2014年06月09日

◆ 田老地区の防潮堤と津波

 田老地区では巨大防潮堤が破壊された。そのときの津波の動画が残っているそうだ。 ──

 そのときの動画が残っている、という話がある。朝日の記事。たろう観光ホテルの社長が記録していたそうだ。ただし、内緒にして、一般公開はしないので、広く知られていないそうだ。
 先週、また現地を訪ねた。この11日で震災から3年3カ月になるのに、約800戸が流された津波跡は草ぼうぼう。街の跡にぽつんと突っ立つのが、そのホテルだ。
 倒れた防潮堤まで約100メートル。津波の直撃で6階建ての3階まで壁がぶち抜かれ、赤さびた鉄骨や内装がむき出しだが、不思議なことに上階はそのまま残っている。
 あの日、ひとり残った松本さんは最上階の部屋で、ビデオカメラを構えた。記録を撮っておこう。その気まぐれが、街の破壊直前から直後まで、しかも高所からの決定的な映像を残すことになった。
 冒頭、防潮堤の内側で消防車がゆっくり走り、おばあさんが歩いている。しかし外側では真っ黒な海がぐんぐん盛り上がり、灯台を倒し、防潮堤を乗り越え、街をのみ込む。4分後、ドドッ――。引き波がすべてを海へさらっていく。目の前で200人近くが犠牲になった。
( → 朝日新聞 2014年6月9日

 動画が公開されないとしても、文字だけでもおおよその情景はわかる。
 ちなみに、たろう郎観光ホテルの現状は、上記の記事に写真があるので、わかる。
 また、現地の地図は、下記だ。(  A の箇所 )


taroh.jpg


 この図で、緑色の  〉 の箇所は、古い堤防。桃色の 〈  の箇所は、新しい堤防。
 図を見ればわかるように、たろう観光ホテルのあった一は、新しい堤防と古い堤防に挟まれた領域だ。
 この領域こは本来、人が住んではいけないはずだった。だが、新しい堤防ができたあとで、人が住むようになった。そのせいで、多大な被害が発生した。
 この件は、前にも述べた。再掲しよう。
 もともとは ∧ 型の堤防があって、海に向かって突き出ていた。そこにあとから V 型の堤防を海辺に構築した。両者が合わさって X の堤防ができた。すると、外側にある V 型堤防と、内側にある ∧ 堤防の中間に、家がどんどんできてしまった。そして、どうなったか? 巨大な津波が来たとき、もともとあった ∧ 型堤防は、内陸にあって、津波をうまく左右に受け流したので、大丈夫だった。しかし、外側にある V 型の堤防は、海辺において津波の直撃を受けた。しかも、 V 型によってエネルギーを集める効果があったので、実際の津波の何倍ものエネルギーを受けて、あっけなく崩壊してしまった。すると、両方の堤防の中間にで来た家に住んでいた人々は、たいてい死んでしまった。「巨大堤防が守ってくれるんだから大丈夫だ」と安心していたので、逃げずにいたら、ごっそり死んでしまった。
 結局、莫大な金をかけて巨大堤防を作った結果は、莫大な死者を出すことだけだった。何もしなければ、もともとある堤防の内側に逃げていたので、死者は一人も出なかったはずなのに。(いや、そもそも、何もしなければ、その地帯には人が住んでいなかったのだから、死者が生じる危険性すらなかった。)
( → 史上最大の愚行(被災地)

 この件については、下記に参考情報がある。
  → 田老の大防潮堤

 また、破壊された田老地区の防潮堤については、下記に写真がある。
  → 宮古市田老地区の歴史と堤防
  → 画像で見る岩手県田老町の悲劇と防潮堤の破損【東日本大震災】 - NAVER まとめ

 ただし、より生々しい画像は、Google のストリートビューで見られる。



大きな地図で見る


 できれば、すぐ上の文字をクリックして、大きな地図 で見てほしい。
 図で見ればわかるように、ここでは防潮堤の残った部分しかない。ここより左には延々と防潮堤が続いていたのだが、それらは津波に破壊されて、どこかへ流れ去ってしまった。( なお、この右側には、水門の残骸らしいものがある。あるいは工事中なのかもしれない。……画像を回転させるをわかる。)

 先ほどの図を再掲しよう。


taroh.jpg


 この図の桃色の線のうち、右上の(端の)部分が、ストリートビューの位置だ。(おおまかに)
 この位置よりも右方に向かって、防潮堤は長々と延びていたのだが、それは失われてしまった。だから、桃色の線は、妙に短い。本来ならば、この桃色の線はもっと長く続いているはずなのだが。
(実際、昔は長く続いていた。……そのことは、上記リンクのページ を見てもわかる。)

 ともあれ、上の写真を見て、桃色に相当する部分(防潮堤の残骸)を、ストリートビューで眺めてみるといい。巨額の費用をかけた防潮堤がどういう結果になったかが、よくわかる。

( ※ なお、「半分以上は残っているぞ」と思って喜ぶのは、早計だ。防潮堤というのは、一箇所でも破壊されたら、津波が大量に侵入して、すべては水没するからだ。つまり、一箇所でも穴があいたら、それでおしまいなのである。そして、実際、何百人もの人々が津波に連れ去られてしまった。そのことが、冒頭で述べた動画に示されている。)
( ※ 実を言うと、たとえ防潮堤が壊れなくても、津波は防潮堤を乗り越えてしまったのだから、壊れたかどうかはあまり関係ないのだが。)



