 山浦善樹裁判官(弁護士出身)は補足意見として「DNA鑑定で突然それまでの父子関係が存在しないことになるなら、子が生まれたらすぐに鑑定しないと生涯不安定な状態が続くことになりかねない」と指摘。「新たな規範を作るなら、十分議論をして立法をするほかない」と述べた。

 これは明らかにおかしい。本件で問題となっているのは、特殊な場合である。
  ・ 子の両親が離婚した
  ・ 子の真の父親が別にいる
  ・ 子は真の父親と一緒に暮らしている

 これらの条件がすべて満たされた場合で、かつ、訴訟があった場合だ。そういう限定された場合にのみ、不安定な状況となる。別に、「子が生まれたらすぐに鑑定しないと生涯不安定な状態が続くことになりかねない」というようなことはない。普通の例ではそのようなことはないからだ。少なくとも、数年間の同居を経たあとでは、法的な位置が覆されることはない。
( ※ 今回の裁判の例では、同居期間は1年半など。ごく短期間だ。)
 というわけで、上の引用部の理屈は、「いらぬ心配」「杞憂」であるにすぎない。そして、そういう「いらぬ心配」を理由に、正当な科学的な判定を否定するのは、道理が通るまい。(というか、論理が狂っている。論理の混同だ。)
 
 (6) 養育費

 元夫の権利を認めるのであれば、養育費の問題が生じる。権利と義務は一体化しているからだ。
 仮に、元夫に「父親の権利」を認めるのであれば、「父親の義務」も認めるべきだろう。たとえば、毎月8万円の養育費を20年間にわたって支払う、とか。これは総額 1920万円だ。      8×12×20 = 1920
 ダルビッシュならば、「養育費月々 200万円、一時金5億円」とも報道された。
 ともあれ、養育費の問題が生じる。最高裁は、そこまで考えているのだろうか? つまり、元夫の側に養育費の支払いを命じるのだろうか? また、元夫がそのときになって「養育費を払いたくないから、父親としての認定をはずしてほしい」と言いだしたら、最高裁はどうするつもりなのか? 関係者の全員が「元夫の権利と義務をはずしてほしい」と望んでも、最高裁はなおも「法的安定性」にこだわって、虚偽を真実と偽る「捏造」を強制するのだろうか? ……こうなると、最高裁は、国民を不幸にするためだけに存在していることになる。

 ──

 まとめ。

 どうも、最高裁は、論理が滅茶苦茶になっている。
 なるほど、「子の利益を大切にする」という原則はいい。また、「父親が勝手に義務を放棄したがるときに、それを拒否する」というのもいい。その場合には、あえて真実を曲げる必要もあるかもしれない。子の幸せのために。
 とはいえ、関係者の誰もが「嘘よりも真実を」と望んだときにそれを否定するようなことは、あってはならないことだ。なのに、最高裁の論理だと、そのような捏造が正当化されてしまう。
 どうしてこうなったか? 最高裁の論理が滅茶苦茶になっているからだ。
 「ある特定の場合には、真実よりも法を優先することがあってもいい。そういう事実のあとで、その例外的な措置を、あらゆる場合に敷衍しようとした(拡大解釈しようとした)。最高裁は、それを法的な整合性を得るためと勘違いした。しかし、本当は、あらゆる場合に同一の原理を適用するべきではなくて、個別の場合ごとに異なる原理を適用するべきなのだ」

 比喩的に言えば、男と女は異なるのだから、男便所と女便所は異なるべきだ。なのに、「男と女は法的に同一だから、男便所と女便所は区別されるべきではない」などと言い出したら、滅茶苦茶になる。……それと同じような「論理的統一性・法的統一性」を、強引に適用とする。それが最高裁のやっていることだ。
 論理力の弱い人は、へぼな論理にこだわったあげく、へぼな論理を強引に適用しようとする。そのせいで滅茶苦茶な結論となる。
 馬鹿が法律をいじるとこうなる、という見本だろう。気違いに刃物。馬鹿に法律。……今回の判決は、そういう見本だ。



 [ 付記1 ]
 最高裁の裁判官は滅茶苦茶な論理で判決を下したが、そうしたくなった心情はわからなくもない。(その1)
 彼らの心情を忖度すれば、こうなる。
 「裁判官は、保守的な倫理観にとらわれている。そのせいで、不倫した妻の主張を通すことが許せない。一方、不倫された可哀想な夫には同情する。不倫した側が勝手なことをするのは、道義的に許せない。ゆえに、不倫した妻には不利で、不倫された元夫には有意になるよう、取りはからう」
 これはまあ、「安倍首相が右翼だから、違憲を覚悟で、集団的自衛権を押し通す」というのと同様だ。無理が通れば、道理は引っ込む。ここでは、大事なのはあくまで、決定者の個人的な保守的感情であって、論理は二の次となる。

