2014年07月03日

◆ 大学の英語教育の賛否

 大学の教育を英語でやるべきだ、という見解について、賛否両論が紹介されていた。 ──

 これは朝日新聞に掲載された記事。興味深いので、一部抜粋の形で紹介しよう。

 記事はこちら。
  → (争論)大学生は英語で学べ 寺島隆吉さん、鈴木典比古さん

 まずは賛成論の紹介。
  【】「翻訳文化」では生き残れない 国際教養大学学長・鈴木典比古さん
 国際教養大学は秋田県にある公立大学です。授業は100%英語です。講義型の一方通行の授業はありません。少人数クラスで議論も発表もすべて英語。学生にとっては隠れる場所はなく、日本語に変換する余裕もない。英語で即座に、明確に自分の考えを伝えなければならない場に置かれます。
 最初は帰国子女や留学経験者のほうが英語力が高く有利なようですが、2年、3年とたつうちに差はなくなります。
 日本の大学は長い間、翻訳文化にどっぷりと漬かってきました。英語をはじめ西洋の言語で書かれたものをいったん日本語に訳し、その内容を日本語で受け止め、日本語で解釈し、日本語で考えをまとめる。そうやってきました。
 しかし、オリジナルの英語を日本語に置き換えてから理解するのでは、対話やディベートについていけません
 日本は明治以来、なんとかこれでやってきましたが、21世紀の学問がこれでいいとは思えません。20年後30年後も大学は翻訳文化を続けますか?
 翻訳して日本語で書かれた教科書は、ズレや不要なものが入ってしまいがちです。ならば英語の本を数冊のほうがいい。英語のしっかりした教科書を1冊読めば、日本語の本の5冊ぐらいに相当します。

 次に反対論の紹介
 【×】深い思考奪い、創造の芽摘む 英語教育研究者・寺島隆吉さん
 英語で授業をする必要があったのは明治初期、英語の教科書しかなかったころの話です。だから外国人から英語で教わったのです。
 でも、いまは環境がまったく違う。物理学であれ経済学であれ、高いレベルまで全分野が日本語で読めます。翻訳のレベルが高く、出版力もある。日本は大学の博士課程まで自国語で教育できる、アジアでは例外的な国なんです。
 実際、日本人物理学者が相次いでノーベル賞をとった2008年に、韓国日報がその背景を探り、「自国語で深く思考できるからだ」と指摘しました。韓国の名門大学は英語で科学を教えているのですが、日本と同様、自国語で教育すべきだと提言したのです。
 専門分野に進めば進むほど範囲が狭まり、使われる語彙(ごい)の数も限られてくる。そこさえ英語で押さえれば、英語の文献も難なく読めるようになるのです。
 ところが、大学1〜2年の教養課程から英語で授業を始めたら、幅広い分野を学ぶわけですから単語もあらゆる領域に及ぶ。語彙は無限です。覚えても覚えてもキリがない、底なし沼ですよ。
 しかも英語で1冊の本を読む時間があれば、日本語なら5冊、10冊と読めるわけです。英語の本をやっとこさ1冊読む間に、英米人なら5冊、10冊と読むわけですから永遠に追いつけない。それで勝てると思いますか。
 人間に与えられた時間には限りがあります。まずは考える力、そして疑問を持つ力を育てることにこそ大切な時間を使いたいものです。


    

Amazon 寺島 隆吉 の本


 ──

 私の見解は? ま、いちいち書かなくてもわかるだろうから、読者の想像にお任せします。 (^^);

 ただ、これと似た話題があったな……と考えて、思い出した。これだ。
  → 法科大学院の問題
 その趣旨は下記。
 「制度改革の前の司法試験は、法律のことしかわからないような、法律馬鹿ばかりだった。その弊害をなくすために、一般常識を持つような人材を求めて、法科大学院を設立した。その結果、一般常識を持つような人材は育ったが、肝心の法律能力がダメで、司法試験にパスできない法律音痴がやたらと育ってしまった」
 