 [ 付記 ]
 では、どうすればいいか? 何もしなければいいのか? 防潮堤がなければ人々は救われたのか? 
 この件は、前に何度も述べた通り。つまり、こうだ。
 「内陸堤防を作れ」
 今回の件で言えば、新しい防潮堤(桃色:海辺)は無効だが、古い防潮堤(緑色:内陸部)は有効だった。
 海辺の堤防は、津波の直撃を受けて用に破壊される。一方、内陸堤防は、上陸した津波がエネルギーを奪われて減衰するがゆえに、その弱まった津波を阻止できる。
 だからこそ、海辺の防潮堤のかわりに、海辺から離れたところに内陸堤防を作ればいいのだ。それならば、コストも大幅に安くすることができて、かつ、効果は多大である。
 逆に、海辺の防潮堤は、コストは多大であるくせに、効果はほとんどない。究極の無駄。



 【 関連項目 】
 何でこれをまた書くかというと、政府は相も変わらず、防潮堤の建設に血道を上げているからだ。
 この件は、私はすでに何度も批判した。以下では、古い順に並べてみる。
  → 防潮堤推進の愚 (2012年3月)
  → 復興予算19兆円の無駄遣い
  → 防潮堤に首相夫人が異議
  → 釜石の防潮堤の欺瞞
  → 防潮堤推進の愚 2 (2014年5月)

 以上の項目は、政府批判。一方、防潮堤の建設がダメだという形の分析は、もっと多くの項目で述べている。下記を参照。
  → サイト内 検索
 


 【 関連サイト 】

 破壊された防潮堤の惨状は、次のページの写真を見るとわかる。
  → 日経 2011/4/4
  → 個人ブログ 2011/03/31

 その他、画像一覧は、検索で。
  → Google 画像検索
posted by 管理人 at 20:22 | Comment(4) |  震災(東北・熊本) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
防潮堤推進の愚、おっしゃる通りです。ただ、そこから先の対策について昔から思うところがあり、ブログに今回書き込みました。いかがでしょうか?
http://bb79a.blog.fc2.com/blog-entry-366.html
Posted by Kanji Kato at 2014年06月10日 15:07
↑ 逃げる必要がある、というのが難点。夜ならば寝ているときに津波が来ることもあるので、「逃げなくてもいい」というのが大切。
 私の案の「内陸堤防の内側にのみ居住」ならば、それがOK。内陸堤防の外側は非居住。

 また、逃げる際に自動車を使うのはダメです。原則、徒歩です。徒歩で5分間で500メートル。そこに高台や避難所があるべき。(内陸堤防を越える巨大津波を想定した場合。)

 上記を満たさない場所は、居住禁止。
 (あえて危険な土地に住んでもらうために何千万円もプレゼントする必要はない。)
Posted by 管理人 at 2014年06月10日 19:24
管理人さんの防潮堤論には、合理性がありますね。 

 田老地区のやや内陸の第1防潮堤は、破壊されずに残った。海側の新防潮堤は木っ端微塵の破壊された。
設計思想の差に見えます。第1防潮堤は断面が幅広い台形なので、大津波といえど破壊することは難しい。
新防潮堤は垂直に立てたコンクリート塀を所々陸側から押さえをつけている構造。大津波に耐えれる道理
はない。崩落した高速道路のトンネルの吊り天井のごとく浅い考えで作られていた。
 現代日本の危機は、重大な影響をもたらす決定を、浅知恵しかない少数の人間が、平気で決める習慣が
定着していること。「お知恵を拝借」という、謙虚な文化を復活させたいものです。

 第1防潮堤は、もし、全部がコンクリートなら、その量は膨大過ぎて建設できなかっただろう。土台を
土でつくり、外側をコンクリートで覆った。上部には幅広い道ができたので、平時には移動したり、散歩
したり、腰掛けて海を眺めただろう。万一、その高さを超える津波が来た場合は、最短で高台に逃げれる
ような道を多数用意していた。当時の計画者たちは叡智があった。3.11の大津波は、第1防潮堤を超えた
けれど、津波の直撃弾ではない。超えた分が流れ込み増水する現象なので、人々が逃げる努力が通用した。
しかも、第1防潮堤は、恐るべき引き潮の流れも防いだ。生存率は高かった。

 木造家屋が津波で簡単に流されるのは、貧弱な土台の上に家を載せているだけのものが多いから。ある
深さまで増水すると家は浮き流される。土台を離れたとき、家はバラバラに壊れ漂流し、災害を増幅する。
 「津波で流されなかった木造一戸建て」として、一条工務店の建てた家に注目が集まった。その理由は、
コンクリート基礎をしっかり作り、コンクリート基礎に埋め込んだ金具で家の構造物を固定する建築法で
あったから。
Posted by 思いやり at 2014年06月10日 23:38
ストリートビューの画像を差し替えました。

( 位置がちょっと妥当ではなかったので、位置を少しずらしました。同時に、本文中の説明を少し書き換えました。)

 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2014年06月14日 00:01
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