2014年06月04日

◆(続)何のために勉強するの?

 ( ※ 前項 の続き)
 「何のために勉強するの?」という疑問には、具体的な例で答えることができる。それは、釜石小学校だ。  [ 重要 ]

 ──

 津波のとき、各地では多数の被害が出たが、釜石小学校では一人も犠牲者を出さなかった。学校の対処が良かったのではない。生徒は下校しており、生徒は一人一人で対処した。別に大人から正しい指導を受けたわけではないのだ。
 ではなぜ、釜石小学校では一人も犠牲者を出さなかったのか? それを探る NHK の番組があった。
  → NHK「釜石の“奇跡” 子どもたちが語る3・11

 この動画はあとで見てもらうとして、本項では要点を示そう。
 
 ──

 釜石小学校には、他の小学校とは大きく異なる点があった。それは、すばらしい校歌があったということだ。
 たいていの校歌は、富士山とか、希望とか、努力とか、勉学とか、そういう単語をちりばめたあとで、学校の名前を掲げて、最後は高々と「ああ、われらが○○小学校!」なんて感じに終わるものだ。
 ところが、釜石小学校の校歌は、まるきり違っていた。次のような語句がある。(1,2,3番から抜粋)
困ったときは 目をあげて
星を目あてに まっすぐ生きる

困ったときは あわてずに
人間について よく考える

困ったときは 手を出して
ともだちの手を しっかりつかむ

 津波のような大災難が来たら大急ぎで逃げろ、というふうには語らないわけだ。かわりに、目をあけて、あわてずに、じっくりとよく考えろ、と教えているわけだ。
 そしてまた、自分だけが逃げればいいのではない、とも教えるわけだ。

 歌詞の全文は、下記にある。
  → 釜石小学校校歌 (歌詞・楽譜)

 見ればわかるように、井上ひさし・作詞である。ひょっこりひょうたん島と同じ。含蓄があるのも当然か。
 そして、このような校歌を常日頃から歌っている子供たちは、どうしたか?
 釜石小学校では4年前から児童に津波の映像などを見せて、津波の恐ろしさを教え、毎年、市にサイレンを鳴らしてもらって、本番さながらの避難訓練を行ってきていた。子どもたちは、「自分の命は自分で守れ」と学校で教えていたという。
( → 釜石小学校校歌と釜石の奇跡!

 こういう状況があった。そして、震災当日になった。
 午後になって、巨大な地震が起こった。そのとき、子供たちはどうしたか? 
 釜石小学校では、震災当日、年度末の短縮授業で、全校児童はいつもより早く下校していて、自宅などで過ごしていた。釜石小学校は、海岸から1kmほど離れているが、近くに川が流れている。
 津波はこの川に沿って逆流して、15mほどの高さで市街地を襲った。学校の職員や保護者たちは、子どもたちはもうだめだ、助からないと覚悟を決めたそうだ。だが、子どもたちは学校で学んだ防災学習の知識を生かして、一人一人が安全な場所に避難していたのである。
 小学4年生の男子は、地震あと、自宅で目の見えない祖母を避難させようと何度も声をかけるけれど、なかなか逃げようとしない。そこで激しい口調で逃げようと諭し、祖母の手を引いて家から連れ出し、避難している。今、祖母は「もうちょっとためらっていたら、逃げられなかった。孫に助けてもらった」と語っている。
 また、避難の最中、義足をつけている友人がどうしても友より遅れるので一人が、「おんぶしてやる」といって、おんぶして走っていったという。
( → 釜石小学校校歌と釜石の奇跡!

 子供たちは、あわてて駆け出したりはしなかった。かわりに、目をあけて、あわてずに、じっくりとよく考えた。
 そしてまた、自分だけが逃げればいいとは思わなかった。祖母を助けたり、義足の友人を助けたりした。
 自分の命だけが大切ならば、決してそのようなことはしなかっただろう。祖母や友人を置き去りにして、自分だけが逃げ出しただろう。しかし、釜石小学校の子供たちは違った。他人を救い、自己を救った。

 一方、田老地区など、巨大な防潮堤がある地域では違った。彼らは莫大な金をかけた防潮堤を作ってもらった。「何十億円、何百億円もの防潮堤を作ってもらったんだ。それだけの富を得たのと同じだ。ボロ儲け。大儲け」と喜んでいたのだろう。
 そして地震当日になった。津波が来るとわかっていたが、「防潮堤があるから大丈夫さ」と思って、防潮堤の裏でのんびりしていた。
 そこへ巨大な津波が押し寄せた。防潮堤を破壊して、人々のいる家屋を水没させた。「何百億円もの防潮堤で大儲けをした」と得意がっていた人々は、水に溺れてしまった。

