2014年05月03日

◆ 脳科学の現在と未来

 脳科学の研究を推進することで、脳の真実がわかるだろうか? 「今のところは無理だ」というのが私の判断だ。(根源的な不可能性がある。) ──

 脳は科学の分野では最後の秘境だとも言われる。ビッグバンなどの宇宙とか、DNA の生物とか、それらの分野では科学は大きな成果を収めたが、脳についてはいまだにわかっていないことが多い。
 では、研究を促進することで、脳の真実がわかるようになるだろうか?
 「わかるはずだ。おれがやれば、未知の真実を解明できるぞ」
 と思った人がいる。利根川進がそうだ。彼は、免疫の真実を解明したあとで、脳の真実を解明しようとして、彼の後半生を賭けた。
 では、彼はその賭けに成功するだろうか? 「おれならば成功するさ」と思ったのだろう。しかし私は、「失敗する」と予想する。そのわけを示そう。

 ──

 脳の真実は解明できるか? もちろん、いつかは解明できるだろう。
 ではそれは、近い未来のことだろうか? とりあえず、その条件を考えてみよう。

 脳の真実を調べるというと、まずは「機能局在論」というものが登場した。とりあえずは、「視覚・聴覚・体性感覚」などを感じる感覚野(第一次感覚野)が認定され、また、運動野も認定された。
 さらには、第一次感覚野から認知能力を得る第二次感覚野(聴覚の理解や資格の理解をする高度な脳の領域)も認定された。特に、聴覚の第二次感覚野(連合野)の損傷が生じると、ウェルニッケ失語というような症状が出ることもわかった。視覚のの第二次感覚野(連合野)の損傷が生じると、半側空間失認のような症状が出ることもわかった。
 こうして、「機能局在論」による説明は、ある程度、成功した。

 では、「機能局在論」による説明は、万能か? あらゆる機能には、それに対応する領域があるのか? 「イエス」と考えた人も多い。だが、実験結果は、それに否定的だった。
 たとえば、「記憶」という機能は、特定の領域に存在しているわけではなくて、第二次感覚野の広い部分でなされている。そこでは、「記憶」と「思考」が別々の領域でなされているのではなく、同じ領域で「記憶」と「思考」がともになされている。
 また、短期記憶には、「海馬」という器官が大きく関与しており、「海馬」を損傷すると短期記憶ができなくなる。では、海馬さえあれば大丈夫かというと、そんなことはない。海馬が正常でも、他の領域がおかしいと、記憶の認定そのものができなくなったりする。(たとえば統合失調症の患者や、アルツハイマー病の患者。)
 結局、機能というものは、特定の領域だけでなされているというよりは、多くの領域や器官が同時に作用することでなされている……というふうに見なせる。

 ──

 では、それらの領域や器官の状況を詳しく知ればれば、それによって脳の真実は解明されるか? 「否」というのが私の見解だ。

 私は以下のように考える。
 脳を科学としてとらえるためには、局在論ふうの考え方をいくらやっても足りない。なぜなら、脳の神経は、広い領域で絡み合っているからだ。ある場所から伸びたニューロンが、かなり離れた場所のニューロンと結びついて、関係し合っている。(神経の興奮を伝達し合っている。)ここでは、ニューロンの存在そのものが、局所性を否定している。
 ニューロンはもともと局所的なものではないのだ。とすれば、脳の真実を知るには、次のことが必要だ。
 「ニューロンの興奮を、ひとつひとつのニューロン単位で、詳細に観測すること」

 たとえば、人が文字を見たとき、百万個のニューロンが興奮を伝えたとしよう。その場合、次のことを解明することが必要だ。
  ・ 一つ一つのニューロンの興奮状態
  ・ それを一つ一つのニューロンの各場所で調べる
  ・ それを経時的な変化で調べる

 具体的には、次のことが必要だ。
 「ミクロン単位のマイクロセンサーを開発する。それをニューロン1個について 100個ぐらいを取り付ける。それによって一つ一つのニューロンの興奮状態を観測する。このようなことを、百万個以上のニューロン(できれば数十億個のニューロン)について観測する」

 たとえば、1億個のニューロンのそれぞれに 100個のマイクロセンサーを取り付ける。この 100億個のセンサーをセンサーの状況を、ミリ秒単位で観測して、10兆ぐらいの観測データを取得する。
 このように 10兆ぐらいの観測データを、3次元の位置情報と照合することで、1京ぐらいのデータを取得する。それぞれのデータの量が1kB だとすると、1京 kB ぐらいのデータを取得する。これが一つの実験単位だ。この実験単位を1万ぐらい取得することで、1京 kB の1万倍ぐらいのデータを取得する。
 ここまでやって初めて、脳科学は「科学」となるだろう。