 これを裏付けるのは、次のことだ。
 最高裁の判決では、元夫の養育費には触れていない。本来ならば、「養育費の支払いを条件として、元夫の権利を認める」というふうにするべきなのに、養育費のことは待ってく触れていない。
 こういう事情にある。これでは、子供がないがしろにされすぎている。このことからも、子供のことは二の次で、別の隠れたことが判決の理由だ、とわかる。(それが裁判官の保守的な感情。保守的な倫理観。)

 要するに、裁判官が、お馬鹿すぎるわけだ。
 こうなると、もう、裁判所は頼りにならない。となると、残る道は、立法府による法改正しかないようだ。
  
 [ 付記2 ]
 最高裁の裁判官は滅茶苦茶な論理で判決を下したが、そうしたくなった心情はわからなくもない。(その2)
 彼らの心情を忖度すれば、こうなる。
 「科学がのさばって、法の世界が浸食されるのは、まずい。科学なんかに法の世界を浸食されてたまるか」

 彼らたぶん、 DNA鑑定というものがあまりよく理解できないのだ。その上で、一種の被害者妄想にとらわれている。かくて、 DNA鑑定というものをやたらと怖がって、しきりに排除したがる。
 しかし、DNA鑑定というものは、法の世界を浸食するものではない。むしろ、法の世界に組み込まれるべきものだ。最高裁は、DNA鑑定を、「法的安定性を揺るがすもの」として排斥するべきではなかった。むしろ、「法的安定性を増すもの」として、法律の世界に組み込むべきだった。そして、それこそが、裁判所の役割なのだ。
 法というものには、原理しか記していない。そういう法律を、現実の世界に具体的に適用する(個別解釈する)のが、裁判所の役割だ。
 今回、最高裁は、裁判所の本来の役割を放棄してしまった。「古い法律を現実に適用して柔軟に解釈する」というのが裁判所の役割なのに、「古い法律は現実に適用できないこともあるから立法の側が退所するべきだ」なんて言い出した。呆れる。
 今回の判決は、担当した裁判官が馬鹿すぎた(あるいは科学的知識が欠落していたせいで、科学恐怖症になりすぎて、法的判断がまともにできなくなった)と見なせるだろう。
 
 今回の判決は、決して、「DNA鑑定が最優先になる」というような問題ではない。あくまで法律を現実に柔軟に適用できるかどうかという問題だ。
 しかるに、裁判官は、「DNA鑑定が法よりも優先する」というふうな方向で解釈してしまった。見えない影に怯えてしまった。そのせいで、恐怖から逃げようとして、とんでもない方向に暴走してしまったのだ。
 
( ※ ネズミの影を見て、巨大な怪獣が襲いかかってくる、と誤認するようなもの。小さなネズミでも、影だけは巨大化することがある。それによる誤認。)
 

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posted by 管理人 at 19:16 | Comment(4) | 一般(雑学)2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
親子、兄弟、いとこ  親族の概念だってあやふやになりえる 時代です  規範としての 法  もしかしたら 

 SF小説のなかで語られる昔話になるのかも と


 最高裁の奴らが 人間として 普通であると確認できたんで  良しとしますが いかがですかね
Posted by k at 2014年07月18日 20:29
おもわず股間に手を当てて
遍歴を追いかけました
Posted by 先生 at 2014年07月19日 10:24
DNA鑑定のコストが下がれば、出産時に全員、夫婦および子供のDNA鑑定する。そして、もし食い違っていれば、その後の親子関係に関して夫婦で契約書を作成する。というふうにすれば万事解決すると思います。
Posted by ゆう at 2014年07月20日 12:14
刑事訴訟では、管家さんの誤判にも関わらずDNAの信憑性を強調しているので、ちょっと違うかな?
 ぶっちゃけ、裁判官に限らず、検察官他の高級官僚には隠し子が多いんですよ。企業が接待として金銭は企業持ちで愛人をあてがう例も非常に多いですし。
 隠し子のいる方は、ある日「DNA鑑定の結果、私はあなたの実子です。親子関係を認めて下さい。」と言われて裁判所で認められるのは困るんです。ですからそれを防止するための判断です。最高裁判事の皆さんも知られちゃ困る隠し子が大勢いらっしゃるのでしょう。
 もちろん国会議員の皆様もヤジのレベルからすれば隠し子のいる方が多いようですから、立法レベルで解決に動くはずのない事案です。
Posted by すぐやるゾウ at 2014年07月31日 12:26
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