 ──

 人が勉強をするのは何のためだろうか? 自分の利益のためだろうか? 金儲けのためだろうか?
 それについて、釜石小学校の例は教えてくれる。釜石小学校では、素晴らしい教育があった。その素晴らしい教育を受けた子供たちは、みな命を救われた。自分自身の命を救い、他人の命をも救った。
 もしこの子供たちが釜石小学校に行くこともなく、何も学ぶこともなく、自分で考える力ももたなかったら、どうなっていただろう?
 素晴らしい教育が何をもたらすかを、釜石小学校の例は教えてくれる。
 


 [ 付記 ]
 正しく逃げるには、正しく考える力が大切だ。
 人の話をきちんと理解する国語力。
 どうすれば津波に飲み込まれずに時間の余裕を持てるかという算数の力。正しい経路で逃げる理科 or 社会科ふうの力。
 このようなさまざまな学力を学校で学んだからこそ、きちんと正しい判断ができるようになったのだ。
 「この場合には、このようにしろ」
 と学校がいちいち個別の場合を教えたわけではない。
 「この状況ではどうすればいいか」
 ということを、一人一人の生徒が自分で考えて判断できたのだ。
 このように、未知の出来事に遭遇したときに、自分自身で考えることができる力。それこそ、教育の最大の効果かもしれない。
 



 【 関連項目 】

  → 何のために勉強するの?
  → 勉強なさい 〜 偉くなるために
posted by 管理人 at 19:57| Comment(11) | 一般(雑学)2 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
素晴らしい話を教えていただきました。
ありがとうございます。管理人さんに感謝します。
Posted by アルビレオ at 2014年06月04日 20:25
珍しく?感動しました
なので私も珍しくお礼を言います
貴重な記事をありがとうございます
Posted by 先生 at 2014年06月05日 13:47
教育の大切さを実感いたしますね。
「群馬大学災害社会工学研究室 釜石」で検索すると釜石の小中学校の取り組みが記載されているサイトがありますが、管理人さんの取り上げられた事例を始め成功事例として誇るべき実態があります。小生、読んだ際に感動してしまいました。
Posted by sara at 2014年06月05日 16:08
NHKは、時間圧縮するために話を単純化する(作る)傾向もあります。

【NHKプロジェクトX 挑戦者たち】「世界を驚かせた一台の車 名社長と闘った若手社員たち」
(CVCCエンジン・本田技研工業 200年4月25日)
 を見て、呆れました。
 頑固石頭の社長であった本田宗一郎氏の頓珍漢さと闘って、若手社員たちはCVCCエンジンを
完成させたというストーリーに仕立てていました。

 実際は違っていた。本田宗一郎氏こそがCVCCの産みの親だった。マスキー法をクリアするため、
自動車産業界は触媒法に流れた。それに断固と異を唱えた人物が本田宗一郎氏だった。「エンジン
が出した不始末は、エンジンで解決すべき」という信念に基づいて、少人数の異端チームを作って、
試行錯誤の末、副室で濃いガソリン気体に着火させ、その火炎を主室の理想希薄ガソリン気体を導
き、燃やす方法を実現させた。無から有を生み出すという点でCVCC誕生を先導した。
 受け狙いで、話を単純化し真実をゆがめることは、放送人としては慎むべきですね。

 釜石市の防災教育は素晴らしい教訓を残しました。防災教育の指導をされた群馬大学大学院教授・
片田敏孝氏の教育、それを受け入れた釜石市の度量の大きさ、それが石巻市との大きな違いとなった。
小中学生全生徒2926人中、学校を休んでいたなどの5人を除く全員が津波から逃れた。生存率は
99.8%。管理人さんが言われる教育の偉大な力であり、方向が間違った教育の悲惨さの対比ですね。
その土壌として、子供たちに地頭で考える潜在力が育っていたこともあると思います。
 石巻・大川小学校では、子供たちが「裏山へ逃げようぜ」と正しい判断をし行動をとり始めたのを
教師が誤った判断力で呼び戻した。
Posted by 思いやり at 2014年06月05日 21:34
とてもいい記事でした。
Posted by 読むだけの人 at 2014年06月05日 21:35
こういう話を書けるから、侮れない。たいしたもんだ
Posted by 古い読者 at 2014年06月05日 21:52
こういう話をもっと読みたい、という人向けには。
 → http://openblog.meblog.biz/article/4318803.html
Posted by 管理人 at 2014年06月05日 22:17
釜石小学校での教育の素晴らしさについては全く同感ですが、田老地区など防潮堤があった地区について、少々言葉が過ぎやしませんか。
防潮堤が出来たから大儲けだとか、本当にそんな事思ってたかなんて分からないでしょう。管理人さんがそう思ってるだけで。
勝手に他人の内心を悪く想像してあげつらうのは質の悪いマッチポンプですよ。しかも当の本人たちは、もう亡くなっているから反論の余地もない。
十分中身のある記事なんだから、過剰な表現をする必要はないはずです。
Posted by merith at 2014年06月11日 13:49
> 防潮堤が出来たから大儲けだとか、