 で、それは、可能か? いつかは可能だろう。しかしそれは近い未来ではない。基本的には、ミクロン単位のマイクロセンサーを開発することが必要だが、それははるかに先の話だ。現状では、ミニロボットというものが開発されているが、それはミリメートルの単位であって、ミクロン単位ではない。ミクロン単位のマイクロセンサーは、遠い夢物語である。
 それゆえ、脳の真実を「科学として」とらえることは、現時点ではとうてい無理なのだ。現状の脳科学は、天文学におけるガリレオ(彼は天体望遠鏡をで観測した)の段階には、とうてい到達していない。つまり、ニューロンの興奮を詳細に観測する段階には到達していない。肉眼で夜空の星を眺めているぐらいのレベルだ。つまり、ちっちも科学になっていない。

 ──

 ここからすれば、次の結論が得られる。
 「人類はいまだ脳を科学としてとらえる段階には至っていない。CTスキャナや MRI によって局所的に観測することはできているが、ニューロン単位で観測することはとうていできていない。この状況では、脳科学に莫大な金を投じても、その金に比例して成果が出るとは言えない。むしろ、脳科学とは別の方面に多額の金を投入した方がいい。脳科学は、まずは、基礎的な研究をする方がいい。たとえば、ネズミの連想のような。……そのような基礎研究であれば、たいして金をかけずに実験をすることが可能だろう」

 たとえば、利根川さんのやっているような研究であれば、年に 1000万円ぐらいの研究予算をかければ十分だ。理研の多額の研究費は、もっと別の分野(実用化が近い分野)に投入するべきだろう。
 一般に、基礎研究には多額の金をかけるよりは、広範な研究者を招く方がいい。一方、実用化の近い分野には、多額の研究費を投入した方がいい。(たとえば iPS細胞の実用化研究。あるいは、筋電義手のようなロボット or パワースーツの研究)
 こういう基本方針を取るべきだろう。



 [ 付記1 ]
 現状の水準では脳の真実には到達できそうにない。このことは、野口英世に似ている。彼は「黄熱病の病原菌を何とかして突き止めよう」として、命を賭けた。しかし、彼がどれほど研究しようと、黄熱病の病原菌を突き止めることは不可能だったのだ。なぜなら、黄熱病の病原菌らしきものは、ウイルスと呼ばれる新種のものであって、それは光学顕微鏡では決して観測できないものであったからだ。
 黄熱病の原因となるウイルスを観測するためには、電子顕微鏡という新たな道具が発明される必要があった。それがない時代には、いくら研究しても、ただの無駄だったのである。
 脳科学も同様だろう。ミクロン単位のマイクロセンサーがない状況では、ニューロンの詳細はわからないのだし、その状況で、いくら脳の真実を探ろうとしても、そこには根源的な限界があるのだ。
 ここでは、「金を莫大に投入すればいい」ということは成立しないのだ。
 
 [ 付記2 ]
 具体的な例で言うと、利根川さんの研究がある。下記で論じた。
  → 偽の記憶か、連想か?

 この研究では、利根川さんはかなり重要な研究をした、と言える。
 しかしながら、その意味をまったく勘違いしている。いわば、「アメリカ大陸を発見しながら、それをインドだと思い込んでしまう」というような状況だ。
 これでは研究の意義がほとんどない。この研究は、それ自体では意味を持たず、上記の指摘で修正されて初めて、意味を持つ。
 要するに、「自分が何をやっているかわからない」という状況だ。これは、小保方さんとそっくりである。
 本人は自分が何をしているか理解していないのだ。
( → STAP細胞事件の解明2

 ま、それでも、何もしないよりはマシだ、とは言える。とはいえ、こんなことは、ただのネズミの行動の研究だ。この程度のことは、理研よりは、どこかの心理学教室でマイナーにやっていれば済むことだ。とうてい理研なんかで多額の予算をかけてやることではない。まして、理研のセンター長なんかが偉そうにやることではない。
 なぜか? こんなことをいくらやったところで、「連想とは何か?」という本質には届くはずがないからだ。それというのも、この研究は、ニューロンレベルの研究ではないからだ。そして、ニューロンレベルの研究でない限り、それは自然科学とは言えないのである。せいぜい、人文科学における「心理学」の一部であろう。
 こんな研究に多額の予算をかけることは、ただの無駄だ、とすら言える。
 理研の高齢化の悪弊は、ここにも現れている。
 野依さんであれ、利根川さんであれ、ノーベル賞を取った時期には超優秀であったが、高齢化したあとは、益よりも害が目立つかもしれない。彼らは、さっさと後進に道を譲ることがおのれの使命だ、ということを理解できていないようだ。
 ま、野依さんは、自分では理研で研究をしないだけ、まだマシである。とはいえ、名古屋大学では研究室をもっている。また、利根川さんは、現役バリバリで理研で威勢を奮っている。
 ま、たいして予算のない名古屋大学で教育をする野依さんはまだいい。一方、理研で多額の予算を取りながら教育をすることもない利根川さんは、困ったものである。
 お二人とも、「老害」という言葉を理解して、さっさと後進に道を譲ることはできないものか。



 [ 余談 ]
 読者への質問に答える形。

 Q どうしてお二人の悪口を言うの? 二人に恨みでもあるの? 