 大学で「英語による授業」をやったら、同様の結果になるだろう。
 「制度改革の前の司法試験は、英語の能力がないような、英語音痴ばかりだった。その弊害をなくすために、英語能力を持つような人材を育てようとして、英語による授業を制度化した。その結果、英語能力を持つような人材(大学生)は育ったが、肝心の専門学力がダメで、専門的な知識のない学力馬鹿がやたらと育ってしまった」
 こうなりそうだ。それは皮肉かって? まあ、皮肉である。だが、事実でもある。そのことは、すでに韓国で実証済みだ。
( ※ 上記引用部 に書いてある通り。)
 


 【 関連項目 】

 似た話題だが、「中学時代から英語で授業」という方針もある。これについては、下記項目で論じた。
  → 英語で授業:その是非
 一部抜粋すると、下記。
 「読み書き」だけでなく、「ことばを使って考え、判断し、自分の意見や主張を表現していく力」「英語を使いながら、思考・判断・表現力を高めるための言語活動」をめざしているわけだ。その目標自体はいい。
 問題は、その目標のために、「英語で授業」という方針が正しいかどうか、ということだ。
 幼稚園児を太平洋に放り出しても、幼稚園児が泳げるようになることはなく、幼稚園児が溺死するだけだ。
 英語を理解できない中学生に英語で授業をしても、中学生が英語がぺらぺらになるわけではなく、ちんぷんかんぷんな授業を聞いて、中学生がバカになるだけだ。

 もう一つ、別の話題もある。下記項目。
  → 英語の社内公用語化は?
 一部抜粋すると、下記。
 英語の社内公用語化を推進したら、社員は英語がペラペラになったのではなく、英語ができないまま口を噤んでしまったのだ。
 そもそも大切なのは、英語力じゃなくて、技術開発力だ。英語力なんて、二の次だ。そんなこともわからないバカ社長だから、英語でゴーン CEO と会話することばかりに熱中して、日本人の優秀な技術者と会話することができない。そのせいで、日産の技術開発力は大幅に低下してしまった。

 ──

 以上からして、常識的に考えるなら、次の方法がベストだろう。
 「英語による授業は、大学生移行に限り、かつ、一部のみ」
 「中学以前の段階では、聞く・話すの基礎力を高める英語授業を増やすだけでいい」
 「高校段階では、その中間。つまり、部分的に少しだけ英語授業をする程度。大勢には影響しない」
posted by 管理人 at 20:03 | Comment(3) | 一般(雑学)2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
新聞報道から。
 「一橋大は在学中に英語圏の有力校で4週間程度の語学留学を必修にする。」
  → http://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ03001_T00C14A7MM0000/

 効果が皆無だとは言わないが、これまでの体験例からいうと、4週間の短期留学では、ほとんど効果がないのが普通だ。同じ時間を日本で学習時間に充てる方が、はるかに効果がある。(8時間×30日= 240時間)
 どうせだったら、語学学習教材を使う方が、ずっと効果がありますよ。
 留学するなら、最低でも3カ月はかけないとね。できれば1年。
Posted by 管理人 at 2014年07月03日 22:32
高橋リーダーがらみの後ろめたさを連日の釣りネタでかき混ぜるねらいではないのでしょうが,議題設定にいつもの冴えが感じられない気がして。(コメント閉鎖されましたが)死刑囚の人体実験のネタは冤罪をめぐるやりとりが両者的外れではないかと思いました。
Posted by なんき at 2014年07月06日 19:40
> いつもの冴えが感じられない

 毎日2〜3発も書いていれば、冴えてばかりいるはずもないです。「世間の人の気づいていないことを指摘する」のが本ブログの狙いですが、その内容は、冴えていることもあれば、つまらない内容のこともある。
 高橋さんのミスを指摘したって、一個人のミスの指摘ですから、もともとたいした話題ではない。ちょっとした些末事。

> 冤罪
 
 もともと関係ない話題。
Posted by 管理人 at 2014年07月06日 19:46
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