 それはたしかにフィクションですが、この箇所がフィクションだということはすぐにわかるでしょう。

> 過剰な表現をする必要はないはずです。

 まあ、フィクションだとすぐにわかるはずですし。冗談半分だと理解できるはず。死者を鞭打っていると感じるのかもしれませんが、今後に死者を誕生させないためには仕方ないでしょう。

 なお、実際に巨額の国費が投入されているのは事実です。一箇所につき数百億円。一人あたりで数千万円ぐらいかな。
 これほどの国費を投入してもらっているのだから、「大儲け」と思うのは当然でしょう。
 ともあれ、誇張やジョークを含め、来るべき死者を減らすことが最優先です。

 現在でも、各地で「田老地区の真似をしよう」として、巨大防潮堤がたくさん作られています。
 大きな間違いは大きな間違いだとはっきり指摘しておかないと、同じ過ちが何度も繰り返されます。というか、今まさしく、同じ過ちを繰り返しつつあります。

 田老地区の防潮堤については、次の項目に記述があるので、そちらを読んでください。
  → http://openblog.meblog.biz/article/22733560.html
Posted by 管理人 at 2014年06月11日 18:55
防潮堤についての記事は、実はコメント以前に拝読しております。管理人さんが主張されてる事についても賛同しています。
日本各地で、同じような過ちが繰り返されようとしている。本当に憂慮すべき事態だと思います。
言うまでもない事ですが、フィクションだという事も、冗談半分だという事も分かります。しかしその上で、やはりああいう表現は良くないと思うのです。

 上記のような事実を踏まえた上でも、政治家でもない、単なる私人であっただろう大半の亡くなった人々を「大儲けをして得意がっていた」とか表現する事が正当化されるとは思えません。
たとえそれがジョークだろうと、なんだろうと。

 勿論、田老地区の人々は純然たる被害者で、なんの落ち度もなかったなどと言うつもりはありません。しかし管理人さんほど頭の良い方なら、いくらでも他の表現ができたはずだと思うのです。


…とは言え、ネットでは少なからず言葉が刺々しくなる文化?のようなものがありますから、多分私も頭が固いんでしょうね。
比べ物にならない程ひどい言葉が並んでるサイトも溢れ返ってますし。
ですからこれは、私の我儘のようなものなのかもしれません。

と言うのも、管理人さんは、今まで私がネットで見てきた中で、恐らく最も賢明な執筆者の一人だと思うのです。
そして私の願望として、賢人は人格的にも、できるだけ尊敬できる人であってほしいというものがあるのかもしれません。(管理人さんが尊敬できないと言ってる訳ではありませんよ!(⌒_⌒; )

長々と失礼しました。
今後も記事を楽しみにしております。
Posted by merith at 2014年06月11日 21:55
> 正当化されるとは思えません。

 その点は同意します。私も書いているときに気づいていました。「死者に鞭打つ行為で、失礼だな」と。(決して得意がって書いていたわけではありません。)

 しかし、現状を見ると、愚行ゆえに大量の人々を死なせるための政策が進んでいます。このような政策が愚行であることをきちんと指摘して、大量の死者を予防することが、あらゆる弊害に優先する、最優先事項だと考えます。

 仮に、この件で「南堂のバカ野郎。けしからん!」という非難囂々の声が湧き上がったとしたら、私としては本望です。たとえそれで私が批判されようとも、世間の人々が愚行に足を突っ込む危険が減るからです。

 とにかく、大量の死者を防ぐ、というのが、私にとって最優先事項となります。そのために失礼な言葉遣いをすることになったとしても、それもまたやむを得ません。
 ここで、傷つく人が現存するのならば、良くないことですが、死者はもはや傷つくことはありません。傷つく人がいるとしたら、私だけです。私が傷つく代償として、大量の人々の命が救われるのであれば、私としてはそのような言説を取ることを選びます。

( ※ とはいえ、具体的な個人を名指しして批判することはありません。)
Posted by 管理人 at 2014年06月11日 22:12
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