 A 日本の研究の進展を願っているだけです。停滞を阻止したいだけです。( STAP細胞なんて、どうでもいい。あんなことはたいして影響しない。)

 Q お二人を攻撃するつもり? 

 A 猫に鈴を付けているだけです。誰も付けないので。

  → 画像




     

         二匹の猫
posted by 管理人 at 15:59| Comment(3) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最後のあたりで [ 付記2 ] 以降を加筆しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2014年05月03日 19:44
医局の世界でも同じことを感じました。

私はこの春までとある歯科大で歯科研修医をしていました。

そして、このブログを見て、研究とは別の構造ですが、同じものを感じました。
老害というコンセプトです。

かつての私の直属の60代指導医は、医局で准教授にいながら9時〜5時で必ず帰り、一切研究をしません。教育もしませんでした。
研修医をトイレットペーパーのように扱い、『指導医』として名目をつくるために1年間、私を受け入れただけでした。
指導を放棄し教育をしないので、私は研修について自ら、たくさんのことを質問しに行ったり、相談をかけましたが、結局陰湿ないじめと暴力に合い、放置されました。
指導医の身内が前時代のボスだったため、教授ですら彼に何も言えません。
前時代からのステイタスを持ち、学内政治だけに興味を持ちながら、あらゆる恩恵をそこで受けた彼は、結局私の指導を一切しませんでした。
やがて、彼は私の研修医症例発表資料をどこからの学会やセミナーからの文章をコピペして渡し、発表するように指示しました。
私は自分でも、なんとか症例報告の資料を(他の先生たちの協力を借りて、指導医以外の診療に関わり)作り上げていたのですが、医局のヒエラルキー事情、人間関係の事情から指導医のコピペ資料を報告することになりました。
資料を貰った時、その内容は本当に、90パー近くがどこかの雑誌の切り貼りでした。
これは、「発表したら、自分は恥をかくな・・・」と当時思ったものです。
ところが、発表当日、質疑応答で一切、その内容に触れる審査員はいなかったのです。
なぜなら、先端情報をコピペされていたので、その内容に、老いてなお、学内政治だけを行う年代の人々にはついていけない内容だったからです。
指導医の思惑も、審査員の思惑も、研修発表会自体が研修医指導施設として世に名目を保つための出来レースだったのです。
若い研修医は、老害たちの肥しの材料でした。
狭い世界で、時の止まった学内政治という永遠の箱の中にいるようでした。

私の研修した歯科大学では、研究も教育も研修医を育てる力もなく、ただ老害だけが若手を消耗品のように利用しているだけの状況になっています。

私はいま、臨床から離れ、研究をするために、大学を変え、多くの事を学び始めています。
今、指導していただく教授は若く、研究室のメンバーも若いです。前進しようと言うパワーに溢れ、毎日最先端の情報を探り、彼らは研究に邁進しています。
とても刺激的で、ここにきて良かったと思いました。熱いディスカッションは研究内容だけでなく、研究者としてのこれからについても積極的に話し合うことも多いです。

こうして、今いる世界が、毎日がとても充実し、一日一日が本当に時間との闘いです。
日常と研究が、これほど楽しいと思える日を迎える事が出来て幸運だったと思います。
しかし、ふと思いました。
研修時代の古い沈みかけの船にいた自分の立場を、今も味わっているかつての同期達は、まったく新しい情報を得ようとせず、時間が止まったままの人もいるんだろうなと。
彼らも、いずれ老害の思考になるのかと思うと胸が痛みました。
若手を食い物にするのかと思うと辛いです。

このブログをよんで、継承される老害思考というものの流れを思い起こすことができる機会に恵まれました。

私は、研修医時代の沈む船から抜け出せました。
相手が変わらないなら、自分が変わろうと思い、毎日を大事に過ごすことを覚えました。

ありがとうございました。
真摯に、そして決して傲慢になることなく今の研究者を目指すものとして、老害概念を反面教師として、きちんと役目を果たせるよう頑張りたいと思います。自分たちも次世代の育成に目を向けれるように老いていきたいと思います。
Posted by 猫好きななし at 2014年05月04日 17:06
脳科学に対する見方が良いね。ウィキペディアでも脳科学の一部はエセ科学と言ってるからね。この領域の正式な人たちは神経科学者というらしい。脳トレや納豆食で頭を良くし、収入アップなどという現実的御利益で釣るなんてのも怪しすぎるなあ。これが教授だから、その大学のレベルも推して知るべし。
Posted by おばこ at 2015年05月10日 18:09
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